第5話 南国の黄昏

ちらちらりら ちららりらり

ちらちらりら ちららりらり♪


と枕元の携帯がショパンの「夜半の月~幻想即興曲」の着メロを鳴らし、布団の中でもそもそしていた京子さんは携帯を取ると、

「ふぁい、鍛治です…」と当直明けの気だるい声で答えた。


あの日の失恋から13年経った。

恐怖の大王が降りてくる。と騒ぎになったのは日本国内だけで、1999年に「アルマゲドン」とゆー映画が大ヒットしただけの世紀末を乗り越えて2001年末、京子さんは国立の医学部を出て精神科医になっていた。


電話の相手は中学時代の同級生で学級委員だった萱島博美かやしまひろみで、確か彼女は大手保険会社に就職した。と実家に帰った時母から聞かされていた。


「もしもし、鍛治京子さんの携帯ですか?」

「ふぁい…カヤミちゃん?」

「キョーコちゃん、思いっきり寝不足のブサイク声だわ」


ぷふふっ!と最初の『ぷ』で唇が震えるカヤミちゃんの特徴のある笑い声でたちまち二人は中2の少女の頃に戻った。

久しぶりぃー!とお互い近況報告し合った後でカヤミちゃんが

「同窓会の出欠の返事、届いてないのキョーコちゃんだけだから電話したの」


え、通知?

「ちょっと待って!」と言って飛び起き、机の上に溜まった郵便物の山から同窓会の通知を探し出すと「あった…来年1月3日夜…行きます。出席します」と慌てて返事した。


さて当日、内心、どぎまぎしながら同窓会会場に入った京子さん。


同級生女子たちは社会人になって化粧も身だしなみも覚えてそれなりに美しくなっていて京子さんは気後れしそうになったが、


恩師の三角先生が「あら鍛治さん、あなた見違えたわねえ…」と目を瞠る程京子さんは知的な美人になっていた。


この日の会は京子さんが辟易する程同級生の男どもに話しかけられ、電話番号やメールアドレスを聞かれるのを曖昧な笑顔で断り、


中学の頃には見向きもしてくれなかった男子どもめ…陰気な女子が着飾って久しぶりに現れるとこうも分かり易く態度豹変させやがって。



だから男って信用できないのよね。


と会場の隅でひとりやさぐれ気味にシャンパンを飲んでいると鍛治さん?という柔らかい声で呼びかけられたので振り返ると京子さんより少し背が高い色白の青年がグラス片手に立っていた。


「覚えてますか?橋本貴博です。バスケ部の」


え、貴博くん…?京子さんの脳裏でバスケットボールが勢いよく籠から落ち、体育館の床の上でバウンドする。

あの時ゴールを決めた長身の貴博くんと、いま目の前にいる小柄で色白で気弱そうな青年が同じだなんてすぐには信じられなかった…



「私が精神科医になろうと思ったのはですねえ」とそこで京子さんは波照間島産の泡盛「泡波」の水割りが半分残ってるコップを縁側に置いて午後7時45分過ぎからやっと始まる日本最南端の夕暮れの景色を見つめた。


沈みゆく淡い夕陽を中心に濃い朱色の帯が左右に三本ずつ放射状に広がり、こちらに近づくにつれ太く淡くなっていく。


「中学生の頃からあれ?うちの両親いびつな人達なんじゃないか?と思って。そうさせてしまう人間の心の仕組みに興味を持っただけ」


「いびつな両親?」と夕焼けの色に頬を染めたエーシンが隣で驚いたように京子さんを見た。


「テストで85点以上取らないと人間性を否定する父親と、陰でこっそり腋の下をつねる母親」


そう言って京子さんはチーズ鱈を口に入れてコップのお酒を一口飲んだ。大抵の人ならここまで聞くとああ、と聞き流して柔らかい壁を作り友好的に拒絶する。


人間なんて、所詮自分が苦しまないために他人の痛みをスルーする生き物なのだ。


と思っている京子さんにエーシンは、


「京子さんは傷を癒せないままここまで来てしまったんだな…可哀想に」

と深い目つきで答えてくれたので、もう少し自分の事を話してもいいか。と京子さんは思った。


「…私が医師免許を取った時に父に『精神科医になりたい』と話したら最初は落胆してたんですけどね。脳外科医になる事を期待してましたから。

でも何日か経って『これから一番需要が増える仕事だ。好きにしなさい』って。かつてのような罵声も無くて拍子抜けしました。母親の方が『どうしてなの?』とオロオロしてましたけど」


成人して一人暮らしを認められた時はこの上ない開放感に包まれた。今でも盆と正月と親戚の冠婚葬祭ぐらいしか実家に帰省していない。


「お父さんは年を取って丸くなったか弱ったのかねえ?」


「違いますよ、私が医師になって初めて『人間』と認めたからです」

とざらついた声で京子さんが言い捨てるとエーシンはちょっと、とその場から去って奥の部屋に入った。


「エーショー、あれ出して!」「あれって…ニィニィマジか!?」と弟の栄昇に出させたものを確認して「手入れは怠ってないな」と30才の兄に頭を撫でられた27才の栄昇はよせよ!と本気で照れた。


やがて無言で京子さんの横に腰を下ろしたエーシンは両手に三線を構えてすーっと深呼吸をひとつしてから奏でた曲は、フォーククルセイダーズの「悲しくてやりきれない」だった。


三線で弾ける曲はいくらでもあるのにエーシンさんはなんでこの曲を?でも、間違いなく今の私の気持ちを代弁してくれている…


ねえキョーコさん。とエーシンは三線を縁側に置いて、

「俺はキョーコさんほど頭良くないけど、話聞いてて言葉に出来ない程の傷や寂しさや、もう誰にもぶつける事の出来ない恨みと無念を感じたよ。

無理矢理言葉にしても片付けられない想いが積もった時、島の人は唄にしてきたのさぁー…」


生まれて初めて心の澱を解放して泣き出す京子さんの肩をよしよし、と抱き寄せ、8時15分、既に星がひしめき合っている夜空を見上げた。


すわ、エーシンと京子さん急接近か!?


と二人の様子をニヤけて見ていた医学生コンビの横で

「信じられん…ニィニィが12年間封印してた三線弾くなんて」とあんぐりした口をわが手で塞いで驚く栄昇に


「封印してた人がぶっつけで弾いてあんなに上手いの!?ねえ、エーシンさんって仕事なに?」


とコンビの一人、野上くんが灰色の瞳に疑念を宿して迫ったが「夕食の支度できたから集合」という克子オバアの掛け声に中断された。





















































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