第14話 〈サブカル・ワールド〉

世界はサブカルチャーを求めた。その事実は未来永劫、変わらないだろう。

 ではなぜ、アニメを、ゲームを、漫画を、ライトノベルを人々は求めるのだろう。その答えは――情熱にあると、偉大な論者が言ったことがある。


 人の行動は、論理的思考によるものと、感情的思考による二つの行動原理によって決められる。情熱が当たるのは、当然後者の方だ。


 基本的に人間と言うものは感情、つまり欲望を糧に生活している。食欲、性欲、睡眠欲。三大欲求を皮切りに、様々な欲求によって、感情が構築されていって、それが好転するか否かによって、感情は大きく揺れ動く。


 そして、感情に囚われた人間はいつか狂ってしまう。誰かを殺したいという衝動フラストレーションに駆られてしまったり、自暴自棄になったり感情の爆発でどうにかなってしまう。


 そして、生まれたのが論理やルールと言ったもの。人として最低限の高潔さを残すために、そう言った普遍的な決まりを創って、制約した。


 感情と論理の均衡で、世界は平和を保ってきていたけれど、時に感情が爆発して、災いに転じることがよくあったと、論者は伝えた。


 例えば、戦争。互いの欲求を認めるために、無益に人間を失った争い。


 例えば、奴隷制。一方の欲求のために、他者を支配して、虐げたこと。


 そう、世界は欲求の爆発で、過ちを繰り返してきた。だが、それらを起こした人物が悪いのではなくて、欲求の捌け口がなかったのが問題だったのだ。


 無尽蔵に湧き出る欲求の泉。それを、満たしていくのは欲求を叶えるしかない。それにサブカルチャーはうってつけだったのだ。時に、壮大で誰も見たことのないファンタジーの世界、時に、リアリティのある現実的な世界。誰しもが、必ず一つは好みの何かを見出すことができて、そこに欲求を注ぐことができる。これ以上のものはなかった。


 故に、サブカルチャーがここまで発展してきたのは、ある種必然であって、世界が平和になっていったのもこの捌け口があったからだと推察ができた。


 その論者の論説を基に考えれば、カリカチュア程優れた都市もないだろう。人工島の中で作品を生産して、消費して、発信して、体系が完成している。

 数多の作品が、誰かの欲求を満たしていき、充足感と幸福感が体を包む。理想郷以外の何物であろうか。


 それは、現在進行形で役目を果たしていて、これからも希望に満ち満ちている。

 カリカチュアの未来は安泰だ。


 ――誰かが今日も街を行く。己の求める作品を求めて、願いを、欲求を求めて。


 その為にしっかりと仕事に従事して、勉学に努めて、経済を回していく。そこにあるのは永久の平和だ。林立するビル群は、街そのものは、誰も拒まず受け止める。そこに暮らす人も、誰かの来訪を歓迎する。


 そう、ここは千葉県の沖にある巨大な人工島カリカチュア。欲求の解放を、発露を、誰も咎めず受け入れてくれる世界。


――二次的創作物の夢と希望が詰まった〈サブカル・ワールド〉。

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~Subculture World 《サブカル・ワールド》~ 松風 京 @matsukazekyosiro

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