第2話 新人、よく聞け!

とりあえず手元に置いてあった台本の二十ページを開いた。しっかりと俺のセリフの中にはマーカーが引かれている。


「はいはいはい、静かに授業始めるぞ」


 台本通りなのだろう、担任はセリフを言ってから、黒板の上でチョークを走らせた。俺は役者になった覚えはない。でもこうして俺は台本を持たされて、現に芝居が始まってしまっている。しょうもない役名をもらって、しっかりとセリフもある。正気の沙汰じゃない。

 適当なとこでリハは終わって本番は行われた。とても短いシーンである。オッケイーです、というADの掛け声でシーンは終わった。

 

 さて、奇妙だったのはここからなのである。その後も普通に授業は続いた。最初は、教師が役に入り込みすぎているだけなのかと思ったら違う。授業は進み、生徒達はノートを取る。きょとんとしてると、さっきのザ・学級委員気質な太った女子に消しゴムを投げられ、振り返れば「ノートを取らんかい、たこ」と言われる。隣のショートカットには笑われた。

 いよいよ勝手が分からない。とにかく机の横にかけてあった、恐らく俺のであろうスクールバックを取り出して、筆箱とノートを取り出してただひたすらにペンを動かす。まだ演技は続いているのかと、こっそり台本をめくってみる。次のシーンは「それから一週間後」と書かれているシーンが次のシーンだ。雑な場面転換であった。何なら、全部雑だ。

 とにかく俺は黒板とノートと時々朱堂を見ながら、難なく一限の授業を終えて、チャイムの音が鳴って、起立、礼、をしてからそのまま冷静に頭を抱えた。

 ADに状況をしてもらおうと、足早に廊下に出てみるが、多くの生徒達がぎこちなさそうに挨拶をしながら話している光景しか飛びこんでこない。


「新入り、ちょっといいかしら」


 振り返れば朱堂なのである。身長は想像以上に高かった。涼やかな目元と筋の通った鼻、薄い唇と、とにかく美少女の要素は悔しいほどに有していた。


「それよりも俺はあのADみたいな奴に用がある。あとでにしてくれるか」


 ふんと朱堂は鼻息を鳴らした。その息がわずかながらに自分の体にかかったのを感じた。


「台本読んだでしょ。次のシーンは一週間後なんだから、あの人はそれまで来ないのよ」


 人間は呼吸しないと死ぬのよと当たり前の事をいわんばかりの勢いでそんなことを言う。俺はとある義務感におそわれた。こいつらは何か良くないものに騙されているから教えてあげなければと。


「朱堂、よく聞け。映画とかでも撮影期間は大体一,二か月にぎゅっとおさめるんだよ。そんなタラタラやってたらいつ公開になるか分からねえ。お前ら全員騙されてるぞ。後で高額なお金でも要求されるに違いない。それにだ。朱堂はどうか知らんが俺は役者志望じゃないんだ。というか、ここはどこだ。俺の知ってる世界じゃない」


 という本音と本心と事実を最後まで言い切るかどうかという段階で、


「ていっ」


 という言葉が聞こえてきた。そして俺は地球の天と地が逆さまになったかのような感覚を味合ってから気が付けば地面に倒れていることに気が付く。


「ナナちゃん、ありがと」

「どういたしまして」


 その声が聞こえ時、俺は倒れながら目を開けた。鳥がチュンチュン鳴く声が聞こえた。俺の方がもっと真剣に泣きたい気分である。隣の席にいるショートカットの女子が、ニコニコと微笑んでいる光景を目の当たりにする。


「ナナちゃんはこんな可愛い顔して、柔道で中学チャンピオンになっているんだからね」


 つまりさっきの、ていっという掛け声は隣の女子だったということなのだろう。


「新人、よく聞け」


 朱堂は俺の鼻に当たるんじゃないかという近さにお人差し指を差し向けて来た。ギリギリのところで指先は俺の鼻の真ん前で止まる。


「この世界は誰かの小説の中なわけ。私たちはその登場人物なのよ」


 と平気で言う。

 どんなに冗談好きの奴でもひっくり返るだろう。俺は現にひっくり返っている。まあ背負い投げされているというプロセスに違いはあるもののだ。


「小説だってなんだって、二四時間三六五日の事を書いてるわけじゃないでしょ。物語にかかわる大事なシーンを書いてるわけ。でも当然物語の中で時間は進んでるわよね。つまり今がそれなわけ」


 俺はとりあえず、雲行きが怪しいどころではない事態を察知して、目を瞑りその場で胸に手を当てて横になった。今は全てを遮断したい。そんな気持ちになったのだが、片手を引っ張られて気づけば俺は二本の生足に頭が挟まっていた。いわゆる腕挫十字固というやつで、当然辛いにはつらかったのだけど、幸せな気分になったことは言うまでもない。


「ギブギブギブ」


 左手で地面を七回叩いた辺りでようやく固めがほどけた。


「俺は何も聞かされてない」


 まあ当然否定しなきゃいかん、朱堂の説明。


「どうも話が分からない男ね。あなたは作家のおかげで今こうして存在してるんだから感謝しなさいよ。間違っても作家批判をしたらダメ。すぐに消しゴムで消されちゃうわよ」


 雲行きが怪しいどころの騒ぎではない。大雨だ。嵐だ。天変地異だ。

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