第9話 戦闘の本質

「戦闘モード起動します。では、プレイヤーさん、自分の視界の変化に気付きましたか?」


 電子アナウンスが言う。瀬奈は一度、瞬きをして、目を開くと、何かのゲームのようなゲージが視界の端に映った。


「それが体力ゲージです。プレイヤーさんの体力を示しています」


 やはりか、と瀬奈は納得する。今は鮮やかなグリーンで示していて、体力が満タンなんだと思案した。


「各キャラクターによって、体力ゲージの数値が多少、差がありますが、このゲージをゼロにすることで勝負がつくということは変わりありません」


 想像通りのルールに瀬奈はホッとした様子で聞き流す。


「では、早速攻撃を受けてみましょう」


 淡々と述べられた通告に、瀬奈は取り戻しかけていた落ち着きをかなぐり捨てた。


 電子アナウンスが述べた後、空が指を鳴らした。


 目の前に立つおぞましい存在のモンスター、『悪魔の下僕ディアブロ』と呼ばれるそれは、容赦なく、脈絡なく、瀬奈扮するルーシアに接近する。


 咄嗟とっさに反応して、肉薄するそれに利き腕である右手を仕向ける。『悪魔の下僕ディアブロ』の爪は、鋭く肌をはしり、真っ白な肌を赤く染めた。


「……痛ァッ!」


 噴き出す流血、動脈にまで届いた凶刃は、リアルに、グロテスクに、肌を、そして流れた地面を赤黒く染め上げる。


「がぁっ、あぁぁ」


 痛酷の絶叫。止むことのない苦痛に、あえぐように瀬奈は叫びをあげる。その声は、つんざくような鋭い声でいて、弱々しい女性の声音も孕んでいた。


「……痛い。……何で……これは、虚構じゃないの……」


 声を漏らすような小さな声で、視線の合った空に言う。


「はい。もちろん、あなたの体に傷はついていませんよ。運営していけなくなりますから。でも、ある程度ダメージを受けたって感じがないと、観客は盛り上がりません。だから、体に負荷をかけて、痛みを錯覚させているんです。ほら、視界のゲージを見てください。体力が減っているでしょう?」


 空に言われるがまま、瀬奈は視界端の体力ゲージに注目する。満タンで鮮やかなグリーンで表示されていたものが、三分の一以上減り、注意レベルの黄色で表示されている。


「……確かに、減っていますけど……ここまで、こだわらなくても……」


 瀬奈がぼやく。空は、瞬時に切り返す。


「……何を馬鹿なことを言っているんですか?」


 その声のトーンは落ち着いていて、優しさを覚えるけれど、実にはとても冷ややかで、恐ろしい何かがあるのを瀬奈は察する。


「FCRBの本質は作品をアピールすること、作品を知ってもらうこと、観客に楽しんでもらうことそれに尽きます。拘らなくていいものなんて、一切存在しないんですよ」


 真顔で、真剣に、狂気性ほど感じさせるほど集中した様子で言う空に、瀬奈はたじろぎながら、こくりと頷いた。


「……さて、余談はここまでにして、傷ついた体を癒してみましょう。瀬奈さん、ルーシアの使う魔法で、治癒を可能にするものを覚えていますね?」


 知っている前提で聞く空に、瀬奈は内心苛立ちを覚えながらも、顔には極力出さないように制御して、頷き答えた。


「では、さっそく実行してみてください」


 空の指示に従って、瀬奈は言の葉を発する。


「【祖の誓いの名の下に聖水を現せ。雨はしたたり、大地を恵む。水は血となり、肉となる。けがれし者を打ち払い、清浄なる一滴で覆い尽くせ】」


 彼女が恥ずかしながらも、高らかに呟いたこの言葉。魔法の登場する『極彩色の偽英雄』の世界で、魔法を発現するために絶対的に必要なのがこの言葉、『オース』である。


『祖』と呼ばれる、作中内で神のように位置付けされる存在に力を借りるために必要な誓文であり、魔法を行使するための決まり文句のようなものである。

 俗に、詠唱とも呼ばれるが、この『オース』を述べなければ、基本的に作中では魔法を行使できないし、それは現在も同じく再現されていた。


 蒼き光が繁吹くようにルーシアの風体をした瀬奈の周りを囲み、頭上に光が舞う。


「【ゲリンゼル・クラーレ】」


 杖を掲げ、唱えた言葉。すぐに光が弾け、頭上の光が零れる。体を巡る、青きエネルギーが、みるみる傷ついた体を修復していく。


 魔法というに相応しい激しい光の演出効果エフェクトが、瀬奈自身に魔法の効力を実感させる。


「……痛みが引いていく。……傷も、無くなって、血も止まっている」


 腕の傷口に目をやれば、先ほどまで赤黒く染め上げられていた腕が、白く艶のある肌に戻っていっている。リアルなエネルギーの対流する感覚に少し驚きながらも、瀬奈は魔法をリアルに感じた。


「……『祖の証プロ―ヴァ』も〈クリウス・ケイオン〉も、原作と同じように反応している。私、魔法を使ったんだ……」


 視線は握る杖とそれを持つ左手の甲に向けられる。魔法、杖、そして手の甲の紋様、それが共鳴し合うように輝いていた。


祖の証プロ―ヴァ』は、霊宝具エレメンティアに選ばれたものに宿る赤き六芒星の証。それぞれの頂点が、六つの属性を示しており、魔法、霊宝具エレメンティア祖の証プロ―ヴァが全て重なり、共鳴し合うことによって、その威力、規模、効果などの力を何倍にも引き上げてくれる。


 作中通りの演出に、作中通りの効果、自身が本当にルーシアになってしまったかのように、瀬奈は錯覚していた。


「……完璧、素晴らしいです」


 空が優しい口調で賛美を与える。


「……あっ、ありがとうございます」


 瀬奈はルーシアの顔でそう返答した。


「作中のルーシアのような慇懃いんぎんとした、そして凛とした面持ちのまま、まるで声優のような見事な演技で、魔法を完成できています。体力ゲージを見てみてください」


 空に従い、視界の端にあるゲージに目をやれば、半分近くまで削られていた体力が、安全圏である鮮やかなグリーンカラーに戻っていた。


「……ほんとだ。回復してる」


 抜かりない完璧な演出に瀬奈も、納得せざるを得ない。


「ちゃんとできてる証拠です。誇っていいですよ。……それに、さっきの魔法で、作品通り『悪魔の下僕ディアブロ』もきっちり撃退できています。美しいカルフィアラ近くの街並みにきっちりと戻っていますよ」


 気が付いていなかった瀬奈は周囲に目を向ける。瑠璃色の髪に似たその双眸に映ったのは、先の美しい草原が茫洋と抜けた光景。醜悪な図体と顔、それが発生させていたどす黒いオーラは完全に消え失せ、空は見事な快晴を示している。


「……凄い……」


 そう零して、ルーシアの表情は綻び、自然な微笑みが残った。




「……そろそろ、時間ですね。……香月さん、今日はこのくらいで終わりましょう」


 腕に付けた時計に視線を落とし、閉館時間に近づいていることを確認した空は、そう瀬奈に伝えた。


「……ようやく……ですか。……お疲れ様です」


 瀬奈は長く深い溜息を落とした後、続けてそう礼をした。


「……さて、えーっと……これか」


 空がタブレット端末を操作すると、瀬奈の視界にまた変化が生じる。視界にノイズのようなものが走り、少しずつ元いた暗い閉鎖ボックスに景色が転換していく。


「……あっ、戻った」


 体の異常がないか、元に戻った黒い双眸で、手や足を動かしながら確認する。特に問題がないのを確認していると、ボックスの重い扉が背後で開いた。


「お疲れ様です。お見事でした」


 軽い拍手と微笑で賛辞を送りながら、青年はそう言った。


「……それは……どうも……です。今日はこれでおしまいですか?」

「えぇ。もう閉館時間に近いですから、そろそろやめないと怒られます」


 青年、空は微笑を絶やさずに答える。向かい合う瀬奈は小さく一度頷いて、彼の元へ近づいていった。


「――瀬奈さ~~~~ん!」


 可愛らしい声音。駆けて、なびく白雪のような髪。それらは、瀬奈の元へと殺到して、抱き着くように飛びついた。


「うわわわっ!」


 側面からの衝撃に、抗いようなく、体勢を崩して、そのまま床に倒れた。受け身は取れているから、怪我はないけれど。


「……瀬奈さん、初めてあそこまでできるなんて凄いですよぉ! 私、感服してしまいました~!」


 シルルという名の可愛らしい少女は、幼少の子供が動物でも可愛がるように戯れて、瀬奈を抱きしめて離さない。


「ちょっ、シルルちゃん、きつい……きつい。ギブギブ、離れて」


 巻き付く腕の力を感じて、自身の手でシルルの腕をポンポンと叩く。反応して、瀬奈が苦しんでいることをやっと理解したシルルはその手を放して、一歩後退する。


「……あわわ、ごめんなさい」


 しっかりと、失敗してしまったと困惑と悲しみの宿った眼差しに、瀬奈は謝罪の意志があると理解して、立ち上がり、「大丈夫」、と頭をそっと撫でて返答した。


「……それにしても、あの活躍ぶり、初めて体験する人にはなかなかできない芸当ですよ~。普通は、詠唱した時とかに噛んだり、特殊な動きに体がついていかなくてこけたりして、失敗するのが定番なんですけど、ここまでうまくいくのは……空くん以来かな~」


 チラチラと空の方に瞳を向けて、瀬奈を賛辞した。


「へぇ、そうなんですか。……でも、先生もそんなに凄かったんですね」


 あまり興味のなさそうな声のトーンで言って、瀬奈も空の方へ目を寄せる。


「そうなんですよ~。自分のキャラクターを熟知していて、動きに一切迷いがなかった。なかなかいない、人材だと私は確信しましたよ~」


 きゃぴきゃぴと楽しげに話すシルルに対して、空の瞳は熱量が感じられなくて、瀬奈は温度差に困惑する。


「いえいえ、僕のレベルは大したことないです。……瀬奈さんは、僕よりずっと凄いと思いますよ」


 空は謙遜して言うけれど、声にも熱量がこもっていなくて、トーンは極めて低い。


「にしても、今年の新人戦は楽しみですね~。かなり、ハイレベルな争いになりそう~」


 空の声音は気にも留めず、どこまでも楽しそうに気分ランランとシルルは伝えた。


「……と言っても、まだ私、プロじゃないんで、出られないんですけどね……」


 瀬奈は引け目に言って、空気が悪くなった。すぐにシルルは。


「大丈夫です。瀬奈さんなら、きっとテストに合格できますよ~」


 と、フォローを入れる。空は空で、小さく頷いて、内心鼓舞激励を送っていた。瀬奈はあまり気づいていないのだけれど。


「さて、閉館時間も近いです。出ましょう」


 空の一声に、二人も頷いて、歩み始める。巨大な会場を抜けて、重々しい壁の間に通る廊下をさらに抜ける。午前中、通った道をそのまま戻って、スタジアムの入り口に到着した。


 空をのけ者にして――空自身が、加わろうとしなかった――二人で談笑を楽しみながら入口に行くと、時間で交代したのか、朝とは違う警備員が迎えた。


「お疲れ様でした。申し訳ないのですが、閉館時間が迫っています。速やかに、ご退出を願えますか?」


 急かすように早口で言うと、空が首を縦に振る。


「香月さん、行きましょう。あまり、ご迷惑をかける訳にもいきません」


 自分よりずっと大人の対応に歳の差が逆なのではないかと疑ったが、聞くほどのことでもないので、自らも頷いた。


「じゃあ、シルルちゃん、またね」

「はい、プロになれるよう、応援していますから~」


 互いに手を振って、わかれていく。小さくなっていく影が視界で捉えられなくなったところで、瀬奈は手を収めて、歩く方角へ体を戻した。


「……一日やってみて、どうでした?」


 だんまりを決め込んでいた空が唐突に問うた。


「……正直、疲れました」


 はっきりと、本音を零した。それが、これからも続くとわかっているのだから、戒めにしようともそう考えた上で。


「まぁ、仕方ないでしょうね。虚構の空間で戦う。それだけで、精神的な疲労は溜まる。その上、自分の意識で、自分の体じゃないものが動く。アイデンティティ・クライシスを引き起こしかねません。疲れて当然でしょう」


 さらりと彼は恐ろしいことを言った。けれど、それも覚悟の上で空は戦っているのだろうと、瀬奈はそう思案した。


「……それは大変ですね……」


 これも本音。いや、当事者に愚痴を垂れていると言った方がいいだろうか。しかし、瀬奈は微笑んで、続ける。


「……でも、楽しかった」


 自分でも疑心暗鬼なのかもしれないけれど、やはりその念があったことは違わないと思えた。大好きな作品、大好きなキャラクターに、リアルになりきれる。コスプレと同じと言ったら、違うかもしれないけれど、極論似たようなものだとも言えなくない。


 ただ、はっきりと答えられるのはそこに興味や面白さを見出せた気がするということ。それは、欺瞞ぎまんではなくて本物だと瀬奈は思っていた。


「それは、よかった。僕としても、無理強いするつもりはなかったので」


(何、嘘ついてるんだろ……)


 瀬奈はふと、皺の寄りそうな顔を、制御した。


「……これから、もっと大変になると思いますが、一緒に頑張っていきましょう。きっと、人生が有意義で豊かなものになると思いますから」


 空は笑みを浮かべて、そう告げる。すると、瀬奈も導かれるように微笑を口にこしらえる。


「……はい。先生これからも……よろしくお願いします」


 年上と年下、作家と編集者、仕事と趣味、男性と女性、そんな境界線はFCRBを通じて、どんどん埋まっていく。初めて、先生と心を通じ合わせることができるかもしれないと、瀬奈は感じていた。


 近代建築のビル群に、雲から零れた太陽が赤く、美しく、幻想的に、染め上げる。潮風とその赤い光が二人を包む。


「帰りましょう」

「はい」


 歩き始めた。

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