派閥(明治偏) 58 翌日龍馬達は昨日の女の子の案内で球磨下りの船に乗り込んだのです、清流の両脇は濃い緑に包まれて素晴らしい景色です急流あり、船頭の船さばきは見事な物でした1


派閥(明治偏) 58


翌日龍馬達は昨日の女の子の案内で球磨下りの船に乗り込んだのです、清流の両脇は濃い緑に包まれて素晴らしい景色です急流あり、船頭の船さばきは見事な物でした1時間の川下りを楽しみ、

陸に上がり、レストランに入り、すこし早いですが昼食を取る事にしたのです、女の子達に好きな物を頼むように言い、ビールが来たので盃を重ねたのです、一休みしてバスで旅館にもどった、

のです、


龍馬が女の子達に案内料だよとお金を渡すと凄く喜んでいたのです、バスに乗り込み人吉の駅まで戻ってローカル線に乗り都城に向かったのです、途中西南戦争には関係ありませんが、木崎原、

古戦場に立ち寄ったのです、西郷がここは島津義弘公が日向の伊東軍3000人とたった300人で戦い勝利を得た場所です、戦いのあった日は夏で伊東軍の進撃に島津軍は撤退したと見せかけて、

様子を伺っていると、


夏の暑さの為伊東軍の兵卒がこの川で具足を脱いで水浴びを始めたのです、指揮官は島津軍は逃げさつたとして制止しなかった為、次々と具足を脱ぎ水あびをしていると、それを見て隠れて、

いた義弘公が突撃を命じ一斉に伊東軍に襲いかかったのです、具足を脱いだ兵卒などイモみたいなもので次々と討ち取られ総崩れとなり逃げ惑い伊東軍は総退却をしたのです、これにより、

日向の伊東氏は内部崩壊して行ったのです、


勇猛果敢な薩摩兵が出来上がるのですが、この時には島津軍も300人中240人の死傷者を出し8割りの損害を出したのです、駅に戻り都城に向かったのです、都城は今宮崎になっていますが昔は、

薩摩藩の領地でした、回りを霧島連山に囲まれており、桜島の灰が降らないので米の収穫の見込める場所で薩摩藩にとっては重要な所だったのです、西南戦争の戦没者の墓参りをして特急、

にのり宮崎に向かったのです、


真一達はマンションに帰り着きシャワーを浴びてビールを飲み一服していると、ユキが佳代子さん達が何事もなく暮らせるといいねというので、みやびのママがついているから大丈夫だよと、

言ったのです、気になるのはあの3人か今頃何処にいるのかしらと言うので、3人の携帯のGPS機能を使って居所が分かるサービスに入っているので調べてみようとアクセスすると、地図が、

表示されたのです、


熊本県の人吉温泉にいるよ明日は都城から宮崎に向かうはずだというと、へえ便利な機能があるのねと言うので、電源を切るか電波の届かない場所にいない限り場所が分かるんだよと言った、

のです、もし彼らが龍馬をあの時代で操っていたとすれば龍馬の件はつじつまがあうが、歴史を修復する能力を持っているのだから、我々をあの世界に送り込む必要はないはずだ、


彼はいつでもタイムスリップ出来る能力をもっているが、どこからでもと言うわけにはいかないのだろう、あの洞窟みたいに限られた場所しかタイムスリップする事は出来ないのだと思うよ、

あの洞窟はタイムスリップする条件が整う場所であり7年に一回は自然の力で環境が整うのだろう、たまたま僕達がその日にあそこに行ってしまったため、タイムスリップであの時代に迷い、

こんだので、


僕達を監視する事になったのだろう、城山で死ぬはずの二人を助ける事がわかったので西郷の元に現れそれを阻止しょうとしたが、阻止できずに現代までついてきたのかと言い、小兵衛の、

場合は我々のいなかったので修復できたが、西郷達の場合は終焉の場所にいたし、それからず~と一緒なのでチャンスがなかったのかもしれない、それとも彼らは監視しているだけで修復は、

歴史自体が自然修復するのかもと話したのです、


まあの3人が城山に戻ったと時はっきりするだろうと言うと、それではその時に立ち会うのと聞くので、一緒に行こうというと、うんと返事して、ユキが浮気しなかったか確かめて上げると、

ベットに連れ込んで唇を重ね久しぶりに二人は燃え上がったのです、西郷達は宮崎に着きシーガイアホテルにチェクインしたのです、近代的なホテルで窓をみると雄大な太平洋が見えたの、

です、


西南戦争では宮崎では激戦はなく、政府軍も休養を取っていたため、ここでは薩摩軍は西郷札という軍票を発行して戦費の調達を行ったのです、荷物を置きここからバスで一時間行った所に、

江戸時代伊東氏の城があった所で西南戦争時にここの士族は薩摩軍に味方し参戦した為に敗戦後に苦渋を舐めたのです、そこに行く事にしてバスに乗り込んだのです、


左手に太平洋を望み南に下っていくと鵜戸神宮があるので参拝する事にしたのです、大きな鳥居をくぐり海岸に下りていくと洞窟の中に神殿があります、ここは神武天皇のお父さんが生まれた、

場所だそうです、成長し九州を平定しその息子である神武天皇が東征したという神話が残されている場所なのです、再びバスに乗り飫肥城下に向かったのです、バスを降りお城に向かったの、

です、


大手門は残っていましたが、お城はなく石垣があり中は小学校と中学校になっていました、茶店で昼を取ることにして、ビールと定食を頼んだのです、定食は飫肥天と飛び魚の刺身に味噌汁で、

した、ビールを飲み定食を食べて城下町を散策する事にしたのです、小村寿太郎記念館というところがありますので入ってみる事にしたのです、


小村寿太郎は龍馬が作った海援隊の出身である奥宗之が外務大臣になった後の外務大臣でアメリカへの留学の経験があり、明治の後半にロシアと日本が戦争をした時の日露戦争終結のため、

アメリカのポーッマスでロシアと交渉した全権大使だと説明すると、そうですか日本はロシアとも戦う事になったのですね、それでどちらが勝ったのですかと西郷が聞くので、あの東郷、

平八郎が、


ロシアの派遣したヨーロッパ最大のバルチック艦隊を撃滅して、アメリカのルーズベルト大統領の斡旋により終戦の会談を行いロシアが南カラフトを割譲する事により条約を締結したのです、

というと、この小さな日本があの大国に勝ったのですかとビックリしています、あなた達が明治維新を作り黒田、伊東、東郷達が育て上げた結果ですよと言ったのです、


近くに墓地があり西南戦争の戦没者のお墓に線香をたむけて冥福を祈ったのです、再びバスに乗りホテルに向かったのです、途中サンメッセ日南という場所がありましたのでバスを降りたの、

です、小高い丘を登っていくと展望台があり売店があるので、北海道で食べたソフトクリームを買いベンチに腰掛けて海を眺めながら食べたのです、西郷がこれは美味いと喜び、あの向こう、

がアメリカでかと広大な太平洋を眺めていたのです、

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