〈閑話〉ちょっと昔のハルトとフィンの話

「……寒い」


 昨日の夜、寝る前にいつものようにおやすみと言った俺に、両親はいつもと変わらず「おやすみなさい、ハルト」と言った。


 けれど、今はどうだろう。


 いつもと変わらない時間に起きて、いつもと同じ朝を迎えたはずだったけれど

 暖炉の火も消えていて、家の中は寒い。

 母さんの朝ごはんの支度をする音も匂いも、毎朝恒例の父さんが母さんに怒られている音も聞こえない。


「……父さん? 母さん?」


 自分の部屋から出て、母さんがいるであろう台所に行っても、父さんがいそうな家の裏手に行っても、二人が、いない。


 家の中に音がしない。

 ポツン。

 ただ一人、聞こえるのは、耳の中に響くよくわからない音だけ。


 綺麗に片付けられた部屋の中、椅子の上に置かれた妙に膨らんでいる自分のカバンに気付き、カバンをあければ、俺の着替えが詰め込まれている。


「……置いていかれたのか…」


 俺のこと、嫌いになったの?

 俺のこと、邪魔になったの?


「…俺、いらない、ってことかな…」


 この家の中みたいに、自分も暗くなっていく。

 この先、どう生きればいいんだ。


 暗い部屋の中で、ただそれだけが頭をよぎった瞬間。


「ハルー?起きてるー?」


 音のしなかった家の中に、明るく、元気なその声とともに、一人の女の子が庭に現れた。




 ついさきほどまで、部屋の中で、ポツンと立ち尽くしていた俺に、「迎えに来たよー」と慣れた様子で庭から顔を覗かせ、窓を開けた幼馴染みに、「…フィン…」と彼女の名前を小さく呟いた俺に、フィンは「どしたの?」ときょとんとしながら首を傾げる。


 太陽の光を背負うフィンは、眩しい。

 薄いピンクの髪が、キラキラと光っている。


 そんなフィンに比べて、灯りのない部屋にいる俺は、暗い。

 手を見ても、足元を見ても、暗い。

 まるで、今の自分の将来をそのまま現しているみたいだ。


「俺、捨てられた?」


 そんなふうに考えながらフィンに問いかけた俺に、彼女は不思議そうな顔をしながら、部屋へと入ってくる。


「ハルが? 誰に??」

「…父さんと母さん」

「なんで?」


 どうして、と聞いた彼女に、「起きたら、いないし」と答えれば、「んん?」と彼女が小さく唸り声をこぼす。


「…もしかして、ハル、聞いてないの?」

「……うん?」


 半分暗くて、半分明るい。

 そんな部屋の真ん中で、二人して首を傾げたのも束の間。


「あ! そうだよ! 朝ごはん!」

「…ちょっ」

「ほら、ハル! カバン持って!」

「なに」

「急がないとご飯冷めちゃう!」


 ボス、と半ば強引に渡されたカバンは少し重たい。

 元気な声は、窓辺に靴をとりに行ったり戸締まりをしたりとせわしなく部屋を行き来する。


「ほら、ハル! 行くよ!」

「……うん?」


 パタパタと走り回っていたフィンは、俺の手をぎゅう、と掴んで、玄関へと歩いていく。

 繋いだ手が温かい。


 フィンって朝日みたいだよな。

 ぼんやりとそんな事を考えながら、彼女に言われるがまま、自分の家をあとにした。



「……聞いてなかったの俺だけ?」

「ハルのお父さんとお母さん、うっかりさんだしねえ」

「…まあ…うん。それは…」


 ぶらぶらと繋がれた手を振りながら笑う幼馴染みの言葉に、思い当たる節がありすぎて思わず頷けば、「でしょ?」と幼馴染みはもう一度笑う。


 ほんの少し早歩きで、俺の家から少し先のフィンの両親がやっている店の裏手、彼女の自宅へと向かう道すがらに、俺の両親がいないことを問いかければ、どうやら今朝から俺の親は「旅に出た」らしい。


「けど、結構前から決まってたんだったらなおさら言えよ…」


 ちょっとした疲労感に肩を落とした俺に、「まぁまぁ」とフィンは笑いながら言う。


「でも、ほら、その間、ハルはうちに泊まることになってるんだし!」


 ね? と楽しそうに笑うフィンに「……まぁそれは…」父さん、母さん、よくやった。

 心の中でひっそりとガッツポーズを決めながら、口を開く。


「なぁ、フィン」

「ん?」


 フィンの家まで、あと少し。

 くい、と引っ張った手に気づいたフィンが立ち止まり俺を見やる。


「フィンは、俺を置いていったりしない?」


 ほんの少し力が籠もった俺の手に、フィンは一瞬だけ不思議そうな表情を浮かべるものの、きゅ、と彼女なりの力で握りかえしてくる。


「しないよ! だってハルは幼馴染みだもん!」


 そう言って笑ったフィンの髪が、ふわり、と風に揺れた。



「フィン」

「なにー?って、うわ」


 前を歩くフィンの横に並ぶのが俺じゃないことに腹が立つものの、名前を呼んで反応してくれるフィンに口角があがる。

 フィンはというと、そんな俺を見て「うわ」とひいた声を出しているがそんなことは些細なことで気にもならない。


「やっとこっち見た」

「……はい?」


 何を言ってるんだという表情で俺を見るフィンに、「なんでもない」と答えれば、彼女は訝しげな表情をして俺をじっと見て、そしてまた前を向いた。


 つれない。

 昔はもっと、こう…ハルー! って嬉しそうに駆け寄ってきたりしてて可愛くて。いや、今も超絶可愛いけど、なんていうか。


「やってないし、声ダダ漏れだし! 恥ずかしいし!」

「あれ? 出てた」

「わざとでしょ!」

「さて。なんのことか俺にはさっぱり」


 顔を赤くしながら、俺の鳩尾あたりを殴ってくるフィンが可愛くて叩く手をそのままにしていたいけれど、このままだとフィンの手が痛くなる。


「俺のために身体を痛くしてくれるのはとても嬉しいけど、それはもう少し先にとっておきた」

「うるさい変態! 知らない! 置いてく!」

「うぐっ」


 ボコッ、と最後に殴られたパンチがまぁまぁな場所に当たり、久しぶりにフィンのパンチで軽い痛みが襲う。


「自業自得だな」


 俺の隣に立つメガネ野郎が、にやり、と歪んだ笑みを浮かべながら俺を見やる。


「どーだか」


 置いていく。

 そう言ったのは自分のくせに、フィンはわざわざ立ち止まって俺が歩き出すのを待っている。


「……いつまでも、幼馴染みってわけにもいかないしな」


 小さくそう呟いた俺の声は、聞こえるはずがないのだが、フィンはぶるっと身体を震わせる。


 その姿を見て、俺は一人静かに口もとを歪ませた。








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