【短編集】星のまなざし

吉永綸子

星のまなざし

初めてメガネをかけた冬の日のことを今でも鮮明に覚えている。


学校では粒のような文字をこさえた本を読み漁り、通学電車では携帯とにらめっこ、視力を落とさない方が不思議な大学生活が祟り、社会人になって2回目の免許更新の視力検査でとうとう再検査の赤紙をつきつけられた。


深緑の細縁のメガネ。好きなアーティストが掛けていたものと似ているという理由だけで選んだけれど、触れたそばから手になじみ、すっかり気に入っていた。メガネを掛けるとぼやけていた線が一斉にまとまり、遠くのカレンダーの文字まで見えた。それが嬉しくてしばらく家中を歩き回っていたけれど、飽きてしまった僕は庭で星を見ることにした。


小学校三年生の時――視力もさほど悪くなかった頃、理科の宿題で星を観測する宿題が出されたけれど、オリオン座や冬の大三角形の他は何も覚えていないことが悲しくなった。しかし数年ぶりに眼鏡越しに見たその星空は、どこか懐かしく、人生で一度でも忘れるべきでない程に壮大だった。

 

小さい星、大きな星、力強く輝く星、やさしく灯る星、白色、赤色、青色……

よく見れば一つ一つの星が全く違う顔を持ち、ぱちぱちと瞬きをして僕の町を見下ろしている。僕はなんとも不思議な高揚感に心を打たれた。それぞれの星と目を合わせようと必死だった。自然と口角があがり、それが笑みだということも気づかず何時間もいたずらに作った星座を指でなぞった。

 

僕はいつから、この星たちが見えなくなったんだろうかと、ふと思った。


子どもと大人の狭間はざまで、人生は思い描いているほどドラマチックなものではないことを知る。すると夜空は自身を覆うふたになり、一つ一つの鮮やかな星の瞳でさえも黒いふたに描かれた平面的な点に変わってしまう。

僕は星空の情熱的な眼差まなざしを背に受けながらも、ついには空を見上げることをしなくなっていた。それでも無数の星たちはやはりずっと存在し、この瞬間もこんな僕を見守ってくれていたのだ。


子どもの頃に見ていた夢は、叶わぬと目を背けた夢は、今でも僕を見守ってくれているのだろうか。まだ僕を待っているのだろうか。


白い吐息で星空が霞んで、僕は家に戻った。

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