第12話

 大輔はほぼ一睡もできずに朝を迎えた。

 雨戸が風でガタガタと揺れるだけで、窓の向こうにあの女が立っているような気がしてならなかった。

 すでに朝。雨戸の隙間から朝日が差し込んで、助かったと胸をなでおろした。

 おそるおそる庭側の雨戸をあける。

 そこには美しい緑色の世界が広がっていて、さわやかな朝日の中には小鳥が戯れていた。

 大輔は今度こそ完全に安心した。

 急に眠気が襲ってきて、布団に潜り込むと死んだように眠りこんだ。


 コンコン

 おーい、


 コンコン、コンコン、コンコン…


 おーい、おーい、


 音に気付いてぼんやりと目を開ける。

 誰かが呼んでいる。寒い。汗をかいていた。

 

 コンコン… コンコン… コンコンコンコンコンコン…


 ガチャ… ガチャガチャガチャ


 ドアノブが乱暴に回される音がした。

 その瞬間眠気は吹き飛び、身体が硬直した。

 な、なに?

 声に出さずに大輔は悲鳴を上げる。

 思い出すのは昨日の女。

 追ってきた。見つかった。殺される。

 息を殺して布団にくるまった。

 早く帰ってくれ。あきらめてくれ。帰れ。ここには誰もいない。


「おーい、大丈夫か? 生きてるかい?」


 コンコン、コンコン。


 その声は隣のおじさんだった。

 前人から力が抜けた。


「は、はーい。大丈夫です、今、あけます」


 よろけながら布団から引きずりで出るとドアを開けた。

 玄関の外には、おしゃれなカジュアル服を着たおじさんが立っていた。


「お、生きてたか。朝顔を出さないから心配してなぁ。お節介かと思ったんだが、差し入れだ。風邪薬と、スポーツドリンクと、あとリゾットだ」


「リゾット」


「はは。風邪の時にはお粥だろ。お粥なんてどこに売ってるんだか分んないから、酒のつまみを会に入ったとこにリゾットのテイクアウトなんてのがあったからな、これだ! と思ったんだ。寿司のがよかったか? ははは」


「あはは、寿司とか。いえ、ほんと差し入れ、ありがとうございます。すみません」


「もらってくれや」


「ありがとうございます。ありがとうございます」


 何度も何度も頭を下げた。嬉しさで涙が出てきてしまった。

 恥ずかしくて鼻をすすると、おじさんはそんな大輔の肩を軽く叩いた。


「元気になったら庭に顔出してくれよ」


「はい!」


 おじさんは手を振って自分の部屋に戻った。

 どうやら風邪が悪化していたようだ。熱っぽい。

 ありがたみを胸いっぱいに感じながらリゾットを胃に流し込み、薬を飲み、着替えをして布団に潜り込む。

 薬のおかげかそれとも別のなにかのおかげか、心も体もぽかぽかと温かかった。


 ドンドンドン…

 ドンドンドン…

 おい

 ドンドン

 いるんだろ

 おい

 ドン!


「……!」

 

 パチ。

 目を開ける。

 何事だ。


「いるんだろ! お前、何てことしてくれたんだ!」


 ドン!

 来た。

 やっぱり来た。殺しに来たのだ。あの女の狂ったような姿が思い浮かんだ。

 ピクリとも動けなかった。動いたら殺される。

 やがて音がやんだ。そろりと動いて、スマホを引き寄せる。

 見れば夜の十時だ。

 こんな夜中にどこに逃げよう。助けてくれる友人もいない。頼れる親もいない。

 殺されても誰も気づかない。困るのはここの大家くらいだろうか。


「大家さん……」


 大家に電話してみようか。変な男がドアをたたいています。助けてください。

 いや、警察をだろうか。

 変な男が来ています。不審者です。殺されるかもしれない。

 そこまで考えて、ふと疑問が浮かんだ。さっきの声は女ではない。男だ。

 なんで男が。

 誰だろう。

 外は静まり返っている。

 恐ろしいのは変わりないが、正体がどうしても気になり、大輔は音が立たないようにゆっくりと玄関まで移動した。

 そっとドアに耳を当てる。

 音はしない。

 けれど開ける気にはなれず、しばらく玄関でうずくまっていた。


「……」


 こうしていても埒があかない。

 覚悟を決めた。

 鍵を回す。かちゃ。その音があまりもの大きく響くので自分でも驚いた。

 そのせいで息が荒くなりそうだった。息を飲み込みつつ、ドアノブをまわし、ゆっくりとドアを開いた  誰もいない。

 安心してドアを勢いよく開けたときだった。


「おい、お前よくもやってくれたな」


 ドアノブを掴んていたほうの手首をものすごい力でひねりあげられた。

 かと思おうと、胸ぐらをつかみあげられる。

 光る眼が大輔をにらみつけていた。

 近い。

 その目に怒りが見えた。


「何考えてやがる、いや何も考えてないんだろうなこのゴミクズ!」


「な、なんなんだお前!」


「うるさい! なんなんだはこっちのセリフだ!」


 突き飛ばされ、大輔は背中っから部屋の床に倒れた。

 男は部屋に侵入してきて、バン! と乱暴にドアを閉める十部屋の明かりをつけた。

 白い蛍光灯にさらされて、その正体を現したのはエリート眼鏡、白銅貨だった。


 続く。

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