第13話 兄妹と覚醒の向かう先は大団円
――数年前、イギリスのとある家庭。
この世に生を受けた二人の兄妹は、とても恵まれていた。日本人の父親とイギリス人の母親からなる二人は、双子と見間違うほど姿が似ていた。
母の遺伝子を受け継いだ艶やかな金髪ブロンド、父親の遺伝子を受け継いだ武士の魂を宿したような純然たる黒い瞳。彼らがハーフであることは言い得て妙であろう。
兄妹の兄で、やや髪の短い方が小鳥遊ユウ。兄妹の妹で、やや髪の長い方が小鳥遊アイである。
なぜ彼らが恵まれたと言えば、イギリスの裕福な家庭に生まれたからという訳ではなく、人より幾段か頭がよろしかったからである。
決して、親が有名大学を首席で卒業しているなどという訳ではなく、逆にものすごく馬鹿だという訳でもなく、ただ平凡で普通の家庭だったのに、鳶が鷹を、しかも二羽も生んでしまった。奇跡でもなく、必然のように生まれた二人は、その瞬間から才能を開花させた。
幼き頃から独特の感性を爆発させて、他者が思いもよらないことに気が付いたり、大人でも読むのに苦労しそうな難解な書物を幼稚園児にして読み漁ったり、何かと同世代の子供から浮いた存在ではあるけれど、明らかに異質で優れた存在であった。
ごく普通に育てられ、ごく普通な家族になる筈だった、この一家は二人の誕生に、合わせて親も変わっていくことになる。二人に合わせた課題を相談し、渡して、二人に合った専属講師を仕向けて、特別なプログラムを受講させて、才能をさらに開花させるようにした。
なるべくして、育った二人は同年代とは釣り合わないほどの実力を手にし、トントン拍子に有名大学への飛び級資格を得たのであった。
けれど、そんな恵まれた二人、特に妹のアイには、思うところがあった。
圧倒的な実力、将来は約束されているはずなのに、認められないことが一つ。それは、たったの一度として、兄に勝つことができなかったことだ。
勉学も、運動も、あらゆるところで一歩及ばず、決して届くことない。他の人物にはいくらだって勝機を見出せるのに、兄だけには敗北しかない。
常に上だった彼女には、おのずと劣等感が宿り、幼いながらに絶望を味わった。
けれど、空気の読める彼女はそれを吐露することなく、内にずっと秘めていた。その悪辣とした感情を、逆襲の糧として、心に蓄えて、グラグラと煮え滾らせていた。
とある日、穏やかで恵まれた家庭に父親から知らせが発布される。
「……唐突なんだけれど、会社の命令で、日本に転勤することになってしまって、これから最低数年間はイギリスにはいられなくなる。君達は日本に来るかい?」
イギリスにいる家族に転勤の知らせ。生まれてこの方、ずっとイギリスに住み続け、慣れ親しんだ家族には、異国の地はかなり不安な節もある。けれど、家族が分解してしまうのは、今の歳にすると、なかなか厳しい。故に、答えは単純明快だった。
「……あなた、そんなことは決まりきっているわ。ユウ、アイ、あなた達もいいわよね?」
「……えぇ、日本には興味もありますし」
「新たな知識が取り入れられるかもしれません」
二人は頷いて、家族皆、日本に移住することになった。
移住の手続きをして、家族は日本へと旅立つ。それなりに稼ぎはあったから、首都である東京の駅近くにある高層マンションの一室に住まうことになった。
イギリスにいた頃は、環境に合わせて、英語しか使っていなかったので、最初は鳴れない日本語に困惑した。けれど、そこは大和の血を引く兄妹。その学習能力の高さも相まって、すぐさま綺麗な日本語を取得。慣れるのも速かった。
そして、まだ幼い兄弟は、有名進学校に転校し、日本での学生生活を開始する。もちろん、彼らの学習能力は他の追随を許さなくて、最初の内は転校生として興味を持たれて、同級生からよく話しかけてこられたけれど、しばらくするうちに二人の実力が詳らかになった。もちろん、必死に勉学に励んでいる生徒たちからは嫉妬の対象となり、いじめとまではいかないけれど、話しかけられることが次第に減っていった。まぁ、当の本人達は何も気にしてはいないようだけれど。
そして、月日が経ったとある日、勉強にこれ以上の価値がないと悟り始めた。その才能を生まれ持った時点で、ある程度知ってしまえば、それ以降は何も教わらなくても解ける。これ以上、自分達の求める好奇心は、日本の同年代の教育にはないとそう悟り始めた。
事実、テスト日前にどんなに呆けていようが、何も勉強せずにテストに取り組もうが、安定して満点を取ることができたし、何もやらなくてもそこらの教師以上に学があるから、勉強というものに興味は失せた。
けれど、どんなに面倒くさくても、あまりに授業に参加しなければ、昇級できなくなるかもしれない。二人はそんなひどく面白く亡き感情を抱きながら、学校へ通い続けた。
そんな兄妹に転機が訪れたのは、兄が十三、妹が十二歳の頃であった。今から数えて、二年前にあたる。
夕方、兄妹は何もすることがなく退屈なまま帰路についていると、とある場所に目が留まった。
「……アイ、あのお店は何だろう?」
ビルの立ち並ぶ通り沿いに、一際派手な電飾でアピールしている施設。時間は夕方で、少し薄暗くて、その電飾がチカチカとよく目に留まった。
「……兄さん、確かここはゲームセンター? って、ところだったはず。特に若者が、遊興に耽るっていう、娯楽施設の一つよ」
「へぇ、面白いところだね。……アイ、時間もあることだし、行ってみないかい?」
ユウの提案に、数瞬思案した後、アイは小さく頷いた。
もちろん、彼らがゲームセンターを知らないのは当然だ。普段から、学校と家を行き来するのが基本であったから、こんな娯楽に浸ることなんてある筈がない。
「……やけに、ぎらぎらと光っていて眩しいね。本ばかり読んでいる僕達には少し、厄介かもしれない」
「……そんなこと言っていないで、何かやってみましょうよ。せっかく入ったんだから」
アイはわくわく感を隠しながら、ユウに問う。
「……それもそうだね。……さて、……何がいいかな、と……おっ?」
ユウの目に留まったのは、ド派手なコインゲームとは一線を画す、少し大人しめな印象を持つゲーム筐体。店側が用意したであろう膝丈ほどの小さな簡易椅子が、その前に置かれ、座ってプレイング出来るのが初心者向けと思えた。
「……ええと、『ストライクバトラー』……。面白い名前だ」
「兄さん、ここ見て。二人で対戦できるみたいよ。私、向こうに行くわね」
大画面の枠の端に、小さく張られたシールに、館内対戦可能の文字。せっかくだからと、向かいにある同系種のゲーム筐体にアイが座った。
他のゲームと一線を画すそれはレトロゲームコーナーにある往年のゲーム機である。かなり画質粗目で、動作も悪い時もあるけれど、その懐かしさに今でも残っている古株だ。
向かって左側には八方向に動く移動用コントローラ、右側にはパンチやキックなどの攻撃を発動するための六つのボタンがある。左右の操作を両立させることで、敵の攻撃をかわし、素早く自分の攻撃を当てることで、優位に立てる、典型的なシステムだ。
二人はチュートリアルを経て、対戦をスタートさせる。
ユウは、パッと目に留まった、日本らしい胴着を荒々しく纏った如何にも強そうな雰囲気をした男のキャラクター、アイは、煽情的なチャイナドレスを身に纏い、その隙間から太ももを覗かせ、いかにも男子が好みそうな女性キャラクターを使用する。
「……兄さん、準備はいい?」
「あぁ、緊張するけど、とりあえず大丈夫だよ」
目を合わせて、確認し合いバトルスタート。
上部に体力ゲージ、下部でキャラクター達が拳と豪脚を交える。動作もステレオタイプで、アナログチックで、決して新鮮味があるかと言えば否だけど、どこか心象風景に残りそうな味わい深さがあるのも、また然りだ。
兄妹そろって、ゲームに慣れていないのは、目に見えて明らかだ。画面に集中すれば、操作がおざなりになって、操作に集中すれば、あれもしない方向へ移動してしまう。動きが単調で、特殊な技は発動されない。拙い操作技術は、見るも絶えない、
けれど、戦う二人は違った。
感じたことのない、高揚感。心に刺さるハラハラ感。古めかしくも、技術の詰まったその映像と
拮抗した戦いで、互いのキャラクターの体力は限界に近い。制限時間も迫り、決着は訪れる。奇跡的に回避した女性キャラクターのカウンターが、男性キャラクターに痛撃。ノックアウトで、アイの勝利となってしまった。
体が震えた。何も勝てなかった相手に、初めて勝利した快感。感情を表に出さなくても、心は熱くてたまらない。たとえ、それがゲームであったとしても、偉大な兄に勝てたことは意味があることに相違なかった。
対して、ユウも思うところがあった。今まで、何として負けたことのない自分が負けてしまった。未だ知らない世界、未だ知らない領域を、このゲームに見出してしまった。悔しさと同時に、その興味が爆発的に溢れたことを内心嬉しく思った。
そう、彼らはこの時、出会ってしまった。無限の可能性を宿すゲームの世界に。底がなく、どこまでも奥が深い。確立された必勝法もなければ、一人の独壇場となることも稀有だ。格闘ゲームに何かを見出した理由は違えど、ただ一つ言えることは変わらない。
それは、面白くて仕方がないということだった。
博して、兄妹は勉強そっちのけで、ゲームに取り組んだ。特に、格闘ゲーム『ストライクバトラーシリーズ』の。有り余る才能を、途方もない情熱を、ただひたすらに注ぎ込んで、集約させて、そして強くなった。
連戦連勝、兄妹同士でしか、相手にならないほど、――強く。
強くなれば、スポンサーもつき始め、中学生ながら、かなりの賞金とスポンサー料を手に入れた。プロゲーマーとして活躍し始めた二人。親を含めた周囲の人々はあまり認めなかったけれど、金を用意して認めさせた。これが、自分達の生きる世界だと証明するように。
画して、彼らは家族公認のプロゲーマーとなった。格闘ゲームを極めし、永遠のライバルとなった。
そして――依頼は――春は――やって来るのだった。
FCRB二回戦、八チームしかいないから、これでも準決勝だ。
スペシャルサポーターとして、シルルが登場して、会場のボルテージはとうに張りを振り切っていた。
迎えた二回戦、空と瀬奈は予定通り出場して、新たなフィールドに飛ばされた。その世界観は、西洋建築の趣深い風景が、印象的な街のフィールド。一回戦の暗い空や荒涼とした感はなく、世界遺産にでも認められそうな街並みが立ち並んでいる。
やや坂の多めなその街に現れたのは、明らかに浮いた印象の四人。
ルクス、ルーシアのペアは一時期流行した異世界ファンタジー系の作品に出てくるような感じで、まだ街並みと合っているような気はするけれど、相手は違った。
フワフワとした可愛らしい衣装。互いに白を基調とした下地に二人の髪の色に合わせた、装飾が施されている。白い肌には赤い髪ともう一人は黄色い髪が映えていて、見た目は衣装と相まって可愛らしい。ただ、その顔立ちは幼さが残っていて、年代的には小学生から中学生の間に見える。
「あなたが敵、絶対に許さない!」
「みんなの安心は私達が守る、絶対に負けない!」
定型文のような、ハキハキとした口調の言葉が、ルクスとルーシアの耳朶に触れる。溌溂とした印象を受ける二人の少女は、まっすぐと立ち向かってきた。
『
赤い髪の少女がマジカルスカーレットローズ。黄色い髪の少女がマジカルサンダーソニア。変身後の名前の先頭にマジカルを冠するのは、シリーズの伝統であり、今作もその伝統を踏襲している。
手にはステッキ。今作の武器であるそれは『マリー・フェアリー・ステッキ』と呼ばれるもの。変身して、機動性や身体能力が向上した彼女達の、魔力を引き出して、多大な威力の魔法を放つことができるようになるのを助力する武器だ。
もちろん、火を噴くとか、雷を落とすなどという、ある種害悪のような魔法は作中の中では登場することがなく、可愛らしい演出と台詞で悪い虫を浄化してしまうと言った方が正しい。もちろん、FCRBの中では、その演出は崩すことなく、威力だけをリアルに向上させているから、直撃すればかなり痛い。
ルクスはそんな幼い少女相手に、非情にも刃を向ける。作中の中では女性には手を出さない主義の彼であるけれど、今はその中身は別物だ。そこに、ルクスのそれを求めるわけにもいかない。――真剣勝負だから。
だが、それにしても、ルクスの瞳は恐怖に慄くほど、二人の少女を睥睨し過ぎていた。
理由はそれも、中の人に起因している。
この美少女を操っていたのが、脂汗をたらたらと流して、明らかにだらしない風体のおじさん二人。そのだらしない姿がどうも、少女に重なって見えて、空はどうしても我慢がならなかった。作品を愛する以上の別の感情があるのではないか、とか、なぜ似合いもしないこれを選んでいるのか、とか、そんな思惑が浮かぶたびに、普段から落ち着いている空にも苛立ちの感情が芽吹いてきて、今それが花開こうとしていたのだ。
接近する二人を、軽く往なし、斬るというより叩きつけるイメージで、地面に落とす。高速の攻撃を、少女二人が受けきることはできず、起死回生の一撃と、大技の魔法を放つも、あっさりと回避され、最終的に駒切りにされ、切り伏せられた。
あっけなく終わったバトルに、ルーシアの介在する余地はなく、予想通り、何もせずに終わった。
現実に戻されて、登場した空は綺麗な汗をその体に流していたけれど、相手のおじさん二人は試合前以上に薄汚い脂汗を浮かべていて、見るも無残な光景がそこに広がっていた。
だが、もちろん観客は歓声を送っていて、三人の戦いに賛辞を送っていた。一人は含まれていないけれど。
――数時間後。
「……さぁ、これで今日のイベントは終了だ。ファイナルバトルに残ったのは、この二チーム。日向&香月ペア、小鳥遊ユウ、アイの兄妹ペア。どちらも、今後のFCRBにおいて、活躍する逸材になるだろう。さぁ、明日も激しいチアリングを頼むぜぇ。本日はフィナーレだぁ!」
ディーの煽りに反応して、ボルテージが最高潮のまま、本日は終了した。
摩天楼の建築物が幾らも林立するカリカチュア。夜は星空を表出させているけれど、電光がその光を遮って、見ることのできるのは一等星くらいのものだ。比較的明るい街並みを通り、瀬奈は帰路についていた。
空からは「明日も、頑張りましょう」と、瀬奈に激励していたけれど、熱がこもっていなかったのは、瀬奈自身が感じていた。
アパートの一室に、扉を開けて戻った瀬奈は、すぐさま、脱衣所で服を脱ぎ、何かを払拭するように熱いシャワーを浴びた。
真白い肌に、膨らんだ双丘に、くびれのできた腹部に、締まった臀部に、熱い湯が浴びせられる。柔らかく、艶やかな肌に弾けた水滴は、空気中に飛び散り、泡沫の出来事だったかのように、瞬間的に冷やされて、空気中に湯気となって舞った。
「……弱いなぁ、私って」
シャワーの水音に、弱音を零した。一回戦は失神、準決は呆然と立ち竦んだだけ。全く何をしているのだろうと、心底思った。
(たぶん、決勝戦も先生主体の戦いになると思うけど……相手もここまで勝ち進んでいるわけだし……そう簡単に勝てるわけないよなぁ)
タオルで濡れた肢体を拭きながら、明日の光景を思案する。結局のところ、自分が何か起こさなければ良くも悪くも転調しないということに帰結する。だからこそ、瀬奈は悩んでいた。
実は、帰る直前、空といる内に、明日の対戦相手と名乗る少年少女に、彼女は出会っていた。
彼女よりも一世代若そうな相手に、困惑したが、その振る舞いは決勝に出場するに値する感があった。
金髪ブロンドの髪と黒い瞳。ハーフの兄妹だと言う、彼らは握手を求めた。
「僕は小鳥遊(たかなし)ユウ。こっちは、妹のアイです」
兄のユウが、説明して、アイも同調するように頷く。空も、あまりファーストインプレッションが悪くないようなので、握手に応え、瀬奈も倣って、握手を交わした。
「明日の戦いの前に、挨拶と思いまして、あなた方の前に現れた次第です」
妹のアイも、およそ中学生とは思えないほど、丁寧な口調で言う。空も、丁寧に返答して、「明日はよろしく」と言った。
「……明日の試合、楽しみにしています。あなた方の試合はとても楽しく拝見しました。特に空さんのあの攻撃は脅威になりそうです」
ユウが称えるように、認めるように言う。
「けど、私達は負けません。企業から勝ってほしいと頼まれているので、全力であなた方を負かします」
アイはすぐに、続けて言った。年功序列など完全になしにして、打ち負かすと、高らかに宣告した。有り余る自信に裏打ちされたその言葉には、嘘偽りが一切介在しないことがはっきりと伝わった。
「……ということで、明日はよい勝負を」
ユウも答えた。勝つことを確信しているような眼で。
そんな邂逅は、瞬く間に過ぎ去った。
「……あの感じ、たぶん本当に凄いんだろうな。私なんかよりずっと……」
パジャマ姿になった瀬奈は、テレビも付けず、ベッドにへたり込み、一人そう呟く。自信に溢れる兄妹に、一人でも十分に戦えるパートナー。何もできていないのは自分だけ。劣等感に喘ぐのは必然だ。
「……明日は……何とかしないと」
瀬奈はそう残して、一人死んでしまったかのように眠りに落ちた。
――翌日、空は晴れ渡っていた。
不自然に感じてしまうほど気持ちの良い目覚めで、瀬奈は軽い朝食を作って、食べる。余裕をもって、出発して、エリアセントラルのスタジアムの裏口に入った。
最寄り駅から延びる通路には、昨日と同じ、もしくはそれ以上の人に溢れていて、あれに並ぶかと考えるとぞっとする。けれど、瀬奈はそれ以上に肝が冷えていた。昨日と同じかそれ以上に体が強張っていて、戦うのが怖くて仕方がなかった。
まもなくして、空が合流した。
「……おはようございます。昨日は眠れましたか?」
あくまで、優しく問いかける空に、瀬奈は甘えてしまいそうになりながらも。
「お陰様で、よく眠れました。……今日も緊張が抜けていないんですが」
と、冗談っぽく伝えた。空は笑って。
「そうですか。今日もあまり無理はせず、頑張りましょう」
と、返答した。瀬奈は居た堪れない気持ちになる。
関係者各位、スタッフ、テレビ局の取材陣など、ありとあらゆる人々が、行き交うスタジアム。時間が過ぎると、待ちくたびれた観客が押し寄せるように雪崩れ込んできて、館内はあっという間に人混みに変わった。
観客達はFCRBをより楽しむことのできる『エフェクターグラス』をスタッフから受け取って、それを装着。今か今かと、決勝戦の開始を待ちわびる。
あれよあれよという間に、時間は過ぎて、スタッフに呼ばれる瞬間は訪れた。
「……時間です、行きましょう」
「はい、頑張りましょう」
言葉ではそう返しているけれど、胸中では不安に押し潰されそうで、ひどい有様だった。体よく取り繕っても、いつかは詳らかになってしまう。その時が、絶望の時だと理解していたから、必死に堪えて我慢していた。
スタジアムの中央にコツコツと足音を響かせながら、ゆっくりと進む。通用口の影から選手の姿が見えた瞬間、華やかに、盛大に、会場はヒートアップする。自分が推している選手を、自分の声援が届くようにと、限界にまで腹から声を荒らげて、観客は叫ぶ。
ドーム状に広がった会場に、その声声が反響して、鳴り渡った。
「さぁ、会場のボルテージは最高潮! 皆、盛り上がる準備はできているかぁ!」
「「「イェーイ!!!」」」
昨日に続いて、ディーの声が観客を盛り立てる。
「新人王の姿を見る準備はできているかぁ!」
「「「イェーイ!!!」」」
会場の人々は自分のできる最高の大声で、返答しなおす。
「よぉーし、春の祭典、ヤングマンのフェスティバル、FCRB新人戦、ファイナルの開幕だぁ!」
ディーの問いかけ《コール》に、観客は歓喜の
一回戦、二回戦に続き、スタジアムには四つのボックスがセットアップされる。その間、通例で、スタジアムの中央に並んだ四人は、二度目の握手と挨拶を交わす。
「昨日ぶりだね。準備はできているかい?」
珍しく空が問うた。ユウとアイは少し訝しんだけれど、すぐに息を引き返して。
「はい、あなた方の胸を借りて、戦うつもりです」
「絶対に負けません。今日はよろしくお願いします」
あくまで、体裁はよくしているけれど、闘争心はむき出しのまま返答する。
「そう。僕も負けるつもりはさらさらない。全力で戦おう」
それは、空も同じく、自分より若い彼らに負けるつもりは一切なかった。瀬奈はその陰に隠れて、小さく「お互いに健闘を」と、述べた。
準備は整い、試合が始まる。
ボックスの中に入り込んで、扉が消えて、一つの直方体の箱に変わった。四人はボックスの中で向かい合って、そして意識が飛んでいく。
観客の砲声にも似た声は次第に聞こえなくなり、ボックスの暗い視界は、外の明るい風景に変わっていった。
そこは、スタジアムに似ていた。
元々いたスタジアムのように天井が覆われているわけではないけれど、形はよく似ている。空は晴天で、四人の戦士の姿を華やかに照らしている。壁はレンガもしくは石を組み合わせて造られていて、金属とはまた違った趣が感じられて、それなりに耐久性があり、頑強そうだ。地面は少し硬めの土が置かれていて、移動に障害は少なそうである。
このフィールドには、今までのフィールドと二つ違うところがあった。
一つは逃げ場がなく、狭いところ。移動範囲は
もう一つは、実際にFCRB観戦に訪れていた観客が、
「……観客の視線が刺さりますね。これは、なかなか緊張する」
ルクスは小さく呟く。傍らには、複数の好奇の視線に、息が早くなっているルーシアの姿があった。
「……大丈夫ですか、ルーシア。敵は目の前にいる」
「……ふぅ~。……大丈夫です。視線の熱に浮かされただけです」
押し潰されそうな不安を取り繕って、答える。想定外の事態に、心が崩壊してしまいそうだった。
「ならば、いい。さぁ、僕達も見世物の闘士になろう」
観客の視線とは明らかに異質な鋭利な視線が二つ。前方、遠くから届いていた。
「よっしゃぁー! 俺に向かってくる輩が目の前にいやがる。このピリピリした緊張感があるから戦いはやめられないんだぁ!」
中性的な顔立ちからは想像もできないであろう、逞しく男の中の男と言った印象のキャラクター。逆立つような黒髪と血走ったような赤く光る瞳。激しい口調と戦闘狂を思わせるような荒々しい声音。筋骨隆々の体を包むのは、煩わしいといじって袖を切った白い胴着。紛れもなく、格闘ゲームのキャラクターであった。
キャラクターの名はリョウ。『ストライクバトラーシリーズ』の中に登場する古株だ。1980年代にカムコンという企業から発売され、今の今まで格闘ゲームの王道的存在として君臨する『ストライクバトラー』。現在、『ストライクバトラー7』まで、登場していて、アーケードゲームとして、体験できるのだけれど、今ルクス達の目の前にいるリョウは、一番新しい第七世代機のキャラクターデザインを基に造られている。
彼は日本武術と独自の武術を組み合わせたオリジナルスタイルで戦うキャラクターであり、ゲーム内でも主人公的ポジションにいる。
「リョウ、落ち着くネ。ヒートアップするには、まだ少し時間が早いネ」
傍らで荒ぶる男を変な語尾をつけながら、宥めているのは、真っ赤なチャイナドレスを着こなすセクシーな印象の女性武闘家。胸は大きく、チャイナドレスの布を大きく押し上げていて、逆に引き締まった足や腹部のラインが、その衣装も相まってよからぬ感情を掻き立てそうな雰囲気だ。
黒い髪を団子のように、丸く白い髪留めで左右二つに纏めた彼女の名はチョウレイ。これまた『ストライクバトラー』シリーズの古株で、第一世代から愛されるキャラクターだ。その恰好の通り、中国武術の使い手で、素早い攻撃と連続で繰り出す足技が魅力のキャラクターだ。
もちろん、これらはユウとアイの愛用のキャラクターであって、彼らがゲーマーとして大成するのに欠かせない存在だ。二人はこれで、『ストライクバトラー7』のランキングバトルで勝ち進み、兄が優勝、妹が準優勝している。現在の世界ランキングも、それと変わっていない。
二人がカムコンの社長に呼び出されたのも、このランキングバトルを通じて知り合ったことに所縁があり、今に至っている。
つまりは、兄妹にとって、絶対的な信頼を持つ、途轍もなく重要なキャラクターなのだ。そのキャラクターへの愛は留まるところを知らず、FCRBの戦いに活かされていることに違わない。
「……格闘家か。相手にとって、不足はないようだ」
端正な顔立ちのルクスは、眉間に皺を寄せ、警戒の色を見せると、あの言葉を口にする。
「【祖の誓いの名の下に光明を現せ】」
白き光と共に顕現する
「【祖の誓いの名の下に光明を現せ。帯となり行く先は、彼方遠く。遥かまで突き進み、一閃を刻む。ヘリオスの光よ、刹那の如き軽迅で、一切を振り切り、疾く進め】」
ルクスの全身を煌々と閃く白い光の粒子達が包み込んだ。そして。
低空飛行で肉薄し、先制攻撃を仕掛けようとしたルクスは、両腕を脇腹辺りにクロスさせながら移動させ、黄金の柄を強く握り、居合のように刹那の速度で振り抜いた。
紛れもない光速の攻撃。人類が届きもしない領域。その攻撃を、武器を持たない男女の武闘家は完全に反応し、リョウは筋骨で隆々と盛った腕で、チョウレイは細く長く伸びたしなやかな足で受け止める。斬撃が及ばないギリギリのところで、双刃の柄に腕と足を押し立て、ノーダメージのまま、
観客はその姿に興奮して、激しく熱狂した。回避でなく
武闘家である彼らが、武器を持たないのはゲームでも、世間でも周知の事実。だが、武器の攻撃を受け止めるのにはあまりに説明足らずだ。
それを成し遂げているのはキャラクターの裏に潜んだ壮大な
だが、それでもまだ足らない。光速の斬撃を回避でもなく、的確に
戦線からやや離れた位置で、その攻防を見守ったルーシアは、それを理解したからこそ驚愕に顔を歪めていた。そして、すぐに過呼吸になりそうな息を整え、最低限の行動を取ると決めた。
「【祖の誓いの名の下に聖水を現せ】」
空気が揺らぎ、ルーシアの周りを蒼き閃光が迸る。木の色で象られた二頭の蛇は、互いにそっぽを向き、その蛇の頭にはサファイアのような水の
けれど、ルーシアは動こうとしない。
今、彼らの攻防に水を差すことは、後の敗北を助長しているような気がして、何もできずに立ち尽くすことに帰結した。
今、彼女ができるのは敵の動きを観察し、心の中でパートナーを応援することのみ、実質的なことは何もできなかった。
ルクスも二人の動きに驚きを覚えていた。相手の体力ゲージには一切の変動がなく、自分のゲージがやや減少している。ロボットの攻撃まではいかないとしても、連打を食らえばただで済まないことは身に染みてわかった。
(……あの動き、少し気がかりに感じた)
そして、同時にルクスは不審に思ったこともあった。リョウとチョウレイ、二人の動きに少しリアリティの乏しさを感じたのだ。仮想世界であるからリアリティがないのは当たり前なのだけれど、一般的に使用される操作形態、モーションキャプチャシステムを利用すれば、どんなに現実とは乖離した動きであっても、それを操作する人の息遣いや挙動の癖などが見えてくる。けれど、さっきの一撃ではそれを感じなかった。
この違和感が、ルクスの胸中に若干の不安を植え付けるけれど、その不安は現実に変わった。
「うっし! 反撃だぁ~~~!」
リョウが声を荒らげ、ダッシュする。その筋骨隆々の体からは想像できないほど、精錬され、しなやかな動きで。
リョウの気に反応して、両手首に巻き付けられた赤い帯が小さく蠢く。風になびくだけの代物だと思っていたそれは、リョウの発する気を帯びて、頑強な拳を包み込んだ。
それと共に視認できるほど、彼の発するオーラが、殺気を帯びて届くように、オーラを示す
「おらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
接近して、一突き。空気の流れを変えてしまうような強烈な一撃が、ルクスの腹部を抉った。
吐き気を催すような激痛。纏っていた
飛んでしまいそうな意識を必死に堪えて、ルクスは追撃に対処する。光速でサイドステップし、やはり連続で仕掛けられた二撃目を間一髪で回避した。
その名を『炸裂帯』と呼ぶリョウの武器。自身の気に呼応して、腕に纏わりつくそれは、攻撃力を飛躍的に高め、防御にも転じることのできるアイテムだ。その一撃は、今のように鉄をも砕くことが可能だった。
横に飛んだルクスは体勢を立て直そうと体を持ち上げる。しかし。
「……完璧なタイミング、ネ」
ルクスの端正な顔立ちに、凶悪なハイキックがヒット。ブーツの踵で、叩きつけられた。
「ぐはぁっ!」
回避不能の一撃がクリーンヒットし、
しなやかな豪脚はルクスを吹き飛ばした。だが、それ以上に驚きなのは、完璧な位置取りとタイミング。まるで、テレパシーでも使っているのかと思うほどの完璧な連携は、兄妹が互いに認め合い、尊重し合い為せる、神業だ。
「……イタタタ。……かなり効いた」
埋もれた壁面から這い出るルクスは、その足を地面に戻して、立つ。――そして、跪いた。体力ゲージはまだ半分を割っていないけれど、それ以上に全身を奔る痛みに呻吟を漏らし、苦しむ。単純な攻撃力では、一回戦のロボットに比べて、低くはあるけれど、これの連打を食らえば確実にアウトだとわかった。
「あぁ、倒しきれなかったネ。流石にタフ、ネ」
チョウレイは後方に移動して呟く。地面は土で何も音はしないけれど、その長く伸びたブーツの踵で蹴られれば、確実にただで済まないことがわかる。
彼女のそれは、リョウの帯と同じく、武器である。名を『乱蝶靴』と言う。黒いカラーリングを施された高く長いブーツは落ち着いた印象があり、見た目より軽く頑丈なのが特徴だ。その靴を履き与えられる蹴りの一撃は重く、同時に軽やかに動き回れる。チョウレイの戦闘スタイルに適したそれは、踝に入った刺繍の蝶のように、飛び回るように攻撃を繰り出すことができる。
顔面を襲撃したそのブーツの踵には、赤黒い血のシミがへばり付き、ルクスの白い肌にも、デコから垂れ始めた鮮血が纏わりつく。
ルクスの双眸は鋭く変わる。強烈なプレッシャーを放つその視線に、リョウとチョウレイは、カウンターを警戒し、追撃を止める。
(……やはり、おかしい。動きに現実味がなさすぎる)
ルクスの、いや、空の脳裏には、ある考えが思いついた。それは、あまりに荒唐無稽で、それこそ現実味に欠けるのだけれど、それ以外考えが及ばない。
ルクスの気づいた点は、動きが単調なこと。脳で、作戦を立て、それを体に反映させ動く人の体。そのため、似たような動きであっても、百パーセント同じ動きは存在しないはずだ。けれど、二人の動きは何か法則に則って動いているように、単一的で、機械的だった。モーションキャプチャシステムではボックス内で挙動した動作がカメラを通して、反映される。だから、小さな動きの違いも同様に反映されるのだけれど、リョウとチョウレイにはそれがない、決まりきったモーションを何度か繰り返しているような感が拭えなかった。
そして、最後に行きついた答え。荒唐無稽な結論を空は疑心暗鬼になりながら、思案する。
「……そういうことか」
小さく呟き、ゆっくりと立ち上がる。
「君達は……ゲームをしているんだね……」
自身の推察をそのまま吐露した。意味深なその台詞に、観客達はどよめき、怪訝な表情を浮かべるけれど、その真意を理解できるものはいない。――二人を除いては。
「……世迷言を……。俺達の本物の言葉でなければいけないはずだが」
「そうネ。タブーはいけないネ」
二人はルクスの発言を戒めるように言うけれど、同時に含んだような微笑を浮かべた
「……失礼。僕の単なる独り言だ」
すぐに訂正を述べて、二人の表情に、内心確信を得たようにルクスも口元を緩めた。
(……どうやら、気が付いたみたいだ)
(……まぁ、戦いに支障はないけれど)
リョウとチョウレイも同じく、内心そう思案する。バレたことでやることは変わらないから、何も懸念はなかった。
ルクス、いや、空の思案通り、ユウとアイの操作形態は、普遍的なものとは一線を画す代物だった。予てから、運動が得意ではないと、カムコンの社長に進言していた二人。それを聞き受け、FCRBにユウとアイを参加させるために、社長は操作形態の変更プランを企てていた。
社長より、提示されたのはゲームのプレイングと同じ操作形態。二人にとって、体の一部のように操作することのできる、左半分が八方向に移動するレバーで、右半分が攻撃や防御の指示を行う六つのボタンのアーケードコントローラ。それを、FCRBの操作形態に反映できないか、かなりの予算をかけて練り上げてきた。そして、完成したのが社長の指示通り、二人の手足となるアーケードコントローラで操作を行う形態。そのまま、アーケードコントローラシステムでと言うべき代物だった。
『ストライクバトラー』のための、ゲーマーのための、ユウとアイのための、ある種究極の操作形態で、二人は戦っていた。
アーケードコントローラシステムの不安点は動きが単一的で、複雑性に欠けること。モーションキャプチャシステムと違って、ある程度決まった動作をコントローラを通して、伝達し、キャラクターの動きとして反映させる仕組みなので、凝り固まった動きしかできないことが難点だ。
事実――。ルクスが再び駆けて、攻撃しても、似たような動きしかできていないし、動きに対応したルクスの攻撃が、初めと違って当たっている。数の有利を活かして、不利になることはないけれど、懸念するポイントではある。
では利点とは何かと言えば、モーションキャプチャシステムより幾分か早く挙動できること。動作が決まっている分、瞬間的にコマンドを入力すれば、どんなタイミングであろうと、攻撃を、防御を、回避を、スキルを、すぐに発動できる。予備動作が、コマンド入力だけなので、激しい動きで疲弊しないし、痛みも抑えられる。
故に、単一的な動きでも確実に対応できる。寧ろ、動きが洗練されているから、無駄な動作が介在せず、敵の殲滅もしやすい仕様だ。
加えて、このコンビネーション。光速の動きは一対一でやりあうには、力量が足りないと想定し、分断されても、すぐに駆け戻り、数の有利を崩さない。コントローラシステムと驚異的な反射神経、兄妹の阿吽の呼吸が為せる芸当だ。
「……はぁぁっ! 行くネ!」
チョウレイがモーションに入る。全身を駆け巡るような気の
もちろん、二人にコントローラは視認できない。あるのはコントローラに触れる手の感覚のみだ。けれど、見えているかのようにレバーを滑らし、ボタンをタップする。右に二回移動、からの右斜め上に滑らし、そしてレバーを上に振る。同時に上下二つのボタンを押して、発動したスキル。
「【胡蝶乱撃】!」
頭部を狙ったハイキックを左右の足で交互に行い、軽やかなステップで、後方宙返りしながらの縦に回し蹴りを決める技。宙返りの瞬間、背中に蝶の羽が現れたような
放ったそのスキルを、ルクスは後方移動で回避。最初の左右の蹴りを躱して、最後の蹴りを霞める程度で済ませる。
「はぁぁぁ! 【激虎衝】」
荒々しい男の叫びと共に、激しいエフェクトの気の流れ。紅いオーラが立ち込めて、それを纏った拳の白虎が疾駆する。単一的に直進するその技は、リョウのお家芸のようなもので、下から左斜め下にレバーを振って、最後に左右に動かし、同時にパンチのボタンを押すことでなる技だ。
接近する、遠距離からの直進する正拳突きを、ルクスは瞬間的に切り伏せて対応する。
そして、咄嗟に双剣を構え、大地を強く蹴り上げる。数瞬の間に肉薄するルクス。『極彩色の偽英雄』に登場する新たな魔法を、その言の葉を以って、発現させる。
「【祖の誓いの名の下に光明を現せ。閃光は実を宿し、歪み進む。ヘリオスの閃きよ、敵対者をどこまでも追踵し、果てまで届け】」
瞬く双刃。光の帯が無数に発現する。
「【プリズム・ビッド】」
光が弾けた。無数の散弾の光玉が、二つの銀閃の刃に導かれ、特殊な胴着を身に纏うリョウの元へ集結する。
「……させないネ!」
腰を折るように、光玉とリョウの間に割って入ったチョウレイ。激しい気のオーラが何かをしでかそうとしているのが目に見えてわかる。
「【飛脚百烈衝】!」
片足を地面に置いて、片足を美しく持ち上げる。下から左右に振って、上へ二回の移動と三つのボタンを連続して押す複雑なコマンドを入力して、発揮された大技。
波動を放つような激しい
白く瞬く光玉をしなやかな足の強靭な連撃で打ち落としていく。激突するたびに火花が飛び散り、そのエネルギーの大きさが顕著に捉えることができる。
無数の散弾は連脚に撃墜されているけれど、多少なり、撃ち消すことができず、チョウレイの蹴りが空虚を捉えた。その抜けた光球は、リョウの元へ歪曲しながら集結し、腕で急所を防ぎながらガードするけれど、確実にダメージを与える。
さらに、疾駆して光玉の後に続くルクス。刹那の速度で、足を動かし続けているチョウレイの左脇を取り、刀身で叩く。強烈な一撃がクリーンヒットし、壁にめり込むように吹き飛んだ。
壁に埋まった瞬間、裂帛。女性の弱々しい声音が、若干蠱惑的に響いた。
さらに畳みかけるルクス。光玉にダメージを与えられているリョウに突撃する。無防備な体に、双剣をクロスさせて構え、振り抜く。
しかし、それは空虚を斬って、バックしていたリョウが大きく拳を引いて、今にも技を放とうとしていた。
瞬間、想定していたヴィジョンをかなぐり捨てて、ルクスは回避しようとする。だが、リョウは発動途中の技をキャンセル。スキルの発動をブラフに使い、ルクスを騙した。古武術のように音もなく接近するリョウ。咄嗟にカバーして防御態勢に入ったルクスの腕を掴み、綺麗な一本背負いで、地面にたたきつけるように投げた。
攻撃には防御、防御には投げ技、投げ技には攻撃。格闘ゲームの王道パターンを活かし、地面に伏せさせたリョウ。しかし、ファンタジーのルクスも負けてはいない。投げられても〈フォイボス・トレーゼ〉を一切離すことはなく、一瞬の間隙に、剣の切っ先を胸元に送る。
溢れる鮮血と強烈な衝撃。リョウは顔を歪めて、後方へ後ずさった。
ルクスは痛みを堪えて、戦線を一度離脱。一度息を整える。
(……なんて攻防。私に関わりあう余地はない)
ただ見つめているだけ、立ち入られないルーシアは、表情を暗くして、そうただ佇んでいた。観客の視線は一切自分の元へ向くことはなく、ただひたすらに三人に注がれていて、自分は影として振る舞うしかなかった。
「……あっ、まずい」
ルーシアは呟く。それは、現在の光景を目にしていたから。
再び接近したルクスの死角から、チョウレイが足払い。堪え切れなかったルクスは盛大に転倒し、地面に伏せた。体力ゲージはおよそ半分、強力な一撃が来ると危険だ。
「……はぁはぁ、うまくいったネ。リョウ、決めるネ!」
拙い日本語から、盛大な仲間へ鼓舞が窺える。そして、叱咤激励されたリョウは、ため込んでいた気を解放し、勇ましく、逞しく構える。
左手で、右から斜め右上に滑らして、そこから下へ、そして右左と入力。左手では三つのボタンを上下順番通りに入力、数瞬の内にコマンドが入力された。
ど派手な
「……回避しなければ……」
ルクスは手をつき一度逃亡しようとする。しかし、傍らで構えていたチョウレイが、自分よりも重たい体を蹴りで持ち上げて、逃さない。
「ぐはぁっ!」
腹部を痛打。痛みが走り、宙に舞う。その瞬間を狙って、リョウは動いた。
「あぁぁぁぁぁぁっ! 食らえっ! 【覇獣連拳】!!!」
荒ぶる砲声と共に、スキルが発動。左右の拳で連続パンチ。特に、胸部腹部を狙った一撃一撃が重いパンチを左右で四度、計八度繰り返す。その重たい一撃は苦痛の喘ぎすら漏らさせない。ただひたすらに苦痛なだけの攻撃だ。
さらに、蹴り上げ、空中に移動。攻撃は続く。飛び上げさせられたルクスを、リョウが飛び上がって殴打。顔面も含めた体全てに、計十連撃浴びせる。骨が砕け、筋肉が悲鳴を上げる。しかし、口から漏れてくるのは呻き声のようなか細い声だけで、絶叫もすることもなければ、悲鳴を上げることもできない。
耐え忍ぶしかないルクスをさらなる連撃。両手を貝殻繋ぎに結び合わせて、最大級のインパクト。真下に向かって暴力的なまでの圧力が加わり、地面にめり込むように叩きつけられる。
鈍く軋むような音。リアルではないにしても、この世界では骨が折れたのだろう。声にならないほどの苦しみがルクスを蝕む。だが、まだ終わらない。空中からの落下に伴う重力に従い、身動きの取れないルクスに、強力無比な正拳突きを叩きつけた。
腹部を穿つような恐ろしい衝撃。内臓が破裂して、吐瀉物と共に吐血した。
「……あぁ、ルクス……。終わってしまったの……」
目も当てられない凄惨すぎるバッドエンド。あまりにも、英雄に似つかわしくない最期を想起してしまって、ルーシアは悲観する。
生きていてと願う彼女の思いは少しばかりは届いたようで、限りなくゼロに近い体力で、ゲージは止まっていた。あと一撃食らえば、確実にアウトだったから、ご都合主義と言ってしまえばつまらないけれど、奇跡と捉えるならばこの上ないほどのものだろう。
「……でも、もう一度……攻撃を与えられれば……終わってしまう」
そう。それは誰もが周知の事実。相手の武闘家も、観客も、本人も、そして自分も。何か起こさなければ必敗。そこに勝機は涅槃寂静すらも、見出せない。
何をすればいいかと懊悩する心。かき乱されて、真っ白になりそうな頭。それらは体を強張らせて、震えさせて、声を奪って、動きを止めさせる。体は冷えていき、鼓動が早くなる。二度も繰り返した、全く同じ展開。
(……ダメ、私が……なんとか……しないと)
思うたびに、反比例するように、体は冷えていく。
「……最後ネ、受け取るといいネ」
「安らかに眠ってくれやぁ!」
リョウとチョウレイは台詞を吐く。終わりの時間は迫っていた。
(……私は……私は……私は……)
世界が、視界が、白く染まっていく。考えが、思いが、遠く彼方へ消えていく。地面を踏んでいる感覚も、杖を握る感覚も、全て白く染まっていく。
(……私が……やりたいことは……)
本懐を自分に問う。何が目的で、何が願いを確かめるために。けれど、その答えは与えられない。誰も、声を上げてくれない。
ルーシアは、いや、瀬奈はそこで想起する。ルクス、いや、空の姿を。半ば強引だったけれど、編集者と作家の関係から、よくもここまで進展した。友人として、パートナーとして、仕事仲間以上の関係を築くことができた。それに由来するのは、空の作品。ペンネーム、アマノソラとして、著作した『極彩色の偽英雄』。編集者として、一読者として、何度も読み返した大好きな作品。これがなければ、今ここには立っていないだろうし、彼と繋がりあうこともできなかった。
――だからこそ、恩返しを。作品に、空に、最大限の感謝を。
「……立ちなさい」
白き世界に、誰かの声が響く。とても聞き馴染みのあるような、温かく優しい声音。その中には怜悧で、凛々しい、聖女の力を内包しているようであった。
「……あなたは、ルーシア・アイル・エレイネなのでしょう?」
「私は……ルーシア」
「あなたの夢は。大義は忘れたのですか?」
「夢……世界を救う……こと。王女と生まれた身として、勇者に選ばれた身として、ブリタニカの人々を救済すること」
「……その通り。その願いを、なぜ今、叶えようとしない。望んでいるはずのあなたが?」
その問いかけに、瀬奈は世界が開けたような気がした。
「……ずっと、忘れていた。『極彩色の偽英雄』第一巻、二百八十三ページのあの言葉。ルーシアが発した、己が為そうとしている大願の言葉……」
「……その言葉とは?」
何度も読み返している。何度も復唱もした。忘れるはずがなかった。
「『わたくしは……悪しき全てを浄化して、その他一切の善良なる者を救済する』」
「……よく言った! あなたはルーシア・アイル・エレイネよ。……さぁ、パートナーを、英雄として、勇者として、王女として、仲間として、救済しなさい!」
(……あっ、わかった。この声……私だ)
自問自答を超えた先に、雲は残らない。一切の翳りを、心の迷いを晴らして、白んだ世界は闘技場〈コロッセオ〉へ立ち戻った。
一度、小さく息を吐き、ルーシアは最大限の叫びを上げた。
「……わたくしは、ルーシア・アイル・エレイネ! わたくしの願いは一つ。悪しき全てを浄化して、その他一切の善良なる者を救済する。……故に、仲間であるルクスも、救済する!」
高らかに声を上げたルーシアに全ての視線が刺さる。警戒をしていなかった彼女の声音に、ルクスに近づいていたリョウとチョウレイは一度足を止めた。
すかさず、ルーシアは高らかに言の葉を紡ぐ。
「【祖の誓いの名の下に聖水を現せ。雨は滴り、大地を恵む。水は血となり、肉となる。穢れし者を打ち払い、清浄なる一滴で覆い尽くせ】」
蒼き光がルーシアの周囲とルクスの頭上に輝く。その光景を、リョウとチョウレイは訝しんで、動こうとするが少し遅かった。
「【ゲリンゼル・クラーレ】」
光の粒が零れ落ちる。高揚感と幸福感、力が漲り、痛みが引いていく。体力ゲージもゼロ近くから、半分以上まで回復した。
「……なっ、反則だろっ! 絶対に、許さねぇ!」
リョウは声を荒らげて、ルーシアに肉薄する。しかし。
「……させない」
回復したルクスが側面から斬撃。強靭な肉体を切り裂いた。英雄が再臨する。
「……なんと! よくも、リョウをやってくれたネ!」
激高したチョウレイは接近する。だが、完全にルーシアとなった瀬奈はそれだけに留まらない。
「【祖の誓いの名の下に聖水を現せ。大海を渡る水船。華となる飛沫。全てを蹴散らす覇の勢力よ。父なるオケアノスの力を抱き、八又の龍と化せ。万物を飲み込み、踊り狂う脅威となりて、怒涛の衝撃を与えよ】」
ルーシアを中心に蒼き閃光が瞬いた。蒼き光に呼応して、サファイアのような杖の宝玉が同じように輝く。光はみるみると
「……ふふふ、成長しましたね」
ルクスは何か含んだ笑みを浮かべて、大ジャンプ。天高く飛び上がった。
「何をする気ネ! スキルキャンセルしてやるネ!」
接近するチョウレイ。チャイナドレスがひらりと舞い、軽快なステップで詰め寄っていく。壁に埋まっていたリョウも同様に、声を荒らげたルーシアを襲撃した。
だが、ルーシアは負けない。ルクスが回避したこのフィールドを襲う、世界を震撼させるその魔法で。
「【アハト・ヴァッサ・ドラゴーヌス】」
〈クリウス・ケイオン〉の宝玉から、怒涛の勢いで清らかなる聖水が流れ出でる。激流の如くフィールド全体を侵食していったその奔流に、接近していたはずのリョウとチョウレイは押し戻される。
「ぐおっ! 流される。チョウレイ、後ろに来い」
「了解ネ。頼むネ、リョウ!」
流れに逆らう二人は、互いに英断。チョウレイは考えのあるリョウの後ろに向かった。押し流されそうになりながら、リョウは気を放つ。
「【激虎衝】」
白虎が直線状に駆け抜ける。膨大な水流を跳ね除け、ノアの伝説のように道を創り出す。
「行けっ! チョウレイ!」
「はいネ!」
開いた道をチョウレイが行く。軽快なスピードで肉薄するが、ルーシアは止まらなかった。
〈クリウス・ケイオン〉を掲げた。水流の中から、八本の渦が高く伸び、観客の場所まで飛沫が上がる。意思を持ったようなその八本の渦は宛ら水龍のようであって、抗しようのない水龍となって、開いた道に集結した。
水の龍に飲まれる二人。――瞬間。
「【
続けざまに詠唱した言の葉によって、水は唐突に凍る。水の渦の塔は、巨大な氷柱となって、リョウとチョウレイを完全に閉じ込めた。
「……よくやりました、ルーシア。後は任せて」
空から戻ったルクスは〈フォイボス・トレーゼ〉を強く握りしめる。紛う事なき光速で迫ったルクスは、その速度のまま、行動不能の二人に近づく。
「……よい勝負だった。……ありがとう」
誰にも聞こえないほどの声音でそう残したルクスは、氷柱ごと武闘家を切り裂いた。一思いに一撃で倒れるように、渾身の力で。
「……負けてしまったね。アイ」
「完敗だったわ。でも、面白かった」
「そうだね……。本当に面白かった」
黒く染まる意識の中に、リョウとチョウレイは、楽しげにそう落としていった。
ボックスの中でプレイングしていた者達も、『エフェクターグラス』を通して成り行きを見守っていた観客達も、もとのスタジアムの風景に戻った。
少しのインターバルを置いて、四つのボックスの扉が開き、選手達が姿を見せた。リョウとチョウレイを操った小鳥遊兄妹は、出てきた空と瀬奈を、何の蟠りもなく称えた。そこに嫉妬も、理不尽な怒りも存在はしていない。あるのは、尊敬の念のみだった。
観客も同様に、二人を、空と瀬奈を称えた。宛ら凱旋の儀であるかのように、盛大に声を上げて、歓呼を二人の耳朶に触れさせた。
視界にすら捉えられていなかった瀬奈は、たった一度の覚醒で、ここまで拍手に打たれるようになる。人間の恐ろしさを感じると共に、FCRBで活躍するという意味をやっと理解した。
「……さぁ、既に盛り上がっているようだが、ファイナルのリザルトを伝えるぜぇ!」
ディーは敢えて小さく言った。抑揚をつけて、続く言葉を強調するために。それに合わせてか、ざわざわと騒々しい会場も、一度静まり返った。
「……さぁっ! 新人戦、優勝の座に就いたのはぁ~! 日向空&香月瀬奈ペア! コングラチュレーション!!!」
――大歓声。会場のスクリーンには花火のような電子光が弾けた映像が、二人を祝福する。続いて観客の絶叫が、心を満たしてくれた感謝を伝えた。
「……ちょっと待った~! 私を忘れてもらっちゃあ、困るよ~!」
可愛らしい声音が、耳にかかったマイクを通じて響く。ハウリングしてしまいそうで、しないギリギリの境界線の音量で声に表しながら、瀬奈の元へ一直線に飛びついた。
処女雪のような白い髪をなびかせる小柄な体躯のアイドル少女、シルル。その光景に、瀬奈とシルルに観客の視線は集結した。
「……おめでとうございます~! 信じてましたぁ!」
シルルはギューッと強く抱きしめる。
百合百合しい光景を、僥倖の極みのような瞳で、男性の観客が眺める。アイドルらしい可愛さを有するシルルはもとより、瀬奈もモデル並みの美貌の持ち主。目を眇めて見るに値する。
「……ありがとう。嬉しい」
素直に喜ぶ。瀬奈も、彼女には助けられたから。
「……うわぁ、天使降臨」
「……尊い。……神様ありがとうございます」
一部ファンが訳の分からないことを呟いているけれど、言わんとしていることはわかる。なぜなら――。
「……あれっ、私……」
清冽なる泉の水のように、美しい雫が瀬奈の頬を一筋、伝う。端を発したように滂沱たる涙が、頬を埋め尽くしていった。
溜め込んでいた感情を吐き出すように、涙が溢れて仕方なかった。
「……瀬奈さん、大丈夫ですかぁ?」
「あなたが、泣かせたんですか、シルルさん?」
「……えぇっ! 違うよぉ~!」
空が真顔でシルルに詰め寄る。けれど、すぐに瀬奈が反応して。
「……大丈夫、大丈夫だから」
シルルを、優しくフォローした。
瀬奈の涙はもちろん、悔しさに塗れたものではない。嬉しさに感涙したものだ。堪えていた苦悩を、嬉々とした涙に変えて、心の雲は晴天に移り変わった。
今までどこか冷たさを帯びていた拍手の音は、心地よく温かい調べとなって、スタジアムにこだまし続けた。
「……香月さん、ありがとうございました」
傍らで空が言った。
「……こちらこそ、誘っていただいてありがとうございました。……今度からはライバルですね?」
FCRBは基本個人戦。敵になることも当然だ。それ故に、瀬奈は問う。
「そうですね。……もう、FCRBのプレイヤーを卒業しますか?」
強引に誘ったことは、彼なりに心にしこりが残っていた。だから、聞き返す。
「……まさか。これからもよろしくお願いしますね、先生?」
微笑を浮かべて、そう返す。これが自分のやるべきことだと自覚できたから。
「……こちらこそ」
空は初めて大笑した。若者らしい、爽やかな笑みで。
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