派閥(明治偏) 6 ユキの授業も順調に滑り出し百姓、町人、武士の身分の隔てなく女子まで参加したのです、ユキはまず動物の医学から教える事にし、絵による学習を主体にして教えたの


派閥(明治偏) 6


ユキの授業も順調に滑り出し百姓、町人、武士の身分の隔てなく女子まで参加したのです、ユキはまず動物の医学から教える事にし、絵による学習を主体にして教えたのです、武士に読み書き、

できない人にひらがなを教るように頼んだたところ、喋るのと文章を同じにする事を、教える武士達がなれていないのでとまどったのですが段々慣れてきたのです、


ユキが真一に畜産、酪農はいいとして、問題は農業だというので、どうしてと言うと、この頃は日本にはトウモロコシ、小麦、じゃがいもなどは伝来していなく、果物にわたっては、みかん、

ぶどう、梨しかなく、他の物はアメリカのホーレス・ケプロンが持ち込んだのよ、種がなければどうしょうも無いわというので、クラークではないのと聞くと、クラークは札幌農学校の校長、

で彼をアメリカから呼んだのがケプロンなのよと言ったのです、


いつ頃の話と聞くと、明治二年に黒田清隆が北海道開拓次官になり、かれは単身アメリカへ行き大統領に北海道の開拓を説きいい人材を紹介してくれるよう談判したのよ、そこで紹介された、

のが現役の農務長官ホーレス・ケプロンで、熱弁をふるって清隆が頼んだところ、ケプロンは彼の情熱にいたく感動して人を探したが、東洋のちっぽけな国に行く人がみつからず、自分が、

行く決心をしたのだそうなの、


しかし彼はもう78才だつたそうでこの歳で遠い日本に行く事自体が一大決心だったと思うは、彼は農務長官を辞して作物や、果物の種を沢山持ち日本にやって来て、まず東京で農学校を開き、

それが札幌に移りケプロンがクラークを呼んだというわけだよと言ったのです、そうかあ榎本の熱意が黒田清隆に伝わったわけだ、それではこの函館で黒田と榎本と大鳥は死なすわけには、

いかないと言ったのです、


しかしその後大恩のあるアメリカと戦争する事になるのだから歴史の流れはわからないなあ、戦争を引き起こした人達はこの事を知らなかったのだろうかと思ったのです、やがて二月も終、

ろうとしていたのです、官軍の侵攻はもうそこまで迫っていたのです、3月に入りついに官軍が松前に上陸したのです、松前城で迎え撃った榎本軍は奮戦しましたが官軍の猛攻にあい、

城から撤退したのです、


上陸した官軍は函館に向って三方から進軍して来たのです、土方、大鳥は奮戦し戦いは一進一退ですが、日をおって戦傷者が増え野戦病院の寺は負傷者でごったかえすありさまになって、

いったのです、4月になり戦況は不利となり前線陣地を放棄して函館まで全軍撤退したのです、函館の町に侵攻されれば万事急須です、榎本軍は1000人が戦死し負傷者500人で残存兵力、

は1500人に減ってしまい、


ひたすら防御にまわるしかない状況まで追い詰められていったのです、そして4月の半ばになり榎本は万国公法論の書物と蝦夷開拓の建白書を黒田に渡してくれるように真一に頼んだのです、

真一はスマホから北海道の地図とその開拓拠点、札幌、旭川、帯広、室蘭、苫小牧、釧路などを書き写し、明治20年の移住人口、酪農、牧畜、農業の生産高を書き写し、北海道の緯度の、

線上のヨーロッパ、アメリカの牧場の数を書いたのです、


馬に乗り白旗を掲げて本営に行き馬を降りると、兵隊が取囲んだので、榎本の軍使である黒田参謀に取り次ぐように言うと、黒田の部屋につれていったのです、イスを勧めるので座ると、

何の用でごわっかと言うので、これを届けに来たと万国公法論の書物を渡すと、中を見てなんでごわっかと聞くので、これはヨーロッパ、アメリカなどの大国が取り決めた条約書です、


お互いの領有権、戦争になった時の捕虜のあっかい等細かく規定してあります、今後日本が外国とつきあって行くには絶対必要な書物ですというと、何ごてそのな物を渡すのかと聞く、

ので、この戦いは榎本軍の負けです、この戦いで灰になってはいけないと官軍に渡すのですというと、そいなら降伏すればよかがと言うので、黒田さんが榎本さんの立場なら降伏しま、

すかというと、しもうはんと言ったのです、


ところでおはんの格好はメリケンの農民のかつこごわんどなと聞くので、そうです、このほうが動き易く丈夫なのですと答えると、この書物の中身はエゲレス語ごわっど、おはんは、

エゲレス語はわかっとなと言うので、英語で勿論と答えると、黒田が英語をどこで覚えたかと、聞くのでメリケンだと答えたのです、それから英語で幾つか喋り、日本語にもどすと、

エゲレス語がうまかごわんそと笑ったのです、


黒田さんこそ大したもんです、エゲレス語の分かる人に手渡したと知れば榎本さんも喜ぶでしょうと話し、建白書と真一の作ったデータを渡すと、目を通していましたが、目を輝かせ、

これはほんまごわっかと聞くので、数字は雄弁ですと答え、但し成功するにはメリケンの手助けがいりますと言うと、どげんすればよかとと聞くので、黒田さんが示限流の極意の、

チエストと言って、


メリケンに殴りこみをかけて大統領に直談判して協力を仰ぐんですよというと、おいどんにそげなこつができるやろかというので、この戦で榎本軍の虚をついて背後の函館山から攻撃、

するなどの事を考える、肝っ玉の太い黒田さんなら出来ますよというと、なんごてあたいの考えがわかっとなと聞くので、犠牲を少なくして降伏させるにはその手しかありませんと答、

え、


これは私しか知りません、わたしもこの戦いを早く終わらせ犠牲を少なくしょうと思っています、決してもらしませんよと言うと、こげんな物を持って来たおまんさあを信じもんそ、

というても、それしか方法はごわはんがと言ったのです、あそこはあぶのごわんそ、わが軍にとどまってはいかがかというので、いや私はこの戦の見届け人ですから帰りますと、

話すと、


なんでも言ってたもんそ、便宜をはかりもんそというので、握手をすると、兵隊に丁重におくるのだと命令したのです、五稜郭に帰り榎本にとても喜んでいて、彼もエゲレス語が喋れる、

事を話すと、喜んでこれで心置きなくと死ねますと笑ったのです、四月の後半になり突然函館山の山頂から新撰組の陣地に砲撃と銃撃が始まり、不意をつかれた守備態は応戦もむなしく、

陣地を蹂躙され撤退を余儀なくされたのです、


その報を知った土方は馬に乗り救援にかけっけたのですが隊士が逃げてくるので、踏みとどまるように命令したのですが、一旦崩れた動きは止める事は出来ません、土方は敵兵めがけて、

切り込んだのです、しかし防御の熱い薩摩軍の銃撃にあい無数の銃弾を浴びうまから転落し討ち死にしてしまったのです、これにより榎本軍は背後をつかれ五稜郭へ撤退したのです、


こうして函館の町は官軍に占拠され、この時までの戦いで軍艦はすべて戦闘不能に落ちいっており、五稜郭に撤退した1000人だけになってしまったのです、その夜に軍議を開き今後どう、

するかを生き残った指揮官に聞いたのです、土方が討ち死にした為主戦論は陰をひそめたのです、

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る