第7話 紅茶と嫉妬
真っ白でシンプルだけれど、カップの上部やソーサーの縁を彩る濃紺のラインや、縦長で持ち手のカーブが猫足みたいになっているティーポットに一目惚れして、ついつい買ってしまったティーセット。値段もちょっぴり大人な価格だったけれど、後悔はしていない。
それでも勿体なくて戸棚に眠らせていたのに、まるでいつも使っているかのように、誠司君は馴れた手つきで紅茶を注いだ。
カップの湯気と一緒に、ふわりと紅茶の香りが部屋に広がる。この茶葉は去年のサークルの忘年会で当たった少し良いのを使ったに違いない。少し甘い香りのするいつものお茶と違って、真っ直ぐで洗練された香りだ。
「ごめん、家主は私なのに。お客さんの誠司君におもてなしして貰っちゃった。」
「別に。俺が喉渇いてたから、ひなのはついでだよ」
喉が渇いていたというのは本当のようで、誠司君は少し大きめにカップを傾けた。ごく、なんて音はしないけれど、そんな音が聞こえそうなくらい、喉ぼとけがはっきりと上下に動いている。
……喉ぼとけ、あんなにごろごろ動いていたら痛くなったりしないのかな。思わず自分の喉に手をあてると、誠司君は不思議そうに尋ねてきた。
「飲まないの?」
「飲むよ!喉、ごろごろして痛くないのかなって考えてたの。」
「……これからはお茶は俺が淹れるから。普通、紅茶にそんな異物感はない。」
誠司君の喉ぼとけの話をしていたのに、何か勘違いされてしまったみたいだ。私だって紅茶くらいなら失敗しないで作れるはずだ。多分。
「……で、このペアのティーセットはどうしたの。」
ソーサーにカップを戻しながら、ソファーの上から誠司君がぎらつく両目でビーズクッションに座る私を射抜いてくる。
沈黙が、針を刺されているように痛い。私の知ってる誠司君とは違う、得体の知れない怖さに、思わず身が縮こまる。
「か、買ったんだよ。雑貨屋さんで。何か、変だったかな?」
「他のと趣味が違うと思ってね。この茶葉といい、誰かからの貰い物なんじゃないの。」
言葉がうまく出ず、つっかえながら答えると、ドラマに出てくる尋問役の刑事みたいに静かに、責めるように問いかけてくる。
「茶葉はサークルの忘年会で当たったの。ティーセットは、雑貨屋さんで、一目惚れして買っちゃったの。」
「一目惚れ、ね。ペアセットに。」
何故か一目惚れというワードを強調して繰り返すと、神経質そうに細長い人差し指がテーブルをトントンと一定のリズムで叩き始めた。
「あの、ごめんね?」
特に悪いことをした記憶はないけれど、珍しく苛立ちを隠せないでいる誠司くんに、とりあえず謝ってみたら、テーブルを叩いていた指先が止まった。
たいていのことは「ふーん」の一言で気にしなくなる誠司くんのことだから、これで、「まあ、いいけど。」って言って終わるはずだ。
「なんで謝るの。」
「え」
どうしよう、掘り下げてきた。
「誠司君が、怒ってるから?」
「ふうん。……じゃ、なんで俺が怒ってるんだと思う?」
当ててみてよと言いながら、選手の動きを注視するサッカーの監督みたいに、誠司君は口元で手を組んで見つめてくる。正解を出さないと、ここから動けなそうだ。
確か、一目惚れをやたら気にしていた気がするし、ペアセットというところにも姑みたいな刺々しさがあった。
もしかすると、一目惚れ、つまり衝動買いが駄目だったのかもしれない。ペアセットにもチクチクした感じがあったのはきっと、「一人暮らしなんだからカップは2つもいらない。一人分無駄にしてるよね。」ってことだろう。実際に買っても使わないでいたし、誠司君にはきっと無駄遣いに見えたんだ。
思えば、家では遠慮して、誠司君は欲しいものを買うのにも気を使ってたのかもしれない。そこで私が使いもしないものを衝動買いしたら苛々して当然だ。
「誠司君、ごめんね。私、今まで誠司君の気持ちに気づいてなかった。」
私の言葉に、誠司君が一瞬だけ目を丸くした。組んでいた手をほどくと、足を組んで余裕そうに構えはじめたけれど、目がきょときょとと左右に動いたり、何かそわそわとしている。
「いいよ。ひなが鈍感なのは知ってるし。……それで、俺の気持ちへの返事は?」
「うん。これからは、衝動買いしないよ!あと、欲しいものでお父さんたちに相談しにくいのとかかあったら、遠慮なく言ってね。バイト代でなんとかなるのだったら多分大丈夫だから。」
「……は?」
誠司君は目を見開き、パチパチと瞬きをした。
「使いもしないティーセットを衝動買いしちゃったから怒ってたんでしょ?大丈夫だよ、買っちゃったのはこれだけだし。」
「ふうん。そう。」
ふうーっと下を向いて大きくため息をつくと、誠司君はちょっと投げやりに自分の紅茶を淹れ直した。
よく分からないけれど、不機嫌は直ったみたいだ。それにしても、紅茶を飲む姿がよく似合っている。
「なんか誠司君が使った方が似合うね。……っていうか、デザインが誠司君っぽいかも。」
「俺っぽい?」
「うん。この濃い青色とか、何となく誠司君っぽい。シンプルで無駄がない感じとか。……私には大人っぽすぎたかなあ。」
「ふうん。」
さっきよりも高めに響いた声に、すっかり機嫌が直ったみたいだと分かってほっとする。
「温くなったでしょ?淹れ直すよ。」
「ありがとう。」
私のカップを手に取り、中身を飲み干すと、誠司君はポットの中のまだ温かいお茶を丁寧に注いだ。
「似合ってるよ、ちゃんと。だからこれからも使いなよ。ちょうど二人で使えるし。」
「そうだよね!ちゃんと使わないと勿体ないもんね!」
「…………そうだね。」
同意したとは思えない、突っかかるような間の取り方だったけれど、また何故か機嫌が悪くなったら嫌なので、素直に誠司君が淹れてくれた紅茶を楽しむことにした。
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