第23話
翌日、大輔はスマホを片手に南白台に向かった。
南白台も高級な場所なのだが、昨日の青葉台よりも高級な雰囲気はなかった。
きっとマンションが多いからだろう。そして細い路地をタクシーがびゅんびゅん走っている。
坂を下り、また上がり、曲がり、気が付けば豪邸があり、その横にマンションがあり、コンビニがあり。
「なんだここ、すごい迷うんだけど」
大輔はスマホ画面と周りの景色を見比べながらうろうろした。
そうして辿り着いた場所は大使館街のある大きな通りのすぐそばで、迷った自分がばかみたいに思えた。
近くの路地を歩くより、遠回りだけれども大通りに出てから来たほうが早く着いただろう。
なんとか一時までに間に合った。
一見、小さめのビルタイプのマンションだったが、エントランスではコンシェルジュに予約の確認をされた。
大丈夫だろうかと意味もなくハラハラしたが、無事に認証されてカードキーを渡された。
それを使ってエレベーターに乗り、下りた瞬間に甘い香りに包まれた。
バニラのような香りだった。
一瞬にして別世界。
白とクリーム色の壁や調度品、そして青い小花が活けられている。
「お待ちしておりました、サビシロ様」
受付の女性がカウンターからわざわざ出てきて挨拶をしてくれた。
「カウンセリングルームにご案内いたしますね」
「あ、ありがとうございます」
カウンセリングルームは半個室で、そこで肌の状態だとかどんな体の症状に悩まされているかなどを聞かれたが、大輔はまともに答えられなかった。
「ええっと、知り合いに、ぜひ受けてみろと言われて……なので、全く初めてなので、お任せで、はい」
それだけしか言えなかった。
そのあとに個室に案内されて、シャワーを軽く浴び、ガウンを着てベッドに横になる。
何が起こるのだろうとますます緊張してきた。
「失礼いたします」
カウンセリングした女性ではない人がやってきて、挨拶をしてくれた。
「今回担当させていただきます佐々木エミと申します」
佐々木エミ。
驚いた。
リコのターゲット。
これがリコを追い詰めて、他の離職者たちをことごとく精神病院送りにしたマネージャー。
けれどそんな恐ろしい人物には見えなかった。口調も穏やかで、表情も好感が持てたし、なにより美人だった。受けた説明は全く頭に入ってこなかったが。
ボディを六十分、フェイシャル三十分。
すべてが終わり、気持ちよさで頭がぼんやりしていた。
鏡を見れば、あか抜けなかった自分の顔が少しシャープになり、都会人ぽくなったような気がする。
身体のいろんなところから良い香りがしている気がした。
施術後のハーブティーを飲んでいると、エミではないエステティシャンが感想を聞きに来た。
かわいらしい子だった。
「本日はありがとうございます。いかがでしたか?」
「とても気持ちがよかったです。ありがとうございま……、す」
その女性の手元をみて大輔は息をのんだ。
赤くただれていて、肌の質ににた絆創膏を貼りまくっていたのだ。
「あの、その手、大丈夫ですか」
「え? あ、ああ。スミマセンお見苦しくて」
エステティシャンは恥ずかしそうに手をすり合わせて、背中に隠した。
「その……、ボクの知り合いに、……皮膚科と精神科医がいるんですけど……、……、その症状って……」
「いえ、大丈夫です。心配してくださってありがとうございます」
そう言った女性の片方の目からポロリと涙がこぼれ落ちた。
「申しわけございません」
酷い失態でも犯したように、そのエステティシャンは頭を下げて謝罪し、その場から去っていった。
大輔の心がどんどん冷えていった。
会計を済ませるとき、大輔のもとに施術をしたエミがやってきて挨拶をしてくれたが、まともにその顔を見れなかった。返事もそっけなくなってしまった。
さすがに自分の態度は酷いと思うも、どうも愛想笑いすら浮かべられない。
リコの鬼のような表情が脳裏によみがえり、あれを作り上げたのはこのエミなのかと思えば、心の芯が氷に代わってしまったような奇妙な気分になるのだ。
このエステサロン、終わるな。
そんな言葉が浮かんだ。
エレベーターの前まで、エミは見送りに来た。
「本日はいかがでしたでしょうか?」
「えっと……」
「どんなご感想でもよろしいので、お聞かせいただきたく」
エミは最高の、しかしねっとりした笑顔だった。
そうか、さっきのお茶の時間に自分が感想を伝えなかったから、この場で聞きに来てるのか。
大輔は察したと同時に、そのせいであのかわいらしいエステティシャンが責められている情景が目の前に広がったのだ。ただの想像だ。だけれどもリアルに大輔に迫ってくす。
赤くただれた手。こぼれ落ちた一粒の涙。
そしてリコのブログ。鬼のような表情。
「あの……ここのエステサロン……、……、もう来ません……」
「え」
エミの表情が途端に変化した。
戸惑いのせいで、どんな風に表情を作っていいのかわからない、そんな顔だった。
「あ、あの、一体どこがご不満でしたでしょうか?」
「……、ここは、……かかわっちゃいけない場所だし、……いると不幸になる気がするんです。だから、もう、来たくありません。……、その、……あなたのそばに、近寄りたくないんです」
この人のそばにいれば、不幸になる。
エレベーターが来たので、大輔は逃げるように飛び込んで、急いで閉まるのボタンを押した。
一階に無事にたどり着き、カードキーをエントランスに置くとすぐにマンションを出た。
出ると、道路の向かい側にリコの姿があった。
大輔を見て目を見開き、しかしにやっと口角を上げたのだ。
ぞっとして、大輔はその場から走り出した。
そして「あの、お客様!」と呼び止めようとするエミの声もした。
振り返ることはできなかった。
恐ろしくて恐ろしくてたまらなくて、全速力で青葉台のクロード・ファブリに逃げ込んでいた。
続く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます