派閥(明治偏) 69 明治36年最期の御前会議でも天皇はロシアとの国交断絶を承認せず、粘り強く交渉する事にして再び親書をロシアに手渡したのですが、何の回答もこずに明治37年になっ


派閥(明治偏) 69


明治36年最期の御前会議でも天皇はロシアとの国交断絶を承認せず、粘り強く交渉する事にして再び親書をロシアに手渡したのですが、何の回答もこずに明治37年になったのです、東郷はすで、

に艦隊を佐世保に終結させ日夜猛訓練を行っていたのです、一月が終わりになっても何の返事もこないので再び御前会議を開くと、やもうえないと天皇が裁可したのです、政府は2月8日に会戦、

に突入する事にして東郷に旅順港の敵艦船の攻撃命令を出したのです、


東郷は佐世保より出航し旅順へ向かったのです、2月8日夜に水雷隊が旅順港に突入し敵戦艦めがけて魚雷を発射したが、損傷を負わせただけで戦果は上がらず失敗に終ったのです、それに伴い、

陸軍は朝鮮仁川に上陸して満州に向かったのです、それに先立ち任川に停泊していたロシアの巡洋艦を攻撃しこれを撃沈したのです、東郷は湾外で敵艦船を待ち伏せしたが、敵艦船は旅順港、

深くに停泊し動こうとはしなかったのです、


しかたないので白瀬少佐の提案した旅順港封鎖をする事になり、老朽船を湾の入り口に沈めることにして夜陰に紛れ突入したが、湾岸砲に阻まれて二回の作戦も失敗したのです、9月になり、

陸軍は旅順に上陸作戦を行う事にして乃木中将を司令官として第3軍を編成し旅順攻略に向かったのです、日清戦争で乃木はここを3日で落とした実績がありみんなが直ぐに落ちるものだと、

思っていたのですが、


ロシアはここにコンクリートによる要塞化をすすめて前回とは比べ物にならないほどの、機関銃と大砲を備えて日本軍を待ち構えていたのです、乃木を始め参謀達は総攻撃をすべく配置に付き、

総攻撃に入ったのです、しかしロシアの銃砲撃は苛烈で第3軍は第一次攻撃にて8000の死傷者を出し失敗に終わったのです、あまりの犠牲に参謀達はロシアの防御の堅固さを知る事となり戦線、

は膠着したのです、


やがてバルチック艦隊がリバウ港を出航し、一路日本に向かった事が知らされたのです、海軍の強い要請により第二次総攻撃をおこなう事となり、一斉に攻撃しましたが敵の要塞はびくとも、

せずにまたもやおおくの戦死者を出しこれも失敗に終ったのです、真一は偽装商船に乗り込み補給ルートを航行しているとウラジオの巡洋艦一席と駆逐艦一隻が停船命令をだしたので船の後、

ろを開け、


水雷艇を次々と発進させたのです、ロシアの巡洋艦が砲撃を始めたので商船は退避して水雷艇が襲いかかつたのです、あまりのスピードにロシアの巡洋艦は照準を合わす事が出来ず、水雷艇、

の放った魚雷により2隻とも撃沈されたのです、この報を聞いたロシアの旅順艦隊がイカリを上げウラジオに急行すべく旅順港を出てきたので東郷が向かえ撃ったのです、多数のロシアの艦船、

にダメージを与えたのですが、


ロシア艦隊はまたもや旅順に逃げ帰り二度と出てこなくなったのです、ウラジストックにいたロシアの巡洋艦隊は補給船を脅かそうと商船を狙ったのだが、それが真一の偽装商船とは知らず、

に次々と撃沈され壊滅してしまったのです、残るは旅順艦隊のみです、陸軍は二度の失敗に懲りて攻撃を控えまたもや膠着状態におちいってしまったのです、東郷の参謀秋山が旅順要塞の、

攻撃は断念して、


その北西にある203高知を占拠して観測所をもうけ湾内の艦船を砲撃して撃滅すれば敵は戦意を失い降伏すると提案し第3軍に意見具申したが、あくまでも旅順要塞攻略にこだわる参謀達が、

承知しないのです、このまま行けば旅順艦隊とバルチック艦隊が合流してしまいます、真一は満州にいる児玉に会い乃木を説得するように頼んだのです、児玉は他に砲撃観測地は確保して、

いるのに、


あえて203高知を取る必要はないというので、このまま正面攻撃を続ければ犠牲が出すぎる、203高知に目をむけさせればロシアも防御に兵を裂くしかなくなり、ここに繰り出してくる兵、

を叩けば兵の消耗が激しくなり、第三次攻撃では兵を配置出来なくなり容易く陣地を落とす事が出来、落とされれば戦意喪失して降伏します、兵の損耗をさせるためですと言うと、

なるほど分かりました明日にでも出発しましょうと約束したのです、


旅順落後に湾内の艦船を調べたが砲弾による撃沈は少なく、ロシア側が自沈させた物だと分かったのです、黄海会戦で殆んどの艦船は傷つきドッグが旅順にはないので、稼動できる艦船は、

ほとんど無かったのです、しかし203高知の攻防でロシアは多大な兵の損耗を強いられ、防御の兵が撃滅した為第三次攻撃で敗退したのです、児玉の説得に応じ攻撃点が203高知に移り、

ロシアは兵の損耗を重ねる事となり、


ついに12月になり陥落したのです、この報は全ヨーロッパに報道され、多大な犠牲をだしても攻撃をやめない日本軍の恐ろしさをロシアが知る事となり、この第3軍が旅順攻略後に北上し、

日本軍主力に合流した為、クロパトキンのロシア軍に恐怖を抱かせた事は事実であり、ロシア軍はバルチック艦隊が日本海軍を撃滅して補給線を断ち切るまで積極的な攻撃はしなかった、

のです、


そのころユキは佐世保にて次々と旅順から送られて来る傷病兵の看護に追われていたのです、その惨状は目を覆うばかりだったのです、東郷達は旅順艦隊が消滅した為バルチック艦隊との、

決戦を控え、艦船の修理の為佐世保に回航したのです、真一も佐世保に帰還して次のバルチック艦隊との戦いの作戦会議に出たのです、秋山は対馬海峡を通るとしてそこに配置すべきだと、

主張し柳田は津軽海峡に配置すべきとして意見は対立していたのです、


真一は対馬で待つように誘導しなければならないのですが、そこに来ると言う確証は何一つないのです、しかたないので東郷にロジンスキー提督はどんな人なんですかと聞くと、実直な人で、

勇猛かかんな軍人ですと答えたのです、それなら太平洋を迂回して津軽海峡に行く事はないでしょう、必ず正攻法で距離の短い対馬を抜けるはずです、日本に来る最期の停泊地はシンガ、

ポールになります、


日本の艦隊が対馬と津軽に分散して待ち構えていると欺瞞情報を流してもらいましょう、何隻かの駆逐艦を津軽海峡に派遣してわざと見つかるように行動させてください、そうすれば必ず、

対馬へ来ます、それまではここで全艦隊待機するのですと言うと、ウラジオ艦隊を撃滅した真一の言事に口を挟む者はいなかったのです、会議はお開きとなり東郷と秋山を誘って飲む事に、

して料理屋へ向かったのです、


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