あぶないお姫様

護道 綾女

第1話

 人気のない路地にあって、月明かりの元で目に入る建物はどれも同じに見える。入都の際、教会までの道は詳しく教えてもらったが、すっかり見失ってしまった。それは一度広い通りに出て、まだ開いている店を探し、そこまでの道を教えてもらえばいい。今の問題は背後にまとわりついてくる妙な気配だ。それは付かず、離れずジェイミー・アトソンを追ってくる。

 気をつけることだな、アトソン隊曹。君はもうここにやって来た当時と同じスラビアからの出稼ぎ青年ではないんだ。部隊長の言葉がアトソンの脳裏によみがえる。

 アトソンはつい一か月前まではそこそこ腕の立つスラビア出身の若者だった。そのつもりでいた。俸給につられて出向いた砂漠の真ん中で盗賊団やしぶとい反帝国主義者の討伐を手伝っていた。

 二年の任期中はたいした怪我もなく、ひどく暑いこととまずい食事に対する不満ぐらいで大半の期間を乗り切ることができた。それが一変したのが任期満了による除隊を控えた一か月前のことだった。

 最初はよくある隊商の護衛任務だった。帝都やコバヤシの居留地に向かう隊商一行と行動を共にして彼らの訪問先へと向かうのだ。何も起こらず現地に到着することの方が多いのだが、その時は事情がかなり違った。貧相な盗賊団の中に銀色に輝く両刃剣を手にした手練れの男が混じっていた。その男のためにアトソンの小隊は危機に陥ることとなった。彼は男に使い慣れた剣を破壊されながらもどうにか倒し、盗賊団を撃退した。

 アトソンの活躍により、隊商は無事コバヤシの居留地に到着し、小隊も死者を出すことはなかった。彼にとっての面倒はその後に起こった。男が手にしていた銀の剣に取り憑かれてしまったのだ。その後アトソンに会いに来た者達には契約を結んだ、剣に見染められてなどと言われたが、彼の心境としては取り憑かれたが一番しっくりときた。契約など結んだつもりはない。アトソンとしてその場に放置してはおけない武器を回収しただけだ。

 隊商とコバヤシの人々のおかげで負傷した仲間達の容態はほどなくして安定した。しかし、銀の剣に取り憑かれたアトソンはその扱いに苦慮した。それはその姿こそ優美な装飾が施された巨大な銀器のように見えるが、鋼の剣を叩き折る力を持っている。

 最終的にアトソンはコバヤシ側から原隊に連絡を取ってもらい、剣との対応には帝都から高位魔導師がやって来た。その魔導師によると剣は、伝説のと呼ばれる類の強力な魔器だった。闘神を自称する精霊を内包し銘は月下麗人、契約によりもたらされる効用は強力な魔法防御と戦闘補助とされた。

 常時アトソンの傍に寄りそう事を希望した剣は魔導師の取りなしにより、平時はターバンという形態で過ごすという条件のもとで、剣はアトソンの同行することを許された。普通の生活を送りたいという俺の希望は誰にも届くことはなかった、。

 突如、伝説の名剣の所持者、ちょっとした有名人となったアトソンの元に多くの人が訪れた。多忙な一カ月を越え、ようやく帝都へと戻って来たアトソンだったが、入都審査に酷く手間取り街へ入ることができた頃にはすっかり夜が更けていた。とりあえず、ただ飯と泊まる部屋を求めて教えられた教会へと向かっていたアトソンだったが、ここに来て奇妙な気配に追い回されすっかり道を見失ってしまった。

 一体どうなっているのか?アトソンは訝しんだ。

 帝都にはアクシール・ローズがいるため、その同族や他の呪われた者は見つかり次第排除される、そのため他の街より安全だと言っていなかったか?それなら背後につかずはなれず、まとわり付く奇妙な気配の持ち主は何者なのか?

 とても朝まで付き合う気にはなれない。何物かはわからないが、そろそろ月下麗人、今では姫と呼んでいる剣の力を借りる時か。

 その時、アトソンの背後に別のはかなげな気配が迫って来た。それは傍の路地の奥から現れ、アトソンに向かい走って来た。まだ闇の中にあってもアトソンにはそれが恐慌状態に陥り、我を失い走りつづける男であることが感じ取ることができた。闇の中を走り続け汗まみれとなった男は、アトソンの存在には気がつかない様子で、彼のすぐ横を通り過ぎて行った。

 走る男を追っているのはあの奇妙なな気配ではない。それは今はアトソンの動きを窺っているかのように止まっている。それとは別に小さくはあるが剣呑な気配が現れた。

「姫出番だ」アトソンは静かにつぶやいた。

 アトソンの声に呼応して、頭に巻いた胡粉色のターバンが解けて緩み、彼の目の前の宙で展開する。アトソンの赤錆色の髪が露わとなった。ターバンの中心には剣の銘の由来となっている蔓性植物の月下麗人が描かれている。艶やかな織物は一瞬の間を置き、鋼を断ち割る剣へと変化する。

 本来の姿に戻った剣を手にアトソンは周囲の気配を窺った。殺意を帯びた気配は走る男の今前方にある。アトソンはそれに向かって駆け出したが、走る男を助けることはできなかった。男は物陰から現れた暴漢に一撃のもとに斬り伏せられた。暴漢の迷いのない太刀筋はそれがアトソンと同類である事を現している。

 力なくその場にくず折れた男の懐から落ちた小さな紙包みがこぼれ落ち、駆けつけたアトソンの足元まで転がり止まった。危うく軍靴で包みを蹴り飛ばしそうになりながらもうまくかわし、膝をつきそれを取り上げた。

 暴漢は居合わせたアトソンも敵とみなし、ひざまずくアトソンに向かい上段から一撃を打ち込む。

「少し待ってくれないか」

 剣戟は姫により受け止められ、暴漢の剣は火花を上げ細かなひびを生じた。アトソンが今一度柄に力を込め剣を押し上げると、鋼の刀身は断末魔の火花を放ち、ぽっきりと折れた。加護を持たず姫と相打つこととなった武器の末路である。

 折れた刀身は姫の力により不自然な回転を帯びて、その切っ先で暴漢の頬を深く切り裂いた後、地面に落ちた。暴漢は事の展開にあっけに取られ、少しの間アトソンと自分の折れた剣と足元に転がる刀身を何度か目で追っていた。しかし間もなく我に帰り折れた剣をアトソンの足元に投げ捨て、血の噴き出す頬を押さえ逃げ出して行った。

 彼はそれを敢えて追うことはせず、倒れて男の元に向かった。残念ながら暴漢の腕は確かなもので男は既に絶命していた。アトソンはため息をつき、男の開いたままになっている瞼を閉じてやった。

「そこのあんた、いつまでも隠れて見てないで手伝ってくれないか」アトソンに付きまとっていた異様な気配はすぐの傍の物陰に隠れている。

「こんばんは、何を手伝えばいいの?」

 現れたのはお仕着せを着た金髪の少女。愛らしく笑顔を浮かべるその姿は誰であっても気を許すに違いない。しかし彼女が放つ雰囲気は人ではない異様なものである。とりあえず姫は彼女からの敵意は認めていない。

「警備隊への通報だよ。いつまでもこいつをここに転がしとくわけにはいかないだろ」

「いいところあるのね」少女は声をあげて笑った。

 アトソンはその中に彼女の本性を感じ取った。

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