第9話

 どうやら随分弱っていたようで、目が覚めたのは本当に夜だった。

 スマホが丁度二十二時を示していた。

 まだ体調は悪かったが大輔はもぞもぞと布団からで出た。

 寝汗が酷い。シャワーで流したが身体が熱く、思ったよりもさっぱりしなかった。

 それでも大輔は外出を取りやめなかった。

 昨日買い込んだ服を着て、表面上は都会人になりすました。

 いや、どれも真新しすぎて余計に田舎者に見える。

 気のせいだといいのだが。

 まだ喉と鼻がおかしい。コンビニでポケットティッシュを買おう。二十三時を過ぎたころ、大輔は夜の代官山へと出かけた。


 少し不安になるくらい人がいない。

 これでは田舎と何ら変わらないのではないか。

 大通りに出ればやっと人の姿がちらほらと目に入り、コンビニには三人の客がいた。客の中には若い女性もいた。音楽を聴きながらドリンク棚を見つめている。

 ティッシュを買い、駅を目指した。

 タランチュラ。

 看板は分かりにくいらしい。靄のような星雲の看板。

 代官山の駅前は少しいびつな形をしいている。

 正面口とその反対側にも小さな改札があり、反対側から出ればあ目の前は歩道橋だ。

 正面口改札から出て右に曲がれば、やはり歩道橋がある。

 歩道橋は空中で不可思議な形の道を作っていて、しかも結構背の高い壁があるので周りがよく見えず、どこの階段を下りれば地上のどこに到着するのかよくわからなかった。

 正面口改札の右側の歩道橋の先には、スーパーが入ったタワーマンションがある。大輔はそのましょを通りと、なぜか息苦しくなった。

 もう一方の出口の先は、心臓がハラハラする。

 袋小路になった小さな路地に、小さな店が密集していて、それがどれも気取ってみえるのだ。

 一度迷い込んだとき、自分の場違い感にいたたまれなくなってしまった。

 きっとバーがあるとしたらそこだろう。

 足が重い。気が重い。

 けれど今日を逃してしまってはいけない。

 あの手紙には何日とは指定はなかったが、届いてからすぐの水曜日は今夜しかない。

 路地は暗かった。

 街灯がついているものの、昼に感じた気取った雰囲気は闇の溶けている。

 ほとんどの店が閉まっていたし、でなくとも店じまいの準備をしていて、あまだ明かりがついているお店の男性と目が合うと、わざわざ外に出てこられてしまった。


「すみません。もう今日は終わりでして」


 わかってるよ。

 なぜだかイラついた。

 存在が否定された気分だった。

 別におまねお店に用があったわけじゃないし。

 嫌な感情がこみ上げてくる。

 店員の心の声が聞こえる。早くどっか行けよ、迷惑だよ、と。


「あー……、」


「あ、もしかしてどこか別の店を探してたりします?」


 意外なことに、店員の男性がそう訊ねてきた。


「えっと、あ、はい」


「僕のわかる範囲でよければ、……どのお店ですか?」


「えっと、」


 なんだろう、ぐいぐい来る。親切でとてもありがたいが、大いに戸惑った。


「タランチュラっていう、バー……らしいんですが」


「タランチュラ! 僕もたまに行くんですよ。穴場なんですよね。ネットにもあまり情報がないんで見つけられないんですよねー」


「あ、そうなんす……」


 大輔は小さく何度もうなずいた。


「タランチュラはこのもう一本向こう側の道ですよ」


「あ、えっと、駅前って聞いてたんですけど」


「駅前っていえば駅前ですね。昔はそっち側の道からも駅にこれたらしくて。今は途中で道が切れちゃってるんで通り抜けできないんですよ」


「そうなんですか……」


「だから必然的に穴場になったってのもあるのかも」


 いわれた通り、大輔は駅から一本外れた、やはり細い路地に入った。

 そこはさっきの路地よりずっと暗かった。静かだ。

 ビルのような、マンションのような、もしかしたら一戸建てなのかもしれないような建物がひっそりと佇んでいる。

 踏み入っていい道なのかわからない。

 店があるようにも思えなかった。

 踏み入った瞬間に警報でもなるのではとおびえたが、そんなことは当然なかった。

 暗闇の中を、行って、戻った。

 一往復したが見つからなかった。

 わかりにくいとは聞いていたが、これは本当に難易度が高い。

 看板どころか、窓からの明かりすら漏れていない。人がいるのだろうか、この建物群には。遠くの街灯が煌々としている。

 三往復して、そろそろ自分が不審者として通報されるような気がしてきた。

 もうめげそうだ。

 どうしようとあたりを見回し、足元に目を落とす。

 そばにあるのは植物の鉢だ。


「ん?」


 その鉢の少し先に、盛り塩があった。

 小皿に、きれいな円錐の塩。その先に、地下に続くと思われる階段。

 さっと上を見る。

 小さな看板が、暗闇の中に下がっていた。

 本当に小さい、背方形のいた。

 そしてよく見えないが、白い糸をぐしゃぐしゃに丸めたような絵がかいてあった。

 タランチュラだ。

 大輔は確信した。

 はやる気持ちを抑えきれず、勢いよく階段を駆け下りた。



 続く。 

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