Side Black(2)

「お待たせ、赤井君」

 健太が声をかけると、白井だ、と眉を寄せながら赤髪が立ち上がった。

「今の、妹?」

「そうだよ」

 答えると渋い顔をして、ありゃ反則だろと嘆くように言った。

「何が?」

「あんな挨拶されたら、お前とやりづれえじゃねえかよ」

 そうかもしれない。なんだかおかしくなってきた。

 白井はこの町は初めてなのだと言った。健太と勝負するために、わざわざ学校を挟んで自宅とは反対側にあるこの町までやってきたらしい。勝負の順延を拒んだわけが分かった。 

 どこか良さそうな場所はないかと言うので、近くに大きめの橋があるからその下辺りでどうかと提案すると、それでいいとうなずいた。

「いい天気だね」

 河川敷では子どもたちがわあわあ喚きながらサッカーか何かやって遊んでいる。凧上げをしている姿も見えた。白井が懐かしそうに言った。

「凧見ると、正月って感じするよな」

「そだね」

 健太は今日みたいな暖かい冬の日が好きだ。本当は、枯草の上で昼寝でもしたいところだが。

 のどかな雰囲気の中、二人でだらだら川沿いの遊歩道を歩いていると、白井がやりづれえな、と再び言った。

「お前と散歩しにきたんじゃねえのに」

 悔しそうに言うのがおかしい。もうすぐ着くよ、と健太が言うと黙ってうなずいた。

 橋の傍まで来ると、遊歩道を外れて河原まで降り、橋の下に入った。四車線分の幅に陽光を遮られ、ここだけ薄暗くひんやりとしている。橋を支える何本かのコンクリート柱には、どうやってと思うような位置にまでスプレーで落書きがしてあった。土日などは釣り人がぱらぱら散らばって竿を垂れていることがある場所だが、今、辺りに人気はない。

「じゃあ、始めようぜ」

 白井が上着と鞄を放って、健太と向かい合うように立つと、両手の指を鳴らした。

「あのさ、ちょっといいかな」

「何だよ」

「オレの方はいきなり、一方的に勝負しろって言われたわけだよね」

「それがどうした」

 健太は微笑むと言った。

「だから一つ、こっちの条件のんでもらっていい?」

「条件?」

 白井は顔をしかめたが、

「言うだけ言ってみろ」

 のんでやるかは分かんねえけど、とあごをしゃくって促してきた。健太はうなずくと続けた。

「さっきも言ったけど、オレは赤、じゃなかった、白井君とやり合うつもりないんだ。だから」

 そっちの攻撃を一定時間防げば終わりってことでいい? と健太は提案した。

「1ラウンド。3分でどう?」

 はあ? と白井が口を開けた。

「とことん舐めた野郎だな」

 俺に当てさせねえつもりか、とさすがにカチンときた様子で言う。

「やれるもんならやってみろ」

「うん」

 軽く肩を回すと、健太は腕時計を見た。

「じゃ今2時44分だから、47分までね」

「3分もいらねえよ」

 その呑気面に速攻でぶちこんでやる、と宣戦布告らしく、指を突き出した。

「じゃ、行くぞ」

 健太がうなずくと、白井が間合いを詰めてきた。ずいと襟元に伸びてきた手をさっと払う。次の手は体を傾けてかわした。

「んの野郎!」

 今度はいきなり拳を突き出してきた。

 健太が思っていたより、白井が繰り出してくる手足の動きは読みやすかった。家で父親と冗談半分に暴れる時以外は、誰かのパンチや蹴りを受けるなんて滅多にないから、何だか新鮮だ。

 こいつのスピードが遅いのかな。それとも親父が早過ぎるのか。どっちだろ?

 そんなことを考えていて、ふと見ると白井が肩で息をしながら、腰を屈めていた。時計を見るとあと約1分だ。あともう少し、と思った瞬間、顔中に何かが飛んできた。

「痛って…」

 砂でも投げたらしい。

「てめえもかかってこい!」

 やりづれえんだよ! 白井が攻撃しながら怒鳴っている。ひどいな。目を覆いながら、あとは気配で避けた。

 避けながら顔の砂を払い、何とか目が開くようになったので再び時計を見た。

「3分経ったよ!」

 大声で言うと、白井が動きを止めた。

「ちく、しょう」

 喘ぎながら健太を睨んでいる。

「バカ、にしやが、って……」

 すっ、げえむかつく! と地面を派手に蹴飛ばすと、よろよろと進んで上着と鞄の傍にへたりこんだ。そうしてしばらく顔を伏せてぜいぜいやっていたと思ったら、突然激しく咳き込み始めた。

「大丈夫?」

 傍まで行って声をかけると、げほげほやりながら、うるさそうに手を振った。

 そのうち白井の咳が収まったので、健太は自分の荷物を取り上げた。

「じゃあね」

 立ち去ろうとすると、

「待てよ」

 白井が小さな声で引き留めてきた。

「もうやんないよ」

 きっぱり言うと、ちげーよ、と今度は吐き捨てるように言った。

「アイス預けたんなら、急がねえだろ」

「そうだけどさ」

 晩飯作んねえと、と健太が言うと、

「主婦かよ!」

 すごい勢いで突っ込んできた。

「お前んち、母ちゃんいねえの?」

「いるよ」

「じゃあ、なんでお前が作るんだよ」

 今日は自分が夕食当番だからと健太は説明した。

「よく分かんねえけど。何か変わってんな」

 家事当番のことを話すと、大抵こう言われる。健太にとっては、すっかり慣れっこになった反応だ。

「でも、少しだったらいいよ」

 話すなら暖かいところがいい、と日なたを指差すと、白井はじろりと健太を見上げたあと、しぶしぶ立ち上がった。

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