第4話

 ワムスに安全そうな場所を見繕ってもらって、全員で野宿の夜を迎えた。

 少し肌寒さを感じたけど、疲労もあってかすぐに眠りにつけた。

 『起きたら、アクシルに寝顔を見られていた』のワムスの言葉がよぎったけど、配慮する余裕もないまま眠っていた。

 オレらがいるのに、さすがにやりはしなかっただろ。オレが起きた頃にはアクシルは起きていて、真偽はわからなかった。なにもなかったと信じよう。戦いで活躍を見せて、疲労を癒すようにおだやかに眠るワムスにはなにもできなかった。きっとそうだ。

 朝、明るくなった世界を見回したワムスは、ぽつりと口を開いた。

「見覚えのない場所だ」

 ワムスの案内に頼れる時間は終わったか。今まで頼りすぎだった。解放できてよかったと思うべきか。

「適当に歩くしかないかな」

「すまぬ」

 パルのぼやきを曲解したのか、ワムスは肩を落とした。

「誰も責めていないよ。歩いていたら、どこかにはつくんだ」

 アクシルの激励には、ワムスは強い反応を示さなかった。洞窟前のひどいやりとりを忘れさせるほどだ。いつもの言動はどうであれ、ワムスを思う気持ちは強いんだな。

「南西はこっちのようだが、目指すか?」

 指し示して聞いたワムスに、パルは首をひねった。

「洞窟の長さ的に、通りすぎてはない?」

 結構長い間、歩いたように思える。洞窟内でラソン平野を通りすぎたとしたら、ここから南西を目指しても見当違いの場所につくことになる。

「平気だとは思うが、確信はない」

 脳内マップで計算しているのか、ワムスは洞窟を熟視した。断言できない自身の情報を思ってか、表情は明るくない。

「情報収集できる場所に行くのはどうかな?」

 アクシルの提案に乗るのが最適か。誰も土地勘がないから、行く当ては見つけられない。

「この地形だと、北西だろうか?」

 自然に視線を戻してワムスが発したのは、まさかの内容だった。この流れで直感で口にするとは考えにくい。

「わかるのか?」

 土地勘がないのに、見当がつけられるのか?

「木々の種類や見える勾配とかを加味して考えただけだ」

 どんな推測だよ。オレには一切、理解できない。

 断言できないのに、わざわざ口にしたんだ。自分なりに集めたデータにのっとった根拠はあるんだよな。ここまで大活躍のワムスの言葉だ。信じられるように思える。

「北西に行こうぜ」

 反対の声はあがらない。他に当てがないなら、ワムスのデータに頼るのが懸命だ。

 結局、またワムスに頼ることになった。それだけ信頼できる存在になりつつあった。




 ワムスの勘を頼りに進んだら、視界の先に本当に村らしき風景がかすめた。

「すっげぇじゃん」

「さすがワムスだね」

「まぐれでしかない」

 強くほめても、ワムスは喜びを見せない。村が見つかった安心程度は見せてもいいだろ。表情に出ないタイプか?

「村の名前がわかったら、地図が作れるかな」

 村人が地理に詳しかったら、ラソン平野までの道を教えてもらうことも可能だよな。わかりゃいいけど。

 ラソン平野にこだわりはないから、オレはどこについてもいい。パルなら、こだわって地底の果てまでラソン平野を目指すんだろうな。

 そんなパルがわかっているから、オレも『まずはラソン平野を目指すほうがいい』の結論に至る。自由な旅行は、ラソン平野のあとでも楽しめる。

 村に入ってすぐに、村全体をおおう暗い空気に気づく。すれ違う村人すべてから笑顔が奪われたかのようだ。

 家屋や自然に被害は感じられない。天災とかで沈んだわけではなさそうだ。

 1人程度なら『嫌なことがあった』と思える。村人全員から暗いオーラを感じるのはなぜだ? 国柄か?

「平気そうな人に話を聞こうか」

 暗い雰囲気に気づいているだろうに、アクシルは意に介してないかのように発話した。

「聞かないことには、場所もわからないもんね」

 パルまでもが気にしていないかのように返した。パルだし、本当に暗いオーラに気づかなかっただけか?

 ワムスは異質なオーラを察しているのか、不安げに小さく村内を見回している。アクシルはそんなワムスを愛玩の瞳で眺めている。

 少し歩いたけど、村の名らしいものは見つけられなかった。名前を知ったとして、場所がつながるかもわからない。悩むより、聞くのが早いか。

 すれ違った村人すべてが沈んでいた。気軽に聞けそうな人は見当たらない。

 暗い雰囲気は伝わるけど、来た理由は『場所を聞きたい』だ。

 聞くのを諦めて村を出たとして、別の村につける保障はない。見つからなかったら『聞けばよかった』と、この村から伝染したかのような暗い空気が流れる。

 沈んだ村の空気は気になるけど、話を聞くのはオレも賛成だ。相手にしてくれなかったら、別の手段を考えればいい。

 手近な人をつかまえて、村の名前や場所を聞いた。

 わかったのは、求めた情報だけではなかった。

「ひどいものだ」

 この村は、領主の圧政に苦しんでいるらしい。村人の暗い表情の理由だ。

「悪い人は消えないね」

 笑顔のままだったけど、アクシルの声の落胆は隠せていない。

「急ごうか」

 パルは意に介していないかのように出立を進めようとした。

「待てよ! 放って出る気かよ」

 実情を知ったのに、出るなんて。見捨てるみたいだろ。

「できること、あるの?」

 的を射た返しに、反論の口を開けなかった。

「あると思って、動けばよい」

「無意味にしかならないよ。時間の浪費はしたくない」

 気弱を消して強い信念を見せたワムスを、パルはけんもほろろにあしらった。

「自由は人権だ。人権を奪われたら、救うべきなのだ」

「冷たすぎるだろ」

 できることがあるかわからない。でも無慈悲に『先を急ぐ』という選択を選ぶパルは理解できない。理解したくもない。

「騎士に任せたらいいよ」

 パルはあくまでも意見を曲げようとしない。

 村の人から聞いた話で『騎士に助けを求めた』という内容もあった。オレがどうにかしなくても、騎士が対応してくれるかもしれない。だからって、無視して出立していいのか? ひっかかりは残らないのかよ。

「話を聞くだけで終わらせた可能性もある。動いてくれるかもわからんのに、放置はできぬ」

「僕たちが動いて、領主ににらまれたらどうするんだい? なにをされるかわからないよ」

 一向に意見を変えないワムスに、アクシルも対立の姿勢を崩さなかった。

「やれることなんて――」

「よい」

 耳に届けるのを嫌うかのように、パルの声を遮った。

「1人で行く。腰抜けは存分に急ぐがよい」

 駆けて消えたワムス。アクシルは口を開いたけど、声は発せられなかった。たたずむだけで、追いかけようともしない。あれだけワムスに執着していたのに、領主相手だとこれかよ。

「もう道はわかった。行くよ」

 オレの手をひっぱって歩き出そうとしたパルを払って、拒否する。

「見損なった」

 急ぐ目的もない。手をつくせないか、行動を起こすだけでもすればいい。どうしてなにもしようとしないんだよ。

 くるりを背を向けて、ワムスが消えた方角に駆けた。背中に小さくパルの声が聞こえたけど、相手をしたくなくて気づかないフリをした。

 ワムスの姿はすぐに見つけられた。村内にある領主の館の前にいる衛兵に詰め寄る背中があった。

「ここまでする必要があるのか!? なぜ、人の心を持たぬ!?」

「領主様の方針だ! さがれ!」

「誰も幸せになれん方針は認められぬ!」

 小さい背中から聞こえるのは、不均衡なほどに感情が爆発した声。

 今までのワムスとは似つかわない姿に、駆ける足が一瞬だけゆるんだ。でも、あの背中は間違えなくワムスのだ。

 ここまでの感情をぶつけるほど、この村の現状をどうにかしたいと思ったんだ。決意は、オレの何倍も強いんだ。

「うるせぇんだよ!」

 まくし立てるワムスに耐えきれなかったのか、衛兵の手が伸びてワムスの体が後ろにふっとぶ。尻餅をついたワムスに駆け寄って、衛兵をにらむ。

「領主がクソなら、衛兵もクソだな」

 戦闘能力のあるワムスだ。突き飛ばされただけなら、大きなケガはしない。だからって、暴力を振るうかよ。

 力のない村人相手だったら、ケガはまぬがれなかったかもしれないだろ。力を見せつけて、村人の反乱を防ぐ意味もあるのか?

「黙れ! 反逆罪でつかまりたいのか!?」

 血がのぼった衛兵相手だと、話をしても無意味だ。ワムスに手を貸して立たせて、ねめつきながらその場を去った。




 人通りのない場所に2人で座って、なにもない地面に視線を落とす。強い力で押されなかったらしく、ワムスにケガはなかった。

 解決には、少しも近づいていない。

「あの衛兵は話を聞かないだろ」

 聞いてもらえたとして、村全体を変えられるわけではない。館の1人の衛兵を説得しただけにすぎない。

「直談判のみか」

 沈んだ声が刺さる。会ったこともない領主に話をつけに行くなんて。できるのか?

 パルの『できることはない』の言葉がよぎる。違う、できることはある。あんなに冷たいパルの言葉を認めたくはない。

「無力はわかっておる。だが、変えたいのだ」

「わかるよ」

 どんな結果だろうと、立ち向かおうとする姿勢は村人の心に希望として届くはず。無意味にはならない。

 そう信じて、行動に移す。






 2人で情報収集をして、警備の薄い館の裏口の情報をつかんだ。平和な村だから、警備には強い力を注いでいないらしい。よかった。

 警戒しつつ、ワムスと館の侵入に成功した。館内の警備はもっと薄かった。

 足をくるむように長い毛のじゅうたんのおかげで、足音を潜めることに強い注意を払わなくて済む。

 ワムスの察知能力が発揮されたのもあって、発見されないまま奥に進められた。

 その先にあった、あからさまに重厚な扉。隙間を開けてのぞいた視界に、どっしり構える男がいた。あれが領主、だよな?

 ワムスも同じ気持ちだったのか、視線が重なる。現状を変えるには、元凶である領主をどうにかするしかない。ワムスに点頭された。突撃だ。

 開け放った扉から部屋に駆け出す。

「誰だ?」

 急に姿を見せたオレらに、領主は眉をひそめた。

「救世主を目指す者だ」

 はずかしさを感じる言葉を、ワムスは迷いもなく投げた。それだけ強い決意があるんだ。

「雇った覚えはないな」

「願い下げだ!」

 どれだけ好条件を並べられても、こんなヤツにこき使われたくはない。村人を苦しめたくはない。

 あの衛兵と違って、領主はオレらの発言に大きな感情の揺れを見せない。楽しむように口元をゆるめるだけ。

「村人を考えた統治をするのだ! 現状を続けてはならぬ!」

「無知な者に説教されたくはない」

 領主はどっしりと腰をあげて、オレらにゆっくりと近づく。

 座った状態ではわかりにくかった、意外にしっかりした体格があらわになる。身長も高めで、体格だけならここにいる3人の中で最大級だ。

「村人の叫びは、満足に伝わったぜ」

 初めて話を聞いただけだけど、日常の笑顔すら奪われる環境なんだ。放置はできない。

「だからって、こんなことまでするかね」

 あわれなものを見るような目で肩をすくめられた。感情を逆なでするかのような所作だ。乗ってはいけない。平静に。

「直接言うのが早いのだ」

「『他人の家に勝手に入っちゃいけない』って教わらなかった?」

 ねめつくような声に、背筋がぞくりとした。

「逆らっただけで、反逆罪にもなる。どれだけ罪を重ねたら気が済む?」

「罪を重ねておるのは、そっちであろう。村人の悲しみが聞こえぬか」

 強気を崩さなかったワムスの手首が、血管の浮かんだ手につかまれる。勢いに任せて、強引にひっぱられた。力にはかなわないで、ワムスの体がかたむきかける。

「おいっ!」

 乱暴を許すわけにはいかない。

 体格が優れている上に、怒りを買ったとも思えるこの状況。衛兵みたいに、軽い突き飛ばし程度で済むとは限らない。

「罪人はとらえるしかない」

 領主の視線は、ワムスにだけに注がれている。ここまでのことができる相手にとらえられたら、なにをされるかわからない。

 剣を抜こうかと思ったけど、武力をかざしても根本解決にはならない。外したら、ワムスを傷つけることにもなる。

 武器の装備をしないまま、領主に駆ける。

 ワムスの手首をつかむ手にふれるより早く気づかれて、突撃は空振りで終わった。

 失敗だけで済むかと思ったら、背中に衝撃が走る。バランスを崩した体は崩れた。

「なにをするのだ!」

 同時に刺さった、ワムスの声。

 ワムスの危機かと思って、顔をあげる。距離が離れていて、なにもされていない様子だった。オレにされたことを見ての言葉だったらしい。

 突撃した際に背中でも殴られたか。強い痛みはない。威圧程度の攻撃だろ。平気だ。

「襲われそうになったから、自己防衛したまで」

「そう言っていられるのですか?」

 背中から届いたのは、りんとした声。装飾の施された装備の女が、扉の近くにまっすぐたたずんでいた。

「村人の言葉を聞き、調査を進めました。不正を働く証拠はつかんでおります」

 突然登場した女は、領主に紙を突き出した。見た瞬間、領主の顔色が一変する。あの紙は、決定的な証拠か?

「終わりです。同行を願います」






 村に来た別の騎士につれられて、領主は村の外に消えた。

「お2人は?」

 村に残ったさっきの女は、オレとワムスに聞いた。

「事情を聞いて、救うべく行動を起こした」

「同じく」

 『騎士が行動するか信頼できなかったから動いた』とは、言わないべきだよな。

 相談されてから、騎士はずっと秘密裏に調べたんだ。ちゃんとやってくれたんだ。誤解して疑って、悪かったな。内心、謝罪を届ける。

「ご協力に感謝します。こちらは?」

 女の手にあったのは、見覚えしかないペンダント。反射的に首に手をそえる。ふれるはずの指先は、空気しかつかまない。あるべきものがない。

「いつの間に」

「あの部屋に落ちていました」

 いつ落としたんだ? ヒモがちぎれた様子はない。殴られた際に落としたのか? じゅうたんのせいで、落とした音も聞こえなかったんだ。

 戻ったペンダントを首にかける。

「タイミングよく来てくれたな」

 あのまま2人だったら、圧政を変えるどころか本当に反逆罪になったかもな。ワムスがとらえられて、ひどいことをされた可能性だって。九死に一生とはこのことか。

「偶然、近くにいたのです。早く来るように男に伝えられて、急いで参りました」

「男って?」

 もしかして、パルかアクシルか?

「名前までは存じません」

 相手の身分も調べないで来てくれたのか。信頼性があるかもわからない情報なのに動いてくれたなんて。重ね重ね感謝と同時に、疑った罪悪感だ。

「悪事の証拠をつかんでおったのに、なぜすぐに来なかったのだ?」

「集まった騎士から、決定的な証拠をつかめただけです」

 連行した騎士の中に、情報を提供したヤツがいたのか? 情報を総合して、ようやく絞り出せた証拠だったのか? どちらにしろ感謝だ。

「ディセット!」

 慌ただしい足音で登場したのはパルだった。さっきの冷たい態度はどこへやら。紅潮して、焦りが見え隠れする。

「なにがあった!? 無事!?」

「生きてる」

 オレの言葉を確認するように、パルはオレの全身をなめるように見た。口だけだと信頼できないのかよ。一見だけで無事もわかるだろ。

「先に出たんじゃなかったのか?」

「ディセットなしだと意味がないよ!」

 コイツはコイツで、はずかしいことを言いやがる。羞恥を川に捨てたか?

「余計な行動は慎みなよ。寿命が削れる」

「はいはい」

 オレらを見届けて、女は一礼してその場を去った。

「怖い思いさせたよな。ごめん」

 今回は無事で終わったけど、少し違ったらどうなったかわからない。オレが伝えた謝罪に、ワムスは首を横に振った。

「あの程度で怖いと思ったら、世は生きていけぬ」

 とらえられたら、どうされたかわからない。『その程度』と言えるのかよ。芯が強いのか、強がりか。

 『怖い』の単語にパルの眉が動いたけど、ワムスを案じてか事情を聞くことはなかった。ワムスを配慮できるようになるほど、警戒は薄れたんだな。

「弱者を救うのは、当然の義務だ」

 救えた安心からか、ワムスの顔は今までのどれよりもゆるく見えた。

 ゆるんだ表情を見てか、パルの険しさも薄まってくれる。

「よい方法に進むといいのだが」

「平気だろ」

 悪い領主がいなくなったから、どうにかなる。そう考えればいい。

「近くの国から、領主の代役を派遣するらしいよ」

 オレらに近づいてきたのは、アクシルだった。アクシルも残っていたのか。

「『信頼における人を国から選抜するから安心できる』って、村の人が話していたよ」

「のんきに会話したのかよ」

 オレらがどんな目にあいかけたかも知らないで。オレらは自業自得とも思えるけど、それだけで終わらせてほしくはない。

「騎士を呼んでたの」

 サボりレッテルは嫌だったのか、パルは不満をのぞかせて反論した。

「さっきの人?」

「いや、あの人は初見」

 女の人を呼んだのは、パルだったのか? 質問は、あっさり否定された。

 アクシルが呼んだのか? アクシルに視線を送る。首を横に振られた。女を呼んだのは、アクシルでもないのか。

 オレら以外の誰かが、女を呼んだのか? 目撃した誰かが危険を感じて、近くの騎士を呼びに出たってことか。

 『あの人』だけで誰を指しているか、アクシルはよくわかったな。遠くから見ていたのか? ストーカーは不変だな。

「アクシルの提案で、近くの騎士を呼んだんだ。さっき連行に出た騎士がそれ」

 名前を出されたアクシルは、おもはゆそうにはにかんだ。

「村人の話を聞いて『近くに騎士がいるかも』って思っただけだよ」

「今回は運がよかっただけ。これからは勝手な行動は禁止」

 ピンと伸ばした人差し指を向けられて、パルの注意。小柄だから威圧感は薄いけど、本気度が伝わる語気だ。

「なんでだよ」

 復活した小言に、オレの不満の声が大きくなる。

 あの様子だと、オレらが動かなくても近いうちに解決はしそうだった。それを本日にできたんだ。責められるいわれはない。

「決まりだから。行くよ」

 答えになっていない答えに不満は募るけど、どれだけ言っても効かないのは理解済み。歩き出したパルの隣につく。

 ワムスらはどうすんだ? 振り返る。ワムスもあとを歩いて、アクシルも続いた。同行するのか?

 歩くワムスの視線が、ある一点でとまった。その先は、ワムスをどついた衛兵がいた場所だった。連行されたのか、その姿はない。

 衛兵もいないなら、今の館はノーガードか? 何人かの騎士が残って、館内を調査とかをしているから平気か。村は本来、平和そうだし。

「礼は、伝えてやってもいい」

 アクシルに向かって、ワムスはかろうじて聞こえるレベルの小声を漏らした。

 騎士を呼んだ礼、か? 騎士が来なかったら、どうなったかわからない。シャクながら、礼を伝える気になったのか?

 オレも礼を伝えるべきだよな。よぎった感情は、アクシルの沈んだ表情で消える。

「ごめんね。なにもできなくて」

 喜びそうな言葉なのに、なぜかアクシルは悲しげだった。

「僕は、腰抜けだよ」

 足音に消えそうなほど小さな声はパルには届かなかったのか、歩く速度は変わらなかった。発言者のアクシルすら、速度をゆるめない。

 アクシルに一目もしないで歩みを続けるワムスに従って、オレも気にしないことにした。

 外に出るのかと思ったら、パルが到着した先は宿屋だった。

「恩で『泊める』って言われて。まだ明るいけど、たまにはゆったり休みたいでしょ」

 疑問を察知したかのように、笑顔のパルが説明をした。パルも村のために動いていたから、そう言われたのか?

「賛同しかない」

 野宿も思ったほど悪くはなかったけど、室内の快適さにはかなわない。屋根の下で寝られる条件があるなら、すぐにでも飛びつく。

「なにもしておらぬのに」

「いいじゃん。甘えとけよ」

 出された好意は、素直に手にしたらいい。ワムスは間違ったことをしていないんだ。堂々としたらいい。






 偶然か、お礼の一貫か、宿で提供された料理はステーキだった。肉厚には足りない厚さだったけど、満足な味で久々に肉が満たされた。干し肉とは違う。

「最高だった」

 ステーキを食い逃して以来の味だ。どうして食えなかったんだっけ?

 襲撃者に追われたから、だったな。襲撃者に襲われたことは、あれからない。数日しかたっていないから、判断するのは早いか。

 場所を移動したのもあるかもな。なにもないまま、襲われた事実をすっかり忘れるほどになったらいい。

「肉は平和を作る」

「同感」

 ワムスは未練がましく、ステーキのあった皿をフォークでつついている。

 皿に残ったソースまですくって食ったのには驚いた。『飯を粗末にしない』と考えたら、好感は抱ける。

 耐えられないかのように、皿をなめようともしていた。アクシルの熱視線に危険を察知したのか、結局しなかったのは正解だろうな。

「僕、片づけるよ」

 席を立ったアクシルは、自分の皿を重ねた。

 アクシルは少食なのか、口をつける前のステーキを4割ほどワムスにわけていた。ワムスは疑問も嫌悪もなくもらったから、気にすることではないのかと静観はした。

 食いかけをあげようとしなかったのは、正直意外だった。少しは常識も残っていたんだな。

 うまそうに食うワムスをまじまじと眺めていたから、少食以外の理由もあったのではとよぎりはした。ステーキを楽しみたくて、深く考えるのはやめたから真意はわからない。わかりたくない本心もある。

「宿の人に任せりゃいいじゃん」

 『片づけはセルフ』とは聞いていない。恩で泊めてくれたみたいだし、片づけも甘えていいはず。

「ワムスの唾液を他人に任せるなんて、倫理に反するよ」

 気づかいではなくて、そんな理由かよ。

 聞いた瞬間、ワムスは手早く自分の皿を回収して奥に駆けた。危機察知能力が優秀だ。

「待って。まだ僕が食べていないのに」

 自分の皿を手に、ワムスのあとを追うアクシル。ツッコんでいいのかもわからない光景。

 奥から『運んでくれてありがとう』の声と、断末魔のようなアクシルの『あー』が聞こえた。ワムスの皿は守られたと悟る。

 片づけを任せたら、ワムスの皿をコレクションとして部屋に持ち帰ったか? 危機一髪だった。

 あきれはするけど、久しぶりに感じるゆるい光景。不謹慎ながら、こぼれそうになる笑みもあった。

 アクシルを言動を見て『悪意はないんだ』と思えた。本気か冗談かわからないけど、今みたいな言動をのぞけばワムスに脅威となる存在にはなりえないように感じた。

 ワムスからしたら、唾液を狙われるとか、寝顔を見られるとかは冗談だとしても嫌なんだろうけど。

 とめるべきなのか、2人なりの交流と考えて静観するべきなのか。対処に悩む。

 思考する間に、パルはオレと自分の皿を重ねていた。奥に運ぶ前にオレに振り返って、変わらない表情を見せる。

「なにがあっても、ディセットの仲間だよ」

 状況にそぐわないマジメな声に、首をかしげて消える背中を眺めるしかなかった。




 食後は、それぞれ1人部屋に案内された。ワムスとアクシルが同じ部屋とかの心配な事態にならなくてよかった。

 宿の配慮に感謝しつつ、ベッドの上で眠りの世界に落ちた。






 朝日をあびて、目覚めた。体を起こして、部屋から出る。野宿より体にあっていたみたいで、体力の回復は野宿より高く感じる。目覚めもいい。

「知る限りの地理をまとめた。参考になるかはわからぬが」

「ありがと。頼ってばかりでごめん」

「案ずるな。困った者を救うのは、当然だ」

 届いた声に近づいたら、入口付近でパルとワムスが会話をしていた。オレに向いたワムスが、目の前まで駆け寄ってくる。

「短い間だったが、世話になった」

「……おう」

 突然、なにを言いやがる? 寝起きの頭では、理解が深く進まない。

「これからの安全と多幸を願う。さらば」

 丁寧に礼をして、ワムスは宿の扉を開けて消えた。散歩にでも行くのか? 変わった挨拶だな。ワムスには、挨拶以外も変わった点はあるか。

「早いうちに出立する? 準備はできてるよ」

「早すぎ」

 ワムスは出たばかりだし、アクシルはまだ見えない。寝ているのか? 部屋ですごしているだけ?

「とろとろして暗くなるより、いいでしょ」

 パルの言葉も一理ある。準備が終わる頃にはワムスも帰ってくるか? 待たせたらいけないよな。仕方なく、荷物をまとめに部屋に戻った。




 荷物を手に出たら、パルは有無を言わさない様子で宿の扉を開けた。

「待て、2人は?」

 ワムスが帰ってきた様子もないし、アクシルも来ていない。宿の外で合流するつもりか?

「別れたよ」

 あっさりしすぎた発言に、理解が追いつかない。意味はわかる単語だけど、この流れだとどう解釈したらいいんだ?

「別れたって、なにが?」

「そのままの意味。道案内の必要がなくなったから」

 証明するように、パルは荷物から紙を出した。ざっくりした地図みたいだ。さっきのワムスとの話はこれか?

 ワムスには、最初は道案内を頼んでいた。村で情報を聞いて、ラソン平野までの道がわかったのか?

「さっきのワムスって」

「先に出立した。アクシルに気づかれる前に逃げたいんだって」

 けろりと笑うパルには、悪びれる様子は一切ない。

 足早に消えていったし、用事でもできたのか? 唾液問題もあったし、一刻も早くアクシルと離れたくなったのか?

 無理強いはできないから、出立をとめはできない。オレらに拘束する理由も義理もない。ワムスにはワムスの人生がある。

 おかしな挨拶だと思ったけど、ワムスは今生の別れのつもりで言ったのか? かなりあっさり別れちまった。心残りだ。

「アクシルは?」

 ワムスが早々に出た以上、アクシルはまだワムスの出立に気づいていないのか? 事情があるワムスはいいとして、オレらまでアクシルに無言で行くってのかよ。

「手紙ははさんできた」

「冷たいだろ」

 世話にはなった。挨拶くらい、直接するべきだろ。時間に追われたわけでもない。話ができるようになるまで、待てばいい。

「いいの」

 『これ以上の不満は門前払い』とでも言うように、パルの歩む速さは変わらない。アクシルを待つ気は、一切なさそうだ。

「目的地の道がわかったからって、こうするか?」

「しばる理由、ある?」

 当たり前のように投げられた声に、返す言葉を失う。

 行く当てのないワムスを誘ったのは、完全にこっちの都合。ワムスの利益になることは、一切なかった。最初の頃は、干し肉もわけなかった。

 オレらは、アクシルの同行も許した。ワムスからしたら、これ以上ない劣悪環境だったのか?

 ワムスだけのことを考えたら、パルの言葉を否定はできない。

 アクシルはどうかわからないけど、アクシルの目的はワムスだけだろ。ワムスなき今、アクシルはオレらに同行する動機がないのか。

 一見乱暴なパルの判断。考えたら、ツッコむ点が見当たらない。

「だからって、もっと丁寧に別れろよ」

 ワムスともアクシルとも、まともな挨拶ができていない。散々世話になったのに、これでいいのかよ。

「アクシルから逃げることを考えると、そうもいかないよ。お礼とかは伝えたから、気にしないで」

 パルがよくても、オレがよくない。オレ自身が伝えないと意味がないだろ。代表者だけの挨拶って、伝えた気がしない。

 アクシルにも、手紙でちゃんと説明やら謝礼は書いたんだろうな。

 不満は残るけど、反論の材料がない状態。モヤモヤを残しつつ、パルの隣を歩き続けるしかない。

「ラソン平野になんの用事だ?」

「ついたらわかる」

 『地味』と言われていたラソン平野。なにがあるのか、オレには見当もつかない。ましてや、どんな用事があるのかも。

 目的もないオレは、黙ってパルの隣を歩くしかない。

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