第14話
なにをどうすればよかったんだ。
確かにインゴットのふりをしたのは悪かったかもしれない。
でも、その手紙は自分のポストに入っていたし、自分がインゴットだと名乗ればインゴットになるのだから、開封したってかまわないはずだ。
そして自分宛の手紙通りにバーに行って、女に会って、恐いから逃げた。
何が、悪いのだろう。
だって自分はインゴットになった。インゴットそしてあの女から逃げた。そしてもうかかわらない。
それで、いいじゃないか。逃げて当然の女だ。
「もうわけがわかんねぇよ、あの白銅貨って野郎……」
なんでこんな目にあわなければいけないのだ。結局田舎も東京も同じだった。
自分はどこにいてもうまく生きられない。
それから数日はなるべく動かずに過ごした。
コンビニに食料を買いに行く以外では外出しなかった。
買った服も半分以上が未開封。
生活するという気分になれなかった。
どうしてこうも自分は生きるのが下手なのか。もう少し好き勝手にふるまっていれば、もっと自由に生きられるのだろうか。
「自由に、……」
夕方になって外に出た。
汚れた衣服を袋に入れて路地を歩く。スマホが指示した場所にコインランドリーがあった。
洗濯を待っている間、読み古された漫画を読んで時間をつぶした。
この町は、五時になると音楽が流れる。地元でも行われない。
まるで昭和の世界だと思った。ここにはきちんとした、古き良き生活感というものが残っている。
漫画から顔を上げて空を見上げて、おもむろにスマホを取り出した。
リコリコの代官山ライフ。
指を動かせば簡単にそれは出てくる。
意外と人気のブログなのかと感心したが、その最新の記事を見て血が凍った。
****
なんでよ、なんで、なんでなんでなんでなんで!
あいつ笑ってるじゃない。指だって全部そろってる。絶対指の一本でも切断してくれるとおもってたのに、インゴットなにやってるのよ。
顔だっていつもの豚顔が首の上に乗っかってる!
包帯もまいてないし、面の皮もただれてない! くっさいおしろいをべたべたにりたくってしわをのばしてああああ気色悪い!
どうして生きてるのよ、インゴット早く殺しなさいよインゴット!
****
急いで記事を閉じた。
手が震えている。
もう一度開き、記事タイトルだけを見ると、どれもこれも恨みと憎しみと呪いの言葉ばかりだった。
一日の更新回は、日がたつにつれて増えていっている。一日一回だったのか、一日五回、十回、二十回、昨日と今日は三十回以上だ。
記事を開くことはできなかった。
読みたくない。
リコはプロフィールを見る限り、自己紹介通りネイリストだ。代官山のマンションの一室をネイルサロンにしているらしい。
けれど代官山にはネイルサロンがたくさんありすぎて、どれがリコのサロンなのかわからなかった。
片っ端からネイルをしに行くわけにもいかない。
自分の爪を見て、はは、と変な笑いが出た。
そもそもネイルサロンとか、ない。
過去の、まだ病む前の平和な記事を読むと、リコはよく代官山朝市に顔を出すらしい。カフェめぐりが好きで、ワッフルとアップルパイの店がよく立ち寄るお気に入りだ。
ファスティングなんとかにもはまっていて、クレンジングジュースを愛飲している。
ヨガスタジオ主催のルナヨガを西郷山公園でやったそうだ。
意味は分からない。
けれど一緒にアップされている写真には、憎しみや恨みや呪いの気配はまるでなかった。
翌日から、大輔はブログにアップされている店を順番にめぐってみた。
さすがに男一人で入るにははばかられそうな店は入らなかったが、存外楽しんでしまった。
理由があれば、男一人でクレンジングジュースの店にも入れるものだ。意外と男性客もいたせいもある。
そしてリコリコの代官山ライフは、なかなかの情報源だった。代官山をちょっと深く知るためには、最高のツールかもしれない。
しかし、ブログにはタランチュラの記事はなかった。
とっておきの店は載せないのかもしれない。
「これは……とっておきの店にでもいかないと見つからないかもな……」
大輔は再びタランチュラを訪れた。
「いらっしゃいませ」
黒服のバーテンダーが迎え入れてくれる。
カウンターには今日も客はいない。前回と同じ席に座った。
「なににいたしますか」
「えっと、ジントニックで」
とっさに出てくるカクテルの名前はそれしかない。けれどタランチュラのジントニックは美しいし美味しいのでそれでいいのだ。
宝石を液体にしたようなキラキラのカクテルが出てきて、大輔はじっくりと観察した後すぐに飲み切った。
「二杯目はいかがしますか」
「えっと……」
ジントニック以外も飲んでみたくなった。
迷い、メニューをお願いしようかを思ったとき、
「ウィスキーはお嫌いですか」
とバーテンダーから聞かれた。
「ああ、あの、あんまり……飲んだことないです。なにかおすすめがあるんですか?」
「人を待つには、少々飲みにくいお酒がいいかもしれませんよ」
ではそれを頼むことにした。
出てきたのはストレートのウィスキー。アイリッシュだそうだが、大輔にはよくわからない。
くん、と香りを嗅いだ瞬間に鼻を抑えた。
「きっつ!」
ものすごい匂いだった。
穀物の深みをたっぷりしみこませたオキシフルのようなかんぞだ。
涙腺から勝手に涙が分泌される。
「はは」
「あ、す、すびばせん」
少し口に含んでみる。
「おえっっほっ」
「ははは」
「す、すみば……、ごほっ」
涙目になりながら水を飲んだ。
確かに人を待つにはぴったりかもしれない。一気にあおるのは無理がある酒だ。
ウィスキーをちびりちびりとなめていると自分と時間が経った。
店に客はいないのに、バーテンダーは話しかけてきてくれない。
気まずくて仕方がなかった。
人を待っている。
リコを。
それを知ってるのだろうか。
チャイムが鳴って、大輔は反射的に振り返った。
けれどバーテンダーは客を迎えにはいかず、逆にバックヤードと思しきカーテンの向こうに消えた。
「こんばんはー」
店に入ってきたのは二コラだった。
大輔を見て、ニヤッと口の端をつり上げた。
続く。
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