第5話 炎上

 寺の門を勢いよく飛び出し、とりあえず森の中へ飛び込む。

「おじさん、どこまで行くんですか!」

「そう遠くはいかないよ」

 森の中、木々の隙間から遠くの本能寺が見えるあたりでようやく優一郎の足が止まった。

 切り株の上にどかっと腰を下ろし、荒い息を整える。

「案外、すんなり出てこれたね」

 汗をぬぐいながら悪戯っぽく笑う伯父に、なんとなくつられて蘭太郎も安堵の息を漏らすのだった。

 森の中は鬱蒼として暗い。

 しかし、その隙間を縫うように赤い炎の光が差すのも時間の問題だ。

「これから、どうしようか」

 優一郎がポツリと漏らした。

 やはり考えなしに出てきたのだ、と蘭太郎は呆れるが、そうでなければ死んでいたかもしれないと思うと密かに戦慄した。

「これからは、おそらく明智軍が退いた後は羽柴秀吉の天下です。この後は京都山崎で明智軍と秀吉軍がぶつかります。とりあえずそこまで行って、本能寺の変の目撃者だと言って秀吉に保護を請うしかありませんね」

「ええ、歩いて? 遠くない?」

 優一郎は泣き言を漏らすが、蘭太郎は厳しかった。

「大丈夫、せいぜい四、五時間歩く程度です。頑張りましょう」

 嘘だろう、と優一郎の顔が引きつる。

「落ち武者狩りなんかもウヨウヨしているでしょうから、いざとなったらおじさんが僕を守るんですよ」

 ヒッ、と優一郎の顔がさらに色を失う。

「二人なら大丈夫です、きっと」

 きゅっと小さい拳を握りしめて、半分は自分に言い聞かせるように蘭太郎が語る。

「大丈夫、だよね」

 優一郎がその拳を包むように重ねて、蘭太郎に身を寄せた。

 遠くから馬の駆ける音がする。

 法螺貝が野太い音をあげる。

 下腹に響くような男たちの罵声——咆哮。

 まるで地響きのような兵たちの足音。

 その隙間を縫うように聞こえるバタバタと軍旗が倒れる音。

 やがてパチパチと爆ぜるような音がしてくる。

 炎が、木造の寺を舐める音。

 木々の隙間から紅蓮の光が差す。

 優一郎が隣を見やると、真っ白な甥の横顔が、赤々とした光に照らされてまるで燃えているように見える。

 その視線は、真っ直ぐ本能寺を射抜く。

 あの中で幾多の血が、命が、燃えている。あの美しい青年も、燃えてしまったのだろうか、と考えて優一郎はハッとした。

「……君は見ないほうがいい」

 蘭太郎の目線を無理やり横へやる。

 優一郎は、無抵抗な蘭太郎の様子に、食い入るように見つめていたあの視線は、ただ呆気にとられていただけに過ぎないことを思わせた。

 森の中で二人、身を縮めて新たな光を待ち続ける。

 それは、炎がもたらす邪悪な紅い光ではない。

 太陽がもたらす淡い陽光を、今はただひたすらに願った。

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