第2話
いじめられていたわけじゃない。
気が付かれていなかっただけだ。
大輔はいつも写真係だった。カメラが好きだから、ではもちろんない。写真に写る必要がない人物だからだ。
「な、写真頼むわ」
そう言われて何枚の写真をスマホにおさめてきただろう。礼は言われる。けれど、お前も一緒にとろうと言われたことはない。
友達もいない。
学校で必要最低限の会話をすることはあるけれど、登下校や休み時間、はたまた休みの日に同じ時間を過ごす相手はいなかった。
いじめられていたわけじゃない。
存在を求められていなかっただけだ。
高校を卒業して、大輔は地元のスーパーチェーンに就職した。
内勤希望だったが現場に出て、研修でレジに立った。
接客などしたこともなく、いかに自分がこれまで常識知らずの子供だったのかを知った。
子供はありがとうが言えないことを知ったのだ。
表情もない。
礼儀がない。
接客の表面が分かっただけで、大輔の目の前が晴れた気がした。
接客をちゃんとすれば、人はちゃんと反応を返してくれる。ありがとうを心からいえば、ちゃんとした大人はありがとうを返してくれる。
自分は大人になれたのだ。
学生という狭い業界から解き放たれた。
ある日、同級生がスーパーに来た。大輔は明るく聞いた。
「久しぶり、元気してた?」
「え。……誰?」
同級生は、大輔のことなんて覚えていなかった。むしろ知らなかったのかもしれない。
そしてありがとうもなくレジから去っていった。
結局、大輔は社会人にはなったが、違う世界に解き放たれたのではなかった。
どこかに行きたい。自分が存在できる世界に行きたい。
リセットしたい。
人生をやり直したい。
けれど、生きるには金が必要だ。
田舎の高卒の給料で、どれだけ貯金ができるというのか。実家暮らしだとはいえ、半分を家にいれた。スマホ代や車のガソリン代、ちょっとした買い物で、残る金は微々たるものだった。
幸い友達もいないから、飲みに行ったりすることもない。多少は貯金に回せた。
同期とは何回か飲みはしたが、怖くて友達にはなれなかった。
友達だとこちらが思っていても、あっちはそうは思っていないだろう。
また、誰? なんて言われたら死んでしまう。
ならこちらから線を引く方が苦しくない。
友達ができない。
存在を認められない。
三年たっても貯金はたいしてたまらない。
このまま誰にも愛されず死ぬのか。
田舎で、誰にも悲しまれず、死ぬのか。
金があればなあ。東京に行って、誰にも知られず、新しい自分になれるのに。
「……新しい……自分」
緑の木漏れ日が茜色に変わり、大輔はふと我に返った。
新しい自分になれるのだ。
東京に来た。
金もある。
「新しい自分」
もう一度呟き、思い切り背伸びをした。
「でかけるか!」
夜になる前に必要なものを揃えよう。
何が要るだろう。
何もかもがない。
何もない。
一から始める生活だ。
大輔は今やっと、生まれ直すことができるのだ。
日が沈めば夜は早く、部屋を出ると東京と思えないほどに暗かった。
インターフォンもないアパートなので、外灯がなくても仕方がない。慣れるまでは足元に気を付けなくてはならない。
幸いにも、門の外の小径の先には街灯がある。現実世界への道しるべだ。
夜の代官山というのは、やはり想像していたよりも落ち着いていて、なにやらハイソな雰囲気をまとった人たちが背筋をピンとして歩いている。
自分のスタイルにブレがない人たちに見えた。
自信がないのは自分だけだ。
さて、スーパーはどこだろうと探せば、パン屋の向かい側にあるお洒落な商業施設の地下にあるらしかった。
いや、商業施設というよりも高級タワーマンションの地下らしい。
地下なのに敷居が高いなんてものじゃない。
商業スペースに近寄るのもためらわれた。
勇気をもって敷地内に踏み込むと、直ぐさまピンクやブルーに光る謎のオブジェが目にはいる。天井には光の帯だ。クリスマスでもないのに常時イルミネーションが点灯されているとは恐れ入った。
本当にここにスーパーなどあるのだろうか。
ブラブラしてるだけですよ、という風を装って建物に入りドキドキしながらエスカレーターを降りると、やはりお洒落な食料品店があり、ニコニコ笑顔の女性店員さんが試飲のお茶を振る舞っている。
ブラウンのエプロンがコジャレているし、なによりお姉さんのメイクがあか抜けている。
大輔は薦められるままにお茶を受け取った。
マロンの風味がするノンカフェインティーとはもはやなんなのかわからないが、美味しいしお洒落だ。
世界各地の食品を扱っているらしい。賞味期限間近なものを安く売っている安売り店なのに、より高級なものに見せているのだから東京とは恐れ入る場所だ。
そしてお客もお洒落だ。品がある。
いかにもブランド物という素晴らしいシルエットのスーツを着た男性が白ワインを選んでいた。
小さな篭にはベーコンのようなものがはいっている。店内を見ればイタリアやフランス、スペインなどから仕入れた燻製肉やチーズを売っていて、ディスカウントなのに二千円をこえていた。
東京とは恐ろしい。
スーツの男性はまだ若そうだ。
二十代半ばから後半だろうか。
細い銀縁の眼鏡をかけていて、これぞエリートという風貌である。
これがエリートというやつか。
見るからにエリートだな。
大輔は感じ入って見つめた。
東京のエリート、生息、確認。
あまりにも見すぎたのだろう、エリートがちらりと大輔を見た。
大輔は慌てて顔を反らし、うっかりチェリソーを手にとって、買い物するんですよアピールで篭にいれた。
そのままそそくさとレジに持っていって、お金を払って逃げるように隣のパン屋に入った。ありがとうを言い忘れてしまった。慌てたまま、適当にパンも買った。ともかく、自分は単に買い物をしているだけなのだと言い訳をしなくてはならない気がしていた。
見てしまってすみません。
違うんです。
違うんです。
はっと気がつけば、全国チェーンのスーパーの前に立っていた。
田舎で働いていたスーパーと同じ系列である。
よく知るシンボルマークを見て、大輔はやっと落ち着きを取り戻した。
スーパーの中には安売りのソーセージも山崎パンもあるのに、お高い買い物をしてしまった。
東京とはやはり恐ろしい。
スーパーの横にはドラッグストアも併設されていて、食料以外にも最低限の生活必需品を買うことができた。
帰りに別の道を通れば、何店舗ものコンビニがあり、そこで替えの下着なんかも買えた。
明日になったら服を買いにいこうと、ファッション誌なぞも買ってみた。代官山ではお洒落でいることは絶対条件に思える。
お洒落をして、通り様に見かけたワインバルみたいなキラキラした店で軽く食事をしたりするのだ。
想像したらワクワクしてきた。
少し道に迷ったが、小さな路地に隠れ家のようなカフェを見つけてはテンションが上がる。
街灯の下に栖に続く緑の小径をなんとか見つけ、思いの外時間のかかった買い物を終えた。
両手に提げた買い物袋を木々に擦りながら門まで行けば、ポストに早速何かが届いていた。
チラシだった。
残念である。
明日になったらポストに名前を書こう。
表札もさげよう。
噂に聞く東急ハンズとやらは近いだろうか。
大輔のウキウキは、寝ようとして布団がないことに気付くまで続いた。
続く。
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