派閥(明治偏) 18 山城屋の一件は江藤が証拠不十分で棚上げせざるをえないと発言し沈静化に向かい、江藤は参議復帰の件を大隈にはなすと、それまではおとなしくしていようと了承した
派閥(明治偏) 18
山城屋の一件は江藤が証拠不十分で棚上げせざるをえないと発言し沈静化に向かい、江藤は参議復帰の件を大隈にはなすと、それまではおとなしくしていようと了承したのです、黒田清隆は、
外国視察に8人で出発しアメリカに着くと、さつそく大統領への面会を求め、日本の現状を話して北海道開拓の為人材を借りたいと、その斡旋を頼むと、農務長官のケプロン紹介したのです、
ケプロンは黒田の熱弁を聞きいたく感動して人材を探す事を約束したのですが、東洋の小さなくに日本に行く者は見つからず、ケプロン自身が農務長官を辞して日本に行く決心をしたのです、
しかしこの時のケプロンはすでに76才であり、この老人を動かした黒田の情熱にはただただ頭がさがる思いがします、ケプロンはまだ見ぬ東洋の小さな国の農業改革が自分の最後の仕事だと、
思い日本に向ったのです、
ケプロンは牧畜、酪農の他に、沢山の野菜、果物の種を日本に持ち込み奨励する事にしたのです、その中にはとうもろこし、じゃがいも、小麦などであり、それまで日本にあったのはは殆んど、
食用にならない品種だったのです、それに伴い肉牛、酪農用のホルスタインなどの牛も持ち込み、まず最初は東京に農学校を作ったのです、政府は日本の近代化をはかる為これを先鞭として、
大勢の外国人を教師として雇つたのです、
この政策が実行されたのは明治4年から6年の間であり、岩倉、大久保、木戸、伊藤ら政府の高官が外遊しており、西郷さんが留守政府を預かっている間の出来事なのです、明治4年の半ばには、
御親兵のかずは10000人に達しており、薩摩、長州、土佐の兵が中心であった、この時点では版籍奉還にて土地はすべて政府の管理する事になっていたのですが、各藩主は県令として独立した、
行政となつており、
名前が変ったばかりで幕藩体制は旧態以前のままだったのです、7月になり各県令を太政官にあっめ廃藩置県の勅命がくだったのです、藩主は石高によって爵位を決め東京に移住する事となり、
新しい県令は政府により任命される事になったのです、鹿児島県令は大山各之助が就任し新しい中央集権体制の律令制が推進される事になったのです、御親兵を近衛軍とし西郷を大将に任官、
させて近衛軍総督に任命したのです、
桐野、篠原、山形、山田を陸軍中将と西郷従道、黒田、を陸軍少将に任官したのです、廃藩置県がなり武士がすべからく失業する事となり、当然藩の債権債務は政府に移行される事となり、
武士階級は一時金を貰ってすべからく浪人になったしまったのです、政府は武士達に救済策として北海道の開拓に移住するように奨励し、作物が取れるまでの税の免除と、北方を守る屯田兵、
になる事を条件に毎年米を支給する事にしたので、
全国から北海道への武士の移住が進んだのです、そして大分開拓が進んだ札幌へ東京からケプロンの開いた農学校が移り、ケプロンがアメリカから呼び寄せたクラークが初代校長になり本格的、
な北海道の開拓が始まったのです、東京の農学校には函館戦争でユキの教えていた教え子が学んでおり、札幌農学校の教授方として採用され指導にあたったのです、
廃藩置県が一段落すると全国の武士達が不平を言い始め、断行した岩倉、木戸、大久保に非難が集まるようになり、政府は岩倉を団長にして、不平等条約の改正をお題目に大久保、木戸、伊藤、
らはまずアメリカに向け横浜から出航していったのです、留守政府は西郷参議を首班として板垣、後藤、大隈、江藤が参議として就任して政治をつかさどる事となり、出発にあたって岩倉が、
西郷に、
重要案件は視察団が帰って来てから決定する事を頼むと西郷はそれを承知したのです、廃藩置県を断行した主要メンバーがいなくなったのと西郷が近衛軍を握っているので大きな反乱は起きな、
かつたのです、留守政府は各場所へ鎮台を置くことを決定し、九州へは熊本に鎮台を置き2000人の兵士を常駐させたのです、徴兵令も施行され平民による軍隊化を勧めたのです、武士と農民、
による一揆が続発したのですが、
政府は軍隊を派遣しこれをことごとく鎮圧したのです、平民を主体にした政府軍も一戦事に強くなり武士でなくても立派に兵隊として通用する事が証明されてたのです、アメリカに渡った、
岩倉施設団は熱烈な歓迎を受けたのです、外遊経験のない大久保と木戸は見るもの全てに驚愕し、改めて日本の近代化をいそがねばと思ったのです、不平等条約の改正をアメリカ政府、
と交渉しょうとしたところ、
天皇の親書を要求されたのですが、世界の常識にうとい使節団は貰っていなかったのです、アメリカは天皇の親書がなければ交渉できないと拒否したのです、急遽大久保と伊藤を帰国させ、
使節団はそれを持って交渉する事にしたのです、戻って来た大久保に西郷はビックリして訳を聞き、さつそく親書をもらったのです、大久保は比較的国内が落ち着いているので安心した、
のです、
アメリカへの再出発は明後日とします、今夜は家に村上さあと一緒に来てたもんせ、今後の事をはなしもうそと言うので西郷が承諾したのです、真一にも使いが来たのでユキをともなって、
大久保の家に行くと、イトがよくいらっしゃいましたといい、奥座敷に案内したのです、そこには西郷、伊藤がおり真一とユキが座ると、まず日本酒で盃を合わせたのです、このころは、
伊藤は木戸の考え方には同調できない部分が出て来て、もっぱら大久保と親密な関係があったのです、西郷が国内の情勢と改革の推進状況を話すと、大久保がそれを聞いたら岩倉卿がおこ、
りますなあと笑いうと、西郷が重要な案件は決めないと約束しているが、おいにとっては普通の事じあってなあと言うと、大久保がどんどん勧めていきやんせ、アメリカに渡ってビックリ、
しもうした、
国内の改革は早く進めなければならないことを感じもうした、まさに村上さんの言う通りごわしたと言うので、真一がこれからどうするんですかと聞くと、アメリカ一国では日本にどの仕組み、
が合うかわかりもうさんで、ヨーロッパも回ってこようと思っちよりもすと話し、二年はかかりもうそ、その間に西郷さんは一杯悪者になって改革おばやってたもんせと言ったのです、
西郷が分かりもうした、但し二年じゃってなあ、後はおまんさが悪者になっとごわんすよと笑ったのです、そして大久保と伊藤は再びアメリカへ旅立ったのです、この時に随行した留学生が、
後に日本の舵取り役として明治と言う時代を牽引していくことになるのです、使節団はアメリカに8ケ月もの間逗留して、文化、経済、工業、化学を吸収したのです、
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