キスの予感

 彼女とは家がとても近かった。


 ただ、それゆえに時々顔を合わせると、なんとなく照れくさくてそれまでほとんど言葉を交わしたことがなかった。


 ある日、友だちのひとりが彼女と話しているところに出くわし、その流れで話すきっかけが訪れた。


「よぉ!」


 どう声をかけていいのかわからないまま、友だちの手前もあって、僕はそんな風に気さくな感じで声をかけた。


「Kとは、今までほとんど話したことなかったよね」


 彼女は、皆が僕のことをそう呼ぶのと同じように「K」と呼び捨てで僕を呼び、親しげに微笑んだ。



--- なんとなく一気に距離が縮んだような安堵感



 それから、僕たちは、近所で会うと声をかけあうようになっていた。


◇ ◇ ◇


 ある日、僕たちは男女数人で近所の居酒屋でお酒を飲んでいた。


 それまでほとんど話をしたことがなかったのに、お酒の力も手伝って、僕たちはいつの間にか何年も前から友だちだったように意気投合していた。


「あたしね~ちょっと恥ずかしいんだけどね~」


 彼女は、酔った勢いというか、突然そう切り出して、「悩んでることがあるの」と、突然真面目な顔をした。


「言えよ、聞いてやるからさ~」


 僕が調子に乗ってそんな風にけしかけると、酔っ払った彼女はケラケラ笑いながら「じゃあ言うぞ~」と叫んで僕を見た。



--- Kってさ、キスしたことあるの?



(は???)


 あまりにも突然の質問で僕は答えに詰まった。


 ところが、僕の返事はどうでもいいという感じで彼女は、吐き捨てるように続けた。



--- あたしはね・・・まだないの・・・この歳になっても・・・



(は???)


(や・・・やばいんじゃない???・・・この展開・・・)


 実を言うと、その頃僕は恋人もいなかったし、「これってチャンス到来?」と内心、爆発的に盛り上がった。


 ただ、彼女は何か僕の答えを待つというより、自分の気持ちを吐き出したいだけという感じでもあった。


 僕は、どう反応するのがベストの回答なんだろうと頭をめぐらせた。


「ねえ、キスってさ、どんな感じなの?」

「あ・・・オレ?」

「うん」

「なんかね・・・気持ちいいって言うか、やわらかいって言うか・・・」

「ふ~ん・・・」


(マジでヤバイ展開かも・・・)


 僕は、やはり頭をフル回転させて、ベストな回答を考えた。

 実を言えば、自分もキスの経験はほとんどなく、えらそうに言える立場でもなかったのだが、こう切り出してみた。


「あのさ・・・」

「ん?」

「あ、いや、もしもさ・・・」

「もしも?

「うん・・・もしも~オレでよければさ・・・」

「は?」

「あ、つまり、ためして・・・みる?」


--- これが、その時僕が考えついたベスト回答だった


「はぁ???」


 しかし次の瞬間、僕は奈落の底に突き落とされた。


「なによそれ」


--- まずい、失敗だ・・・

 

 結局、その夜はそれ以上話が進まず、お開きとなってしまった。


--- 女の心は、まったくわからない・・・


 僕は、自分の反応を自意識過剰と結論付け、とぼとぼと家に帰ったのである。



◇ ◇ ◇


 それから数日後、夜8時過ぎ。


 家には誰もいなくて、僕は玄関の扉を開け放ち、風を部屋に呼び込むようにしながら音楽をガンガン流して開放感に浸るようにマンガ本を読んでいた。


 すると、玄関の前に突然彼女が現れた。


「K!」


 驚いた僕は、ソファーから飛び跳ねるみたいに起き上がり、玄関に駆け寄った。


「なに?」


 彼女は、少し恥ずかしそうにしながら「今、いい?」と言った。


「うん、いいよ、どうした?」


 そうして僕たちは、そのまま路地に出た。


「あのね、この間の話楽しかったからね」

「この間の話?」

「うん」


(キスの話か!!!!)


 まさかの展開に心が躍った。


「いいね、しようしよう、どっかでゆっくり続きを話そう!」


 そうして僕たちは、クルマに乗って川沿いの人気のない場所に出かけ、クルマの中でこの間の話の続きを始めた。


--- その後は、何を話したかまったく記憶がない。


 頭の中は、ベストタイミングを探ることでいっぱいで、もう話の内容なんてどうでもよかった。


 やがて僕は、助手席の彼女の肩を抱くようにして引き寄せた。


 彼女は、突然の僕の動きに体をこわばらせ、避けるように僕の手を振りほどいた。


(あれ・・・だめなのかなぁ・・・)


「ははは・・・」

「へへへ・・・」


 彼女は、笑ってる。


(もう一回だ!)


 今度は、少し強引に助手席に覆いかぶさるみたいにして、彼女の顔に顔を徐々に近づけてみた。


--- 唇と唇の距離が少しずつ縮まっていく


 彼女の緊張が僕の手のひらに伝わってくる。


 そして、唇が重なると思ったその瞬間、「やっぱだめ~!!」と叫んで、彼女は僕の顔を両手で強く押し、体を起こした。


「やっぱだめ・・・」


(やっぱだめ????)

 

--- な、なんなんだ・・・


 意味がわからなかった。


 その不思議な夏の夜の出来事は、今でも不可解なミステリー^^


 その後、僕と彼女は、なんとなく一定の距離を置くようになり、やがて彼女はどこかに引っ越して行ってしまった。


 期待はずれのキスの予感。


 事実は小説よりも奇なり・・・。まあ、こんなもんでしょう~^^

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