第2話

アトソンが警備隊から解放され、ただ飯にありついたのは夜中になってのことだった。

 彼自身、帝都新市街が吸血鬼アクシール・ローズの街であることは知っているつもりだったが、それは予想以上だった。少女が主人に連絡し、警備隊への通報はそちらからということになった。警備隊の到着を待っている間に、騒ぎを察した近くの住民が現れた。彼らは少女の姿を見つけると声を掛け親しげに話し始めた。まるで人気舞台役者とそのファンの集まりである。駆けつけた警備隊の対応の大半は彼女が請け負った。警備隊は騒ぎの現場に彼女が居合わせたことに特別何も感じていないようだった。全ては彼女の名前を知り全て腑に落ちた。彼女の名はフレア・ランドール。アクシール・ローズの代行者、塔のメイドと呼ばれている狼人だった。彼女のおかげかどうかはわからないが、アトソンは簡単な聴取のみで解放された。

 彼女はアトソンのことを知っていたようで、後をつけ回していたのは彼の正体を見極めるためもあったらしい。主人のローズがあなたに興味があるそうなのでついてくるようにといった。それは誘いではなく命令だった。アトソンとしては従う義理などなかったが、とにかく腹が減っていた。

 ローズの塔の存在はもちろん知っていた。新市街の象徴とも言える建造物である。出稼ぎのつもりでやって来た当時、遠くから眺めるだけだった塔で、食事をすることになるとは思ってもみなかった。フレアに通された一階の応接室は天井がなく、最上階までは吹き抜けとなっていたが、それ以外は普通の金持ち部屋だった。

 アトソンの目の前にある豪華なティーテーブルに並べられたのは豚のひき肉入りまんじゅう、揚げ春巻き、野菜の塩ゆで、豚皮のから揚げ、たっぷりのエール。人の食い物を口にすることのない者が振舞う食事がどういうものかと思ったが、思いのほか普通だった。考えれば、彼女たちには人の知り合いが大勢いる、何の不思議もないことだ。

 彼が出された料理の大半と平らげた頃、背後に強力な気配を感じた。それは有無を言わさずアトソンの中に入ろうとしてきたが、しかし姫の加護によりそれは早々に退散した。

 アトソンが振り向くと、そこには長い黒髪の女が立っていた。青白い肌で真っ赤な瞳、コルセットで支えられブラウスに包まれた豊満な乳房、見た目は長身の美人である。先ほどの強力な気配は消えうせたが、滲み出す力の片鱗は靄のように女の身体にまとわりついている。

 女はゆったりとした足取りで、応接間の入り口傍に待機していたフレアの前を通り過ぎ、アトソンの向かい側のソファーに腰を下ろした。そして笑みを浮かべ、身を乗り出してアトソンの顔を覗き込んできた。アトソンが真意を測りかね困惑していると、女は声を出し笑い出した。

「フレア、よくやったわ。彼は本物よ」

「ありがとうございます」フレアは少し緊張気味にローズの元にやって来た。彼女は主人の出現に気がついていなかったようだ。

「そして姫様、あなたの力も評判通りのようですね。フレアでも抗うことのできないわたしの力をあなたは易々と跳ね返す。あれでも十分に力を使って姿を消していたつもりなんですよ。でも、アトソンさんにはわたしが現れた時から丸見えだったようですね。フレアは相変わらずのようだけど……」女はまた笑い、フレアは顔をしかめた。

「自己紹介が遅れましたね。わたしはアクシール・ローズ、この塔の主人です。いろいろ聞いているとは思いますが、いつまでもこの世に興味が尽きないただの年寄りです」

「今回はその興味が俺に向いたわけか。俺のような一般人に……」

「あら、あなたはもうわたしたちの同類ですよ」

「えっ……」

「あなたは以前、気配などを濃厚に察することはなかったでしょう。そして他の者がわたしの力を受け流すには重厚な装備が必要なのに、あなたは素のままで苦もなく平然とやってのけるようになった。それが普通のことだとは思わないでしょう」

「それは姫の加護のおかげだと」

「ええ、それがあなたに与えられた加護の一つです。神、精霊と契約を結んだ者は何らかの加護を受けます。それはわたしやフレアも同じこと、しかしわたし達のそれは呪いと呼ばれています。昔、近東で長寿を誇った王が自分より先に無くなっていく息子たちを看取って、自分の長寿は呪いだと嘆いたそうです。全ては見る者の受け止め方次第、加護と呪いは表裏一体ということです。つまらない話はもうお終いにしましょう。次はあなたのお話を聞かせてください。それが聞きたくてここにお客様をお招きするのですから」ローズが右手に控えていたフレアに手を差し出すと、手のひらに黒眼鏡が載せられた。ローズはそれを掛け圧力の根源と噂されている赤い瞳を遮蔽しほほ笑んだ。

 伝説の剣に見染められたといっても、アトソンは帝国の属州その田舎町からやって来た出稼ぎ青年にすぎない。住んでいた町も特に酷い戦闘に巻き込まれることもなかった比較的平和な場所だった。そのため姫との出会い以外に特筆するような話題はなかったが、それでもローズはアトソンの話に楽しそうに聞き入り歓談は約一刻ほどになった。

 それからローズが塔からアトソンを送り出したのは真夜中を過ぎてからのことだった。紹介された教会は既に戸締りを済ませ、眠りについているだろうというと判断から、アトソンには手近な宿を紹介しておいた。

「彼ここに来る前に、さっそく騒ぎに巻き込まれてましたけど大丈夫でしょうかね」

「乱闘騒ぎが大好きなお姫様のお守役だから仕方ないけれど、変な奴と関わらないうちに居所を決めておいた方がいいわね。特化隊に連絡しておきなさい。彼らなら喜んで飛んでくるわ」

「それだと面倒なのが増えることになりませんか」

「面倒なら一か所の集めておく方が都合がいいと思わない?」


 ローズから少し騒がしいかもしれないけれど、いい所だと紹介されたのは塔からさほど離れていない居酒屋の二階だった。もっと早い時間なら話通りにぎやかだったのかもしれないが、夜中を過ぎた今はもう酔い潰れて眠りこけている客しか残っていないため静かなものだった。

 通された部屋にあるのは簡素なベッドに古い書きもの机、それに壁にランプが一つの薄暗い部屋だが、変な匂いがするわけでもなく、ベッドのシーツも綺麗なものでしばらく砂漠暮らしだったアトソンとしてはこれで十分だった。

 姫のターバンを頭から外し、居酒屋の給仕が持ってきてくれた湯を洗面台に開け、頭と顔、そして手を洗い足を拭いた。これも砂漠では得難いものだ。

 さっぱりした気分で洗面台を後にして、ベッドへ向かおうとした時、アトソンは窓の外から強い殺気を感じた。窓の外に何者かがいる。素早くベッドまで駆けより、姫に向かって手を差し出した。それに応じて姫が本来の姿へと戻る。

 アトソンが剣に戻った姫を手にした次の瞬間、耳障りな破壊音と共に窓が内側に弾け飛んだ。木端が舞い散り、閂や蝶番が破壊された窓が床に崩れ落ちる。鎧戸によりさえぎられていた月明かりと共に二つの人影が室内に飛び込んできた。これが殺気の正体だ。

 派手に飛び込んできた賊は二人の男、月明かりを背にしているため顔の詳細は見てとりにくいが、総面と鎖帷子を身に着け両刃剣で武装していることはわかる。階下で給仕の悲鳴と罵声、それに続く階段を駆け上がる足音が聞こえて来た。

 アトソンは向かって右側の男に素早く距離を詰め、上段から一撃を加えた。男はそれを手にした剣で受け止めるが、その甲斐もなく剣は砕け、姫によって男は鎖帷子もろとも切り伏せられ、激しい火花を揚げてその場に崩れ落ちた。

 左側はその様子にも怯むことなくアトソンに剣撃を打ち込むが姫に受け止められ、鋼の剣はあえなく砕け散った。鎖帷子に守られた胴体は、火を放つ剣の破片の飛散から逃れたが顔や脚はその直撃を受け、男はその痛みに悲鳴を上げ、思わず身を竦ませた。アトソンはその隙を逃さず男の腹に蹴りを入れた。男はその衝撃に後ずさり、窓辺で体勢を崩し地上へと転げ落ちていった。

 二人を排除したと同時に廊下側から増援が現れた。床に転がっている男と同じく総面と鎖帷子装備の三人組。扉を力任せにこじ開け、勢いよく部屋に飛び込み、散開したのはいいが室内の惨状を目にして一瞬の躊躇を見せる。意を決して一人がアストンとの間合いを詰める。男はアストンの初撃こそ受け止めたものの、やはりその剣は砕け散った。砕かれた切っ先が太ももに刺さり男は苦悶のうめき声を上げ倒れた。アストンは次の一撃で左側面に迫って来た男の剣を薙ぎ払った。その一撃で剣は根元近くで砕け折れたが、アストンは空中を舞う剣身に更に一撃を加え、複数の小片に変えた。姫から更なる力を与えられた破片は元の使用者を容赦なく襲った。この男も鎖によって胴体部は難を逃れたが、脚部に多数の鋭い鋼片を受け、悶絶しながら仰向けに倒れた。

 すべてを目撃した最後の一人はアトソンの一睨みで血相を変え、部屋から逃げ出して行った。ほどなく、悲鳴と共に何かが階段を転げ落ちる音がし、しばしの静寂の後、階下は再び大騒ぎとなった。

 悪くはない宿だったが、これ以上ゆっくりしていられそうにはない。アトソンが窓辺から外を窺うと部屋から転げ落ちた男以外の人影はなかった。彼はここから速やかに出ていくことにした。

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