第16話

 大輔は七曲ハイツ201の前に立っていた。

 息が切れて、喉が焼ける。体から熱湯のような汗が噴き出していた。


「す、すみません! ……あの、あの白銅貨さん!」


 かすれた声で必死に叫んだ。


「白銅貨さん! いますか!」


 叫びながら力いっぱいドアを叩いた。


「いたら返事をしてください! お願いです! 返事を!」


「五月蠅い」


 その声と同時にドアが蹴り開けられた。

 大輔はその拍子に真後ろに転げた。


「いった……」


 頭を押さえながら起き上がると、冷たい眼鏡が見下ろしていた。


「夜中になんなんだお前!」


 怒りがたっぷり含まれた声が耳に届いたとき、それを吹っ飛ばすほどの怒声が下から響いた。


「お前たちこそなんなんだ!」


 大輔と白銅貨はすぐさま階下を覗き見た。

 竹山のおじさんだった。


「何時だと思ってる! 静かにしろ!」


「す、すみません」


「申しわけございません」


「わかればいい、早く寝ろよ。お休み」


 バタン!


 ちょうど足元からドアが閉まる音が響いた。


「……」


「……おい酔っ払い。明日出直せ」


「……はい」


「ふん」


 バタン。背後からもドアの閉まる音がした。

 酔いが少し醒めた。

 そして自室に戻るとトイレで吐いた。

 最悪なことに、翌日は風邪をぶり返し、死体と同じくなって横たわって過ごした。




 酔いも醒め、風邪もよくなって日曜。

 大輔は菓子折りをもって201の前にいた。

 引っ越し挨拶の揚げ饅頭である。


「こんにちは。……102の淋代です」


 コンコン。

 ノックをしてみる。返事はなかった。ガラス越しにユニオンジャックのクッションが見えて、中には人の気配がなかった。

 しかし、


「なんだよ」


 とい声と一緒にドアが開き、白銅貨現れた。


「こ、こんにちは。先日はすみませんでした。あの、これ、よろしければ」


「詫びのつもりかよ」


「あ、いえ……引っ越しの挨拶のお菓子です」


「……ほんとにお前はふざけたやつだよな」


「すみません。すみません」


 どんどん卑屈になって、それで白銅貨がさらにイラつくのが伝わってきた。


「中身が上げ饅頭です。挨拶が遅れて、それと色々とご迷惑をおかけして、申しわけありませんでした」


「みかど屋、か」


 ふん。鼻を鳴らして白銅貨は菓子折りを受け取ってくれた。わずかにほっとした。


「というか、昨日だぞ? 来いっていったのは」


「風邪で一日死んでて」


「二日酔いだろ?」


「それも! ありますけど……」


「二コラから聞いたぞ。お前、酒代踏み倒したんだってな」


「え? ……あ!」


「そういうあいつも大虎だったみたいだったけどな」


「そ、そ、そんなつもりじゃ! うわああ、やっべえ。やべえよ」


「それで、何の用だよ」


「あ。す、すみません。……色々とすみませんでした」


「それはさっき聞いた!」


「俺のせいで、すみませんでした」


「だから!」


「あの女性に殺されてるんじゃないかと心配になったんです!」


「……」


「ブログに、白銅貨の責任だって書かれるようになったし、二コラさんも……、インゴットの失敗は白銅貨が責任を取る、連帯責任だって……、言ってたのを聞いて」


「あー、そ」

 

 白銅貨はわざとらしいくらいの大きなため息をついた。

 そして壁にけだるげに寄りかかった。


「だから、どうだってんだ?」


「俺は……インゴットじゃありません。なので、白銅貨さんは責任を負わなくても大丈夫です。俺が、すべて、何とかします」


 はぁああ。

 さらにわざとらしいため息をつかれた。

 

「無責任極まりないやつだな。よくそれで社会人やってるな。ああ、だから無職なのか」


 金ならあると言いそうになったが、職がないのは本当だった。

 変な言い訳をしてやり込められるのだけは何とか避けられた。


「別に仕事の有る無しは関係ないだろ」


「おおいに俺に迷惑がかかっている。責任の意味を理解していないのは、身をもって体験したことがないからだ。つまり、仕事をしたことがないやつだ。仕事をしていたら、トラブルばかり起こす使えないゴミだ。お前はどれだよ」


「……」


「どれでもいいいさ、別に。その無責任さによって俺は迷惑している。この害人野郎!」


「そこまで言うことないだろ!」


「あるんだよ!」


 白銅貨の声が大輔を通り越して、背後に広がるマンション街にも飛んで行った。


「もっと社会人としての意識をもって行動するんだったな。じゃなきゃガキらしく親の脛かじってパラサイトしてりゃよかったんだ。一生日の光を浴びずに部屋にこもってればよかったんだ」


 なぜここまで罵倒されなければいけないのか。

 涙より先に怒りが沸いてきた。


「それ、名誉棄損だぞ……」


「名誉棄損? そりゃこっちのセリフなんだよ! 見ろよ!」


 見せられたのはスマホ。

 表示は某大型掲示板だった。


《インゴットと白銅貨は詐欺師》


 そんなスレッドを見た瞬間、頭が真っ白になった。


 詐欺師。


「俺たちのやってきたことはすべて嘘で、詐欺師ペテン師呼ばわりだ。どうしてくれるんだよ!」


「……す、すみま、……せん」


「スミマセンじゃないんだよ!」


「俺、偽物だって言いますから」


「偽物って言って? それでこれが全部収拾つくと思ってんのか?」


「そ、それは、たぶん、収まるんじゃないかろと」


「収まるわけないだろ、世の中の拡散力なめてんのか? 悪い情報だけは猛スピードでひろまってゆくんだよ! ふざけんなよ! いいか? この仕事は口コミのみ、仲介者は二コラのみ、範囲はこの代官山のみの狭いコミュニティのなかでやってるんだ。代官山に暮らす人間たちがそれぞれ抱えている秘密や悩みをひっそり解決する役割だった。これをネットで拡散されて、その信用は今や地の底だ。そもそもインゴットの名前がネットの流出した。それだけでおしまいなんだ。くそっ、ああ! 最悪だ!」


「あの、俺にんあにかできることは……、どうにかすることは……」


「知るか! うるさい! そんなの俺が知りたいくらいだ! ともかくお前は俺の前から今すぐ消えろ!」


 勢いよくドアが閉められ、大輔はうつむいたまま立ち尽くした。



 続く 

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