第12話 下剋上《ジャイアントキリング》

 誰かが噂をしていた。年はまだ幼く、少女の風体を体現している。子供らしい可愛らしい服を着て、面白そうにテレビを覗いている。

 莫大な放映料をはたいて、常日頃からどこが放送するのか放送局同士で泥沼の争いをしているなんてことは、この子供に知る由もないだろう。

 けれど、FCRBを放映することはそれだけの価値があることに違いない。平均視聴率20パーセントは基本的に叩き出せるし、有名な大会にでもなれば50近くまで伸びることも珍しくない。たった一度の放映で、放映料を取り戻し、黒字にできることも多いのだ。

 そんな裏事情を知ることなく、少女の双眸は一途にテレビ画面に注がれていた。

「ママ~、ママ~、FCRBやってる~」

 少女が愉快に母親を呼ぶ。傍らにあるキッチンで皿洗いをしていた母親はうん? と、首を傾いで、愛する娘の方へ目をやった。

「……あら、もうそんな時間だったのね。私も楽しみにしていたから」

「そうだよねー。私、FCRB大好き」

「私も好きよ。毎回見ていて、飽きないもの」

 二人でソファに座り、親子らしく語らいながら、興に耽る。画面に映ったのは他の選手とは明らかに異なる、異質な服を身に纏う男女二人組。

「……ああ! ママ、これ知ってる~。これ『マギアスレイヴ』だぁ~」

 少女がまじまじと、かぶりつくように画面に目を奪われる。こらこら、と優しく叱りを入れながら、少女をソファへ引き戻す。

「……よく知っているわね。あなたに『マギアスレイヴ』なんて、見せたっけ」

「あのね、パパが前、見せてくれたんだよ~。すっごく、面白かったぁ~」

 少女があどけない表情で笑って、母に伝える。

「そう。確かに面白いものね。あの人ったら、私の知らないうちにそんなこと……いいお父さんじゃないの……」

 感慨深く、母が答える。母親らしい温かくおおらかな微笑を口に浮かべた。

「……じゃあ、あなたは彼を応援するの?」

「うん! この二人、ええっとね、テオとマナだっけ、私大好きだもん!」

 小躍りするような天使の笑みを母に見せつけて、楽しそうにはしゃいだ。

「……そう。なら、しっかりと応援してあげないとね!」

 娘である少女に似た印象の、けれど少し大人びた微笑みをその口に溜めて、少女と一緒に視線をテレビ画面に注いだ。


 開会式より、少しばかり時間が経って、間もなくして空と瀬奈の出番はやってきた。一度、舞台裏に退却して、捌けたけれど、休む時間など端から用意されていなくて、トイレに行って、水を飲むぐらいが関の山であった。

 瞬く間に時間が過ぎて、スタッフに誘導される形でステージに戻った。

 背中や脇には緊張による冷や汗がタラリと流れて、むずむずともどかしい感覚が襲う。

 ただ、ゆっくりとステージに向かうと、先ほどまでにはなかった巨大なボックスが二つ、そして、前方遠くに同じボックスが二つ、俯瞰してみると計四つ並んでいる。

 ボックスを挟んで、広大なフィールドが並んでいて、そこに操作するキャラクターが映し出される仕組みである。

 瀬奈が心配そうに、空は全くいつもと変わった様子なく、近づいていくと、反対側の入り口から今回の対戦相手が登場する。青髪青目の男と桃髪桃目の女そのペアだ。互いに距離を肉薄させ、フィールドの中央で挨拶と握手。これも恒例の儀礼だ。

「やぁ、ボーイ&ガール。俺はマーク・グランダー。アメリカから来日したコスプレイヤーだ」

「で、私はアマンダ・テイラー。マークのパートナーで、同じく向こうでレイヤーをしているの。今回はよろしく」

 瀬奈と空は軽快な二人の口調に乗せられて、握手を交わす。流暢な日本語に少し驚きながらも、同じように挨拶をして、ほんの少しだけ談笑をする。

「それ、『共鳴機装マギアスレイヴ』のテオとマナですよね。お好きなんですか?」

 瀬奈がそう興味本位で問うと、急にテンションが上がったらしく、マークが言った。

「そうさ。俺らはこのアニメが大好きなんだ。制作会社のライジングに依頼して、専属のプレイヤーにさせてもらったんだ!」

 大仰に、自慢げに話すマークに続き、アマンダも似たような口調で。

「折角だから、この衣装も手作りしたの。かなりのお金がかかったけど、レイヤーの誇りにかけて好きな作品はフィーチャーしないといけないわね!」

「ということは、今回もそのアニメーションのキャラクターで、プレイングを?」

 空はあまり興味なさそうに、慣習的に訊ねた。

「ザッツライ! その通りよ。〈マギアスレイヴ〉に乗り込んで、あなた達と戦うわ」

「戦うからには、負けないよ。俺達は全力全開で行くからね」

 急にそれはスポーツマンのような闘志に燃えたような眼に変わって、二人は言った。

「……お手柔らかに、こちらも負けないですから」

 静謐をその音に含んだように穏やかに、空は返答した。

「さ~て、お喋りはこれくらいにしといてくれよ。バトルタイムが無くなっちゃうからな~」

 ジョークを交えた軽快なトークで、フィールドに屯する四人の会話に割って入り、ディーは急ぐように誘導した。促され、自分の立ち位置に戻った四人は自分のボックス前に立つ。

「さぁ、現時点をもって、投票は終了だ。皆、自分の買った方へしっかりと応援を寄せてくれよ~!」

 観客皆、一様に、小さな紙を掲げた。FCRBは、日本では珍しく公共的にお金を賭けることを許している。競馬や競輪などと同じように、だ。賭け方は様々でオーソドックスなものは今のように各試合の結果を予想するものや大会の一位から三位までを当てると言ったものがある。一口百円から購入可能で、二十歳以上対象は法的な決まり通りだ。

 FCRBが、メディアとの関係、ギャンブル的側面、企業との連携など様々なコネクトを持つことによって、莫大な金を動かす。これが、FCRBが日本経済を支えていると言われる所以だ。

「さて、予想オッズを表示してみよう。……おぉっと、これは……マーク、アマンダペアが1・2倍。圧倒的人気だぜぇ。対して、空、瀬奈ペアは3・3倍、かなり人気が偏っている~。だが、人気が全てじゃない。下剋上ジャイアントキリングを目指してくれよ~!」

 ディーの軽快な鼓舞激励を受けて、瀬奈と空は小さく意気込む。

「さぁ、全て準備が整った。ボックスオープン!」

 ディーが指を鳴らすと軽快なBGMが鳴り始め、ゆっくりとボックスの重い扉が開く。

 おもむろに四人は各ボックスに吸い込まれるように歩んでいって、そして軋んだ音を響かせながら、ボックスの中に閉じ込められた。

 暗いボックスに眩い光が灯り、駆動音が反響する。光に飲まれるように、少しずつ意識が乖離していき。

「さぁ、お待たせだ。レッツ、バトル! レディーファイト!」

 と、最後にディーの掛け声と観客の歓声だけが耳に残った。

(始まった。私は……やれるだけのことを)

 意識が転移し、纏う衣装はいつもの自分とは異なるものだと理解した。真っ白なドレスのような装束と手首には黄金色の腕輪、左手の甲には赤い六芒星の紋章プロ―ヴァがあり、髪を撫でれば蒼海のような髪が風になびく。

 自身がルーシアであることを確認して、その双眸で、気配を感じる横側に目を向けると、精悍で、だが柔和な顔立ちの青年が、騎士を思わせる防具を身に纏い立ち尽くしていた。

「……ルーシア、お目覚めですか。こちらは準備万端ですよ」

 優しく、落ち着いた声音。それは、空のものであり、空のものでないように思える。心からキャラクターに染まっているようで、瀬奈にとっては不思議な感覚だった。

「えぇ、ルクス。お待たせしました。わたくしは問題ありません」

 これもまた瀬奈であって、瀬奈でないような声音。ルーシアの品格を全く損なわない雰囲気をその音に宿していた。

「……ならば、よろしいです。何か、危機が迫っているような気配がする。構えてください」

 金髪ブロンドの短く整えられた髪と同系色の黄金色の瞳。騎士のような風貌と左手の甲には赤い六芒星プロ―ヴァ。それは『極彩色の偽英雄』の主人公、ルクス・サンドライトに違いない。

 作者のアマノソラ(空のペンネーム)によれば、ルクスのイメージ像は、洗練された本物の勇者。元々、世間から疎外され、貧しい暮らしをしていたものの、持ち前の正義感と冷静な判断力、全てを引き付ける圧倒的なカリスマ性で、周囲に勇者だと認めさせるに至らせることを目標として描かれたキャラクターだ。本人曰く、自身の理想像で、対極にある存在だと言っている。

『祖のプロ―ヴァ』がその左手に現れている以上、彼もまた、霊宝具エレメンティアに選ばれていて、作中でも屈指の強さを誇る。つまりは、FCRBに適した強者であるのだ。

「……ルクス、この世界は一体どこでしょう? どう見ても、ブリタニカとは違うようですが」

「さぁ、わからない。けれど、元々都市があったようだ。人はいないようだけれど」

 二人の双眸が、見やるのは今回のステージとなる特殊なフィールド。訓練の時に使用したカルフィアラ王国近郊の美しい風景はそこにはなく、空気も雰囲気も淀んで、穢れていた。林立するビルは秩序的に並べられていて、近代の建築物群のシンメトリーの美しさがあるけれど、その街からは人が消え失せ、手入れされていないから、壁には皹が入り込み、窓ガラスは割れて、不格好に苔むしたところがあり、その様相は廃れていた。

 荒廃した街並みは今にも全く人気を感じられず、ゴーストタウンという言葉が似つかわしい。

「少なからず、僕達はどこか別の世界へ迷い込んでしまったようだ。この気配はおそらく殺気。警戒を怠ってはならないよ」

「当然です。私に余念はありません。何かあれば迎え撃つのみ」

 完全にキャラクターに染まり演じる姿を、観客もまたじっと見つめる。映画やアニメーションでも見るかのように。演じている空と瀬奈には一切観客の姿は映らないようになっているけれど、ルクスとルーシアが見ているこの荒廃した光景は観客らも同じように見えている。

 今の世界には存在しない、けれどリアリティのある光景に観客は口を開き、目を奪われた。

「……何か近づいている。おそらく、邂逅するだろう」

 呟く、ルクス。その声に端を発したように異変は起こった。

 ギガガガガガガガ!

 重低音の金属が擦れるような駆動音。何か途轍もなく重々しいものが、大地を踏みしめるように一歩足を動かしたようであった。

「……来る。『悪魔の下僕ディアブロ』と同等、いやそれ以上の力を持った何かが」

 大気が震えるような感覚。それは比喩であるけれど、体が凍えそうなほど冷たい空気が流れているのには変わらない。

 それに感化されたようにポツポツと空を覆う黒雲から雨が降り始めた。雨が体に滴るような感覚、服装が水に濡れて、べちゃべちゃと湿気を含んで不快になるような感覚もそのまま現実と変わらない。雨に打たれて二人の髪もしっとりと水分を含んで、重くなっていた。

 雨音に交じる鈍く、軋むような音。徐々に地面が揺れ始め、それはついに姿を現した。

 それは、屹立する塔のような、人知を超えた巨大駆動兵器。両手両足の人間と同じ四肢を生やし、頭身だけ見ればモデルのようにバランスがいい。けれど、それはあくまで人間の範囲。人間のような体の人間ではありえないその体躯は、高さ55メートル。見上げるだけで首が疲れてしまうような高さだ。

 一歩踏みしめる度に大地が軋む。悲鳴を上げる。重さ380トンのその総重量の負荷が重力に従って、踏みしめればコンクリートの大地は軽く崩れ去った。

 林立するビル群と並ぶ或いは優に超すその巨体の全体像を俯瞰してみれば、神話に登場する巨人のようにも見えるし、鋼で創られた龍のようにも見える。

 それに由来するのは背部に展開された左右に二翼、計四枚ある飛行ユニット。横に広がる形でなく、背中に沿うように縦に延びた設計は、極力空気抵抗を抑えるために配置されたものである。全体は白と銀の色味を基調としたカラーテイストで、目は角張った形で赤く光らせている。

 やや前傾姿勢のその鉄の体と赤く明滅する瞳が睥睨しているのは、紛うことなくルクスとルーシアであって、その図体を見るだけで卒倒してしまいそうであった。

(……なにこれ! 私、こんなのと戦うなんて聞いていないんですけど!)

 ルーシアに染まりきっていたはずの瀬奈は想像の遥か上をいく敵の姿に、本来の瀬奈の姿に戻りつつあった。

「……これはまずい。けれど、僕は……負けない」

 対して、一切揺るぎなくルクスを演じる空は、恐れることなく、戦くことなく、本物の勇者としての矜持を体現して、その機械の化物に睨み返していた。

 超巨大ロボット、それを操縦しているのは、言わずもがな、彼らであった。青髪青目のレイヤー、マーク・グランダーが扱うのが、彼とほぼ同じ風体をした『共鳴機装マギアスレイヴ』の主人公テオ・マクスウェル。そして、彼のパートナーであるアマンダ・テイラーが扱うのが、これもまた彼女と同じ風体をした同タイトルのヒロイン、マナ・ハルディアラである。

 彼らは巨大兵器の頭部に格納され、その中にある電子スクリーンに覆われた操縦室にいた。彼らは角度をずらして、上下に配置されていて、体は何かの力で小さく浮かんでいる。上にマナ、下にテオがいて、スクリーンには小さな敵の姿が豆粒のように映っていた。

 機械の目のレンズをズームに変えて、豆粒のような人間の姿をはっきりと視認したテオとマナは嬉々として、笑った。

「……やっぱり、ロボットは最高だ。燃えてくる」

「えぇ。相手はあんなに小さいの。蹴散らしてやりましょう」

 二人はテオとマナの存在を抜きにして、この操縦している感覚を心から喜んでいた。自分の渇望していたものを、叶えることのできた事実が、心底嬉しかった。

 マークとアマンダもといテオとマナが登場するこの作品の名は『共鳴機装マギアスレイヴ』。有名アニメーション制作会社ライジングが手掛けた、オリジナルテレビアニメーションだ。2クール二十四話を放送し、二期制作も決まっている人気アニメである。

 人気の理由は王道的なSFの展開とその裏に隠れた残酷な世界観の融合が、重厚なストーリーを生み出したためだ。

 概要は通称アグレッサーと呼ばれる侵略機械兵器が地球に降り立ち、地上を蹂躙し尽くし、半年経った世界で、人口の半分が死滅し、崩壊してしまってなお、抗おうとする人類を描いている。

 半分まで減った全人類が、人知を集結し、完成させた対アグレッサー用、巨人型機械兵器『マギアスレイヴ』は確かに人類の唯一の希望であったけれど、それには尊い命が対価であったという残酷な現実が語られる。『マギアスレイヴ』の搭乗者に選ばれた者達、奴隷兵スレイヴと呼ばれる少年少女の残酷すぎる運命と抗うことのできない現実に爆発する感情の機微が、心を揺さぶる。そして、物語が進むにつれ、命を絶っていくキャラクター達に胸を打たれ、感動し、涙を流したという視聴者も多いと言われている名作だ。

 主人公テオとヒロインマナが扱う『マギアスレイヴ』こそ、今ルクスとルーシアの前に屹立するロボット。『マギアスレイヴ第四番機、個体名称、〈プレデフィード〉』である。

『マギアスレイヴ』は一体だけでなく数体開発されていて、個体ごとに固有兵装が装備されている。作中の中でも、無類の強さを誇る〈プレデフィード〉は、傷つきながらも、放送中に破壊されなかった機体の一つ。その強さはアニメの中で保障されていて、折り紙付きだ。

 それをアニメーションの動き通り、完璧な模倣で二人は操作する。

「先手必勝、行くよ、マナ!」

「了解、テオ!」

 二人とも、やや浮遊する体を前傾させ、テオは左腕を前に、マナは手前にあるスクリーンを操作する。

 二人の操作に合わせ、ロボットの目が赤く煌めき、左腕が挙動する。五本の指がある人間のような手首を、左腕内部へ保管し、攻撃態勢に入った。

「……仕掛けてくる」

「あわわわ、回避しなくちゃ」

 ルクスは臨戦態勢に入り、ルーシアは慌てる。

「照準補正、ロックオン完了。行けるわ!」

「了解、【コンベンショナルバレット】ファイア!」

 マナの言葉に合わせ、テオは大きく手を前に突き出した。一瞬のタイムラグの後に、巨大な左腕に内蔵された発射口から細く長い百五十ミリの弾丸が、連続で放射された。

 炸裂する鉄の連撃は地を穿ち、街を焼く。容赦のない連続攻撃は、マシンガンのように怒涛の連撃を繰り返す。

『マギアスレイヴ』の全機体に総じて言えることは、必ず二人、しかも男女の異性同士でないと操縦できないということだ。男は骨や筋肉など体の部分を、女は感覚や認識などの精神や脳の部分を互いに担い、司る。お互いの操作が、感覚が、意識レベルで合わなければ、『マギアスレイヴ』はゴミ屑に等しくなるのだ。男女二人の感覚が意識レベルで重なり合うことを、作中では共鳴レゾナンスと呼び、これが出来ることで『マギアスレイヴ』の力は爆発的に飛躍するが、逆にできなければ『マギアスレイヴ』に搭載されたAIが混乱し、激しく性能が落ちるどころか、搭乗者諸共誤爆し、自壊する恐れがある。

 それ故に、彼らが完璧に操縦できているということは、彼らが互いに信頼し合い、パートナーとして完成している証であり、一言でいうなれば、凄い、これに尽きる。

 殺到する無数の弾丸に、一切ひるむことなく、ルクスは小さく息を吐く。

「【祖の誓いの名の下に光明を現せ】」

『オース』に端を発して、祖のプロ―ヴァが赤く光り、ルクスを光が包む。白く瞬いた両手にはルクス専用の霊宝具エレメンティア、〈フォイボス・トレーゼ〉が顕現した。

 二本一対の双剣、〈フォイボス・トレーゼ〉は純白の鞘と黄金の柄を持つ武器であり、光の属性を秘めていた。

 ルクスは素早く引き抜き、六十センチほどの銀光を放つ刀身を空気に触れさせ、続けて言葉を発した。

「【祖の誓いの名の下に光明を現せ。帯となり行く先は、彼方遠く。遥かまで突き進み、一閃を刻む。ヘリオスの光よ、刹那の如き軽迅で、一切を振り切り、疾く進め】」

 銀光を放つ刀身が白く閃く。光を帯びた両の手の剣は、莫大なエネルギーを放ち、やがてそれは、彼自身を光に染め上げた。

 ――瞬間、彼は飛ぶ。地を蹴り、ルーシアを圧倒的な速度で置いてきぼりにして、弾丸の雨を掻い潜り、飛翔する。自分の前に来た弾丸を、豪速で切り伏せて、爆発する前に飛び去る。

 それは、まさに光の如き速度。人類が決して届くことのない、未知の領域であった。

〈プレデフィード〉のセンサーにも感知することのできない圧倒的な速度で距離を詰めたルクスは、双剣を右側に、平行に構え、勢いそのままに左腕の発射口を振り抜いた。

 ガァァァァァァァァァァァァン!

 硬質なもの同士が激突し合う鈍く重い音が、荒廃した都市に鳴り渡る。

「ダァァァァァァァァァァァ!!!」

「ギャァァァァァァァァァァ!!!」

 男女二人の大絶叫。感覚をロボットに接続しているからこそ成り立つ、強烈な激痛。その一撃で、弾雨は止み、腕の重みでバランスを崩した巨体は、ゆっくりと後方へ倒れだした。

 その光景を、自動的に演出効果で盛り上げる、サングラス型の装置『エフェクターグラス』を通して、観覧していた観客らは、驚愕をその表情に映した。

 たった一人の人間が、何百倍、何千倍も巨大な兵器を相手に、猛烈な打撃を与えたのだから。

「……え、えぇぇ! 嘘でしょ!」

 弾丸の嵐に身を屈め、必死に回避しようとしていたルーシアは、観客同様顔を驚きに歪ませていた。パートナーであるはずの自分の力に一切頼ることなく、自分一人で攻撃を食らわせたことに、鳩が豆鉄砲を食ったように驚嘆した。

 高層ビルに匹敵する巨体が地面にめり込み、周囲の建物を破壊しながら、仰向けに倒れ込む。砂埃を、雨降る雲に届くほど高く上げ、そして少しの静寂が流れた。

「……想定以上に硬い。相当タフだ。改善策を見つけなければ」

 ルーシアの元へ、一瞬で舞い戻ったルクスは、砂埃を上げるそれに、目をやりながら、考察をしながら、呟いた。

〈プレデフィード〉の中では、激痛を堪え、男女が立ち上がる。今回の体力ゲージはあくまでロボットのものであるから、莫大な量があるけれど、もちろん操縦者の身を削り、戦闘不能になればそこで試合終了だ。

 体力ゲージが今の一撃で、想像以上の損耗をしていることに驚きつつも、今へ立ってはいけないと気合で体を起こす。

『マギアスレイヴ』の弱点を二人はすべからく理解している。途方もない電気エネルギーで機体を動かしているそれらは、もちろんエネルギー消費も凄まじく多い。全力で動かせば、三十分持つか否かと言われていて、二人はそのことを懸念して、戦いを急いでいた。

 男女の意識を極限まで合わせ、果てしなく重たい体をゆっくりと戻していく。

 騎士道精神で、あえて追撃を繰り返さないルクスはその光景を、まじまじと見つめていた。

 ふと、傍で立ちすくむルーシアの方へ目をやる。

 体は、ガタガタと震え、凍り付いてしまったように動作がない。口を開けても、全く言葉を発することができず、完全に調子を狂わしていた。

「……ルーシア、今のあなたでは確実に、やられてしまう。きっと、足手まといになってしまうから、手を出さず、見ておいて」

 一瞥した視線をすぐに起き上がる巨体の元へ集中させ、ルーシアの顔も見ず、淡々と言った。冷徹に状況を判断した上での、ルクスの、空の、最善の策。その言葉に、冷たさはあるけれど、怯え、緊張するパートナーへの配慮も含蓄していた。

「……は……い」

 その吐き出すような声音には、明らかに哀しみと悔しさが内包されていて、ルーシアの双眼は小さく振るえていた。けれど、怯えることなく、戦う勇姿は、読んで、見て、よく知っている。彼(ルクス)が言うのなら。彼(空)がそう言うのなら、それに従わなければパートナー失格だ。

 ルーシアは震える体を制御させて、戦地に向かうルクスを見送り、ゆっくりと後退した。

 そんなルーシアの気配が消えたことを、第六感的な感覚で感じていたルクスは、小さく息を吐く。既に元の状態へ立ち戻った相手を視認し、両の手に構えた剣を、持ち直した。

「マナ、【コンベンショナルバレット】はまだ使えるか?」

 矢や体力ゲージが減少し、焦りを見せるテオは、上部にいるマナに問いかける。

「……ダメ。さっきの攻撃で誤爆して、使えないみたい。けれど、神経は生きてるから、バリアは展開できるわ」

「……了解。とりあえず、左腕を元に戻して、向こうが攻撃をしてくれば、それで応戦しよう」

 計画を決めた二人は、またも同時に操作する。テオは突き出していた左腕を、元の位置に戻し、マナはスクリーンを操作し、ロボットの体内に組み込まれたAIに指示を送る。

 発射口が大きく歪曲し、撃ち出すことのできなくなった左腕を、内蔵していた元の手首に半化させ、最低限対応可能な状態に戻す。

 ルクスは、遠目に見えるその光景を、攻撃を繰り出す好機と捉え、再び駆けた。目にも止まらぬ速さ、その言葉が指し示すように、目では追えないほどの圧倒的な加速。

 弾丸が降っていないからこそ、その速度は先程の比じゃないほど増していき、巨体に肉薄した。

「来た。ここは、防御だ」

「オーケー。【エレクトリフレクター】、展開!」

 マナが叫びをあげ、反射的に指示を送る。感じ取ったAIは、テオの左手の平を大きく開く動作を確認して、間違っていないことを瞬間的に判断した。

 巨大なロボットも、テオと同じく手を開き、左腕を突き出す。瞬間、迸るように、電子的な光の効果演出エフェクト。高エネルギーを出力し、他を寄せ付けない、圧倒的な斥力の壁を、猛烈な速度で突撃するルクスのいる前方へ、展開した。

「グオッ! アァァァァァァ!」

 抗うことが叶わない斥力の猛烈な反発。接近していたルクスはその壁に阻まれ、激突し、跳ね返った。その衝撃は骨を拉げ、筋肉を千切る感覚。悲痛な叫びが反響し、小さく聞こえた。

 接近した速度に迫るほどの猛烈な反発を受け、ルクスは地面に入射角四十五度くらいの角度で、一直線に進んだ。ルクスは痛みを堪え、衝撃でも絶対に離さなかった双剣を握りしめ、祈った。

 ルクスの祈りは光を呼び起こし、咄嗟に体勢を変え、激突する直前で足を地面と平行に滑らせるように着地して、直撃を回避した。

「あれを回避するとは、何者だ?」

 スクリーンに映し出される驚愕の真実に、テオは捲くし立てるように言った。

「テオ、相手は相当厄介よ。早いうちに切りをつけましょう」

 マナはそう落ち着いて、テオに助言する。テオも、小さく頷いて次の動作を開始しだした。

「……体力ゲージが半分損耗。流石にロボットはやばい」

 ルクスは独言を吐き、目に映る体力ゲージの大幅な減少を受け止めていた。実際問題、今の攻撃で戦闘不能にならなかったことが不思議でならないほど、体は悲鳴を上げ、双剣以外の装備も消耗している。次、何かしらの攻撃を受ければ、確実にゲームオーバーだと理解していた。

 前方に見える巨体に神経を注ぎ、その一挙手一投足にまで心を配る。すると、雨降るフィールドの空気が変わったことを実感した。その要因は間違いなく、前方のそれ。何かを始めようとする魂胆が、遠目ながらに窺えた。

〈プレデフィード〉の背部、四枚の縦に並んだ翼が、ジェット機のエンジン音のようなけたたましい轟音をかき鳴らし始めた。雨粒を吹き飛ばすほどの猛烈の暴風が、崩壊したビル群に直撃する。未だ残っていても、脆くなったガラス窓は暴風に当てられ、軋みを上げて、割れ崩れ、

地面に芥となって降り注ぐ。鉄筋コンクリート製のビルも、幾年も放置され、管理されていなかったせいか悲鳴を上げ、その暴風に、無惨に崩れ去っていった。

「ハァァァァァァァァ! マナ、やるぞ!」

「了解! ハァァァァァァァァ!」

 吐き出される猛烈なエネルギー波は、機体をさらなる領域へ進める推進力へと変わり、その果てしなく重く、巨大な図体を、宙に持ち上げた。

 巨大な兵器はその重みを感じさせないほど、空気を切り裂くように身軽に動く。建物を幾らかなぎ倒しながら、フィールド全体を俯瞰できるほどまで高く昇った。

「マナ、エネルギーはまだいけるか?」

「結構消耗してる。残量は六割ってとことかしら」

 空中に佇んだ〈プレデフィード〉の頭部で、スクリーンで状況把握をしながら、二人は語らう。スクリーンには一人、巨体を見上げる戦士の姿があった。

「相手もかなりの強者だ。だから、早いうちに決めるぞ」

「オーケー。単一的に狙うわ。……エネルギー充填!」

 スクリーンを操作し、エネルギーをある標準装備のところへ向けた。さらに、センサーを、睨みを利かせる青年のもとへ集中させ、六角形が三重に並んだ照準器を青年のもとへ完全にロックオンした。余程のことがなければ自動補正され、確実に攻撃を着弾させることが可能で、敵を殲滅する準備は万端だった。

「風向きを考慮、自動補正システム正常起動。完全に敵を捉えたわ」

 マナの確信したような言の葉に自信をテオは抱いて、挙動する。両の腕を上へ突き立て、AIに行動の指示をした。

「【プルスートシェル】発射!」

 両肩に内蔵された別の発射口。格納されたそれを展開するために、外壁になっていた外の金属殻を開放し、砲塔のようなそれが姿を現す。

 七十五ミリメートルの、やや幅のある弾丸。分厚いその弾の中には、高火力の弾薬を内包していて、弾頭が着弾すると同時、大爆発を起こす仕組みだ。

 照準を合わせ、自動的に敵を捕捉しながら、弧を描き、放たれた。飛翔する超火力砲。連続して、同様の砲弾が三つ放射された。

「……フィールドを壊す気か。全弾回避必至だ」

 思わず呟いた空は再び、地を蹴る。飛び上がり、加速するルクスを、全四つの巨大な砲弾が追尾する。

 崩壊しなかったビルの壁に足をつき、縦横無尽に駆け巡る。左の壁を蹴ったと思えば、右斜め上に上昇、すぐさま体勢を下に向け、急速に下降、そして急停止から、後方へジャンプ。誰も追随を許さないその動きに、追尾する弾丸は翻弄されることなく、ただひたすらに標的の元へ殺到する。

(……世界一危険な鬼ごっこですか……面白い)

 一瞬空の顔を見せたルクスはすぐに立ち戻って、さらに加速していく。

 残っている荒廃したビルの中で最も高いビルの壁面を猛烈な速度で駆けあがる。四つの弾丸は並んでルクスの後を追うように、低空からビルの壁面に沿って、上昇する。

 後ろに迫る気配を感じながら駆け上がったルクスは、ビル頂上に立ち、刹那の速度で周囲を一瞥する。

 約一秒弱で遅れて追撃してきた弾丸はほんの一瞬視界から消えた敵を索敵する。その僅かな時間、頂上に残っていた給水機のような物体を一閃したルクスは、弾丸に向かって飛ばした。

 一番先頭にあった弾丸に、的確に接触。その衝撃に、弾頭が反応、大爆発を起こして、周囲を巻き込みながら散った。

 すぐさま、加速し、爆発から逃れたルクスは、決して気を抜かない。それは、まだ弾丸がついて来ていることを理解していたから。先ほどの爆発で、先頭とその後ろの弾丸は潰えたものの、その後ろの二機は、黒煙を突っ切り、未だ迫っていた。

 上昇したビルを今度は紐なしバンジー。重力に従わずとも加速して、下降していく体を今度は横へずらす。ビルに残っていたガラスを〈フォイボス・トレーゼ〉を振り抜いて、斬り砕き、おそらく元オフィスビルであったろう、ルームに飛び込む。雑多に障害物が配置されていたことを、気にも留めず、全て切り裂き突き進む。

 もちろん、後続に飛来する弾丸も同じように下降し、熱感知センサーと敵が辿ったルートを記憶する装置で的確に追尾する。

 障害物となるもの、古びた椅子やパソコンなどの機械が切り伏せられ、鉄や木の欠片となって妨害するけれど、針に糸を通すようにその隙間を縫って、ルクスを追う。

 ルクスは迫るそれらよりもさらに早く動いて、また上方へ移動。数瞬前に通った階層の一階上に飛び込んだ空は構うことなく、地面を切り裂いた。

 コンクリートの地面を容易く裂いて、フロアの床全体を崩し落とした。床であったコンクリートはただの瓦礫となり下がり、落体の法則に従って降り注ぐ。瓦礫の雨は、フロアを抜けきることのできなかった弾丸に、回避不能の連打となって、襲撃した。

 ルクスは崩壊する瓦礫を置き去りにして、フロアを瞬間的に後にした。窓を突き破って、雨の降る外へ抜けた瞬間――大爆発。

 けたたましい轟音は耳を劈き、少し遅れて衝撃波が空気を振動させる。脆くなった鉄骨やコンクリートを嘲笑するかのように、爆炎が、爆風が、吹き飛ばす。支柱を失った巨大なビルは轟音を雨音の中に溶かして、崩れ去る。土煙は舞い上がり、壁面は皹を入り、剥がれ落ちる。倒壊するビルから咄嗟に距離をとって、無傷で済んでいたけれど、もしこれが本当に人の住まう都市だったならば、死者負傷者は計り知れないほどだろう。

「……どうやら、撒けたようだ。そろそろ、やり返さなければ……」

 光に迫る速度に人間が悠々と耐えられるわけもない。それ相応に体は疲弊するし、骨も筋肉も悲鳴を上げる。故にルクスも鍛えているとはいえ、呼吸は荒くなり、拍動は早くなっていた。

「……嘘……。全弾撃墜……。彼には一切ヒットしてないわ」

「……マジかよ。……仕方ない、採算度外視の切り札を使うしか……」

 テオは顔を顰め、悔しそうに手を握る。そして、意志を固めたようにスクリーンを見つめた。

「……マナ、やるぞ! 負荷も大きいかもしれないが、撃退するにはそれしかない」

「えぇ、わかった。行くわよ」

 俯瞰できる高さから、見下ろす彼らはそう言った。

 残量エネルギーは半分を割り、いよいよまずくなっている。その焦りは二人を急かした。

「エネルギー連結。蓄電チャージ開始! ……フルスロットル!」

 スクリーンを操作したマナが、テオに説明するように叫んだ。頭部の操縦室の色が、激しく赤く点灯する。電気エネルギーの急速な低下に、危険信号を送っているのだ。

 非常事態に似たその状況でも、彼らパートナーの共鳴レゾナンスは消えない。互いが補完し合い、信頼し合い、成し遂げられる究極的な域に達した二人を、何人たりとも邪魔はできない。

「飛行推進力が低下している。流石に、負担が大きいか。だが、俺達の勝利には……」

 状況を判断し、テオは体全体に力を入れる。巨大兵器の骨格を担っているようなものだから、それを維持するということの重みは異常なほどだ。

 それは、マナも同じ。全ての思考回路を司る彼女は、常時頭をフルで回転させているようなものだから、脳神経が焼ききれそうな感覚に苛まれる。

 けれど、テオもマナもそれらを受け止める。使命のために、勝利のために、そして――作品のために。

「マナ、行けるか?」

「えぇ、準備は完璧よ。絶対に、これで決めるわよ」

「あぁ、では……【オイノーズブレイヴ】起動!」

 高らかな叫びと共に、テオは背中に右手をやる動作をする。そして、何かを掴むような動作で、何かを前に突き立てた。

 巨大兵器の〈プレデフィード〉も目を赤く滾らせて、背部に手をやる。猛烈なエネルギーを排出し続ける四枚の翼の間。ちょうど、人体の背骨にあたるようなところに、長く堅牢な右腕を仕向け、全身全霊を賭けて、それを取り出す。

 外殻が両開きの扉のように開き、格納された固有兵装。〈プレデフィード〉のために用意された〈プレデフィード〉のための現時点最強の武器。

 背中から引き抜き、テオと同じように前に突き立てたそれは、凄まじく長く、幅の広い、大剣。切っ先から、柄にかけて八メートル前後、刀身の幅も一メートル強、重さは十トン以上ある超重量の化物じみた代物だ。

 最低限の軽量化として、刀身を収める鞘は存在しておらず、剣全体が銀色に輝きを放っている。柄から延びた刀身は途中で二股に分かれていて、剣の間に隙間が開いている。真っ直ぐと入ったその隙間は、包丁で切れ込みを入れたようであって、見た目にも美しさを感じる。

 右手に持っていたものを両手に持ち替え、中段にまっすぐと構えた。両腕から爆発的なエネルギーが注ぎ込まれ、剣に異変が起きる。刀身の切れ込みに、電光が走り、稲光のように瞬く。青白く輝くそれは、剣全体をその色に染め上げていき、空気を轟かせる。

「……何あれ……」

 ルクスの指示に従って、瓦礫に紛れて、見つからないよう隠密行動をしていたルーシアは、瀬奈の側面を垣間見せ、嘆息を吐くようにそう呟いた。

雨降る黒雲にその銀体を煌かせる巨大兵器が突き出した細長い剣。それは、青白い閃光を放ち、それに共鳴するように稲妻が走る。稲妻が集結していくように膨大な電気エネルギーが奔流し、眩しいほどの閃光が奔った。

「……まさか……あれで街を……街そのものを……破壊するつもり……?」

 ルーシアは恐れた。あの輝きが放たれれば、光に街が消えるとそう感じて。

『共鳴機装マギアスレイヴ』の作中では、味方を巻き込みたくなくても、命令で、状況で、どうしようもなく、強力な攻撃で破滅させる描写がある。瀬奈はその描写を知らなったけれど、今見ている光景を見る限り、何か良くないことが起こるのは確定的明らかだった。

(……先生、どうしましょう。私は……何をすれば……)

 体に力が入らない。果てしなく襲い来る緊張と恐怖。実際そうではないのだけれど、死と隣り合わせにあるような感覚は、体を強張らせ、大きく震えさせた。

 冷や汗が流れる。背筋が凍る。頭が真っ白になり、視界が暗む。動けずにいる自分が、反吐が出るほど嫌になり、どうしよもなく情けなくて、狂いそうだった。ルーシアはそれを見上げることが限界で、結局動くことがままならなかった。

 青白い閃光が黒雲を霞ませるほど瞬き、中段に構えられたその大剣【オイノーズブレイヴ】を上段に振り上げる。剣の切れ込みには電流が何度も往来し、大剣に高い電気的な圧力がかかる。電離を引き起こして、粒子が弾け、プラズマが発生した。

「これで最後、俺達の全力、【オイノーズブレイヴ】インパクト!」

 テオが吼える。両手で振り落とす動作と共に、リンクして〈プレデフィード〉も大剣を振り落とす。

「……今しかない、己を信じろ!」

 己を鼓舞するように言い聞かせ、ルクスは駆けた。蹴り上げた地面は土埃を上げ、空中に舞った。

 ルクスの視線には、見据える青電光。雨粒すら回避できるように感じる速度で加速し、それだけは目を外すまいと意識しながら進む。

 上段から大地に向かい振り下ろされた八メートルの巨剣は、獰猛な轟音を立てながら、大地に衝撃を与える。超高温と化したプラズマの瞬きは、爆発的な雷と化して、荒廃した街を蹂躙する。

 巨大な電流の群れが何本も巨大な蛇のように地面を這うように蠢き、暴力的な衝撃が、抗する術なく破壊していく。フィールドが青白く染まっていき、一切の他の色を失った。

 僅かに遅れて、大轟音。白んだ世界に鼓膜の破れそうな衝撃音がこだまする。

 衝撃の後は、プラズマの残滓が引き起こす強烈な熱波。大多数の生物が昏倒しそうな熱気が街全体に立ち込めた。

 身を隠していたルーシアも、抗いようのない膨大なエネルギー波にその身を焦がし、体力ゲージを一気に減らす。体が機能しなくなるようなショックは、激痛に変わり、体をひたすら蝕んだ。

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 そこにはか弱い女性の呻吟が響き、一人寂しく、地に伏せた。

 ――だが、彼は、違った。ルクスだけは違った。

 暴れ回るエネルギーの渦を、即死の波動を、全て回避する。暴虐なる力が蹂躙し尽くし、埋め尽くす前に、空中に飛び上がって、加速を続けながら、巨体に迫る。

「【祖の誓いの名の下に光明を現せ】」

飛翔しながら、詠唱『オース』の言の葉を呟く。両手に握った〈フォイボス・トレーゼ〉の柄を逆手で握り、下段に腕を開いて構えた。

〈フォイボス・トレーゼ〉の鞘を抜かれた刀身は美しい銀光を放ち、光の当たり方によって白くも煌めく。それそのものが彼の言の葉と祖のプロ―ヴァに呼応して、白く光りを上げる。手はより一層強く握られ、決して離すことなく固く結ばれる。

「……エネルギー残量、4パーセント。限界、落ちる」

「……おそらく……敵は消滅した。――――っ!」

「……生体反応あり。何か来てる!?」

 電気エネルギーを一瞬で消費し、危険区域になったから下降する〈プレデフィード〉。推進力が低下し、落ちていく機体に、肉薄する何かの影がセンサーに反応し、スクリーンに映った。

「……あれを回避したの? 信じられない。テオ!」

「あぁ、わかっている。【エレクトリフレクター】展開!」

 エネルギー残量を度外視し、守備を固める。固有兵装の【オイノーズブレイヴ】を崩壊した街だったものに落として、左手を構える。しかし――。

「……ダメ、出力が足りない。斥力力場が機能しきっていないわ!」

 今の残量ではガードを固めることができず、普段より甘くなってしまう。それを、好機と捉えたルクスは、全力全開で言の葉を紡ぐ。

「【散らばる無数の煌めきは、ただ一つに集い、光のありし場所は、いのちを宿す】」

 駆けるルクスの姿は、まるで一筋の流星のよう。白く眩い光の粒子が、ルクスの周りに煌めいて、徐々に〈フォイボス・トレーゼ〉の元へ吸収されていく。

 聡く、賢明で、怜悧なルクスの表情はその豪速に顔を歪めて、熱く、精悍な戦士の面に変わる。逆手に構えた双剣で、鋭い眼光で、下降途中の巨体に肉薄する。

「【ヘリオスの集光で、万物を切り捨てろ】」

 収斂した光を纏った双刃。脱兎の如き速度を一切緩めることなく、空中を突き進み、落下する巨体にみるみる近づく。若干の斥力に勢いを殺されそうになるけれど、空中を蹴り、さらに加速して、巨体の腹部の前に止まった。

「【ソレイユ・コンバージェンス】!」

 ――一閃。強靭な外殻を右手の刃が切り開く。膨大な光が集結し、途方もない熱量を持った刃が強固な金属を、何もなかったかのように裂き開いた。

――二太刀。切り開いて飛び出た内部を左手の刃が抉り切る。焼き切ると言った方が近いその剣で、強固な体を微塵に裂く。

三撃、四撃、五撃、六撃――。斬閃が連綿と連なって、金属の詰まった内部を二本の剣が切り開く。剣を振るうたび、その攻撃は何倍も速くなっていき、巨大な体に鋭利なメスを入れる。

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 雄叫びを上げ、逆手に持った二つの剣を同時に振るう。熱量で全てを断ち、腹部を完全に切断した。

 真っ二つになった巨大なロボットは、腹から上と腹から下の二つに分断され、完全に行動不能になる。

 操縦するテオとマナには、緊急事態を知らせる警鐘が、鳴り止み、動作を止めたことが知らされ、視界に映る体力ゲージがゼロを示していることを受け止めた。

「……行動不能、どうやら、負けのようだ」

「……仕方ないわ。勝負は時の運だもの」

 崩れ落ちていく機体、画面に砂嵐が走るように視界が消え去っていく。

 二人は悔しさを滲ませながらも、消して涙は零さない。それは、わかっているから。勝負が時の運などではなく、必然に決まっていることを。

 相手の度量を図り、隙ができたところに強烈な一撃を叩きこむ。最初から組み込まれていたプラン。完璧な道筋をただ辿っただけ。

 結局のところ、自分達がFCRBを究極的に愛すことができなかった。作品を愛すことができなかった。それが、一番の敗因だった。

 敵の言動、執念、キャラクターへの熟知。全てに通暁していて、誰も及ばぬ位置にいたことを痛感した。まだまだ、愛が足りなかった。誰もが引くほどへの執着が足りなかった。

「……アマンダ、またアニメ、見直そうか?」

 意識が消えていく中、パートナーであるアマンダに呼びかける。

「……えぇ、そうね。もっと、深く知っていかないと、また負けちゃうから」

 拮抗していたように見えていたけれど、その格の差は明らかだった。約束をした二人は小さく微笑をその口元に浮かべて、満たされた感情のまま意識を元に戻した。


「……決まった~! なんと、オッズの予想を大幅に覆し……勝利したのは……日向&香月ペアだ~~~!」

 ディーの煽りが、静まりかえる会場にこだまする。数秒の静寂の後、パチパチと数名の観客が拍手し始める。拍車がかかったように拍手の数が増えていき、連鎖するように声が上がっていく。歓声は、鳴り止むことなく、どんどん増していき、スタンディングオベーションに変わる。

 拍手喝采、大絶叫、賭けて、負けた券を天高く投げて、勝利した二人を大きく称えた。

「……ありがとう。……ありがとう」

 ボックスから出て、観客に迎えられた空は手を振りながら、恥ずかしそうに、そう呟く。その隣で、目に涙を溜めながら、ふらつくように瀬奈が出てきた。

 足元がおぼつかなく、今にも倒れそうな瀬奈の様子を訝しんでいる観客はいるものの、注目しようとする人物は誰一人といない。その理由は、簡単でFCRBで何一つ印象に残っていなかったから。全て、空とマーク、アマンダペアの間で対決をしているばかりで、彼女は何もできず立ち竦んでいただけだったからだ。

 世の中はとても残酷で、結局目立ったものだけしか得をせず、何もできなかったものには毒も吐かないし、嫌みだって言いはしない。ただそこにある空気のように、あっても見えないように扱われて、何も騒がれずに終いだ。

 瀬奈はここまで、気にも留められないのなら、罵詈雑言を浴びせられる方がましだった。練習とはまるで違う、これがプロの世界。見てももらえないし、気づいてすらもらえない。結果的に、勝利しても何も報われなかった。

「……香月さん……お疲れ様でした」

 優しく微笑みを浮かべて、空は瀬奈の方へ振り向いた。その表情はどこまでも慈愛に満ちているような、ルクスを想起させるような表情である。

「……先生……ごめんなさい……」

 弱々しい、か細い声音。謝罪の念と情けなさに心が焼かれそうになる。試合は終了しているのに、頭は真っ白で、視界は暗澹たる様。体は震え、腹から声が出てこない。惨憺たる状況を改善する術を、瀬奈本人を含めた誰も持ち得ていなかった。

 体の感覚がなくなり、バランスを取れなくなる。平衡感覚を失ったら最後、人間というものは脆く、重力に抗うことはできない。脆弱さを痛感することもできず、瀬奈は膝を折る。体勢を崩し、よろめきながら、地面に倒れた。

「……香月さん? 香月さん……香月さん! あの、救護班を、一人倒れました! すぐに呼んできてください! 早く!」

(……先生……迷惑……かけて……すみませんでした)

 神妙な瀬奈は意識を暗闇に落とした。

 ――およそ一時間後。

「……ここは? ……あれっ、私、試合を終えてそれから……って、ここベッド? もしかして、病院に……あぁ、試合があるのに、私……私……」

 目覚めた瀬奈は、思わぬ場所にいる自分に大いに取り乱した。自分がいるべき場所にいないことを理解できず、記憶の消失に混乱する。

「……起きましたか? 落ち着いてください、ここは、スタジアムの救護室ですから」

 傍らから、響く青年の声。水を運んできた空は、ベッド側の机の上にそれを置いて、用意していたパイプ椅子に腰かける。

「……先生っ! 試合は……試合はどうなりました?」

「だから、落ち着いてくださいって。ちゃんと、勝ちましたから」

 焦り、捲くし立てるように問う瀬奈に、諭し教えるように空は返答する。瀬奈は首を横に振って。

「そうじゃなくて、二回戦です。……まさか、出場できなかったとか?」

「大丈夫です。まだ、一回戦の途中ですから。一回戦と二回戦の間には休憩時間も設けられていますし、安心してください」

「……はぁ、はぁはぁ。……そうですか……それは……よかったです」

 昂る気持ちが冷めていき、ベッドから体を起こしていた瀬奈はゆっくりとベッドに体を落としていく。力が抜けて、横になった。

「……先生、一回戦の時は申し訳ありませんでした」

 己の恥を悔いるように、瀬奈は謝罪の念をまるきりそのまま吐露する。

「……気にしないでください。よくあることです。最悪、棄権すれば体もよくなる――」

「ダメです! 私のせいで、大会に出られなくなるなんて、私自身が許せません」

 今大会のルールブックによれば、ペア競技であるからして、片方のプレイヤーが出場できなくなった時点で、自動的に負けになってしまう。身勝手な事情で、瀬奈は不戦敗になるわけにはいかなかった。

「……そうですか。別に体がよくなければ、棄権してもいいと思っていたのですが……そういうならば二回戦も出ましょうか」

 空は少し思案して、瀬奈の提案に同調する。

「……ですが、無理は禁物です。アイデンティティ・クライシスになってしまったり、体に支障が出てしまうと僕が困ります。二回戦は無理をせず、競技中でも休んでもらって構わないですから」

「……はい……了解しました」

 瀬奈は首肯する。というか、そうするしかない。今、FCRBに出て、出しゃばって何かを起こしたところで迷惑を被るのはパートナーの空だ。それくらいは自覚していた。

 ――コンコンコン!

 医務室の扉をノックする音が響く。「はい、どうぞ」と、空が伝えると、おもむろに扉が開く。

「瀬奈さ~ん!」

 新雪のような美麗な髪とひらひらとした衣装、部屋を駆けて、その人物は瀬奈の体に飛び込む。――眉根を寄せて皺を浮かべる空の表情から見て、それがシルルであることは明白だ。

「……うわわわっ! えっ、シルルちゃん!?」

 驚嘆する瀬奈に、どこかのほほんとした柔らかな声音。シルルは衣装を揺らして、双丘の元へ飛び込んだ。

「瀬奈さ~ん、お体は大丈夫ですか~?」

 飛び込んだシルルは豊かな胸を頭で揺らして、問いかける。傍らでは、居心地の悪そうに視線を外す青年がいた。

「……うん、大丈夫。……ちょっと苦しいから、離れてくれるかな?」

「あっ、私としたことがごめんなさい。……でも、倒れたって聞いて、凄く心配したんですよ」

「……心配かけてごめんね。……先生が助けてくれたから、本当に大丈夫だから」

「そうですか……。空く~ん、本当にありがとう!」

 傍らで視線を逸らしていた空の手を掴んで、肩が外れそうなほど上下に揺らした握手をして、可愛らしい笑顔で感謝を述べた。

 しかし、当の感謝を述べられた空は肩を痛めたのか、表情を顰め、目を眇めて、シルルを見やる。当然、シルル自身は気にしていないのだけれど。

「……にしても、空君大活躍だったね~。私、びっくりしちゃったよ~」

 医務室の中にしては少し騒がしい声でシルルが言った。何かを諦めた様子の空は。

「……それはどうも。……僕としては、なぜ、あなたがここにいるのか解せないのですが。アイドル活動でしたっけ。それは、大丈夫なんですか?」

 どこか冷たさを帯びるような口調で、空は言う。やはり、彼女が苦手らしい。

「……うん。今日はここにスペシャルサポーター? か、何かで呼ばれていて、出番はもう少し後だから、今はオッケー。……そんなことより、友達が倒れたって聞いたら、向かわない訳にはいかないよ~」

「……悪いわね。私が不甲斐ないばかりに」

 表情を暗くして、瀬奈がベッドに凭れて答えた。すると、シルルは頬を膨らませて。

「……瀬奈さんは悪くありませんよぉ。空君が異常なんです。皆、私だって、大舞台のはじめというものは緊張するものですよ。気負わないでくださいね~」

 優しい言葉が身に染みる。心を甘やかに温めてくれるのと同時に、底冷えする何かがあった。すぐにわかったそれは自分の甘さ。結局、空にばかり頼りきりになって、名前だけの出場をして、意味もなく時間を過ごしてしまう。それをよしとしてしまう自分の甘さに腹が立った。ただの恥の上塗りではないか、と。

「……シルルさ~ん、ここですよね。時間です、早く来てくださいっ!」

 ドアの向こう側から、スタッフの呼び声。シルルを呼ぶ声に、本人は反応する。

「……あっ、時間が来ちゃったみたい。瀬奈さん、空君、頑張ってね~。くれぐれも、これ以上体を悪くしないよう、空君、しっかりとフォローしてね」

「……善処します」

「よし、それでは、行ってきますっ!」

 空に念を押して、シルルは綺麗な敬礼。指先から肩までピシッとまっすぐに伸ばして、警官のような敬礼を可愛らしく施して、部屋を後にした。

「……台風みたいな人ですね」

 心底疲れたようなそんな顔で、空は瀬奈に愚痴を零すように言った。

「まぁ、あれがシルルちゃんなんだと思います。先生は、苦手ですか?」

「……えぇ。とても。あまり、騒々しい人は、得意ではないですね。もう少し、ゆっくりと話せたらいい、と思ってしまいます」

「そうですか。……今のところは、彼女のペースに合わせて、その場を凌げば……」

 と、雑談をしている内に。

「「「フゥゥゥゥゥゥゥゥ! キャァァァァァァァァァァ!」」」

 会場の盛り上がる声がここまで、響いてきた。おそらくは、シルルがサプライズ登場をしたのだろうと自明の予想を二人は企てた。

「……彼女のおかげで、会場もさらに温まったようです。……香月さん、立てますか?」

「……はい、休めたので、なんとか。二回戦はできる限り、邪魔はしないようにしますので、どうかサポートをお願いします」

 瀬奈は重たい足を上げて、よろめくのをぐっと堪えて、立ち上がり言った。

「……はい。とにかく、無理をせず、頑張りましょう」

 二人は、戦う意志を確認し合って、ゆっくりと部屋を出た。

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