第18話

 翌日のことだった。

 朝、雨戸を開けると、おじさんもちょうど庭に出てきたところだった。


「おお、おはよう」


「おはようございます。先日はすみませんでした」


「ん?」


「夜。騒いでしまって」


「ああ、いやぁ、防音の壁を越えて響くもんだから驚いたよ。ま、夜は静かにな?」


「すみません。気を付けます」


 おじさんは笑ってから一度引っ込んで、数分後にはコーヒーカップを手にして顔を出した。


「コーヒー」


「あ、ありがとうございます」


 窓の下の小さな台座にコーヒーが置かれる。

 大輔はお礼を言ってさっそく淹れたてをいただいた。


「にしても、仲直りはしたのか?」


 庭の手入れを始めながら、おじさんが訊ねてきた。大輔を見ない。けれどとても通る声だった。


「仲直りというか、それほど仲が良いというわけでもないので。……そもそもどんな人かあまり知りませんから。初対面に近くて」


「それならなおさら仲直りをしないといけないだろう。同じアパートに住んでるんだ。住み心地が悪くなっちまう」


 東京に、そんな密接な近所付き合いが必要なのだろうか。

 コーヒーを飲みながら眉根を寄せて、カップから口を放してコーヒーをを見つめたときに、ふっと思わず噴き出した。


「そうですね」


 仲直りできるか、いや仲良くできるかわからないが、おじさんの住み心地を悪くさせてしまっては困るというものだ。

 さて、どうやって白銅貨と仲良くなろうか。

 いや、ニッケルと。



 大輔は掃除をした。

 クイックルワイパーでするすると拭くだけの簡単な掃除だったが、窓を吹き抜けてゆく風がより清浄になった気がした。

 それから着替えをし、ふらりと外に出かけて床屋によった。

 代官山には美容院が多いが、理容院も多かった。バーバーである。

 田舎の床屋というのはどうも古臭く感じるのだが、なぜだか代官山の床屋はおしゃれに感じる。

 そして値段を見て驚いた。

 二万円である。

 驚いた。

 エグザイル御用達の床屋なのだろうか。

 その店の内装を見る限り、大輔は自分には敷居が高い店だと判断し、他の理容院に入った。

 床屋のメニューは良心的だったが、二万円を見ていたからそう思ったのだろうか、もう感覚がマヒしてしまってわからない。

 今の自分には五億円の余裕があるからまだいいが、もしも田舎でこつこつ貯金して家出をしてきて辿り着いていたのなら、あっという間に田舎に逃げ帰っているだろう。

 入った床屋は、床屋であったがやけにおしゃれだった。つやつやの木の棚に小さな苔玉や謎の写真や洋書なんかが置かれている。田舎の美容院でもありそうな内装なのだけれど、それよりももっとおしゃれなのだ。

 理由は分からない。

 散髪を終えて店を出ると、そのおしゃれ感が自分にも染み込んでくれたような気がした。

 店の外は広い道で、緩やかにカーブをした坂だった。

 空が広い。

 代官山は低層マンションがトレンドだという不動産屋の言葉を思い出した。



 白銅貨に会ったのはそのほぼ直後だった。

 坂を上り、スーパーに向かうために角を曲がってすぐのカフェ。

 そのテラス席から声がかかった。


「おい」


 最初、大輔は自分に話しかけられているとは露にも思わなかった。


「おい。イミテーション」


「え」


 心臓への痛みとともに、それが己を呼ぶ声なのだと認識し、自然と振り返っていた。


「イミテーションって呼ばれて振り返るなよ」


 視線の先に、新聞をテーブルに軽く放り投げてコーヒーカップに手を伸ばすスーツ姿の青年がいたのだった。

 白銅貨だった。

 テーブルには薄いラップトップとスマートフォン、そして何部かの新聞とコーヒーカップ。

 革靴の先がテラスの柵の一本にくっついている。それがよく見えてしまうのは、テラスは一メートルほど高い位置にあるためだった。

 フランスあたりのおしゃれなカフェを思わせるオープンテラスには、白銅貨のほかには外国人のお客がいる。

 この国がどこの国なのかわからなくなった。

 そしてまさしく遥かなる高みから白銅貨が見下ろしてくる。


「ちょうどいいとこだった。こっちにこいよ」


「え?」


「話があるんだよ」


 こいつはどうしてこんなに威圧的なのだろうか。

 そして逆らわせない雰囲気があるのだろうか。

 大輔はおびえながら、そばにある五段ほどの階段を駆け上がり、白銅貨を同じテーブルに着いた。

 すぐに店員がやってきた。

 大輔はコーヒーを注文し、白銅貨もお代わりを頼んでいる。

 スーツ姿の白銅貨は、いかにも仕事中という感じではあるが、なぜカフェにいるのだろう。

 もしかしてこれがノマドという奴だろうか。

 初めて見たぞ。


「……あの、……お仕事中なんですか」


「まあな」


「……会社ではしないんですか」


「オフィスでもする。外でもする」


「どんなお仕事なんですか」


「……なんでそんなこと言わなきゃいけないんだよ」


「俺は無職っす」


「お前の情報なんかいるかよ。っていうか、ほんとに無職なのかよ、お前……」


 呆れ顔を隠すことなく見せつけられた。


「宝くじが当たったんで、仕事辞めて東京に出てきたんすよ」


「……どこまでが冗談なんだ?」


「ほんとです。……」


 あきれ顔は疑いの表情に変化してゆく。

 けれどそれもあっさりと消えた。


「ま、そんなやつもいるだろうな」


「信じるのかよ」


「疑うほどの理由もない」


 冷たいのかなんなのかよくわからない。

 そういえばバーテンダーの言葉を思い出す。代官山の住人には、親しき中にもエアウォールがあるのだ、と。

 コーヒーが運ばれてきた。


「それで、俺に用ってなんすか」


「俺たちの今後についてだよ」


 続く。 

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