涙も、ない

@kantsubaki

ーーー

4月6日

お昼は用事なし。夜は坂田さんと。1.5+ご飯。相変わらずしつこい、ねちっこい!けどこれで50万貯まったー!う・れ・し・い

4月7日

りっちゃんと光希と買い物♪って私はほぼ何も買ってないけど…。お昼ご飯おいしかった。夜は橘さん、フェラまでがんばったら3くれた!もうすぐ学校だぁー。

4月8日

用事なし。コーちゃんから電話きて1時間くらい喋った(隣の家にいるのに笑)!相変わらずかわいいの…一緒のクラスになれるといいね、って。。うれしいー……。。



美也子は娘の日記帳を閉じた。窓の外の日はやわらかく、綺麗に片付けられた女の子らしい部屋は太陽のせいで電気をつけずとも十分に明るい。

日記帳を注意深くもとの場所に戻す。まだ部屋のなかを見ていたかったけれど、もうすぐ玲奈が帰ってくる頃だから。

…最初に異変に気づいたのはいつだったろう。高校のセーラー服を着た姿は、入学したときはよく似合っていたように感じるのに、今では何か得たいの知れないものとして美也子の目には写った。まるで──そう、染みだらけで欲深い目をした年増おんなが、無理をしてセーラー服を着ているかのように。

男に体を売るような人間になってしまった。娘のことは愛しているはずなのに、そのことに対してはなぜか何の感情も浮かんでこなかった。





4月10日

コーちゃんと一緒のクラスだった!よかったぁ、他の女の子に目移りされたらいやだもん。学校は午前だけだったから帰りにマック寄った。次の日曜日に出かける約束!おしゃれしなきゃね。


日記帳のページをめくった。風が吹いてきて、寒い。

窓をしめて、再び日記の上の丸っこい文字と睨みあう。


4月15日

コーちゃんと水族館!かわいい魚がたくさんいた。コーちゃんがいつもより優しくてかっこよかった……。そのあとコーちゃん家でご飯ご馳走になった!冴子おばさんあいかわらずお茶目だったー、孝さんとも円満みたい。三人で毎日こうやってご飯食べてるんだなぁって思った。うらやましい。


最後の一文は小さな文字で、ついでのように書かれていた。日記帳のなかで申し訳なさそうに、どこか所在なさげにぽつんと佇んでいる。


「……ママ?」

声。はっとして振り向くと、そこにはセーラー服をまとった玲奈がいた。

「……何してたの?また勝手に人の部屋入ってたの?」

「……」

答えなくとも手に持った日記帳が全てを物語っている。玲奈はひったくるように私の手から日記帳を奪った。

「玲奈……なんで、こんなこと。援助交際なんか」

今度は玲奈が黙る番だった。

「なんで」「どうして」「そんな子だと思わなかった」なんて、詰問するような口調は知らず熱が入る。玲奈はキッとした目で私を見る。玲奈の口から怒濤のように言葉が飛び出してきた。

「うるさい!ママの監視にはもううんざりなの、大体浮気されたのだって自分のせいなのがわかんないの?そんなみすぼらしい格好して、私のことだけじゃなくて周りのこともちゃんと見てよ!パパがママのことどう言ってるか知ってるの!?あんなのと結婚するんじゃなかったって……私は、私はママみたいになんかならない」

……うるさい。彰さんが私のことをどう思っているかなんて知っている、けれどそれと不貞を働くことには何の関係もないじゃない。とっくの昔に出ていった父親が恋しいから男のひとからお金をもらってセックスしたなんて何の言い訳にもなっていない。

頭のなかは言いたいことで溢れかえっている。目が熱い、喉が熱い。なのに私は、何も言えない。

「ママみたいになんかなりたくない!だから女を売ってるの、私のすることにいちいち口出さないでよ!ママには何の関係もないでしょう!?」

「こ……光一くんは、どうなるの」

幼なじみの男の子は、中学の頃から付き合い始めたあの子はどうなるんだ。他の男に体を売るなんて、申し訳ないと思わないのか。

詰ろうと口を開いたのに、カラカラの喉から絞り出した声はみっともなくしゃがれていた。

「コーちゃんは…関係ない。知らなくていいもの、こんなこと。」

なんて娘だろう。なんて女だろう!

この女は彰さんと…こいつの父親とまったく変わらない。平気で悪いことをやってのけて、被害者の前にけろりとした顔で現れるんだ。私はなにひとつ悪いことなんてしていません、なんて顔をして、最初に会った頃と同じような笑顔でこっちを見るんだ。腹の底で嗤っている癖して。

憎い。自分の娘なのに、ただひたすら憎い。まるで被害者である私が抗議の声をあげることさえ許されなかったあの夜のようだった。




あの日から、玲奈との関係はぎくしゃくしている。もともと静かだった家はさらに静かになり、二人で住むには大きすぎる家はがらんとして寂しそうだった。

時折また口論になる。毎回、玲奈は言うだけ言ったあと部屋に閉じ籠る。そしてまた私の心が憎しみに染まる。

……こんな感情を自分の子供に抱くなんて。間違っている、はず、なのに。





今日もママと口喧嘩になってしまった。別にママを責めたいわけじゃない、援助交際のマネゴトだって私が勝手にしていることであってパパのことなんか関係ないのに。なんでママはあんなにも私のことに干渉してくるんだろう、もっと適切な距離感があれば、私だって……。

「玲奈」

「ん?」

コーちゃんの部屋はいつだって片付いている。前に「玲奈がいつ来ても困らないようにキレイにしてるんだ」って言ってたっけなぁ。

ママのことをつかの間忘れて、胸があたたかいもので満たされた。

「これ」

突きだされたのは大きな茶封筒だった。中に入っているもののせいで分厚く膨らんでいる。

「どうしたの?これ」

「いいから見て」

コーちゃんは無表情だった。なんだか怖い。

そっと受けとると、指がふれあった。びくり、とはねのけられる。コーちゃんの指は震えていた。

何だろう。なにを見たんだろう。思い当たる一番悪いことなんてひとつしかない、でもそんなはずない。ばれないように気を遣ってるし、まさか。きっと大丈夫。

私の指は、大丈夫だと心を落ち着かせようとするたびコーちゃんのみたいに小さく震えた。大きく息を吸って、吐き出す。すでに開けられて糊が剥がれた封の口を開く。そっと指を中に差し込んで、最初に手に触れた一枚を引き抜いた。


……それは写真だった。ネオンがきらきら輝くラブホテルの前で、男のひととキスする私。


頭が真っ白になる。

コーちゃんに、見られた…。誰が?なんで?

頭のなかは、なんで、どうしよう、そんな短い単語でいっぱいになっている。けれど心の片隅で、もっと生々しいやつじゃなくてよかったぁ、なんて無表情なまま思っている自分が確かにいた。

「あ、あ……こう、コーちゃん。違うの。これは、ちがうの。」

いったい何が、どう違うというのだろうか。手から滑り落ちて床一面に散らばった写真を必死にかき集めて抱きしめた。男に抱き締められる私、腰に手をまわされて歩く私、ホテルに入っていく私。

見ないで。見られたくなかった、コーちゃんには。こんなわたし。

「ごめんなさい、ごめんなさい……」

コーちゃんの目を見るなんてできなかった。ただうつむいて、ごめんなさいと許しを請うことしかできない。

「……いいよ…………」

コーちゃんの声は震えていて、今にも泣き出しそうだった。

「ごめんなさい、ごめんなさい……」

静かな部屋に、いつまでも私の声だけが響いている。

泣くに泣けない、私の惨めな声、だけが。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

涙も、ない @kantsubaki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る