第6話 ヒージャーの瞳は横長に光る

明日中に東京に帰らなければならなかったので京子さんは同窓会の二次会には参加せず帰り際、貴博くんとだけ携帯番号とメールアドレスを交換した。


今度の金曜食事をしませんか?


と貴博くんからメールが来たのは一週間後の1月10日。人生初の異性からの食事のお誘いに京子さんは浮き足立ち、デパートの婦人服売り場で大人のデート向けの服をコーディネートしてもらい、行きつけの美容室で大人女子のディナーでモテる髪型にしてもらい、メイクもお願いした。


貴博くん行きつけだという老舗のロシア料理のボルシチの味は、今まで自分が食べてきたのはボルシチもどきだったのか。と思えるくらい牛肉のコクとビーツの甘味とケフィアのクリームの酸味が調和していた。


「やっぱり寒い時期に北国の煮込み料理は美味しいよね」


と豚挽き肉と玉ねぎのピロシキを頬張ってから赤ワインを一口飲んで京子さんが嬉しそうに顔を上げると、上場一部企業の商社に勤めている貴博くんはあまり食欲がないのか料理にはほとんど手を付けずにテーブルに肘をついて組んでいた両手をやがて、意を決したように解いて、

「…鍛冶さん、中学の頃待ち合わせすっぽかしてごめんね」

と京子さんに頭を下げた。


あ、その事を謝りに来たんだ。確かに初恋が破れたつらい思い出だけど、もう13年も経ったのだし。


「いいよいいよ昔の事だし」

今こうして楽しく食事できているんだからもう許せる。と京子さんは確信していた。


「実は僕…あの時行く気満々だったんだよ」


「え、そうだったの?私みたいな地味な子に興味無かったかと」


とんでもない!と貴博くんはかぶりを振り、


「クラスには珍しい真面目で清楚な子だからちゃらちゃらした女子の中で鍛冶さんはいい感じで『浮いて』た。

真剣に付き合うならああいう子がいいな。君から手紙をもらった時はどんなに嬉しかったか…」


待ち合わせからずっと貴博くんが何か言いづらそうだったのは…


「行けない理由があったの?」


「待ち合わせ場所に行こうと自転車を出して玄関から出ようとした時に黒のBMWがタイミングよく僕の行く手を塞いだ」


黒のBMW、と聞いて京子さんは13年前にその車に運転していた人物の顔を思い出して目元から唇にかけて顔を強張らせた。


「私の母が邪魔をしたのね?」


そうなんだ。と貴博くんはうなずいた。


自宅の玄関前で京子さんのお母さんが待ち伏せしていて貴博くんに声をかけると、

「鍛冶京子の母です」と上品に会釈したお母さんは、


「残念ながら橋本貴博くん。これからあなたを娘に会わせたくないの。ご免なさいね」


とサングラスごしにきつい眼差しで睨み付け、「娘の将来を浮わついた恋一つで台無しにしたくないのよ」と低い声で脅しつけて外出を諦めさせたのだという。


「手紙の事は私しか知らない筈」


あ、と京子さんは学習机の右側の鍵のついた引き出しに手紙を一週間保管していた事を思い出した。


あの人合鍵を作って私の何もかもをチェックしていたんだわ!


と得心した瞬間、京子さんは全身の血が引くようなおぞましさに包まれた。


「『私は学校の理事会にも影響力があります。もし京子と交際しようものならあなたの学生生活をかなり厳しいものにも出来ますから』

と言って鍛冶さんのお母さんは薄く笑ってから車で走り去ったよ…


夏の真昼に幽霊に出会ったみたいに怖くなってさ、それから鍛冶さんに近づけなくなったんだ。こないだ同窓会で会った時に謝んなきゃ。と思って誘ったんだ。

鍛冶さんほんと、ごめん」


とまた頭を下げると貴博くんは胸のつかえが降りたようにすっきりとした顔になり、目の前の料理を全部平らげた。


ところで今付き合ってる人とかいるの?とレストランを出る時に貴博くんに聞いてみると、


「会社の後輩と付き合ってる。上司に理不尽な怒られ方をした時に慰めてもらって付き合うようになった」


と頬をかいて照れ臭そうに笑った。


京子さんの期待はまたもやはずれに終わったが、今回はデートをすっぽかされた真相も解ったので長年の胸のつかえが取れてすっきりしていた。


しかし、娘のデートを自分で妨害しておきながら失恋して泣く娘を心から嬉しそうに慰める母は…


思っていた通り残念で、いびつな人間だった。


社会的地位のある家の専業主婦にはよくいるタイプ。

豊かな生活を保証してくれる自分の「城」を守るためなら娘のプライバシーを漁り、交際相手になりそうな男子を脅す事など平気でする大人。


今更あの人に詮索する気はないが、

母みたいな視野の狭い人間にだけは決してならない。

タクシーの窓から見える夜景を見つめながら京子さんはそう心に決めた。


「え…じゃあつまり京子さんはお母さんにストーキングされてた。ってわけ?」


とすっかり日も暮れて光るものは満点の星と波照間島に自生するヤギの目だけになった天文台の星空見学ツアーに京子さんを誘ったエーシンは、

「俺の母親なんて放任主義で

好きにすればいいさぁー

が口癖の人だからそんな母親いるのか?って驚いてるんだけどねー」


と展望台のデッキにもたれながら周りの観光客カップルが建物の陰でこっそりキスを交わしたり彼女の太ももで膝枕をしていたりするのに乗じて夜空の天の川を見ながら語る京子さんの肩に手を乗せようとするが、


いや待て、他の男の話している女にそれはどうか?とためらい手を下ろす動作をもう二十数回繰り返していた。


「俺はもうカップルよりも星空よりも、エーシンさん観察の方が面白いわ。エーシン行けよ!」


と言って野上くんはエーシンさんの様子を見ながらへへっと笑い、篠田くんは遠くでちらちら光る地元ではヒージャーと呼ばれるヤギの目に、


「猫の目は縦に光るけどさあ、ヤギの目は横に光るからなんか怖いよ…」

と昼は可愛く夜は異様な光を見せるヤギを不気味がっていた。


「ヤギってさあ、沖縄ではお祝い事があると一頭まるごと潰して鍋にして食べるのよ。臭いは独特だけど慣れると美味しいよ」


「家畜つながりなんだけどさ、ハンガリーで食べた羊の脳味噌は絶品だったね~」


と世界中行き尽くした旅のプロである田所夫妻は島名物の愛らしい動物を完全に食糧として見ていた。


この夫婦、でーじ(とても)太い神経してるさ…


と一行を車で天文台まで送ってきた民宿の跡継ぎ、波照間栄昇は今まで結構な数の観光客相手にしてきたけど今回の客はヒージャー鍋みたいにクセが強すぎるぞ!


と日本最南端の一年じゅう七夕な夜空を見上げながら今回の客は


クレイジーさ星五つ。


と勝手に評価した。


ニィニィ、島に帰って来たって事はやっぱり「あの人」に会いに行くんだろうか?


五体満足に帰れればいいんだけど。





































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