第25話  空前の大混乱

益子焼さんは今までに見たこともないようにニヤリと微笑んでから、空を見た。何が起こるんだこれから。

 校庭では野球部もやってきて、ノックを始めている。硬式の野球ボールが容赦なくヒョロヒョロの天文部達に直撃している。サッカー部は相変わらずエンドレスなドリブルを続けているし、もう地獄絵図だ。

「何が始まるんですか、先輩」

 竹下通はペロリと乾いた唇を舐めた。

「直に分かる。でも確かだった事はやはり韮澤さんは天文学者としては極めて優秀だ、ということだ」

 意味ありげに益子焼さんは力なく笑った。足元はおぼつかない。まさか台本に書かれている「時は熟した」という発言の後に死ぬのではあるまいな、という疑念さえ持ち上がってくる。だとすれば、俺達の天文部内部崩壊という作戦は全面的に変えざる負えなくなる。

「諸君、もうじき来るだろう」

 韮澤さんはらしくもなく大きな声で空にそう言葉を放った。でも予想以上に響いていない。動きが大きかった割に声はすぐに空気中に消えていった。はかない。なんなら、叫んだ後に、ノックの高く上がったボールが頭の上に直撃しているし、サッカー部のえぐいドリブルに翻弄されてるわで、韮澤さんは混乱を極めている。終いには「我は王なり」と、たしか竹下通が序盤で屋上に突撃した時に、あまりのショックで放った言葉も出ている始末。もう聞きたくないと思っていた言葉の出現に俺は思わず息をひそめた。

「部長、本当だったのかもしれません」

 一人の生徒はたしかにそう言った。腰を抜かしたのか、それともノックが直撃したのかは知らないがとにかく腰が砕けている。

 俺達も空を見た。 

 何かが猛烈な勢いでやってきている。

 なんだあれは。

「ねえ」

 朱堂は珍しく声を震わせながらその後何を言うべきなのか分からずに、そう言うと言葉を発することを止めた。

「何がはじまるのでしょう」

 ナナだったか吉祥だったかはどっちが言ったかは分からない。でも今はどちらでもよかった。

「竹下通君」

「はい」

「天文部は新しい星を見つけたと言っていただろう」

「騒いでいましたね」

「私も半信半疑だった。でも自前の望遠鏡でよく観察してみると、彼等のいう通りたしかに新しい星は発見できた」

「はい?」

「しかもその星は流れ星だ。そして一昨日、コンピューターで軌道計算を行ったところ、今日の昼、この校庭に墜落する事が確認できた」

「ひっく」

 竹下通はしゃっくりと共に意識を失った。こいつが再び立ち上がった時の第一声はまた「我は王なり」に違いない。恐いぞ、もう聞きたくない。

 益子焼さんは気を失った竹下通には目もくれず空を見た。

「言ったじゃないか諸君。我々天文部はどの宇宙局でも発見できなかった流れ星を発見した。すごいぞ、大きいぞ。この地球は吹っ飛ぶぞ!」

 こんな恐ろしい男を敵に回してた高校生活なんて俺は嫌だ。早く卒業してくれ。

 あたりは風がなくなったかのように静まり返った。優雅に飛んでた鳥も、うじうじと歩いていた猫ももういない。この世からこの学校にいる人間以外は全ての生き物が消えたかのような錯覚を味わった。

「佐々塚整理しなさい」

 朱堂は現実逃避をするために端的に現状を説明するように俺に尋ねて来た。

 だから、俺はこう答えたんだ。

「つまり、俺達は死ぬんじゃないか?」

「ですますよね」

 吉祥は金切り声をあげると、空に浮かぶ黒点が徐々に大きくなってくるにつれて、校舎の玄関へと慌てて逃げていった。

 朱堂も。ナナも。俺はぶっ倒れてる竹下通を担いで。

「逃げろー何かくるぞー」

 さすがにヤバいんじゃないか、という不安を抱えていた一年と二年の天文部達は一目散で俺達と同じく玄関の方へと走り出した。

「君たち残りたまえ」

 韮澤さんは逃げていく同志たちを見ながら、さぞこの世の虚しさを感じた事だろう。所詮、韮澤さんについてた奴らは韮澤さんについていたのではなく権力の側についていたかっただけなのである。

「歴史的な瞬間を見届けよう」

 何か丸い奴が今まで見た事もないような速さでこの学校に迫ってきていたが、俺達は既に玄関に到着し、玄関口のドアを閉めようとしていた。 

 でも。

 天文部とサッカー部と野球部の奴らが地獄から抜け出してきたような顔しながら玄関口のドアを開けようとしている。朱堂とナナは鍵を閉めようと必死だ。そんな悪魔に魂を売ったような事をしないでもいいのに、と俺は肩で呼吸をしながら言うが、「流れ星でみんな木っ端微塵になっちゃえば楽勝でしょ」と言う。サッカー部と野球部はナナの言葉を借りれば、権力に圧迫される無実の民、なのにだ。

「開けろ、バカ」

「おら、生きたい」

「もう韮澤さんにはついていけない!」

「早く開けろ」

 一〇〇人近くが、バーゲンセール開始前のデパートみたいに玄関口に押しかけている。なかなかドアをしっかりと閉めきれないらしくナナと朱堂は鍵をかけることに苦戦していた。むしろ二人でよく一〇〇人の力に対抗できるなと感心しながらも、ふんばっている。でも必死さには勝てない。ドアは見事に結界した。洪水のように人が玄関になだれ込んでくる。

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