第10話

 タランチュラの前。そのドアは思った以上に立派で、横にインターホンがついている。

 インターホンの下には「タランチュラ」というプレートがあった。

 押せということだろうか。

 ボタンを押す前に、大輔は手紙を取り出した。

 タランチュラ。二コラ。

 二コラというのはよくわからないが、指定場所がタランチュラであることは間違いない。

 ひとまず入ってみよう。

 ドキドキしながら、ついにボタンを押した。


 「はい」


 すぐに声がした。

 ドアが開き、黒服姿の男性が現れた。

 本格的なバーだ。緊張が一気に高まる。


「……」


「いらっしゃいませ。どうぞ」


 堅苦しい印象だったが、黒服のバーテンダーは柔らかな笑顔で迎え入れてくれた。

 少しだけ緊張が解けた。

 それでも自分の足がぎこちなく動いている自覚があり、どっちに進めばいいのかわからず、戸惑いながらカウンターに座った。

 カウンター席には誰もいない。

 個室もあるようだ。そちらにはお客さんはいるのかもしれない。


「いらっしゃいませ。はじめてですね」


「あ、はい。最近この近くに越してきたもので」


「そうなんですか。ではどうぞご贔屓に」


 少し冗談して言われたので、大輔の緊張がまた少しほぐれた。


「お酒はなににいたしますか?」


「あまり詳しくないんで、……、あー、ジントニックってありますか」


「はい」


 そりゃああるだろう。聞いておきながら恥ずかしい。


「どうぞ」


「ありがとうございます」


 綺麗なジントニックが目の前に置かれた。不思議だ。どんな水より澄んで見え、そして水晶のように光っているようにも思える。中に入っているライムが、別世界の果実かのような美しい緑色をしている。

 ありがたい飲み物かなにかだろうか。

 そして半分ほど一気に飲んでしまった。


「美味しい」


 バーテンダーはにこりとして、わずかに会釈をした。


「よくここをご存知でしたね。越してきたばかりなんですよね?」


「実は迷いました」


「はは。そうでしたか。わかりにくいですからね」


「ここで待ち合わせなんです。それで、」


「お相手は女性の方ですか。っと、詮索はいけないですね」


「いえ、大丈夫です。……、実は、その相手もどんな人か知らなくて」


「ええ?」


「タランチュラ、二コラ、って」


「二コラですか。二コラでしたら、零時を過ぎたころに来ますよ」


「そうなんですか。……その人なのかな?」


 腕を組んで首を傾げた。


「会ってみればわかりますよね、きっと」


「……、ええ。そうですね」



 そして零時五分。

 チャイムが鳴って、ドアが勝手にあいた。

 今時な若者がビニール袋を提げて店内に入ってきた。


「レモンとライムの追加持ってきたー、って、あ、お客さんか」


 黒服ではなく、服装も今時な感じのラフな若者だった。彼はビニール袋を提げたままカウンターの向こうに行き、かがんで姿を消した。

 どうやら冷蔵庫をあさっているようだった。


「二コラ。お前にお客さんだよ」


「え? もう来てるの? あの人」


「そうじゃなくて……」


 バーテンダーが大輔を見た。

 すると二コラが立ち上がる。


「……は?」


 状況が理解できていないようだった。


「あの、二コラ……さんですか?」


「もしかして新しい依頼者?」


「いえ、あの、」


「手紙をもらったそうなんだ。タランチュラ、二コラ」


 バーテンダーがそういった瞬間、二コラという青年が目を見開いた。


「……インゴット……」


「はい」


 二コラが何かを口にしそうになったとき、チャイムが鳴った。

 大輔と二コラは同時にドアを振り向いた。

 黒服のバーテンダーが襟元を直して、ドアを開ける。


「いらっしゃいませ」


 一人の女性が入ってきた。


「こんばんは。二コラは……?」


「あ、こっちこっち」


 二コラが軽い口調で言って手招きした。先ほどの空気から一転した、軽い雰囲気。

 そして女性を大輔の隣の席に座るように手で指した。


「二コラ、もしかして……この人が?」


「そう。君からの手紙を受け取ったってさ」


「あなたが……インゴット」


 続く

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