以心伝心

 そして、ヨークさんが出掛けてから、ひと月が経とうとしていた。


『ふんふ、ふんふ、ふ〜ん』


 イオナさんは楽しそうに鼻歌を心の中で奏でていた。


『嬉しそうですね?』

『だって、やっと帰って来るんだもん』


 彼女の心の底から楽しげな言い方に僕も嬉しくなってくる。

 今日からヨークさんの帰還予定週だった。

 隣国と魔王軍の戦争が終わったわけじゃないけれど、今回のヨークさんは一カ月間の契約との事だった。

 戦況によっては延長契約が、その場で結ばれたりもするらしいけど、その際は家族に書面で連絡が来るようになっているらしい。


 イオナさんはスキップするかのように早足で商店街を歩いている。

 帰還を祝うためのご馳走の材料を買い出ししているのだった。


『でも、本当に初日に帰って来るんですか? 明日や明後日になったりしませんかね?』

『なによう、この楽しい気分に水を差すような事を言うわね』

『あ、ごめんなさい……そんなつもりじゃ……』

『んふふふ、冗談よ?』


 イオナさんは露店に並べてある商品を物色しながら答える。


『いつも帰還週の初日の乗合馬車で帰ってくるのよ? だから今回も、きっとそう』

『へえ、愛されているんですね』

『やだぁ〜、もう〜、やっぱり、そう思っちゃう?』


 イオナさんは買い物袋を片手で持ったまま、両手を頬に当てて身体をくねらせる。


『イオナさんっ! 周りの視線が……』

「あっ……」


 露店の前で嬉しそうに身体を揺らすハーフエルフの女性を周囲の人達が何事かと見ていた。


「お、おほん!」


 彼女は、わざとらしく咳払いをした。


「こ、これと、これと、これを下さいな」

「はいよ」


 イオナさんはデザートの果物を三種類ほど買う。

 店主は彼女の行動を別に気にも止めずに商品を紙袋に入れると、お金を受け取ってお釣りを渡してくれた。


「毎度あり」


 店主の挨拶に片手を振って応じつつ、イオナさんは次の店へと向かう。


『それにしても、こうして僕と会話するのも慣れてきましたね?』

『結構ラクちんよね。他の人に聞こえずにマモルくんと相談できるのがいいわ』


 実は今、彼女は口から声を出さずに心の中でだけ僕と会話をしている。

 これで外で僕と話している時に、周囲から独り言を呟いている怪しい女性みたいに見られなくて済んでいた。

 お互いの考えている事が分かるわけではない。

 ただ心の中で声を出すイメージをすると、彼女が僕に触れている時に限り会話が成立するのだ。

 イオナさん的には精霊に話し掛ける時の感覚に似ている、という事らしい。


『さしずめマモルくんは、貞操帯の精霊さんという所かしらね?』

『なんだかトイレの神様みたいで、ちょっとイヤですね……』


 僕の答えにイオナさんは、クスクスと笑った。

 イオナさん自身は強力ではないが幾つかの精霊魔法を使えるらしい。

 夜中に彼女がトイレに向かう際に呪文を唱えると、手の平の上に黄緑色の淡い光が浮かびあがったのには僕も驚いた。


 イオナさんは自宅でトイレや風呂に入る時は金庫から鍵を取り出して僕を外してしまう。

 その時に彼女はトイレの中から、こう言った。


「ごめんね、前世が人間の男の子だって考えると、やっぱりここだけは恥ずかしいから……」


 普通の会話は離れていても成立する。

 僕は廊下の上に置かれたままで彼女に答えた。


『構いませんよ? こうして外で見張りをしていて何かあったら教えますから……』

「助かるわ、ありがとう」

『個室なら小さな通気口があるくらいだから、突然の侵入者に襲われる心配もありませんしね』

「そうよね」


 そんな事を想い出していると、イオナさんが酒屋に入って行った。

 彼女は葡萄酒の瓶を手に取って値段を確認する。


『ヨークさんが帰って来るからって、あの時みたいに飲み過ぎて泥酔しないように気を付けて下さいね?』

『あの時って?』

『この間、職場の皆さんと飲み会に行った時の話ですよ』

『ああ……あれ……』


 飲み会で酔っ払ったイオナさんは、職場の同僚の男性にお持ち帰りされそうになってしまったのだ。

 ホテルのベッドの上に横になった瞬間に眠ってくれたので何とか交代する事ができた。

 しかし相手は酔っ払っていたとはいえ彼女を強引に連れ込んで襲おうとしたのでは無い。

 殴り倒して逃げたらイオナさんが犯罪者になってしまう。


『大変だったんですから……ひと言も喋らずにジェスチャーだけで、お断りするの』

『わ、悪かったわよぅ』


 なんというか……イオナさんは何だかんだ言って意外と隙だらけな女性だった。

 今まで無事だったのが不思議なくらいだ。


 ……僕が来る前に無事じゃなかったケースも、もしかしてあったのかな?


『それじゃあ、そろそろ一度だけ家に戻りましょうか?』


 購入した葡萄酒を買い物袋に入れて、イオナさんは僕にそう伝えた。


『そうですね』


 僕が同意すると彼女は、帰宅の途につくのだった。

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