派閥(明治偏) 63 龍馬達は翌日高鍋、佐土原、西都をローカル列車で旅し西都から歴史的に有名な椎葉村に行き一泊する事にしたのです、バスに乗り椎葉村をめざすと、バスは奥深い山々


派閥(明治偏) 63


龍馬達は翌日高鍋、佐土原、西都をローカル列車で旅し西都から歴史的に有名な椎葉村に行き一泊する事にしたのです、バスに乗り椎葉村をめざすと、バスは奥深い山々を走り椎葉村に着、

いたので鶴富屋敷に宿泊する事にしたのです、ここは約800年昔に作られたのが最初で何回も立て直されているそうです、壇ノ浦で源氏に敗れた平家の落人が隠れ住んだ場所で、平氏に、

信仰厚い、


広島の厳島神社の分社も近くに建立されているのです、平家の落人はひっそりと暮らしていたのですが、ここに隠れ住んでいる事が鎌倉幕府に知れて、頼朝は討伐を送る事にし関東の那須、

の豪族に討伐を命じたのです、那須の大八は討伐軍を率いて奥深い椎葉村に侵攻したのです、そこでつつましく暮らしている平家の落人をみて討伐を断念します、その中に平家の鶴富姫が、

いたのです、


やがて二人は恋に落ちてしまいこの鶴富屋敷で一緒に住む事になったのです、なかむつまじく暮らしていたのですが、大八に鎌倉から帰還命令が来て帰る事になったのです、敵である平家、

の姫をつれて帰るわけには行かず、大八は鶴富姫を残して鎌倉に帰還し、それから鶴富姫は毎日泣き暮らしたそうです、宮崎の民謡ひえつき節にはその状況をおりまぜた歌詞があり語り継、

がれていたのです、


ここでも西南戦争での政府軍との戦いがあったのです、西郷はここに立ち寄ったのですが、その昔源氏との戦いで敗れて滅亡した平氏と西南戦争で敗れて滅亡した薩摩軍と同じ運命を感じ、

たのです、龍馬がここに案内した重要な訳を西郷は後で知る事になります、この屋敷は泊る事が出来るようになってて、宿帳に記帳すると女将がビックリしていたのです、部屋に案内され、

て入ると、


昔つくりの囲炉裏が真ん中にあり鉄瓶がかけてあります、仲居が鉄瓶のお湯でお茶を立てて3人に勧めたのです、温泉にでも入ってゆっくりしてくださいというので連れ立つて温泉に向か、

うと、広い温泉ですタツプリ汗を流して部屋にもどり、仲居がビールとつまみを持ってきたのでグラスをかさねて飲み、みんなは風呂上りのビールはたまりませんと喜んだのです、


そのころ真一は市営球場のレストランにいたのです、今日は天気もよくバギー場もオープンしておりスマホのGPS機能で龍馬達のいる場所を検索すると、宮崎の椎葉村にいる事が分かった、

のです、明日は延岡長井村に泊って明後日当たり城山に帰るのだろう、延岡から日豊本線で特急にのれば鹿児島まで4時間でいけるはずである、明日稚内を出発して鹿児島まで行き泊って、


帰ってくるのを待つ事にしたのです、会社に戻り私用で3日休暇を取りたいというと、所長がいいけどどうしたのと聞くので、この前は実家によって1日しか泊らなったから、親孝行しに、

帰ってこようと思っているというと、快く承諾してくれたのです、会社が終ったのでみやびに顔を出して、女将に事情を話し、あの3人は帰ってこないと思うというと、荷物は何も残っ、

ていないからいいけど、


彼らが消えていくのを目の前で見届けるなんて辛い事だねというので、どういうふうにいなくなるのか分からないけど。ともかく立ち会ってきますというと、気をつけて行ってらっしゃい、

と言ったのです、みやびを出るとユキに電話していつもの居酒屋に来るように言うと、直ぐにいけるという事なのでタクシーに乗り向かったのです、居酒屋に入るとユキが座っており、


ビールと料理を注文して乾杯したのです、明日鹿児島に行くのだがというと、大丈夫だよ、今の時期は子牛も生まれる予定がないわといい、電話してユキも休暇を取ったのです、鹿児島か、

あ、初めて行くわ楽しみと言ったのです、しかしあの龍馬は人間なのかしらと言うので、多分人間だろう、ビールも飲むし、料理も食べるからねと笑ったのです、


食事が終わり、今日はこの後は飲まないで家でゆっくりするよというと、お店も休まなくてはいけないので今日はお店に出るわ、明日迎えに行くよと言うので、店を出てユキを送って行き、

マンションに戻ったのです、翌日はユキを伴って稚内空港に行き羽田へ行き乗り換えて鹿児島空港に向かったので、約4時間のフライトで鹿児島空港に着き、レンタカーを借りて鹿児島、

市内に向かったのです、


途中で高速を降りて薩摩軍が突然現れた蒲生へ向かったのです、着くと山間の閑散とした場所でした特に西南戦争の跡は残っていない、長井で残った1000人の薩摩軍はここでは350人に減っ、

いたそうです、ここを突破して鹿児島城下に入るのですが、城山に着いたのは250人程度で20才以下を下山させ残りは200名足らずになっていたのです、高速に乗り鹿児島市内に向かった、

のです、


左に錦港湾と桜島を望み一路鹿児島に向かったのです、そのころ龍馬達は延岡の長井村に到着して薩摩軍本陣跡にいたのです、そこには人形で薩摩軍の軍議の様子が作ってあったのです、

観光名所になっており、主人が西郷と新八をみてビックリしているので、子孫だというと、是非泊ってくれというので泊めてもらう事にしたのです、自分の書い敬天愛人の額が飾ってあり、

懐かしい思い出です、


荷物を置き最後の戦いの場所に出向いたです、畑の高台から下を見下ろして、ここにいたのですが敵の鉄砲の弾がヒュ~ん、ヒユ~んと飛んできましたが一発も当たらないのです、形勢は敵、

の銃放火にさらされ突撃しても政府軍の陣地に近寄る事も出来ず惨敗でしたと戦場跡を眺めていたのです、可愛岳に行く事にすると主人が山道が整備されているという事で、主人の4輪駆動、

車に乗り向かったのです、


程なく頂上に着き、ここからこの山を降りたのです、そうかそして椎葉村に行き政府軍の糧秣と弾薬を奪って小林方面へ抜けたのだと西郷が言ったのです、山を降りて陣屋跡に行くと主人が、

奥座敷に案内して、ここでゆっくりして下さいといい、お風呂の用意ができましたらお呼びしますとお茶を出して部屋を出て行ったのです、西郷がもうすぐですねと龍馬に言うと、明日は、

鹿児島に辿りつきますよ、また城山で一泊します、多分真一殿は城山で待っているでしょうと龍馬が言ったのです、


真一とユキは鹿児島市内に入り磯庭園で車を止めユキに案内したのです、傍にある記念館には西郷の軍服等遺品が数多く飾ってあったのです、その頃鉄を溶かして加工する反射炉も残って、

おり、当時の薩摩の斉彬公が外国の文明を積極的に取り入れた事を物語っていたのです、

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