第24話

 クロード・ファブリには、蓄音機から音楽が流れていて、コーヒーの香ばしさで満ちていた。


「あ、イミテーション、どうした?」


 二コラがカウンターの向こうから声をかけてきて、大輔は閉めたドアの扉に背をつけてずるずるとへたり込んだ。


「おいおい、どうしたんだよ」


「二コラ、お友達?」


「母さん、まあそんなとこだよ」


 店のほうから女性が顔出す。

 母親にしては若い。


「貧血かしら。リビングで休んでいただいたら?」


「そうするか?」


「い、いや、そんな……大丈夫です」


「んじゃ店のほうでなんか飲んでけよ。今日はナポリタンとサンドイッチとスコーンがあるぜ。ケーキ類はもう出ちゃったけど」


「奥様たちでお茶会しちゃったのよね。うふふ」


 二コラの母親は口元を手で押さえて上品に笑った。


「じゃあ二コラ、午後はお願いね。私はお稽古に行ってくるから」


「あいよー」


 母親を見送った後、二コラはテーブルの上からカップなどをかたずけはじめた。

 お客が帰った直後だったようだ。


「好きな席につけよ。今日は金をとるぜ」


「そういや昨日はコーヒー代払ってなかった。ごめん」


「あれは余りもんだからいいんだよ。じいさんの許可は貰ってるし」


 大輔は庭の見えるテーブル席に座った。

 でかい庭だった。様々な花が咲き乱れている。

 外から見たときは気が付かなかった。


「この店はじいさんの趣味なんだよな。最近は日帰り旅行とかクルージングだとかに精を出しまくってるからほとんど俺が店番だけど。コーヒー一杯三百円。破格の安さだろ。飲んでけ飲んでけ、その分俺のバイト代になる」


「一応店員なんすね……」


「そ。……という名の、じいさんからの援助だな。俺、母親に家賃払ってるから。月十万。……つらい」


「……まじかよ」


「タランチュラからも給料もらってるけど、気が付けばあそこで酒飲んでるから半分持ってかれるし」


「……」


「はい。今日はホットコーヒーとスコーン。ジャムは梅ジャムな。それで瓶が空になるから」


 残り物の処理に使われている。

 飲んだコーヒーは美味しく、身体が温まった。


「はー……人心地ついた……」


「どうだった? エステ」


「……あー……」


「ニッケルが来てから話すか?」


「……あー……、エステは気持ちよかったけど……、恐かった」


「なにが」


「……わっかんない。……なあ、俺、つけられてない?」


「誰にだよ」


「……リコに」


「お前が復讐相手じゃないだろ?」


「サロンの入ってるマンションの前にさ、いたんだよ。リコ。俺のことみて、ニヤッと笑ったんだ」


 言った瞬間、身体が勝手にブルリと震えた。

 二コラが席を立った。カウンターの向こうに入り、壁のモニターを起動させている。


「大丈夫、この付近の監視カメラには映ってない」


「……そっか。……よかった」


 安心したので、やっとスコーンにかじりついた。

 そういえば、スコーンを食べたのは生まれて初めてかもしれない。ぼろぼろこぼしてしまったでの恥ずかしい。

 けれども、反対側に座りなおした二コラも結構スコーンをこぼしていたので安心した。


「……なんだか心配だから、飲み会するまでここにいろよ。一緒に酒とか調達してから向かおうぜ。ニッケルにもラインしとく」


「……ありがとう。迷惑おかけしてすんません」


「お前さ、敬語やめろつったじゃん。昨日。それにちょいちょい敬語とタメ口混ざってる」


 しまった。機嫌を損ねてしまったかもしれない。

 とっさに取り繕うとして、その態度がきっと卑屈なのだろうと大輔は分析した。

 そして観念した。


「うまく……言えないんだよ。まともな友達とかいなかったっていうか、……気軽にしゃべったのって小学校以来かも……」


「あー、そーなん? ……俺らもうガキじゃないしさ、あの奇妙なコミュニティのなかで生活してないし、そんな気を張らなくていいんじゃないか?」


「かもしんかいけど」


 今の口調は受け入れられているのだろうか。まだ大輔は自分のしゃべり方に自信が持てない。


「かもしんないけども、……そうそう人間って変われない……」


「まーな。変わったとしたら、相当なショックな出来事があったんだろうなって思う。……あの依頼人とか」


「……。相当だったんだろうな、あそこ……」


「何があったか、酒を飲みながら聞いてやるぜ、イミテーション!」


「……どーも」




 夕方になり、大輔と二コラは蔦屋の中のコンビニで酒を買って七曲ハイツに向かった。


「コンビニの酒でニッケルのやつ満足するかな。まいっか」


「けど東京のコンビニっておしゃれだ。ピンクの色の酒とか売ってるとは思わなかった」


「この辺のコンビニはつまみも充実してる。ま、最悪ニッケルの部屋からうまそうなつまみ持って来て貰おうぜ」


 歩きながら大輔は周囲が気になった。正確にはリコがいないか気になった。

 つけられていて、七曲ハイツの場所が知られたらどうしよう。

 大輔の心配をよそに二コラは迷うことなく七曲ハイツに向かってゆく。

 そして大輔の部屋に入ると一言。


「……うわ」


「……汚い部屋ですが、どうぞ」


「汚いつーかこれ……、独房じゃん」


「狭いのは仕方がないだろ」


「狭さじゃなくて。……なんもないな」


 呆然として部屋を見回している。


「え、なんで床によさげな燻製肉のパックが置いてあるんだよ。ってか、布団だけ? この部屋の家具って布団だけ?」


「まあ、そうだけど」


「何にもなさ過ぎてむしろカオス」


「引っ越したばっかりなんで」


「引っ越しって、もっとさ、せめてさ、……いや、わかんねーわ。おにーさんわかんねーよ。なんじゃこりゃ」


「その辺に座ってくれよ」


「座るけどさ」


 二コラは挙動不審になりながらその場に胡坐をかいた。


「ニッケルが見たらたまげそう」


「白銅貨さんなら、もうこの部屋に入ってるから知ってると思う」


「入ったのかよ、なんだ結構打ち解けてるな」


「……いや、むちゃくちゃブチギレて怒鳴り込んできて、おっそろしい壁ドン食らった記憶があるけど、怖すぎてあんまり覚えてない」


「…………。明日にでも一緒に家具買いに行こうぜ」


 大輔は小さくうなずいた。

 涙が出そうになったのはなぜだろう。


「ニート同士仲良さそうだな」


 背後から声がして、大輔と二コラはハッとして振り返った。

 玄関に段ボールを小脇に抱えた白銅貨が立っていた。

 スーツ姿だ。

 冷たい表情のまま突っ立っている。


「ほらよ、テーブルだ」


 白銅貨が段ボールを床に放り投げた。


「着替えてくるから組み立てておけよ」


「あ、はい」


 そして部屋を出て行ったの。


「……」


「……」


 大輔と二コラは無言で段ボールを組み立てて、ガムテープで補強すると、その上に買ってきた缶ビールと缶チューハイを並べた。


「……これはこれで、味があるな」


 二コラは気に入ったっようだ。金持ちの感覚は分からないが、大輔はさっきとは違う意味の涙が出そうだった。

 俺、たしか五億円もってるはずなんだよな。

 私服に着替えた白銅貨が、今度は鍋とフライパンとオリーブオイルと塩をもってやってきた。

 断りの言葉どころか無言でキッチンに立って、床に転がっていた燻製肉のパウチをひっつかむと鍋でゆで始めた。

 そしてフライパンを温め、油をひき、燻製肉を軽く炒めて塩を振る。

 それをフライパンごと段ボールのテーブルに置いた。


「ん。できた。酒は?」


「……。うわあ、すごい、鉄格子の向こうのごはんみたいに良さげなソーセージを食べることになるとは」


 二コラが笑いながら缶チューハイを白銅貨に渡した。

 もはや、勝手になにをやってるんだ! とすら言えぬ雰囲気だった。

 大輔の手にも缶チューハイが渡ってきて、乾杯が交わされた。

 そしてめいめいにソーセージをつまみ、買ってきていたつまみの袋を開け、適当な雑談を交わした後、おもむろに白銅貨が大輔に話題を振った。


「上手くいったみたいじゃないか。エステサロンマーキュリーで。どうだった?」


「どうって……。上手くいったって、どこからそんな情報が?」


 二コラを見たが、首を横に振られる。


「感想は?」


「最悪」


「良くなかったか? 施術に関しては口コミの評判は高い」


「施術は良かったけど……。嫌な気分になったよ。手がさ、ぼろぼろのエステティシャンがいたんだよね」


「……そのエステティシャンが施術を?」


「いや、ターゲットの佐々木エミさん」


「ラッキーだったじゃないか」


「……この人が、あの子の手をぼろぼろにするほど追い込んで、リコを鬼に変えちゃったのかと想像したら、……なんだか気分がよくないよ」


「……イミテーションってば繊細。ま、俺も同感かな」


 二コラが相槌を打ちながら、ビールの缶を開けた。

 ペースが早い。


「余計なことも言っちゃったし」


 気が重くなった。


「何を言った?」


 白銅貨が促したので、大輔は少し下唇を噛んでから話した。


「佐々木エミさん。エレベーターの前まで見送りに来てくれて、感想を聞かれたんだよね。だから、ってわけじゃないんだけど、なんていうか……もう二度と来たくないって言っちゃったよ。あなたのそばにいると良くない気がする……、近寄りたくない、……みたいな」


 わお。

 二コラが小さくつぶやいた。

 大輔は、自分がやってはいけないことをしてしまったのだと思った。

 体が寒くなり、喉の奥が狭まったかのように呼吸がしにくくなった。


「へー。そりゃあ、お前にしちゃ気が利くじゃないか」


「え」


 大輔ははじかれたように顔を上げた。

 白銅貨が缶チューハイを傾けながら大輔を見ている。その目つきはやはり冷たくて、けれども大輔の行為を褒めるような発言を続けた。


「思っていた以上の働きだぜ。正直、素直にマーキュリーに行ってくれさえすれば及第点って思ってたけど、やればできるじゃないか」


「ど、どういうことだよ」


「依頼人はご満足したようだ、ってことさ」


 ニヤッと白銅貨は笑った。



 続く。

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