第6話 要求
容はメモに「命が狙われている」とシンプルに書いて、2つに折りたたんだ。それを背中合わせに座っている少女の方へと、座席と窓との隙間からそっと差し出した。しかし、少女はそれを受け取ろうとしない。
おかしいなと思って確認してみると、どうやら座席の厚さがそこそこあったため、メモの先端ほどしか届いていないようだった。これでは気が付かないか、と容は窓を指先でトントンと叩いてみた。これならどうだ?
すると、その音には気がついたらしく「え? 何?」と言っているのが聞こえた。おい、誰かに気が付かれたらどうするんだ、と慌てたが、幸い兵士はまだ戻って来ていなかったし、周りにも乗客はいなかった。そこで小さな声で「メモを受け取れ」と言ってみた。
そこでやっと気がついたらしく、ようやく少女はメモを引っ張るように受け取った。ふぅっと一息ついた容だったが、よく考えてみればここからどうしたら良いのか、ということを考えていないことに気がついた。少女に知らせたことは間違いじゃない。しかし、それを知ったからと言って、少女がどうかすることができるのだろうか?
そんなことを考えていると、トントンと窓を叩く音が聞こえた。見ると、先程容がしたのと同じように、座席の隙間からメモが突き出ている。容はそれを受け取った。先程容が書いたメモの裏に「ついてきて」と書かれていた。
どういうことだ? 意味が分からずしばらく考え込む。すると、後ろで少女が立ち上がるのが視界の隅に入ってきた。そのまま後部車両へと消えていく。容も立ち上がり後を追った。後部車両へ入ると、少女は既に次の車両への連結部分に達しようとしていた。
デッキにいた兵士が戻ってきて少女に何か話しかけている。兵士たちは軽く敬礼すると、そのまま容の方へと歩いてきた。容は素早く客席に腰掛け、兵士たちが車両を通過するのを待った。そのままさっきまで容がいた車両へと行ったのを確認してから、少女の後を追いかけた。
デッキに入ると、そこは既に閑散としていた。カウンターテーブルの向こうにいた店員が「あ、次の営業は夕方からです」と声をかけてくる。容は黙ってうなずくと、店員が車両から出ていくのを待った。辺りを見渡すが、少女の姿はどこにもない。
デッキの後ろに付いている扉からは、その向こうには流れている景色が見えるだけだ。(どこに行ったんだ?)一歩踏み出そうとした時、洗面所の扉が開いた。中から手が伸びて、容のネクタイを掴むと、そのまま扉の中へ引きずり込まれた。
そこに少女がいた。睨むように容を見ている。「とりあえず、それ、離してくれないか」掴まれたままのネクタイを指差して容は頼んだ。少女は何度かネクタイをグイグイと引っ張っていたが、もう良いだろうと思ったのか、ようやくそれを手放した。
容はネクタイを直しながら、改めて少女を見た。薄いブルーのワンピースを着ている。ワンピースは華美なものではなく、どちらかと言えば質素と言っても良いくらいだ。アクセサリーなども、先程確認したネックレス以外には身につけておらず、その容姿を除けば、とても王女には見えない。
少女は警戒しているのか、まだ険しい表情を解こうとはしなかった。困った容は「はじめまして」と挨拶してみることにした。しかし少女からの返答はない。容は大学時代に女性と付き合っていたことはある。しかし、社会人になって2年ほどで別れてしまい、それ以来仕事に明け暮れた毎日を送っていた。
当然、女性に接する経験は乏しく、このような時どう言えば雰囲気を和らげられるのかが分からない。困っていると、少女は容を指差しながらこう言った。
「さっきの、どういう意味?」
「どういう意味も、書いた通りなのだが」
「そうじゃなくて、誰が誰に命が狙われているのかって聞いてるの」
「いや、ちょっと待て」容はその前に確認しておきたいことがあった。「君はなんとか王国の王女様なのか?」少女の眉間にシワが寄る。
「ウィングフィールド王国。どこで聞いたの? それ」
「さっきの兵士たちが話しているのを偶然聞いたんだ。始末するって言ってたから」
「兵士が私のことを王女だって、あなたに言ったの?」
「そうじゃない。そのネックレス……」
容は少女の首元を指差した。少女はネックレスを見て、そっと手を当てた。「これは、お母様から頂いたものなの」と少し寂しそうに言う。容は「それを兵士が売ると言っていた」ことを少女に伝えるべきか悩んだが、止めておくことにした。これ以上悲しませるようなことをすべきではないし、そもそも時間がない。
「その兵士に、君が命を狙われているんだ」
「分かった、信じるわ」
「どうやって少女に信じてもらえるようにするのかで、困ることになるのではないか」と容は思っていたので、あっさりと少女が信じたことに驚いた。
「そうくるのなら、とにかく早く行動しなくちゃね」
「行動?」
「だってそうでしょ? 命を狙われているんだから。逃げるか、戦うか?」
「君が戦うっていうのか?」
少女は信じられないという顔で容を睨む。数々の犯罪者と対峙したことがある容にとって、睨まれることなどは日常茶飯事のことだ。今更、そんなことで怯むようなことはない。しかし、相手が少女となれば別の話だ。ましてや、人形のように美しい少女に睨まれているのだ。多少顔に動揺が現れたとしても、不思議ではない。
それを見た少女はニヤッと笑った。嫌な予感がする。
「あ・な・た・が、助けてくれるんでしょう?」
やはりそうなるのか。容はため息をついた。容としても、放っておく気はなかったが、それにしても状況がさっぱり分からない中で、どうすれば良いというのだろう。大体、本当に王国の王女様なら、他に誰か助けを求められるのではないか?
容がそう聞いてみると、少女は再び悲しそうな顔になって「そんなものは、いないの」とつぶやくように言う。しかし、すぐに元通りの表情に戻ると「あなたが助けてくれないと、私は死ぬのよ」と付け足した。
これが容の正義感に火をつけた。キャリアとして警察に入り、管理官という現場に近い仕事を希望したのも、その正義感が根底にあったからだった。無論、裏方の仕事も重要だとは分かっているが、より充実感を得たいと思っていたのは事実である。
目の前に自分が助けないと死んでしまう者がいる。動機としてはそれだけで十分だと思った。容は「分かった」と言い、まずは兵士たちをなんとかしないといけないと思った。
「王女様、そもそもあの兵士は、あなたの護衛じゃないのか?」
「一応そういうことになっているんだけどね。あれは共和国の兵士、つまり私の国の兵士じゃないの」
「なるほど……それなら王女様、兵士の数は何人いる?」
「この列車に乗っているのは、5人って聞いてるわよ」
「5人……意外と少ないな。王女様の護衛としては、足りないんじゃないのか?」
「共和国は、私の護衛などどうとも思ってない証拠よ。何かあっても王国相手ならもみ消せるとでも思ってるんでしょう」
「うーむ、5人くらいならなんとかなるか……。王女様、何か武器のようなものはもっていないのか?」
「武器なんて持っているわけないじゃない! それよりも、あなた。さっきから王女、王女って言っているけど、私には『フェリシア』っていう名前があるの!」
「じゃぁ、フェリシア様」
「様もいらない。それにあなたの名前は?」
「俺は柏崎容と言う」
「カシワ……言いにくい名前ね。ファーストネームはどっち?」
「ファーストネーム、あぁ名の方か。それは容だ」
「ヨウ? 変わった名前ね」
「ほっといてくれ」容は少しふてくされたような表情になった。この名前は気に入っているのだ。例え王女でも、そんなことを言われる覚えはない。一瞬「俺からすればフェリシアだって変な名前だ」と言い返してやろうかと思ったが、あまりにも大人げないと思い止めた。
「ヨウ、ヨウ、ヨウ……。うん、慣れてくると良い名前ね」
続けてフェリシアがこんなことをつぶやいたのを耳にして、容は自分がまだまだ未熟だと悟った。少しの言葉の行き違い程度で、心を乱されていてどうする。犯罪者相手にも屈しない心を身に着けてきたんじゃないか。反省しつつも、フェリシアに褒められたことで、少しだけ照れた。
少しきまりが悪くなり、咳払いしてから話の続きをする。武器はない。相手は5人。先程の兵士が言っていた「次の駅を出たらやる」ということから、時間はそんなに残っていないことが分かる。武器がないのなら、戦えない。しかし走っている列車から逃げるのは事実上不可能だ。
列車の速度から考えて、飛び降りる場所さえ考えれば、容ひとりなら怪我はしても命は助かるかもしれない。だが、この少女にそれは無理だろう。
フェリシアは先程、兵士に「トイレに行ってくる」と言ってきたと容に伝えた。それならば、ここに長く留まるのも良くないだろう。容たちは一旦席に戻ることにした。洗面所を出て、扉を閉める。ふと、容はあることを思い出した。これは使えるかもしれない。
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