第11話

 女性は三十代になったかどうかという外見だった。ブラウンのアイシャドウが少し濃い気がしたが、少し薄暗いバーの中では色っぽく見えた。

 指先にはきめ細やかなネイルが施されている。

 カウンター席でありながら、大輔と女性は向かい合っていた。


「リコと呼んでください。インゴットさん」


「はい」


 カウンターの向こうには仲介者然として二コラが立っている。黒服のバーテンダーはどこかに消えていた。


「それで、さっそくですが、今回お願いしたいことがあります」


「はい」


「復讐を、お願いします」


 リコという女性はにこっと笑った。本能的にぞっとした。


「ふ、復讐、ですか」


「はい。相手は南白台のエステサロン『マーキュリー』のマネージャーです」


「え、えっと……」


「私はネイリストです。少し前までマーキュリーで働いていました。私は……その職場で、そのマネージャーに、ひどい暴言を吐き続けられて……、耐えられずに退職しました。辞めても、あの女のことが忘れられない!」


 突然叫ぶので、大輔の心臓が一瞬止まった。

 バーの少し落とされた照明の下、彼女の顔がまるで鬼の面のように歪んで見えた。


「眠ろうと思えば、あの女に言われた言葉が次々とよみがえってくるし、泣いてしまうし、これまで私が生きてきた意味が分からなくて、恐くて、私は何のために生きてきたわけ? なんで私がこんなに苦しんでいるのに、あの女は苦しんでいないわけ? どうしてあの女は生きているの? なんであの女はいるの?」


 目の前に、泣きそうな鬼がいる。

 同情した。

 けれど、これ以上聞いてはいけないという恐怖が先に立った。

 そして、自分の身の危険も感じた。


「復讐してほしいの」


 鬼が地の底から声を出す。

 一体どんな復讐を望んでいるのか、依頼されるのか。聞いた瞬間に犯罪者の仲間になってしまう。

 とっさに目をそらしてしまった。


「ちょっと聞いてるの?」


「あっ、す、すみません。それで、どんな、復讐を……?」


 そう訊ねると、リコはふんと鼻を鳴らし、胸をはった。


「殺して。なんて言わないわよ。死にたい、死にたい、この世のすべての人間様ごめんなさいって心底思って泣きながら生きてく程度の苦しみを与えてほしいの」


 リコは目を細めた。

 コワイ。


「は、ははは、……抽象的……ですね。難しいなあ」


 力なく笑うしか大輔にはできなかった。

 リコはにっこりと笑った顔を、大輔に近づける。


「よろしく、お願いしますね?」


「……、頑張り、ます……」


 はは、ははは、ははは……

 本当にもう笑うしかなかった。


「あの、じゃあ、俺は、これで」


 大輔は一万円札をカウンターにたたきつけるように置くと、ペコペコと頭を下げながらタランチュラを出た。

 ドアがゆっくりと閉まる。

 かちゃ、わずかに鍵がかかる音が聞こえた。

 大輔は走り出した。

 階段を駆け上がり、全速力でタランチュラから離れた。

 あの女か追いかけてくるかもしれない。

 恐怖で悲鳴を上げそうだった。


 続く。

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