Play love【完全版】

hibana

Play love【完全版】

「ボニーとクライドっていう男女の、恋愛映画ラブストーリーがあったでしょう」

「お前、あれをラブストーリーだと思ってたの?」


 タイトなジーンズ生地のスカートを伸ばしながら、「違う?」とナタは眉をひそめてみる。隣のミツルが、車のハンドルを切りながら「ウケんな、お前」と笑った。笑われて、何だか気に入らなくて、ムッとする。


 ウケない。面白い話なんてしていない。


「ねえ、わたしが銀行を襲ってと言ったら襲う?」と尋ねる。

「馬鹿だね。一人や二人を殺したくらいじゃ銀行強盗なんて成功しねえぜ、時代が違う」と答えがあった。

「気持ちの話よ。そういう覚悟はあるかって聞いたの」

「銀行を襲う覚悟が? 失敗してもいいんなら、そんなもの幼稚園児でもできる」

 そんな事を言ってミツルは、馬鹿にしたように鼻で笑った。


 彼と出会ったのはつい1日前の事だった。



 ナタは実の父親に軟禁されていた。

 ミツルはそんなナタを助けてくれたのだ。かつてナタの父親であった死体を指さして、「こいつに娘がいたとは知らなかった」とミツルは言った。何も言わないナタに、彼は笑いかけてくれた。

『銃を一丁。それから弾を十分な数。それがあれば、誰だって人生を変えられる』

 歌うようにそう言ったミツルに、ナタはひどく心を奪われてしまっていた。人生を変えたかった。だからナタは、自分も連れて行ってほしいと頼み込んだのだ。

 恋だと思う。あの暗い部屋の中で、ミツルはあまりに眩しかった。



 お前は、とウィンカーを出しながらミツルがナタを横目で見る。

「俺と一緒にハチの巣にされる覚悟があるのか?」

 あの映画のラストを、ナタは思い出していた。あまりいい気持ちではなかったけれど、それでも自分から出した話題だ。ナタは神妙な顔でうなづいた。「だってわたしにはあなたしかいない」と呟いて。ミツルが大笑いして、「生まれたばかりのヒヨコがよく言うぜ」とナタの髪をくしゃくしゃに撫でた。

「馬鹿な娘だ。お前が好いたのは、俺ではなく俺の行う不道徳だろうに。お前はいざとなれば腰が引けて逃げ出すだろう。ハチの巣にされる前に理解わかればいいなぁ、ナタ」

 それからハンドルを指で叩きながら「まあ、俺もお前のことが好きだよ。愛してる」と冗談っぽく片目をつむる。きっと誰が見ても、それが質の悪いジョークだとわかっただろう。ナタにも、わかった。



 幼いころから、部屋の中でずっと映画ばかり見ていた。そんな映画の中で見たような街が、いま目の前に広がっている。車を停めたミツルは、「お前そろそろトイレに行って来いよ。漏らされたら困る」と言いながら歩いて行ってしまった。

 そんなことを言われても、トイレの場所もわからない。もじもじしながら、ナタは車の前で彼を待つ。


 しばらくすると、通りがかっただけの知らない男が「何をしてるの?」と声をかけてきた。ナタはそれを黙殺する。

「あんた、別嬪だけどひどい格好だ」

 げらげら笑って、男は歩いて行く。顔を真っ赤にして、ナタはうつむいた。


 戻ってきたミツルが、「ちゃんとトイレに行ったのか?」と顔をのぞきこんでくる。その腕には、食料の入った袋が抱かれていた。思わず「わたしの恰好、恥ずかしい?」と尋ねる。ミツルはナタを上から下までじっと見た末に――――「来な」とだけ言ってナタの手を引いた。



 新品のワンピースを着て、ナタは温かいココアを飲む。

 昨夜は街のホテルに泊まった。朝になるとミツルは、少しばかりの小銭をナタに渡して「俺は人に会う約束だから、お前は茶でも飲んでろ」と言って出て行ってしまった。仕方なくナタはカフェに入って、こうして暇を潰している。


 店の客が歩いてきて、なぜかナタの横で足を止めた。

「昨日の子だよね」

 ナタも顔を上げて、男を見る。なるほど、昨日ナタに声をかけてきた男だ。男は笑って、「昨日は失礼なことを言ったね。君は可愛いよ」と肩をすくめて見せる。ナタはまた顔を赤くした。


 男は、ジルと名乗った。

「よければ一緒に食事でも」とジルが誘う。

「でもわたし、お金を持っていない」

「いいよ、美人を食事に誘うのに十分な金はある」


 彼について行ったのは、お腹がすいていたからだ。断じて、恋愛映画ラブストーリーに憧れていたからじゃない。



 目が覚めた時、ナタは裸だった。安いベッドは動くたびに軋んでうるさかった。

 隣でジルが服を着ながら「初めてならそう言ってくれればよかったのに。そしたらもっと優しくした」と肩をすくめた。どうやらそれが彼の癖のようだった。

「わたしのこと好き?」とナタは尋ねる。「好きだよ」とジルがすぐに答えた。

「好きだからヤったんだ。もちろん、そうに決まってる。これが恋だし愛だよ、ナタ」

 ナタは膝を抱えて目を閉じる。たくさん痛かったし、怖かった。それでもこれが、人々みんなの言う愛。


 初めて人から愛された。


 ホテルに戻ったナタを見て、ミツルはただ顔をしかめただけだった。「何してた?」と言われたので、ナタはひどく疲れて首を振りながら「何をしていたかよくわからない」と答えた。



 たくさん、色々なことを考えた。ミツルのこと。ジルのこと。

 ナタは、ミツルのことを好きだと思っていた。でもミツルは、ナタのことを愛さない。その視線に真剣さはなく、いつ捨てられてもおかしくはない。

 ジルはナタを愛してくれる。憧れていたような“普通”の恋ができる。


 ジルに恋をしているだろうか。ミツルを愛しているだろうか。

 わたしは、わたしは。


 ただ一つ言えるとすれば。実際のところナタには、ボニーとクライドのようなラストを迎える覚悟などないということだった。



 夜、街に出たナタをジルが待っていた。他愛のない話をしながら歩く。といってもナタには映画の話題くらいしかなく、彼は「映画はあまり見ないけど、君が好きなものなら見たい」と言った。

 それからジルはナタに口づけて、服を脱がせてもいいかと聞いてきた。ナタはどうして外でそんな話になるのかわからなかったけれど、「うん」と小さくうなづいた。


 二度目の行為も、決して心地のいいものではなかった。ナタの体を貪るジルばかり、酔っているように舌足らずな言葉を紡いでいる。愛の言葉だ。映画でたくさん聴いた。


 なぜだろう、涙があふれる。『愛してる』と言われたかったナタは、今それを言われて泣いている。映画ではあんなに大切だった言葉が、こんなに安く手に入るとは思わなかった。あんなにも手に入れ難かった愛が、こんな風に外で晒されて、まるでゴミみたい。


 コツコツと、足音が聞こえる。「人が来るわ」とナタは、ジルを止めようとした。だけれどジルは熱っぽい瞳で「それが何か?」と首をかしげる。

 足音は様子を見るように止まって、それから真っ直ぐにこちらへ近づいてくる。ジルのすぐ後ろに人が立って、ようやくジルは「何だよ」と威嚇した。そんなジルの頭に、何か突きつけられる。ナタからはよく見えた。銃だ。


 血が飛び散った。ナタの顔にも、べったりと。ジルがゆっくりと倒れる。


 ミツルは穏やかに、「服を着ろ」とナタに言った。

 茫然とするナタを放って、ミツルはジルの体を引きずっていく。何か歌うように囁きながら。まだジルには息があるように見えた。まだ、生きているように見えた。


 怖かった。初めて怖いと思った。こわくて、こわかったけど。

 ジルを愛していたから。彼との行為は楽しいものではなかったけれど、それでもジルは私を愛してくれたから。『愛してる』って真剣な顔で言ってくれた。嘘じゃなかった。だから。


 ナタは震えながら、転がっていたゴミ箱を持ち上げる。声を殺して、後ろからミツルに近づいた。ナタは唇を噛んで、それを振り下ろそうとする。

 ゆっくりと、ミツルが振り向いた。ゴミ箱を当たり前のように受け止めて、放り投げる。屑が辺りに散らばった。


「おいで、ナタ。馬鹿な娘……この男に愛されていると思ったのか?」


 ミツルはナタの襟のあたりを掴んで抱き寄せる。「俺とお前はよく似ている」と軽薄な声で笑って。

「覚悟があるかとお前は言った。いいよ、ナタ。俺はお前の為なら死んでもいい。でも俺が死ぬまで、お前は俺を愛していたんだと思い込ませてくれ。そう、最後まで騙してくれよ」


 キスをした。初めてのキスを上書きするような、深いキスだった。


「愛しているよ、ナタ。死ぬまでな」


 もう、

 もう、わからないよ、パパ。

 パパのこと大嫌いだったけど愛してた。わたしのこと、一度も愛してくれなかった。みんなに見られるのが恥ずかしい子供だからって部屋に閉じ込めたの。わたしのこと『馬鹿』って言って怒った。

 この人だって、わたしを愛してくれない。パパを殺したの。それから、わたしを愛してるって言ってくれた人も殺したの。何度も『愛してる』って嘘をつく。だけど、わたしのこと、『馬鹿』って言って許してくれたの。

 わからないよ、わたしにはこの人しかいなくなっちゃった。


 ミツルはジルの死体を車のトランクに詰めて、ナタのことも助手席に座らせて、その晩のうちに街を出た。ナタは一晩泣いた。何が理由でこんなに悲しいのか、自分でもよくわからなかった。

「そんなに、あの男のことが好きだったのか」

「何が悪いの」

「ヒヨコちゃんなんだからしょうがねえわな」

「うるさい」

「ヒヨコはな、初めて見た相手を親だと思ってなつくんだとよ。お前のそれは、ヒヨコの勘違いと一緒だ。あの男の愛も勘違いだし、お前の好意も勘違いだ。くだらねえ、俺だけが正気だ」

「あなたが正気? ふざけないで。狂ってる」

 ミツルはけらけら笑う。それからはもう何も言わずに、ただ車を走らせ続けた。



 ジルの死体を捨てた日、ミツルはぽつりと「金が尽きる。仕事をしないとな」と呟いた。そういえばナタは、ミツルが一体どうやって資金を得ているのか知らなかった。

「仕事って?」

「お前の父親を殺したのも、仕事だった。今まで何人も殺したが、そのたびに許されてきた」

「誰に」

「俺が、俺を許したんだ。生きるためなら仕方がない。そうだろ?」

 そう肩をすくめて見せるミツルに、ナタは瞬きをしてゆっくりと首を横に振る。


「他の誰も許さない」

「他の誰も関係ない」

「あなたは罰を受ける。必ず」

「あんなにはしゃいでいたお前がそれを言うのか。俺の行いに惹かれたお前が」


 言葉に詰まったナタは、食べかけのパンをミツルに投げつけた。彼の腕にぶつかって、落ちる。ミツルは「勿体ないことをするな」と、初めて声を荒げた。

「あなたなんて大嫌いよ。好きだったことなんて一度もない。それこそ勘違いだわ。わたしはヒヨコじゃない。あなたが勝手に……勝手にこんな風にしたのよ」

「違う。お前が俺について来ると言ったんだ。お前には俺しかいない。駄々をこねるな、右も左もわからないくせに」

 何も言い返せないことが悔しかった。ミツルは落ちたパンを拾い上げ、土を払って食べ始めた。沈黙が痛くて眠れもしなかった。


 神の存在などひとつも知らないナタは、しかし誰もがそうするように神に祈ったりもした。何を祈ればいいのかもわからずに、ただその日からは、ミツルという男に相応しい罰が与えられますようにと。ナタは祈ったのである。



 そんな日が、待ちに待ったともいえるそんな日が、ついに来た。


 食料の調達に訪れた街の真ん中で保安官に囲まれたミツルとナタは、建物の陰に隠れて座り込む。腕をやられたらしいミツルは、ただぼんやりと、空を見ていた。


「昔、ガキの頃、飛行機乗りになるのが夢だった」

「……こんな時に、する話なの?」

「空を飛ぶ乗り物ほど、自由なもんはない。お前、なんか夢はねえのか」

「女優」

「なれるといいな」


 ミツルはしげしげと自分の銃を見て、「3発だ」と呟く。そこに物事を悲観するような響きはなく、どちらかと言えば弾がまだあることに驚いているようにも見えた。

「降伏すれば」

「死刑だ」

 言いながら、ミツルは笑う。「飛行機乗りのいいところはな、落ちれば一瞬で死ねるところだよ」と冗談めかして肩をすくめた。


「あなたは、」

「お前さぁ」


 まるでナタの言葉を遮るように、呆れた声をミツルは出す。


「結局、一度も俺の名前を呼ばなかったな。俺自身には何の興味もなくて、名前すら覚えてないってオチか? コノヤロウ、いくらなんでもあんまりだ。お前が女優になったって握手なんかしてやるもんか。レッドカーペットを歩くお前を指さして、『名前も知らないが、有名な女優なのかい。何の映画に出てた?』ってデカい声で言ってやる」


 そう一息にいって、ミツルは楽しそうに笑った。子供が腹を抱えて笑うのと同じ声だった。

 茫然とするナタの頬を撫でて、「ナタ、俺の可愛いクソガキちゃん」と愛し気に目を細める。


「どうだよ、俺とハチの巣にされる覚悟は?」

「……ない」

「じゃあせめて、俺を好きだと言えよ。愛してるってさ。そう信じて死んでやるから」

「好きじゃない。愛して、ない」


 血で濡れた彼の指が頬を撫でるたび、うるさく胸が高鳴った。ミツルはじっとナタを見て、「一度も思い通りにならなかった」と静かに囁く。


 そして彼は億劫そうに立ち上がり、ゆっくりと建物の陰から出て行った。


 しばらくして、銃声が聞こえる。それは彼の銃が喚く音なのか、他の誰かのものなのか、ナタにはわからなかった。

 何発も、何発も。ミツルの弾は3発。もう、なくなっただろうか。

 自分の服に、奇妙なシミができていることにナタは気づいた。またひとつ、滴が落ちてワンピースにシミができる。ミツルがナタに買った、白いワンピースだ。

 その滴が自分の目からあふれているのだとわかって、ナタはどうしようもなくその場にいたくなくなった。立ち上がって、離れようとする。


 銃声がうるさい。


「…………正気じゃないわ」


 彼の不道徳を好いた。彼の不道徳がたまらなく怖くなって、嫌おうとした。彼自身のことは、一度も見ようとしなかった。

 ねえ、大嫌いな人に今すぐ会いたいって普通は思う?

 ねえ、恋の理由も愛の定義も、誰も教えてくれなかった。あなたの愛の言葉が嘘くさく見えたのは、わたしが今まで見てきたものの方が全て嘘だったからかもしれない。

 答えてほしかった、今ならあなたの気持ちが痛いほどわかる。『愛している』と言ってほしい。それだけを信じて、最後まで信じて――――嘘でもいいから、あなたに愛されていると思い込みたくなった。この衝動の名前を誰も教えてはくれない。


 ミツル、

「ミツル……っ」


 あなたの名前、ちゃんと覚えている。だけどあなたのことは最後まで見えていなかった。


「ミツルっ」


 激しい銃声の中、ナタは彼の背中を追いかける。白いワンピースが揺れるのを、保安官たちが愕然としながら見ていた。


 映画で言うならラスト10分。ナタは映画館に入ったことがないから、エンドロールで席を立つ人々のことを知らない。

 彼に、ナタの声は聞こえていただろうか。『馬鹿な娘』と彼は言っただろう。あなたも大概よ、とナタは、泣きながら笑った。もう何も見えない。頭の中で、何度も見た映画のエンディングが流れている。



 レッドカーペットを悠々と歩くナタを見た若い飛行機乗りが、「あの美人は誰だ?」と周囲のファンに尋ねていた。ナタは彼の前に立って、不敵に笑う。「いつまでもヒヨコちゃんじゃないのよ」と。

 それすらも映画の中。わたしがあなたのヒロインをやってあげる。

 そんな夢を見た。薄れゆく意識の欠片で、そんな夢を。

 許してくれるかしら。右も左もわからない馬鹿なのよ、わたし。たとえ女優になったって、わたしにはあなたしかいないみたいなの。だけどあなたがわたしを許してくれるなら、たったひとりで自分を許しながら生きてきたあなたのこと、今度からはわたしが許してあげる。わたしね、

 微笑みながら、ナタは心の中で呟く。


 今度こそあなたと、恋愛映画ラブストーリーをしてみたいの。

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