第20話
この男は何を言い出すのだろうかと、大輔は白銅貨をまじまじと見た。
エステ。
「いや、興味はない」
「興味がないなら申しわけないが、命令だ、エステを受けに行けよ」
「は?」
「南白台のマーキュリー。何回か行ってみた。男も受けられるエステだな。最近は多くなったが、ここは紹介がなければ男は受けられないんだ。俺が何人か紹介者を探しておいたから、それで受けに行けよ」
「いや、だって、エステだぞ?」
「エステは今や女性だけの特権じゃないぜ? ネイルもやってるから、手入れもしてもらった」
そういって、白銅貨は爪が見えるように手の甲をさらした。
きれいに整えられてぴかぴか光る爪だった。
「仕事するにも、爪の綺麗なやつのほうが好感度上がるしな。やりすぎると気持ち悪がられるが」
「きもちわりぃよ」
「これだから」
鼻で笑われた。
いや、気持ち悪いだろう。エステだとかネイルだとか、男がやったら気持ちが悪いだろう。
同意を求めようにも目の前にいるのは白銅貨しかいない。もしも隣のテーブルにいる他の客に同意を求められたとしても、ここは代官山。白銅貨と同じ人種の人間しかいない気がした。
孤独だ。
今までとは違う意味での孤独だ。
「……少しはあか抜けてみろよ。金はあるんだよな? ニートの五億円君」
「……あるけど」
「そこの施術、一回二万五千円な」
「二万……五千円? 嘘だろ。どんだけのぼったくりだよ」
「芸能人がお忍びで通う高級エステ。それでも破格のお安さだ」
「まじかよ! 代官山、……コワイな」
「フェイシャル六十分でその値段だ。ボディ六十分なら大体三万。両方つけて九十分で五万を超えて、オプションで毛穴ケア、リンパ、デコルテ、頭皮、ハンドマッサージ、他もろもろつければ軽く十万は超えるな。俺は百二十分ボディフェイシャルと同時にネイルケアで、九万だった」
「日本語をしゃべってくれないか」
「オイルと化粧品のオプションを付けたからその値段だけれど、標準メニューだったらそれでも八万くらいで済むんじゃないかな」
頼むから日本語を話してほしいのだが、白銅貨は聞く耳を持ってくれなかった。
「じゃあ、お前の名前で予約しておく。名前は?」
「……淋代、大輔」
「サビシロダイスケね。了解。じゃあ今夜二コラのとこで」
白銅貨が素早い動きで荷物をしまった。
「え?」
と大輔が返すわずかの時間に席を立ち、会計を始めている。
そして
「自分の分は自分で払えよ」
と、大輔の肩をポンと叩いて階段を颯爽と駆け下り、代官山のおしゃれな街に溶け込んでいったのだった。
「え? 二コラのとこって?」
タランチュラのところ、だろうか。
夜、大輔は定食屋で西京焼き定食を堪能した足で、タランチュラに向かった。
不定休ということだったが、幸いにも開店していて、カウンターには客がいた。
少し気まずくて、カウンターの端に座ると、バーテンダーがすぐに話しかけてくれた。
「今日はなににしましょう」
「えっと……待ち合わせなんですよ。二コラさん……と? はは」
「はは。……お約束してるわけではなく、待ち伏せって感じですね。それまでは水で過ごしますか」
「ニッケルさんに、二コラさんのところで、と言われまして」
「ああ。……じゃあ、ここじゃないかもしれませんよ。二コラが来るのは夜十二時を過ぎてからですし、ニッケルは明日仕事でしょうから、十二時過ぎては来ませんね」
「とすると、どこでしょう、……?」
「ニッケルはあなたの行動力や推理力でも試してるんですかね、はは。……かわいそうなので教えてあげすよ。二コラは青葉台のカフェでバイトをしてます。ネルドリップコーヒーを出す小さなカフェで、そこは夜の十時までやってますね。今はまだ八時前なので行けばいますよ」
「なんていう名前のお店ですか」
「教えてもいいですが、検索してみれば? ……。……。……。……最近はスマホで簡単に調べられるしさ、……せめてそれくらいしていかないと、ニッケルが機嫌を損ねると思うんだよね。あいつ、……」
バーテンダーが声を潜めてそういった。バーテンダーという立場ではなく、一個人としての意見だ。
「あいつ、……インゴットの名前を騙ったことには、二コラ以上に怒ってるはずだからさ……」
「……ですね、わかりました。青葉台のネルドリップコーヒーのカフェ、ですね」
「今度はお酒飲みに来てよ?」
「はい!」
しかし、『青葉台』『ネルドリップコーヒー』『カフェ』で検索しても、それらしい店は出てこなかった。
「……行動力、推理力……、か」
これはバーテンダーにやられたかもしれない。
青葉台というのは、代官山一帯と中目黒の間にある高級住宅街だった。
超が付くほどの高級住宅街だった。
代官山も、一歩路地に入れば表とは違う閑静な空気になるのだが、青葉台はその上をゆく空気感だった。
静かというよりも、呼吸を整えて鎮座しているような威圧感があった。
人がほとんど歩いていない。
用もないのに歩く、それだけの行為が精神力を削り取ってゆく。
お手伝いさんや監視カメラが常に見張っていて、何もしていないのに通報されそうな気がした。通報されそう感は代官山よりも強い。
心臓がバクバクするので、大輔は代官山に戻ってきた。
「……これは、……誰かに聞いたほうがいいかな」
代官山の、大使館が乱立する通りには人も多い。カフェもあるし、レストランもあるし、パン屋にブランド服のショップもたくさんある。
大輔は勇気を振り絞った。
キラキラしたカフェから出てきたカップルがあった。
「す、すみません。この辺に、……ネルドリップコーヒーを出す小さなきカフェがあるって聞いたんですが、知りませんか?」
緊張のあまりに声がかすけれ、
「え?」
と聞き返された。大輔が羞恥心によって顔が熱くなった。
けれどももう一度聞いてみた。
「ネルドリップコーヒーを出すカフェなんです。青葉台にあるってきいてるんですが、知りません?」
「ああ、すみません、わかんないです……」
知らなかったようだ。
残念だったが、これで大輔の緊張の壁が一つ破られた。
さっきよりも簡単に、次のターゲットに声をかけることができた。
「すみません、青葉台にネルドリップコーヒーを出すカフェがあるって聞いて探してるんですけれど、知りませんか? ネットには詳しく出てなくて」
「すみません、この辺りのカフェでネルドリップコーヒー出す店って知りませんか? 行かなきゃいけないんですけど、店名をど忘れしちゃって」
「あの、この辺でネルドリップコーヒーを出す本格的なカフェがあるって聞いて探してるんですが、知りませんか?」
片っ端から聞いて回った。
だんだん舌もうまく回るようになったし、表情筋も緩んできたのが分かった。
けれども声をかける人すべて、「知らない」という結果だった。
本当にあるのだろうか。
疑わしくなってきた。
それでも大輔は声をかけ続けた。
交番があったので聞いてみようかとも思ったが、なぜだかはばかられる。
「すみません、青葉台のネルドリップコーヒーのお店を探してるんですが」
「青葉台のネルドリップ……。クロード・ファブリなら知ってるけれど」
大輔がやっとそれらしい情報に辿り着いたのは、黒い犬を連れたおじさんだった。背が高い。そして、雰囲気がある。なんの雰囲気かはわからないが、今まで声をかけた人たちとはどこか違う。
「そこって夜十時までやってる店でしょうか?」
「結構遅く待ってやっているね。看板は出ていないから。よかったら案内してあげるよ」
「あ、ありがとうございます」
いい人に巡り合えたと思った。
しかし、この辺りは分かりにくい店ばかりか。
案内されたのは一軒家だった。
周りの豪邸に比べれば小さいが、古き良き明治という感じの、和洋折衷のお屋敷だった。
店だと知らなければ絶対に入れない雰囲気である。
「え? こ、ここですか。ほんとに、ここお店ですか」
「そうだよ。サードウェーブコーヒーなんてものが流行るずっと前からやってる日本式コーヒー店だ」
言ってる意味が分からなかったが、本格的らしい。
「この家のご主人がコーヒーマニアでね。すごいよ」
「そ、そうなんですか」
「このあたりの舌の肥えたコーヒー好きもうなるほどさ。水出しアイスコーヒーなんて絶品だよ。じゃ、楽しんで」
「ありがとうございます」
「いえいえ」
黒い犬を連れたおじさんは、にこにこ顔で手を振り、クロード・ファブリの斜め向かいにあるこれまた豪邸に入っていった。
「……」
続く。
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