第18話 勇者は情緒不安定

 あれから、ハルトの様子が少しおかしい。


 まず何よりも気になるのは、妙にニコニコしている。


 かと言って、ものすごく機嫌が良いわけでもなく、ふと気がつくと何やらぶつぶつと一人呟いていて、時おり物騒な言葉が聞こえてきたりもしたので私は聞かないことにした。


 それと、前以上に距離が近い。

 それは今も現在進行形で体感していることで。


「……なに?」

「別に?」


 そんなに遠い距離ではない次の街へと移動を開始した私たちは、今は水分補給のために近くの川に立ち寄っている真っ最中だ。


 ジャンとリアーノはもはや水汲みを忘れて水遊びを始めていて、二ヴェルは二人に呆れながらけれどしっかりと休んでいるように見える。

 前の街からなんだかんだで慌ただしく出発してから数刻、皆から少し離れて私は木陰に座って休憩をしていた。

 はずだった。


 ぬっ、と現れた人物が、川を眺めていた私の視界を遮る。


「何で前に立つの」

「立っちゃダメって言われてないし」

「そりゃ言ってないけど」


 じとりと訴えかける視線を向けたところで、この幼馴染みに効くわけがない。


「なあ、フィン」

「何?」


 きら、とハルトの瞳が光る。


「俺と一緒に死なない?」

「……は?」

「それか」


 グンと近づく距離に思わず後ずさるものの、直ぐにゴッという衝撃が背中に走る。

 しまった。そう思ったのが顔に出たのだろう。

 焦った私の顔を見たハルトが満足そうに笑い、ハルトの顔がさらに迫ってくる。


「ちょ、退いてっ」

「フィン。黙って。動くなよ」

「っ?!」


 ドンッ、と身体のすぐ横にハルトの手が伸び、思わずぎゅ、っと目を瞑れば、「もういいよ」とハルトのカラリとした声が真上から聞こえる。


「な、に」


 恐る恐る目を開ければ、変わらずに顔は近くにあるものの、「てい」と小さな声と共に、ハルトの片腕が何かを草むらへと放り投げる。


「何って、蜘蛛がいたから」

「く?!」


 蜘蛛、と聞いて思わず木から身体を離せば、ボスッとハルトの身体にぶつかる。


「もう、もう居ない?!」


 ぎゅうう、と抱きつきながら問いかければ、ハルトはポンポンと軽く私の背中を叩きながら「大丈夫」と答える。


「相変わらずだな。フィンが蜘蛛が苦手なのは」

「そりゃ、あんな過去があれば誰だって苦手になるでしょ!」


 ハルトの言葉に、バッとハルトを見上げながら言えば、「俺は平気だけど」とハルトはクツクツと笑いながら答える。


「まぁ、でも」

「…でも?」

「そのおかげで、俺はフィンを守れるんだけどな」

「ハル、」


 にこり、と笑ったハルトの顔が、近づいた、と思った次の瞬間、おでこのあたりに温かさと、小さな音が降ってくる。


「ッ?!」

「これは、ご褒美、ってことで」

「…え、は」


 よいしょ、と小さく声を出してハルトは立ち上がり、私を見やる。


「その顔は、誰にも見せるなよ、フィン」


 そう言って、バサッ、と私にマントを放り投げたハルトの顔は、さっきと違って、太陽みたいにとても明るい。


「…なん、なのよ?!」


 死んでしまうのかと思うくらいに暗い顔をしていたと思えば、急に明るい顔をして。

 ついていけない。

 それに、何だかハルトのその変化に、急に心の中に靄がかかったみたいな気がする。


「あー、もう!」


 本体のいないマントをベシベシと叩きながら、マントを抱える。


「昔はもっと、素直だった気がするんだけどなぁ…」


 私も、ハルトも。

 最近は、ありがとうって言いづらい時もあるし、ゴメンなさいって言えない時もある。

 それに、守る、守られる。

 町にいた時は、そんな話すら、していなかったのに。


 ああ、でも。

 一度だけあったな。

 私が、蜘蛛が嫌いになったあの日。

 山からの帰り道で、自分の背丈の倍以上ある大きな大きな土蜘蛛に出くわしてしまったあの日。

 カチカチカチ、と鳴らされる大きな口の音に、ギラつく赤い目に、私は身体が竦んでしまって動けなくなった。

 じわりじわりと近づいてきた蜘蛛を前に、泣くことも忘れて、ただ震えていた私の目の前に現れたのは、自分の背丈と同じくらいの剣を持った幼馴染みの後ろ姿で。


 ー「フィン!しっかりしろ!」

 ー「…ッ、ハル!」

 ー「下がってろ!」

 ー「っ、うん…っ」


 その声に、その姿に、私はやっと身体が動いて、ハルに言われるがままに後ろへと下がった。


 その後は、ハルはたった一人で大きな土蜘蛛を追い払って、駆け寄った私に「もう平気、フィン」とハルは柔らかく笑った。

 確か、その帰り道。


 ー「蜘蛛、退治しなくて良かったの?」

 ー「ハル、いつの間にあんなに強くなったの」


 こう問いかけた私に、ハルは繋いでいた手をぶらぶらと揺らしながら答えた。


 ー「退治はしない。フィンに悪さしてないだろ。あれはただ、子蜘蛛が後ろにいたから気が張ってただけだし」

 ー「俺は、フィンのためならいくらでも強くなれる。だから」


「………フィンは俺に護られてろ、か…」


 今となっては懐かしい記憶に、何だか目の奥がツンとする。


「ハルトは、先に、大人になっていくのかなぁ…」


 私もハルトも、まだ成人の儀も迎えていないけれど、何だか最近、置いていかれている気がする。

 旅を始めてまだ季節が一周してもいないというのに、何故だろう。


「もしかして、最初からハルトのが大人だったのかな…。いや、でも大人なら私を道連れにするって勝手に決めたりしないでしょ…」


 大人で、子ども。

 その表現のほうがピッタリな気がする。

 だけど。


「なんか、やっぱり、ちょっと寂しいなぁ…」


 ベシ、ともう一度、本体のいないマントを叩いて、一人静かに膝を抱えた。







「見えましたか?」

「ええ、見えましたわ」

「どう思います?」

「可愛いですわ!あの艶のある薄いピンク色!頬ずりしたい!」

「確かに可愛、ってそうじゃないでしょ! 相手としてどうなのか、と聞いてるんです! ワタシには到底あの方が出る必要などありそうに見えないのですが!」


 コソコソ。ヒソヒソ。

 藪の隙間から、少女を見る二つの影。

 怪しい。

 見るからに怪しい。


 そんな二つの影の前に、ポト、と大きめの何かが落ちてくる。


「何なになになに?!」

「?!蜘蛛?!蜘蛛?!!」

「きゃーーー!」

「あ! ちょっと!」


 声をあげ、一目散に駆けて行ったもうひとりを追いかけもう一人も藪から飛び出す。

 けれど、ゾクとした視線を感じ慌てて振り返ると、一人の青年と目が合う。


「…ッ?!」


 目が合ったその瞬間、青年の目がツイと細められ、次の瞬間には興味がなさそうに逸らされた。


「……気のせい…?」


 いや、でも確かに目が合ったハズだ。そう考えるものの、確信は無い。


「もう! 早く帰りましょう!!」


 離れた場所から自分を呼ぶ声に、ちらり、ともう一度、青年がいた場所を見やるも、もう青年の姿は見えない。

 早く!早く!と自分を呼び続ける声に、思考を中断し、もう一人の人影もこの場を去った。




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