良くない報せ

『イオナさん、ヨークさんを迎えに出掛けなくていいんですか?』


 帰還予定週の最終日。

 未だにヨークさんは、イオナさんの元へ戻って来てはいない。


「……そうね……そろそろ迎えに行かないとね……」


 そう言いつつもイオナさんは、椅子に座ったままでダイニングテーブルに突っ伏していた。

 そろそろ出掛けないと広場へ馬車が到着する時刻に間に合わなくなってしまう。

 それは僕も彼女にも分かっている事だった。


 イオナさんは恐れていた。

 最終日になってもヨークさんが帰って来ないかも知れない可能性を……。

 帰ってくるとしたら喜んで迎えに行かなければならない。

 でも、もしも最終日なのに帰って来なかったら……。

 そう考えてしまって足を動かせずにいるのだ。


「ねえ……マモルくん……」

『なんですか?』

「……代わりに行ってきてくれない?」


 いや、僕は動けませんよ?


『僕一人じゃ無理ですよ』

「そう……だよね」

『イオナさんが眠ってさえくれれば、代わりに動けますが……』

「そっか……」


 イオナさんは、ゆっくりと瞼を閉じる。

 しばらくの間、静かな時間が流れた。


「ごめん……眠れないわ……」

『そうですか……』


 ここ最近の彼女は、精神的なストレスのせいか軽い不眠症に掛かってしまっている。

 綺麗な顔の両目の下には、わずかながらクマができていた。

 それでも眠れないのだ。

 きっと僕なんか想像できない程につらいのだろう。


 重たい空気のままで、ほんの小一時間ほどの流れが永劫にも感じた。


 既に馬車は到着しているどころか、広場から厩舎に帰ってゆく頃だろう。

 ヨークさんが広場から歩いて帰ってくれば、ちょうど今頃は、この自宅に……。


 ダン! ダン! ダン!


 玄関の扉を外から強くノックする音がした。


 イオナさんは、ぱっと目を見開いて顔を輝かせると、飛び跳ねるように椅子から立ち上がり、玄関へと駆けていった。


 そして内鍵を外すと扉を開けて……がっくりと肩を落とす。


「イッコマさん……」


 玄関をノックしていた人物は、ヨークさんでなくイッコマさんだった。

 彼は何か筒状に巻いた紙を右手で握り締めている。

 その顔は青ざめていた。


「向こうの記録が古かったせいか本来なら、このヨークの家に届くべき書面が、わしの住む道具屋に届けられた」


 イッコマさんは、ゆっくりと右手を挙げて突き出すようにイオナさんへと巻紙を渡す。


「いいかい、イオナちゃん……落ち着いて中身を良く確認してくれ……」


 イッコマさんは哀しそうな表情でいる。


 なんだろう?

 この書面にはヨークさんの延長契約の連絡でも書かれているのだろうか?

 それにしてはイッコマさんの様子が変だ。


 僕は、とてもイヤな予感がした。

 それはイオナさんも同じだったようで、受け取った巻紙を震える手で拡げる。


 そして上から下まで書いてある文章に、ゆっくり目を通し終わると、そのまま崩れ落ちた。


『イオナさんっ!?』

「……ヨークが……あの人が……帰って来ない?」


 ……えっ?


『それは、どういう事ですか?』


 心の中で尋ねたが、彼女からの返事は無かった。

 イッコマさんはイオナさんの左手を取り、彼女の腕を自分の首の後ろに回して、ゆっくりと労わるように立たせた。


「とにかく、中で話そう」


 彼は彼女を支えつつ応接間へと向かう。

 イオナさんをソファに座らせると、イッコマさんは彼女の隣に座った。

 イオナさんは力なく背もたれに寄りかかり、イッコマさんは彼女の手を優しく握る。


「イオナちゃん……これから、どうするんだい?」


 ビクリと、イッコマさんの握るイオナさんの手が震えた。


「……どうする?」


 心がここにない状態で夢遊病患者のようにイオナさんは、イッコマさんに尋ね返す。


「ヨークの奴は死んじまった。おまえさん一人で、これからどう生活していくのかって、話だよ」

「死んだ……ヨークが……?」


 ヨークさんが死んだ!?

 あの書面には、そんな連絡が書かれていたのか!?


 イオナさんの瞳は潤んでいたようだが、涙は流れてこなかった。

 あまりにもショックが酷すぎて、現実が受け止められずに泣く事さえ忘れてしまったかのようだ。


「これから、この家の借金を抱えて一人で生きていけるのかい?」


 ……イッコマさん、何を言って……?


 彼は一見、親切そうにイオナさんに囁く。


「借金……」


 イオナさんの声に確かな、はっきりとした意識が戻るのを感じた。

 しかし、その声は絶望で震えている。


「無理……あんな額を毎月なんて……一人でなんて、払えっこない……」


 イッコマさんは、彼女の言葉を聞いてニヤリと笑う。

 その笑顔は、オークのそれを彷彿とさせた。

 イッコマはイオナさんの首の後ろから片手を回して、そっと優しく肩に置いた。


「なあ、イオナちゃん? こんな時に、こんなに直ぐに相談する話でもないが……わしと再婚する気はないか?」


 ……なっ!?


「……イッコマさん……何を言って?」

「わしも連れ合いを亡くして久しい。子供もおらん。おまけにヨークやイオナちゃん、ユイナスちゃんの三人に巣立たれて、自宅で独り暮らしは寂しいんだよ」

「……でも、私……イッコマさんの事は、父親のように思って……」

「それで、いいさ。また、父親のように頼ってくれて……女房に苦労させていた頃と違って、今は道具屋としての収入も安定している。不自由はさせないよ?」


 イオナさんの肩に回していない方のイッコマさんの手が、彼女の太腿を覆うスカートへと置かれた。


「ただ、夜は妻としての務めも果たして欲しい……それだけなんだよ」

「そんな……」


 イオナさんはイッコマさんを拒絶するかのように、両手を使ってスカートに触れている片手を押し退けようとする。


「連れ合いを喪った寂しい者同士で慰め合おうじゃないか?」


 イッコマさんは再び片手に力を込めると、今度は彼女の太腿をスカート越しに撫で回し始めた。

 肩の方に置かれた手にも力を込めてイオナさんを自分の方へと抱き寄せる。

 イオナさんは両手でイッコマさんの胴体を支えるように押し返して、彼を自分から引き剥がそうとした。


「……借金は、どうするんだ?」


 尚も拒絶するイオナさんに対して苛立つように、だけど静かに重く諭すような声で、イッコマさんは尋ねた。


「……この家を売って……独り暮らしをしながら働きます」

「なるほどな……だが、買った値段より安く売った金でローンを返すとして、果たして何年もつだろうかな?」


 イッコマさんは意地悪く楽しそうに、イオナさんの甘い考えに疑問を投げかけた。


「ましてや、旦那が傭兵で戦地で死んだ未亡人……不動産屋に足元を見られて安く買い叩かれるのがオチだろうよ」

「……」

「イオナちゃんも、もう大人だ。独りで生きるというなら結構な話だが、俺の女房にならないというのなら不動産屋との交渉なんかも、いっさい手伝わないぜ?」

「……イッコマさん」


 イオナさんは助けを求めるようにイッコマさんに顔を向ける。

 しかし、彼は楽しそうに笑うだけだった。


「それで、その後はどうやって暮らすつもりだ? 今の仕事の給金なんざ亭主の稼いでくる生活費の足しにしかならんだろ? いっそ、身体を売るか?」

「そんな……」

「だが、それも若い内なら持て囃されるだろうが、歳を取ったら稼ぎが悪くなる一方だぜ?」

「……」

「他の色々な男に股を開いて粗末に扱われるぐらいなら……な? 分かるだろ? 俺なら一生をかけて大事にしてやる。道具屋の跡継ぎだって欲しいしな」


 イッコマさんは太腿を撫でていた片手を上げて、イオナさんの上着の襟元から彼女の胸へと、その手を滑り込ませる。

 イオナさんは抵抗もせずに受け入れた。

 彼女の両手はイッコマさんを押し戻すのを止めて、今はスカートの上で力なく開いている。

 何もかも諦めてしまったかのように、彼女の身体中の力が抜け落ちていた。


「じゃあ、イオナちゃん……いいんだね?」


 イッコマさんの手が、イオナさんの服の中で彼女の胸を下着の上から軽く揉んでくる。


 イオナさんは静かに、だけどハッキリと頷いてしまった。

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