第3話

魔導騎士団特化隊所属のニッキー・フィックスが少し前に噂の的となっていた男の居所として教えられたのは塔からさほど離れていない居酒屋の二階だった。夜も更けていたが、相手が要注意レベルの魔剣の所持者ということもあり、とりあえず接触し朝になってからで良いとの条件付きで、出頭要請を出しておけというのがフィックスに課せられた任務だった。近くにうまいエールがあると聞いていたので、用事を手早く済ませ一杯ひっかけるつもりだった。

 しかしローズまでが興味を持つ案件、すんなりと事が進むはずがないことを居酒屋の前で痛感した。この時間ならもう人気が絶えてそうな通りに見物人が行き交い、件の店の前には警備隊の馬車が三台止められ、他無印の馬車が一台駐車している。

 フィックスは入り口の警備をしている隊士に身分証提示し上官への取次を依頼した。入り口から見える範囲では荒れた様子はない。ごく普通の閉店後の飲食店である。ややあって小柄で年嵩の警備隊士が店内から現れた。彼はフィックスの示す身分証とフィックスを二、三度交互に目を動かした。

 フィックスとしては相手のこのような対応は慣れている。大柄な体躯に派手な刺繍の入ったウエストコート、袖口飾りのついたシャツ、クラヴァットそして長い金色の髪、口の悪い者は派手なゴロツキと揶揄するが、呪われた者が集う紳士クラブの特化隊でならこれぐらいが良い。

「わたしが小隊長のルルパトです。特化隊の方がどのような御用です?」

「我々が探している人物がここの二階に泊まっていると聞いてきまして、訪ねてきました」

「そこの二人ではないですか」ルルパトは一階のテーブルで眠たげにうなだれ、飲み物をすすっている男達を手で示した。

「探しているのはスラビア系で赤毛の若い男で白っぽいターバンを巻いています。名前はジェイミー・アトソンと言います」

 フィックスの言葉にルルパトが若干眉を寄せた。

「小隊長殿は何かご存知ですか?」

「その男が今回の騒ぎに深く関わっていると思われます。二階の様子を見てみますか?」

「はい、お願いします。何があったんです?」

「当初はよそ者同士の喧嘩騒ぎと思われていたのですが……」

「ですが?」

 二階へと続く階段の踏板や手摺には真新しい傷が付いている。ここを転げ落ちた者がいるのは間違いない。

「そこはそんな単純な話ではないようです。こちらへどうぞ」

 案内されたのは二階の一番の手前の部屋で、そこで乱闘騒ぎがあったのは明白だ。入り口の扉は力任せにこじ開けられ鍵は破壊されていた。蝶番が外れた窓は床に落ち、壊れた鎧板が散らばっている。赤黒い染みの傍には金属片が多数落ちている。

 荒れた室内で動く隊士の中にあって一人佇む女がいた。黒い外套に革のレギンスの女。ルルパトは女に近づき声を掛けた。

「お待たせしました。バスパイネ捜査官。こちら魔導騎士団特化隊のフィックス隊士です」

「フィックス隊士、こちらは帝国警備隊保安課のバスパイネ捜査官です」

「保安課?」

「特化隊?何が起きているんです?」

 フィックス、バスパイネはお互いの顔を見合わせた。

「ここはお互いの情報を出し合い、すり合わせてはどうでしょうか。見えない部分も露わになるかもしれません」ルルパトは二人の意思を確認することなく先を続けた。「まずはわたしから、この部屋に泊まっていたのはジェイミー・アトソンと名乗る若い男です。真夜中を半刻ほど過ぎた時に現れました。少しスラビア訛りのある男で赤毛、着古した戦闘服と白いターバンを付けたいたのを店主が覚えています。給仕の女がお湯を渡してから部屋から去って、しばらくして二階から激しい物音がして、それからほぼ同時に店の入り口から武装した男達が押し入ってきたそうです。二回で物音や悲鳴が止んで静かになってから、店主が恐る恐る部屋を覗きに行くとアトソンの姿はなく、押し入ってきた男達が床に転がっていたそうです」

「そいつらは何者です」

「全員病院送りにされたので、まだ聴取は進んでいませんが、店主や給仕は見たことはない、よそ者だろうと言っています。わたしも同意見です。東の奴らは鋼の両刃剣なんて使いません。棍棒に斧、鉈、それに曲剣です」

「それ以前にローズの息のかかった奴が、彼女のお膝元でこんな大立ち回りをする度胸はないでしょう」

「そうでしょうね」

「しかし、砂漠から帰ったばかりの男がどうして狙われる?」フィックスが呟く。

「それは彼が少し前に関わった事件が関係あるのかも知れないわ」

「どういうことです?」

 バスパイネは一瞬ためらった後、話し始めた。「今夜殺人事件がありました。時間は九刻半頃、場所は五番街と四番街の境の辺り、ジェイミー・アトソンは偶然その付近に居合わせたそうです。ルルパト小隊長もご存知ですよね?」

「もちろんです」答えるルルパトはどこか気まずそうである。

「アトソンが偶然現場に駆け付けた際、犯人との戦闘に陥りこれを撃退、犯人は手傷を負い逃走しました。といっても、これらは全てアトソンの証言です……警備隊はそれだけ聞くと彼を容疑者から外し、早々に解放したそうです」

 バスパイネがルルパトに視線を移す。

「犯人の物と思しき血痕、砕かれた剣に付着した血液やもう一人の目撃者の証言、それと彼が所持していた剣の件分などで総合的に判断した結果です」ルルパトは少し声を上ずらせながらも反論する。

「もう一人の目撃者というのは塔のメイドです……」

 フィックスは苦笑した。新市街で暮らす者はあの二人にはどうにも弱いのだ。それが公的機関の者であってもである。これで今夜どうしてフレアからアトソンについての連絡が入ったのか合点がいった。

「それについては今は置いておきましょう。その後、殺害された被害者の遺体の見分中に禁制品のエヴィデ香が見つかったとの連絡が保安課に入ってきました。課員の一人が所轄署の確認に赴き、そこで被害者が内偵捜査の協力者とわかったのです。その時は事件の目撃者と言われた二人は帰された後でした。それでわたしが彼の元に事情を聴きにやって来たのです。メイドの方は別の課員が向かっています」

「それではわたしが聞いていた話とは違うんじゃないですか。あなた方からは売人相手の強盗、仲間割れだと聞きましたよ。内偵だなんだの聞きていいれば、こちらに回す人数もあったのに、そうすればこれも防げたかもしれない」

「密売組織内での仲間割れです。だいたいあなた方がアトソンとメイドをすぐに放してしまったのも原因の一つでしょう。それであの面倒な塔の住人も相手にしないといけなくなった」

 確かにあの二人が絡んでくると面倒事が加速する。二人は自分の立場を忘れて罵り合いを始めている。室内にいたルルパトの部下たちはあっけにとられた様子で二人の様子を眺めている。

「おい!気持ちはわかるが、つまらん喧嘩をしてる場合じゃないだろ!」

 フィックスは睨み合う男女の襟首をつかみ強引に引き離した。

「落ちつけ!今がどういう状況なのか冷静に考えろ!このままだとあの男にあんたたちの内偵も事件捜査も全て奴に台無しされかねないぞ!」

「へっ?……」

「どういうことです?」

 この一撃は煮えたぎった彼らの血を一瞬で冷ます効果があったようだ。

「まず、俺がなぜここに来たのかを考えてほしい。特化がなぜあの男に用があるのか」

 ルルパトが息を音が聞こえた。

「ある筋では、アトソンというあの男はちょっとした有名人なんです。元々かなり腕の立つ男で、そんな男がある出来事をきっかけに月下麗人という銘を持つ剣の所持者となりました。帝都へ戻ったとなれば、我々としても放置はできず本隊への出頭要請にやってきたわけです。しかし、来てみればこのありさまです。剣の銘こそ優雅な響きがありますが、内在しているのは乱闘騒ぎに目がない女神を名乗る精霊です。剣の力は見ての通り、つまらないちょっかいを掛けてきた奴は瞬く間に武器を破壊され、病院送りされる。そんな男が今行方をくらましています。このままだと最悪、大量の墓地送り、病院送りを出した揚句、核心をつけないまま肝心の悪党どもは逃走ということになりかねません」

「大げさではないだろうね」

「アトソンは自体は気のいい男らしいですが、付き合っている女がとんでもない、そういうことあるでしょう」

 ルルパトは頬を引きつらせた。とても笑っている場合ではない。


 新市街八番街の南半分は帝都で最も古いスラビア人居住区となっている。以前は東端地域に並ぶ危険地域とされていたが、今ではその印象は薄れ、ここより西の地域の労働力や砂漠地域の警備、討伐隊への人員供給源となっている。

 しかし、危ない連中が消えたわけではない。他の地域の例の漏れず根強く息づいている。

アトソンが訪れたのもそんな場所の一つである。それは深夜まで営業しているスラビア料理の店で店主はローズとの交流を自慢にしている。店の裏口から入ったアトソンは厨房の隅にあるテーブルへ案内された。

「久しぶりじゃないか、ジェイミー、いつ帰った来たんだ」

 少し待たされたが、厨房に入って来た男はうれしそうに声をあげた。

「ひさしぶりだな、エイシ。今日帰ってきたよ」

「何もすることがないなら、うちに来ないか。お前なら大歓迎だよ」そこでエイシはアトソンの顔を覗き込んだ。「……で、何か面倒なことがあったか」

「わかるか?」

 子供のころから仲がいいエイシは勘が良く、アトソンのことはいつもお見通しなのだ。アトソンがただ単にわかりやすいだけかもしれないが……。

「変な奴らに絡まれてる」

「それはやばいな」エイシは厨房に向かって手を挙げた。

 調理師の一人が手を止めて、エイシを見た。エイシが頷き、調理師は厨房から出ていった。

「詳しく聞かせてくれ」

 エイシは黙ったままアトソンが話す今夜の出来事を聞いていた。途中、何度か顔をしかめ、項垂れ、大きく頭をそらせる。これでも彼は真面目に話を聞いている。

「殺しに巻き込まれて、逃げずにきちんと通報してるのはお前らしいな。相手はおそらく旧市街の連中だろうな。やばい貴族が飼ってる奴らだろう。お前のように砂漠から帰って、それから仕事がないが流れていくんだ」

「あの……、塔の方は関係ないか。あそこであの居酒屋を紹介されたんだ」

「ないな、お前がその連中に後をつけられただけだよ」

「いや、しかし……」

「ローズさんと何かあったとしたら、俺たちはこんなところで呑気に話なんてしてられないよ。半端な野郎は使わないで、お前も会っただろ、あのフレアさんが直接やってくる。それでお前は気もつかないうちに、正教徒がいう転生の輪に送られてるよ」エイシは指で首を斬る真似をして見せた。「旧市街の連中がローズさんのことを気にしないにしても、大胆すぎるな。何か心当たりはないか?」

「そういえば……」

 エイシの促され、アストンは殺された男から転がり出て来た紙包みのことを、ようやく思い出した。あの時、何も考えず包みを懐に入れていた。

「これは何か関係はあるか」アトソンは目の前にテーブルに拾った紙包みを置いた。

 エイシが包みを開けてみると、中身は茶色い粉を帯びた樹脂の塊が現れた。匂いや味を確かめているうちに顔がみるみる赤くなってきた。

「どうした?」

「どうしたじゃねぇよ!こんなものうちに持ってくんじゃねぇよ」エイシはアトソンの胸倉をつかみ前に引き寄せた。

 アトソンはエイシの見たことがない反応に戸惑った。喧嘩をしたことがないわけはないが、かなり珍しい反応だ。

 すぐに我に返ったエイシはアトソンを放した。しかし、息はかなり荒い。噴き出した汗が頬を伝っていく。

「悪かった……、それはエヴィデ香だよ。お前だって、どういう物かは知ってるよな」

「ああ……」紫片と並ぶ禁制品薬物で使用はもちろん持っているだけで流刑地行きか死刑とされている。

「ローズさんの地所を借りて商売を始めて、最初に御法度と言われたのが禁制品薬物の取引だ。あの人は街に住む人の健康には気を使っているそうだ。まあ、実際自分の飯に毒入れて喜ぶ奴はいないよな。それで一年ぐらい前だったかな、店にやって来た奴に運び屋を頼まれたことがあったんだ。仕入れるスパイスや食材に香を紛れ込ませて、帝都に持ち込む手伝いをやってくれないかって……。俺もその手法で煙草や酒、砂金とかを持ち込んでたんだが、それをどこかで聞きつけてやってきたみたいだ。その時俺も金に目がくらんで……」

「やったのか?」

「……やる気にはなってた。でもその矢先にそいつが姿を消した。その後、密売組織の手入れがあったという話がでた。しかし、関係者は大半消えうせてた」

「逃げたのか、全員。帝都側に内通者がいるのか、それなら大問題だぞ」

「金も何もかも残してそいつらだけが消えた。新聞では逃げたと書いてあった。でも、帝都の誰も動かないんだ。誰も後を追おうとはしないんだ。天使が出たと聞いたよ。そいつはローズさんも一目置いてるような奴で、そいつには帝都も正教会まで手を出さないんだ。そいつは法とかは無視して帝都の害になるような連中を、神の慈悲と称して消していくらしい。俺も一つ間違えたら消されていたかもしれない。だから俺はあれに関わる気はないし、傍には近づけない。お前もあれはすぐ海に捨てて、しばらくここを離れろ」

「俺は今日帰ってきたところだぞ」

「呑気なこといってる場合じゃないだろ。みつかりゃ天使じゃなくても帝都は確実にやってくる。だから連中は必死になってお前を追ってるんだよ。それを取り返したいんだ」

「それはわかるが……」アトソンは突然何者かがここに迫る気配を感じた。

「どうした?」

「誰か来る。とりあえずここは出るよ、ありがとう」

 エイシは仲間に手を上げ、合図を送る。仲間たちが確認のため動き出した。

 アトソンはエヴィデ香の包み直し、懐に収めた。気配は多数店の正面と裏口に向かっている。エイシ達にはまだそれはつかめていない様子である。

「倉庫の隅に小さいが非常用の出口がある。そこを使え。連絡用にこれを持っていけ」エイシはイヤリングをアトソンに投げてよこした。

「この埋め合わせは必ずするからな」

「わかったよ。さっさと行け」

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