派閥(明治偏) 71 秋山の天幕に行くと真一さん待っていましたよと紹興酒を勧めるので飲み干すと、色々と根回しご苦労様ですというので、貴方が参謀長でなくて残念です、参謀長なら


派閥(明治偏) 71


秋山の天幕に行くと真一さん待っていましたよと紹興酒を勧めるので飲み干すと、色々と根回しご苦労様ですというので、貴方が参謀長でなくて残念です、参謀長なら何も私がのこのこ出て、

くる事もないのですがと笑うと、いや、いや、私が参謀長でもあんなにうまい段取りは出来ませんよと言ったのです、明日からの作戦ですが10人単位で200人を20小隊に分け後方の線路爆破、

任務につかせます、


途中の住民にはわざと見つかるようにして、すぐ傍に3000人の部隊が展開しているので退避するように言い含めるのです、10人には中国語をしゃべれる者を一人必ずつけて下さい、地図を、

見て線路の爆破は駅は避けて警備の手薄なここですと、20箇所に記しをつけ、本体は戦闘はなるべく避けて、適当に移動しロシアの後方に大部隊が展開しているように見せかけてください、


私はウラジオに行くこの線路を200人で破壊します、そのまま海側に出て駆逐艦にて離脱します、上村さんの部隊がウラジオ付近を砲撃する事になっています、敵は海上だけでなく上陸した、

部隊がウラジオに来ると思い、クロパトキンに応援を求めるでしょう、単なる脅かしだと分かった時は奉天には日本軍が入場しているわけです、ロシア軍が撤退を始めたら、全部隊撤退して、

奉天に入場してくださいというと、


私の考えと同じです、何回も具申したのですがと酒をグイ飲みしたのです、ところで弟はバルチック艦隊を撃滅できるでしょうかと聞くので、中々の切れ者ですね、あれなら大丈夫ですよ、

この海戦は歴史に残るでしょうと言うと、臆病な奴で軍人には向かないと昔から言っているのですがと言うので、臆病だからいい戦術を思いつくのですと、私も同じですよと言うと、なる、

ほどとうなずいたのです、


朝早く各々馬に乗り出発したのです、真一達は敵の左が側を迂回しウラジオに行く線路に到着して次々と線路を爆破して海側に侵攻したのです、敵は線路を破壊されているために追撃できず、

海岸まで出ると目標地点には撤収のボートが待っていたのです、上陸したと思わせる焚き木を組み火をつけて、ボートに乗り込み上村のいる旗艦に向かったのです、ウラジオ付近を適当に、

砲撃して撤退したのです、


これを聞いたクロパトキンは一個師団2万名を救援のためウラジオストックに向かわせたのだが、線路が切断されているので徒歩による行軍となつたのです、勿論その時点では真一達は撤収、

した後です、別働隊は奉天からの鉄道を破壊しながら住民に避難を呼びかけて転戦していたのです、そして本体が奉天めがけて進軍すると、案の定第3軍の薄い場所にロシアが突撃して来た、

のです、


乃木軍はわざと口を開け追撃の止まったところで口を閉じ、回りから襲いかかったのです退路を絶たれた4000人は逃げ惑い、あつという間に壊滅してしまったのです、乃木軍は怒涛の如く、

押し返し破竹の勢いで奉天に迫ったのです、奉天にいたクロパトキンは次々と後方に大部隊が展開して包囲されつつあるとの報告を受け、全軍に撤退命令を出したのです、線路が寸断、

されているので、


ほうほうの手でやっと国境線まで撤退が完了するまでは5日はかかり、見えない日本軍に怯えながらの撤退で武器を棄てて撤退する者が続出したのです、大山は奉天の手前で進軍を中止し、

敵の完全撤退を持つて奉天に入場したのです、兵の損耗は微々たるもので、ロシア軍の武器、弾薬、糧秣を大量に捕獲したのです、秋山部隊が帰ってきて、真一達も船をおり列車で奉天、

に向かったのです、


クロパトキンは後方には大部隊などは存在しない事にきずいた時は司令部は国境線まで撤退し続々と部隊が退却してきたのです、大砲、機関銃等の武器、弾薬、糧秣はすべて置き去りに、

した為に部隊の食料にも困る有様で緊急に本国に補給を要請したが、奉天撤退を聞いた皇帝はかんかんになって怒ったのです、幕僚がこのままではまずいので反撃しましょうというと、

武器も弾薬もなしで戦えるわけないだろう、


今攻め込まれたら遠くに撤退せざるを得ない、せめてここに踏み留まるのが精一杯だとクロパトキンは言ったのです、奉天に帰り着くと大山と児玉が出迎え、大成功でした、敵はよっぽど、

慌てたらしく、多くの大砲等の武器、弾薬、糧秣を押収しました、クロパトキンは暫くは反撃できないでしょうと嬉そうです、私は明日に佐世保に戻ります、備えを固めて絶対にこの地を、

明け渡してはいけません、


捕獲した大砲を備えてたまに砲撃して脅かしてくださいと言うと、大山が承知しましたといい、それではと紹興酒で乾杯したのです、次の日には列車に乗り旅順に行き、軍艦で佐世保に、

戻ったのです、この奉天会戦の勝利は欧米にまたたくまに広がり、ロシアでは皇帝に抑圧されていた人々が各地で反乱を起こし、ニコライ王朝はこのまま戦争を続ければ崩壊しかねない、

状況に追い込まれて行くのです、


日本の国債は飛ぶように売れ、戦費の調達も順調で政府はホット一息ついたのです、商船に見せかけた偽装偵察艦を東シナ海に派遣し日夜監視をしたのです、これらの船にはすべて無線が、

つんであり、発見次第佐世保の本営に届く事になっていたのです、しかしバルチック艦隊はシンガポールで目撃されたのを最期に行方をくらましたのです、東郷の参謀達にもあせりの色が、

見えはじめ、


またもや津軽海峡に第二艦隊を派遣すべきだという意見が起こったのですが、東郷はガンとしてこれを退け静かに待つように、部下に言い含めたのです、5月27日午前2時45分九州西方海域、

にて、仮装巡洋艦、信濃丸がバルチック艦隊の病院船の灯火を夜の海上に視認した、接近したところ、4時45分突如無灯火航行中の艦影・煤煙を多数視認し、此を無線電信で通報したのです、


バルチック艦隊は対馬方面へ向かっているとの通報である、佐世保の本営では東郷が全艦隊に出撃命令をだしたのです、次々と佐世保を出航し対馬海峡に向かったのです、14時05分敵との、

距離8,000mにて艦隊は左へ大きく回頭したのです、いわゆるT字戦法の始まりです、すべての艦船が回頭終ると距離は6000mとなり一斉砲撃に移ったのです、会戦30分で前方にいた多数の、

軍艦に砲弾が命中し、


バルチック艦隊は大半が戦闘能力を失ったのです、東郷は左回頭を繰り返し敵の頭を抑え至近距離で砲撃を加えて一時間もするとバルチック艦隊の艦船は多数が火災を起こしたのです、

陣形はみだれおのおのこの海域から離脱しょうと逃げ惑ったのです、夕暮れになり砲撃を中止し水雷隊に後を任せたのです、翌日にはバルチック艦隊の旗艦に白旗が揚がり、機関が停止、

したので、


東郷は戦闘中止の命令を出し、多くの艦船を拿捕して佐世保へ回航したのです、この報は全世界に流れ、アジアの黄色人種が大国ロシアの艦船を撃滅した事に驚いたのです、これを受けて、

アメリカ大統領がロシアへ和平を呼びかけたのです、ロシアがこの呼びかけに応じたので、日本とロシアは一時休戦して、アメリカのポーッマスで和平への向けての会談を行う事に同意、

したのです、

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