第3話 なぜテンプレを求めるのか ―良いテンプレ、悪いテンプレ―
異世界転生系のスタートはほぼ同じ。展開もまぁ大枠では同じ。
テンプレ、とよく言われますよね。
成り上がって、バトルして、おにゃのこにちやほやされる。口の悪い人は権力(内政系)、暴力(バトル)、セックス(恋愛)の要素をこれでもかとぶち込んでるとも言いますよね。
そういうの私は大好きだ。でも、それ、人には言えないっすよね。だってそういうゲスい話を大好きだ、と公言してるも同然だから。
言い方を変えると、
異世界ものは批評としては単純には褒めづらい
という事になります。
批評的な言い方って、つまりは他人に伝わるように平明な言い方、という意味なので。とすると異世界ものって批評的に扱うと「権力、暴力、セックス大好きな話だよ!」という所から始めるしか無い。これはいかにもつらい。そら評価されませんわ。
でも「権力、暴力、セックス大好きな話」が私たちの求めているものなんでしょうか?
そういうテンプレを求めるのはわかります。わかりますが、じゃぁ、なぜテンプレ的な先の読める話を飽きもせんと大量に読むのか。読めるのか。
それは我々は実はテンプレ部分は読んでないんからじゃないでしょうか?
実は私はテンプレ異世界もののプロローグから異世界転移したアタリまではあまり真剣には読みません。(もちろん書いている側がこういう部分を手抜きすると絶対に分かるので、ちゃんとした作品はこういう所だって手を抜きません)
それよりも手つきというかなんとなく「この話は気持ちいい」「この話は気持ちよくない」という印象で読み進める訳ですよね。皆さんもそうだと思いますが。
で、その「気持ちよさ」って分解出来ないもんだと思うんです。いくらお話の主人公がさわやかな良い奴でも「なんか読んでて気持ち悪い」となったり、逆に下劣な主人公でも「読んでて気持ちいい」となったりしますしね。
結局明確に言語化できない、書いた小説をすべて読まなければ伝わらない「何か」を求めているからこそ私たちは長大な小説を読む。あるいは書く。
読んでて「気持ちよい」その理由がわからないからこそ、その謎を解きたくて今日も私たちは小説を読む。あるいは書く。
大体、そういう「気持ちよさ」を明確に言語化できるならA1の紙にでかでかと書いて貼って置けよ、わざわざ小説よまんでもいいじゃん、という事になる。(byしゅのーせんせー)
結局テンプレにだって、良いテンプレと悪いテンプレがあって、その良いテンプレを探すために私たちは今日も小説を書く。書くことでその良いテンプレを探す旅に出るのです。
・・・・俺は別に小説書かないけどな!
===
余談。
しゅのーせんせーとは殊能将之の事です。消滅したWebサイトにそういう事が書いてあったのです。
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