派閥(明治偏) 19 西郷は留守政府を預かっている間に次々と上がってくる稟議書に印鑑を押したのです、あげくのはては、いちいち押すのはめんどくさいといい、大隈に首班印をあずけ



派閥(明治偏) 19


西郷は留守政府を預かっている間に次々と上がってくる稟議書に印鑑を押したのです、あげくのはては、いちいち押すのはめんどくさいといい、大隈に首班印をあずけ西郷を通さなくても、

印鑑を押しても良いと言ったのです、大隈がなぜみずから目をとうさないのか聞くと、貴方は留学経験もあり、見識にたけている貴方が間違った事に印鑑を押すはずがないと言ったの、

です、


これを聞いた江藤が西郷は大バカだそれなら都合が良いと笑い、司法改革をすべからく断行し近代の司法制度を確立し、鉄道、電信、郵政、教育も次々実行されたのです、明治以降短期間に、

このような案件が処理されたのはこの二年間をおいて他には例をみない出来事だったのです、大村益次郎の遺言を受けた山田は大阪陸軍造兵廠にて大口径の大砲の増産を行い、この技術が、

日本の重工業を牽引したのです、


次に廃刀令を出し刃渡り30センチ以上の刀などを持ち歩く事を禁止した為、武士は俸禄をうしなったうえ、名誉まで取り上げられ、不平分子が急増し東京でも不穏な動きが出てきたが川路に、

よる徹底的な取り締まりにより、治安は維持されており、各場所におかれた鎮台兵の睨みもあり大きな反乱は起きず、これは西郷の人徳によるものともいえるのです、大久保か木戸が首班、

なら沢山の反乱や暗殺事件が起こった事でしょう、


さらに東京のインフラ整備を渋沢栄一に頼み次々と近代都市に変貌させたのです、貨幣の改革も両から円への移行をおこない小判から紙幣への切り替えによって金の海外流失を防ぎ産業会、

では紡績工業、製紙業を奨励し、電信は東京から大阪まで敷設され、鉄道は汐留から横浜まで走るようになったのです、しかし急激な改革に不満を持つ人も増え、東京には録を失った、

武士が集まり、


幕末の京都のように不平武士による暗殺が起こり始めたのです、刀が禁止された為の杖に刀を仕込んだ仕込み杖を持ち政府の高官を襲撃しょうと機会を狙っていたのです、川路は治安維持の、

為戊辰戦争で負けた会津の武士を羅卒として大量に雇い入れ東京の治安維持にあたらせたのです、後にこの会津の羅卒は抜刀縦として西南戦争に赴き、戊辰の仇として薩摩軍に切り込み多く、

の戦果を上げたのです、


明治5年には榎本も黒田の尽力によって放免され、北海道開拓史として北海道の開拓にのりだし、この頃になると開拓は北海道全域におよび、榎本はまず炭鉱の開発を手がけたのです明治5年、

には歴史を動かす大事件もなく真一が歴史にかかわることもなく平穏に過ぎていったのです、そして激動の明治6年になり、日本人居留民が朝鮮にて殺害されるという事件が勃発し、


朝鮮国に犯人の処罰と賠償金を要求したが、朝鮮国が拒否した為軍艦を仕立てて交渉するべきだという、意見が沸きあがったのです、参議の評定の結果西郷が交渉に行く事に決定し三条実美、

が仮に西郷を派遣する事に同意したが、岩倉が帰るまで待つように言い、そして2年の外遊から岩倉使節団が帰国したのです、西郷が岩倉に奏上するように言うと、征韓論に猛反対したの、

です、


西郷が戦争に行くのではなく交渉に行くのだというと、それは外務省の仕事だといい、外務省が交渉しているが返答もないので私が行くのですというと、西郷参議が行けば必ず、殺される、

そうなったら朝鮮との戦争になる、今は国内を安定させる事が必要だというと、三条公も承知の上なのにいまさら中止は出来ないと食い下がりましたが、岩倉は承知せず会議は3日にわた、

って紛糾したのです、


その内岩倉は病気と称し会議に出てこなくなったのです、岩倉は外遊から帰って来た大久保に参議に復帰して西郷を説得するように頼んだのです、そのころ大久保は有馬温泉に逗留し旅の、

疲れを癒していたのです、大久保は盟友である西郷と争いたくないので静観していたのですが、もし朝鮮に西郷がいけば必ず殺され戦争になると思っていたのです、西郷さんは死に場所を、

探しているのだろう、


しかし今西郷を失えば世論は必ず朝鮮への出兵に沸きかえり押さえつければ、あちこちで反乱が起きるだろう、何とか西郷を説得しなければと思っていたので承諾する事にしたのです、

大久保は東京に帰るそうそう真一の家に立ち寄ったのです、ユキが奥座敷に通し席を勧めるとそこには真一が座っており、さつそく膳が運ばれ無事の帰国を祝い盃を重ねたのです、


大久保がお二人とも元気に暮らしているようで安心しました、また留守中は西郷さんのお守りご苦労さんでしたと言ったのです、真一から改革の話しを聞き、さすが西郷さんじゃっておいが、

それをやれば必ず反対にあい、うまくいかなかったでしょう、西郷さんは人徳がありもうすと笑ったのです、今回の征韓論はあくまでも朝鮮を打つのが目的ではないと西郷さん言っており、


邦人が殺害されたのを政府がほおって行くわけにはいかないと主張しているのです、正義感の強い西郷さんの言い分は理解できるのですがと話すと、おいもそう思ちっります、このさいは、

参議においと木戸、伊藤が返り咲き反対すれば賛成3反対3となり最後は岩倉さんの判断となり、西郷さんの朝鮮行きはなくなりもうす、しかし、こうなれば西郷さんは参議をやめ国へ帰る、

でしょう、


そうすればまたもや薩摩のニセどんに担がれ騒動の火だねになる事は明白で頭のいたい事ですと言ったのです、真一がしかしいまや録を失い名誉まで取り上げられた全国の士族は西郷さんが、

やっと押さえていますが、このエネルギーを何処かで吸収しなければなりません、西郷さんはそのエネルギーを海外に向けたいのですというと、大久保がよく分かっちょり申す、しかし今は、

時期が早い、


なんと言っても内政も軍備も整っていませんと言うので、となると、当然そのエネルギーは国内で吸収する事になり、反乱を起こさせそれを一つづづ鎮圧しエネルギーを吸収する事になり、

最後は薩摩となりますよと言うと、それまで西郷さんに薩摩を押さえてもらうしか手はありませんと大久保が言ったのです、今度は大久保さんが悪者になる番ですねというと、しかたあり、

ません、西郷さんとの約束ですからと笑ったのです、


大久保は次の日に西郷を訪れ留守中の改革見事でごわしたと西郷を褒めて、外国からのお土産を渡したのです、西郷は大喜びし悪者になるのは骨がおれ申した、こんどは大久保さあの番じゃ、

って、よろしくたのんもすと言うと、約束じゃってしかたごわはんと大久保が言い、真一と話した事を告げると、今日が大久保さあと飲む最後の日やって、遠慮なあのんでたもんせと、

自分も日ごろ飲まないのですが盃を干したのです、


大久保がかごんまに帰り、ニセどんが西郷さを担いだらどげんするつもりごわすかと聞くと、そん時は薩摩のヘコを連れてゆっくり東京へ進軍しもうそ、鎮台兵も強かなっちるで、中々、

九州から出る事はかないもうはん、九州をぐるぐる転戦しておれば熱も冷めて、軍を抜けるものも沢山出もうそ、さすれば薩軍は消滅しもうすというので、そいはいかん、そうなれば、

西郷さんの命もなくなるでと言うと、


天命でごわす、後の事は大久保さあにまかせもんでと笑うので、それはできもうはん、西郷さあと一緒だったから気張れたもんどと盃を干したのです、これがこの明治維新を成し遂げた、

英雄の最後の宴だったのです、二人は昔話に花を咲かせ少年に戻ったように夜遅くまで酒を酌み交わしていたのです、




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