第2話

 反射的に後退したオレとパルの視界の先で、落下する物体はぐんぐん大きくなって。

 素材に接触して、物体はふわりと宙に舞った。突然のことに言葉を失うオレらの前で、物体は山形を描いて地面に落ちた。

 落ちた物体に視線を移す。人が倒れている。確認した瞬間、警戒がゆるんで声が漏れた。

「誰?」

 地面に倒れた姿は、さっき襲撃したヤツとは別人だ。集落まで追いつかれたわけではなかった。

 いや、安心はできない。まさか仲間? 空から襲撃なんて、さっきのヤツと手段が似ている。さっきは木からだったけど。

 遠い空から襲撃なんて、オレがなにをした? サプライズにしては、タチが悪いぞ。体もはりすぎだぞ。

 幸い、相手は倒れたまま動こうとしない。細身だし、強そうな外見でもない。帯刀した剣も細い。突いて攻撃するタイプの剣だ。威力は高そうには見えない。

 コイツなら、勝てるか? 集落の中って関係上、逃げられない。追い出す以外に、方法はない。

 剣を構えようとした瞬間、パルがオレの前に立った。進行を遮るように、片手がオレの前に伸ばされる。

「隠れて」

 まさかの声に、パルの背中をにらみつける。

「そっちが隠れろよ」

 剣を使う前衛が隠れるなんて、セオリー無視かよ。弓を使うパルが隠れるほうが自然だ。潜みつつ射撃って戦法が使えるんだぜ。弓の扱いだけでなく、戦法まで残念なのかよ。

「口答えするな」

 パルに言われたくない。オレの戦法のほうが自然だ。

「ぬ……」

 倒れた相手の細い指がピクリと動いて、呼気に似た声が漏れた。開始しそうになった口論がとまる。

 堂々としたことを言いつつ怖かったのか、パルの体が小さく震える。仕方なく横に並んで、相手の姿を注視する。構えた剣は、いつでも振りおろせる。

「なんなのだ」

 手をついた相手は、ゆったりとした動作で細身の上半身を起こした。にらむ視線を向けるオレらに顔を向けられる。

 素材のオーラをあびて色を変える肌は、絹のような透明感を感じさせる。薄いまぶたの奥にある瞳は、オーラに負けず劣らずの神秘をほのめかす。小さく開けられたリップは肌の色と差異を感じなくて、薄い色素をにじませる。顔に流れる短い髪は、細くて頼りなさそうだ。

 すべてを総合しても、さっきの男と違う。似通った面もない。おまけに、すぐに折れそうなほどに弱々しい。

「まさかの人類……?」

 理解できないウィスパーのような声を漏らしたけど、警戒は怠れない。コイツが集落に侵入した事実は存在するんだ。

 進入?

 空から落ちた相手。人の背丈の5倍はありそうな木々の上から襲撃するか?

 入口が見当たらないから、空からオレらを求めたとか? まさか。空が見えるから、空からも集落は見えそうだ。だからって、空からの偵察を選ぶか?

 地面に倒れて、着地に失敗した様子だったコイツ。比較的すぐに動けて、ケガをした様子もない。事実、透明感のある素肌にすり傷すら作っていない。

 ここまでの高さから落下して、案外無傷でいられるもんか? オレらを油断させるための演技?

 視界の奥の素材に目がとまったせいで、疑問がかき消された。

「おい」

 パルを小突く。パルも気づいたのか、視線が一点に固定した。

 相手の背後にある素材に亀裂がある。素材に向かって落下した相手。ぶつかった衝撃で亀裂が走ったんだ。

 ペンダントといい、よく壊れるな。厄日か?

「なんのつもりだ」

 相手に詰め寄った声は、パルとは思えないほど低かった。変わった雰囲気を悟ったのか、相手は緊張を走らせる。チビなパルでも、おびえさせることはできるのか。

 この素材がないとペンダントの修理はできない。ペンダントに強い愛着を見せていたパルだ。材料にヒビをいれられて、当然のお怒りってわけか。

「仕方ないのだ。生きるためなのだ」

 敗戦を悟ったのか、相手は両手を軽くあげて降伏を見せた。

 立とうとする様子はない。ぶつかった衝撃で、まともに動けそうにないのか? オレらは2人だし、人数的にも不利だ。

 相手が持つ剣は、振り回したりして広範囲を攻撃するのには向かない。この細腕でオレら2人を相手するのは、旗色が悪いだろ。戦意は消えたのか?

 ひとまず剣をおろして、相手を見る視線もゆるめた。油断させて奇襲の可能性は消えないから、剣はいつでも構えられるように警戒は続ける。

「誰かの指示? さっきの男と仲間?」

 隙を見せないように、パルは強気にまくし立てる。表情を変えない相手は、小首をかしげて沈黙を返した。

「オスであったのか? 確認する余裕はなかった」

 質問に答える必要があると悟ったのか、相手は細い声を飛ばした。返答としてはズレている。

「とぼけるな」

 パルも流される気はないのか、静かなる怒気を演出して尋問を続ける。

 理解できない返しは、イラつかせて尋問を諦めさせる手法か? 相手がパルだから、やっぱりナメられた?

「オレたちになんの恨みがある?」

 パルより威圧感はある。オレが聞くほうが進められるだろ。オレに動いた瞳に映る感情は悟れない。

 個人的にも気になったことだ。一切の心当たりがないのに、本日だけで2回も襲撃された。2回めの今回は、実害がなかったのが幸いだ。原因がわからない以上、これからも襲撃される未来が続きかねない。

「どこをどう恨めと言うのだ。初対面なのに、恨みも感謝も抱けぬ」

 さっきから返しがトンチンカンだ。狙ってのことか?

 通じない話に困窮するのは相手も同じなのか、細い眉をだらりと垂らした。眉間に薄く刻まれたシワが、小動物のような表情を作る。

「目的を話せ」

 強気を崩さないパルに根負けしたのか、相手はゆっくりと口を開いた。

「飯を採ろうとしただけだ」

 的を射ない返しに、ゆるめた視線が戻りかける。

 さっきの男の襲撃のせいで、獲物は手放すことになった。奪取が目的だったなら、アイツはオレらを追う必要がない。

 コイツの『飯を採りに』もおかしい。集落にも畑はあるけど、落下してまで採るわけがない。そもそも、外部の人間が集落に畑があると知っているか?

「真実を話せ」

「偽りは申しておらぬ」

 おかしな返しをする相手と、信じようとしないで聞き続けるパル。このまま話を続けても、平行線の未来が見える。

「なにを採りに来た? 渡したら、満足して帰るのか?」

 提案したオレに、パルの一瞥が飛んだ。気にしないで相手を見続ける。

 コイツが偵察目的なら、帰らせるのは得策ではない。でも他に、どんな名案があるってんだよ。

「施してくれるのか?」

 瞬間、相手の顔がほころんだ。まるで、本当に飯を渡されるのを喜ぶかのように。敵に見せる表情には思えない。

 おかしな返しに、この反応。違和感が襲う。

「なにしに来た?」

「飯を採りに」

 質問したオレに、変わらない返し。平行線を続けたい意図があるのか、話がヘタなだけなのか。聞かないことにはわからない。

「順を追って、説明しろ」

「いつもと違う道をたどって食料を求めておったら、果実の実る森を見つけたのだ。満悦に採取しておったら、背中をモンスターにわんずとつかまれ」

 『証拠』とでも言うように、くるりと背中を見せられた。厚手の生地にざっくりと穴が開いている。モンスターにつかまれた爪のあとと説明されたら、納得できる傷。

「モンスターは飛行して、うちは空中の世界に飛ばされた。弱肉強食の世界。『ついにうちも食われる瞬間が来たのだ』と腹をくくった」

 覚悟を想起するように、相手は胸に手を当ててまぶたを閉じた。神秘的なポーズなのに、話す内容と不均衡だ。

「瞬間、別のモンスターと対顔して。相手のうそぶきにたまげたらしく、うちをつかむ力がゆるまって」

 瞳をゆっくりと外気にさらした相手は、空に視線を投げる。長い指を上から下に移動させた。

「ここに落ちた?」

 ジェスチャーで推測して聞いたら、相手は細い首を動かして点頭した。頼りない毛束が繊細に揺れる。

「そう、記憶しておる」

 話を聞き終えたパルと視線が重なる。すっきりはしていなさそうな表情だ。納得できなかったせいか、警戒も残っている。

 今の話が本当なら、コイツは襲撃者と無関係?

 ウソの可能性も否定はできない。ウソだったら、もっと信じられる内容を作らないか?

 コイツが落ちる前に、モンスターの声も聞こえた。矛盾はないのか?

「果実、うまそうであった」

 記憶が想起したのか、相手はしゅんと肩を落とす。飯を逃した姿は、今のオレと重なって見える。好物は違えど、コイツも食に落胆したのか?

「わざわざ、ここに落ちた理由は?」

 続けられたゆるい態度で疑念は少し薄れたのか、パルの語気は弱めになっていた。話の内容で拍子抜けしたのもあったのか?

「落とされたのだ。こちとて、死を覚悟する落下は経験したくはなかった」

 死を覚悟? この高さを落ちたら、ケガどころか死はまぬがれないのか?

「どうしてケガがないんだよ」

 背中にある傷は、モンスターにつかまれたからだと判明した。血はにじんでいないから、服にしか傷がないのかもしれないけど。

 どちらにしろ、コイツに落下のケガはなかったことになる。死をまぬがれない落下を無傷で終えるなんて、可能か?

「まさか、ここは冥界なのか?」

 幻想色の瞳が、かすかに瞠目した。白目はほとんど見えない。半目みたいな状態が日常なのか?

「違う」

 見当違いな発言はすぐさま修正。ここが冥界だったら、オレらは毎日冥界に帰っていることになる。それはない。

「あれ、だろうな」

 パルが指したのは、相手そのものだった。相手も疑問に思ったのか、首がかたむけられる。

 オレには、パルが指す本当のものがわかった。

 相手の背後にある、ヒビが走った素材。

「あれ、そんな効果もあるのかよ」

 相手も悟ったのか、視線を背後の素材に移した。ひねるだけで折れそうなほどに細い指が、素材に伸びる。

「さわるな!」

 パルの怒号が響いて、手はすぐにひっこめられた。珍しい大声に、オレも内心ビビった。

「すまぬ。神聖なものなのだな」

 相手は姿勢を正して、素材に頭をさげた。モノに誠意ある対応をするなんて、悪いヤツではないのか? 演技?

「目的は食事だけ?」

「ハラ、減った」

 パルの質問で思い出したのか、返された語気は少し元気がない。

 両手を腹部にそえて、悲しそうに頭を垂れた。やつれてはいないけど、この細さ。今まで満足に食えていなかったのか?

 またしてもズレた返しに思える。わざとというより、元来の性格に感じてきた。

 襲撃目的なら、とっくに襲ってもいい。攻撃の様子はちっとも見せない。腰の剣に視線を向けることもなかった。事情を説明する際に、オレらに背中も見せた。襲撃者ならそんな危険なこと、しないよな?

「不可抗力とはいえ、菓子折りもなく突然邪魔をしてすまぬ。許しをいただけるとありがたい」

 真摯な謝罪は、演技をかすめさせない。オレの警戒も徐々にゆるむ。

「そこは怒ってない」

 驚きはしたけど、敵ではなさそうだ。魅力ある獲物を逃した同士、通じる点もある。

 残されたのは、パルだけ。らしからぬ声をあびせ続けたけど、疑念は晴れたのか?

「本当に、食事目当て?」

「無論」

 証明するように、相手の腹の音が響く。いとし子をなだめるように、相手は自身の腹をなでる。うるんだように見える瞳は、癒せなかった空腹を思ってなのか。

 大きく息を吐いたパルは、相手にまっすぐ視線を投げた。

「すぐに帰れ。ここに来たこと、会ったことは誰にも言うな」

「守秘義務だな。了承した」

 襲撃者の懸念がある以上、オレもパルの意見に賛成だ。厳守してくれるかはわからないけど、ひとまずでも安全を手にしたい。

 ただ1つ、気になるのは。

「一応、診てもらってからのほうがいいんじゃん?」

 背中に傷があるか、落下のケガは本当にないのか。診ないで帰らせるのは気がかりだ。見た感じ、平気そうではあるけど。

「自業自得。来い」

 催促されるまま起立した相手は、パルのあとに続いて入口に歩いた。入口の場所を明かすことにはなるけど、帰らせるためには仕方ない。

 去る背中にある、ざっくりした爪のあとが痛々しい。ここらで人を襲う空を飛ぶモンスターって、オレらも警戒するアレだよな? アレに襲われたなんて、感じた恐怖は計り知れない。なのに、おびえを見せないでふるまった。パルの強気な態度には、恐怖をあおられたかもしれないのに。

 パルに開けられた入口をくぐって、相手の姿は消えた。パルの手が離れて、入口は閉まる。

 戻ったパルは、亀裂の入った素材に視線を落とした。

「この程度で済んでよかったじゃん」

 パルは愛着がありそうだ。見た目が悪くなって、落胆したのか?

「ディセットは落ちるなよ。次は無傷ではいられない」

「どうして」

 パルは宙に視線を向けた。

「集落をおおうベールと、この素材から出る強いベールで衝撃を吸収して、無傷で終わったんだ。2個が壊された今、同じことは起こりえない」

 2個のベールがクッションみたいになったってことか? 奇跡的な生還だ。素材に接触した相手がふわりと舞ったのは、まさしくクッションみたいだった。

 素材の上に落ちなかったら、無傷ではいられなかったのか? トラウマになるほどの光景になったとか? 無事でよかった。相手の体も、オレらの精神も。

「よりによって、これを壊すなんて」

 素材に視線を戻して、パルは憎らしげに言葉を吐いた。そんなに大切だったのかよ。

 息を吐き出したパルは、オレにペンダントを渡した。神秘のオーラは、復活どころか強まったように見える。ヒビがあったとは思えないほどの変貌っぷりだ。

「すぐにチェーンを準備する。しっかり休みなよ」

 集落の奥に歩くパルを横目に、使うことのなかった剣を刀室にいれる。

 すっかり整った息が作るのは、戻った日常。目の前の素材のヒビは、さっきまでの非日常を呼び起こす。

 入口を眺める。

 本当に大丈夫か?

 1人で歩けてはいた。ふらつく様子もなかった。心配するほどではないんだろうけど。傷を診ないで帰らせていいのかよ。パル、あんなに冷たいヤツだったのか?

 わきあがるイライラのまま、入口に駆けた。




 野草に生でむさぼりつくという衝撃の状態だったけど、再会を果たした。

 『傷を診る』と伝えたら、迷いつつもついてきた。背中に爪が刺さった感覚が抜けていなかったらしい。集落で唯一の診療所で診てもらった。

 突然外部の人をつれてきたから、驚きはされた。『集落の場所を教えるな』の注意も食らった。心配性かよ。

 他人の治療を見るわけにはいかないから、その間にすっかり放置していた手洗いを終えた。ペンダントについたべたべたも拭いていたら、パルが姿を見せた。

「荷物、まとめて」

「なんで」

 いきなりのよくわからない発言を、拭きながら流す。

「……旅行しよう」

 パルからのまさかの提案に、顔をあげる。ずっと一緒に生活してきたけど、こう言われるのは初めてだ。狩り以外で外出しようものなら、口をすっぱく『危険』とくり返すのに。さっきの人を見つけに1人で外に出たのを知られたら、また言われそう。

「どんな心変わり?」

 高すぎる警戒心と心配性がゆるむなら喜ばしいけど。なにがあった? 心配せずにはいられない。

「残念だな。ディセットなら喜んで了承すると思ったのに。ずっとこの集落だけで生きるのか。そっかー」

「行く!」

 抑揚のないパルの口車に、まんまと乗せられたようにしか思えない。外に出られるなら、どんな口車だろうと乗ってやる!

 パルの気が変わる前に荷物をまとめないと! 全力で駆けた。




 荷物を抱えて出たら、集落の入口に既にパルがいた。準備、早いな。『旅行に行く』と提案したくせに、表情に明るさはない。

 そもそも、どうして急に旅行? 襲撃されたばかりだろ。すぐに出たら、また見つかる可能性もある。

 いつものパルなら『危険だから、しばらく外に出ないほうがいい』って言いやがるだろ。

 オレも懸念ではあるけど、警戒を続けて別のルートを使ったりしたら平気だよな。

 この状況でパルが、考えなしに旅行を提案するわけがない。身を守れる手段を見つけてのことだろ。平気だ。

「どこに行くんだ?」

 突然の提案に流されて、大切な情報を聞かなかった。地理に詳しくないから、聞いてもわからなさそうだ。

「赴くまま」

「無計画かよ」

 繊細な計画を練って行くより、計画性皆無のほうがオレららしい。だからって、急に無計画旅を思い立つか。この短時間でどんな心変わりがあったんだ。

「ここ、放っておいて平気か?」

 残された気がかりは、そこだ。

 集落の入口を襲撃者に知られたら、集落の人が危険にさらされる。戦える人も少しはいるけど、集落全体を守れるだけの武力があるかは微妙だ。

 オレらがいたら完全に守れるってわけでもないけど。特にパルは戦力にならん。

「話はして、理解は得たよ。なにかあったら、自分たちでどうにかするって」

 襲撃者のことを話したのか? 相談したからこその、旅行の決断だったり?

 安心していい返答かはわからない。オレら2人が残ったって、集落を守れるわけでもない。オレらが旅行に出ようが変わらないか。

 オレらがいないほうが、逆に集落は狙われないで済むのか?

「早速、出立――」

 パルの声がとぎれて、視線がとまった。同時に聞こえた足音に振り返る。治療を終えたらしいアイツが歩いてきた。

「世話になったな」

「どうしている!?」

 事実を知らないパルは、視線を鋭くして声をあげた。

「治療をしてもらったのだ。服も修繕してもらった」

 くるりと背中を向けて、縫われた服を見せた。うまい人にやってもらったのか、ぱっと見ただけだと修繕に気づきにくい。

「さすがに、放置で帰らせられないじゃん」

「勝手に出たのか?」

 やばい、今の発言はミスった。コイツが自ら戻って、治療を頼んだことにすりゃよかった。

 目の前にいるから、ウソには気づかれる。空気を読んで、話をあわせてくれると信じて。トンチンカンな話しかできなかったコイツだ。空気を読むとかはできないか?

「ケガ人を放置するなんて、冷酷」

 パルの責めが始まらないように、パルの判断が間違っていると主張する。反論が返されるかと思ったら、パルは相手に視線を投げた。

「ここらの道はわかる?」

 オレではなく、相手を責めるほうにシフトするのかと思ったら。パルは予想外の質問を飛ばした。

「初めて来た場所ゆえ、知らぬ」

「ラソン平野の場所、わかる?」

「うむ」

 初めて聞く『ラソン平野』なるものが出てきた。『場所』って言ったから、知名だよな。そんな場所、あるのか。

 聞くからには、そこに行きたいのか? 『赴くまま』って言ったのに。

 さっきから、パルの言動にはブレを感じる。

 襲撃者がいる可能性があるのに、旅行を提案したり。ケガがあるかもしれないコイツを早々に追い出したのも、パルらしい行動とは思えない。集落の人間だったら、邪魔なほどの『大丈夫?』ラッシュを食らわしたはずだ。警戒心の高さからの行動だとしても、少しは気づかいを見せてもいいだろ。

 消えたはずの疑念をパルに向けそうになる。よくないとよぎって、すぐに払拭する。

「どう行けばいい?」

「南西だ」

「具体的に」

 ここまで聞くからには、目的地はラソン平野説が濃厚だ。

 どうして『赴くままに』なんて言ったんだよ。オレの前でこの話をする以上、隠したかったわけでもなさそうだ。

 目的地を明かしたってことは、コイツへの警戒心は一応は消えたのか? 敵意はないとは考えているんだよな?

「周囲の地理はわからぬゆえ、具体的には無知だ」

 2人の話をぼんやり聞いて、今頃ながらあることがひっかかった。

「そっちはどう帰るんだ?」

 ここ周辺の道がわからないなら、前にいた場所に戻る方法がないような。治療と同じくらい、気にするべき点だった。

「帰る必要はない」

 オレの指摘にも、相手は少しの動揺も見せなかった。帰れなくなること、土地勘のない場所に落とされたことをあわれむ様子はない。

「家、開けていいのかよ」

「帰る家はない。強いて言うなら、自然が家だ」

 定住の地はない、野宿生活ってことか? 心に決めた野宿先がないなら、好都合じゃないか?

「だったら、ラソン平野って場所まで案内を頼もうぜ?」

「診てもらった恩だ。構わぬ」

 オレらに返す恩ではなさそうだけど。ラソン平野に行く道がわかっていない様子のパル。2人で路頭に迷うより、素直に案内を頼んだほうがいい。

 問題は、警戒がとけたのは微妙なパルが了承を下すか。

「……戦える?」

「剣術の心得はある。魔法も少し」

 言葉を裏づけるように、コイツの腰には細い刀身の剣が残っている。

 特筆するべき点のない身長に『筋肉があるのか』と疑うほどにほっそりとした体型。力任せに戦うタイプではなさそうだ。だからこそ、軽そうな剣を選んだのか。

 剣使い同士だけど、戦法はオレと大きく違いそうだ。

「魔法、使えるのか?」

 オレらに欠けた戦闘力。未知の場所に行く以上、できるだけ幅広い戦力があったほうがいい。パルの弓は、戦力にしてもいいか悩む実力だし。

「得意ではないが、攻撃魔法を」

 武器が通じにくい敵に遭遇しても、安心だ。頼りきる形にはなるけど。

「裏切らない?」

「一宿一晩の礼を忘れはせん」

 少ししか交流しなかっただろ。ツッコミは心中だけにとどめておく。とぼけた返しをされたら、面倒だ。一緒に行動したい思いもある。

「こっちは守りはしない。自分の身は自分で守れ」

「うむ」

 好意的とは思えなかったけど、パルも了承はしたみたいだ。判断して、集落を出ようとした瞬間。

「待って」

 パルに呼びとめられて、ペンダントを奪われた。器用な手つきで、ペンダントに手早くヒモが通された。流れるような動きで、オレの首にかけられる。

 意地でも、装備させ続けるのかよ。変な面で強情だな。

「変わったチェーンだな」

 にやりと笑って言ったら、パルも怪しい笑みを返した。

「秘蔵のチェーン」

 見つけられなくて、苦し紛れにヒモに逃げやがったな。苦情を言いたいけど、チェーンに愛着はなかった。どうでもいいことでもあるから黙ってやる。

 やることを終えたパルは、荷物を手に集落の入口をくぐった。オレも続いて出て、同様にアイツも出た。

 荷物を抱えたオレらと違って、コイツは身軽だ。モンスターに落とされた事情があるから、当然か。野宿生活なら、荷物がないのが自然か? 残念がる様子もないから、果実の実った地に置きっぱなしってわけでもないだろ。

「ここの土地は無知だ。正確に案内できる保証はない」

「南西だよな?」

 襲撃者と遭遇した方角とは逆だ。そんな意味では、まだ安心か。

 視線を地面に落としたコイツは、影を見て歩き出した。野宿生活なだけあって、影の向きから方角が推測できるのか。

「適当につけたけど、長さは平気?」

 パルの問いはペンダントのことだと、すぐにわかった。チェーンからヒモに変わった違和感があるだけ。

「気にしたことがない」

 ペンダントがあろうがなかろうが、気にならない。あくまでも、そう伝える。

「疲れてない?」

「どの口が言いやがる」

 全力疾走からまともに休めなかった。疲労が完全に消えたわけではない。パルだって同じだ。オレよりなよっちいんだ。疲れも多いだろ。

「干し肉、持ってきたよ。食べる?」

 体力の心配を吹き飛ばす提案。パルも平気そうだし、体力は残っているんだろ。今は肉だ。

「よこせ」

 準備に夢中で、飯のことを忘失した。襲撃がなかったら獲物を持ち帰れて、肉厚ステーキが食えただろうに。忘れかけていた後悔がにじんだ。

 荷物から干し肉を出したパル。とかれた包装で、干し肉の香ばしい香りが届いた。オレの口元に運ばれる。奪って、かじりつく。肉厚ステーキには負けるけど、肉の満足感で少しは癒された。体力も回復するだろ。

「仲良しだな」

 横入りした発声源の視線は、オレらより干し肉に固定しているように思えた。小さく開いた口からは、油断したらヨダレが垂れてきそうだ。

 飯も譲るべきか? 『肉は渡したくない』と本音がよぎる。パルが持ってきた量も限界があるよな。干し肉がつきたら、狩りでしか肉が食えない。

「長いつきあいだからな」

 肉の視線に気づかないフリをして、話を続けた。

 パルとのつきあいは、どれだけになるんだか。ハッキリした記憶はない。物心ついた頃には既に隣にパルがいて、当たり前だった。

「ここまで施されるのも、なれた」

 今みたいに、飯を口に運ばれるのとか。よくあるから、気にならなくなってきた。

 イラつきはするけど、どれだけ言っても効かないのはわかってきた。今になって『出会ったばかりの他人の前でもするのかよ』と気づいたけど。

「粘着気質はよくないぞ」

 パルに向けての声にも、パルは一瞥を向けただけだった。

「警戒心、薄すぎだもん」

 ぽつりと届いた声はバカにされたみたいで、別の意味でイラつく。肉の恩があるから、無視。今は貴重な肉の味を楽しむべき。




 ぽつりぽつりと会話があったりしつつ、歩きを進めた。

 モンスターと遭遇することも、襲撃者に襲われることもなく進んでしばらくたったころ。

「既知の道かもしれぬ」

 周囲を見回して発せられた声に、視線が集中する。

「近い?」

「ラソン平野はまだ先だ。近くに村があるはず。寄るか?」

 日はかたむきかけて、暗くなるのも時間の問題だ。夜に歩くのは危険だ。体力も持たない。

「行こうぜ」

「野宿より安全だよね」

 村だと、人がいるんだよな。人が集まる集落以外の場所に行くなんて、初めてだ。どんな場所だ?

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