第8話 仮想世界とルーシアと

「どうも何も、わからなくて、頭の中がパニックしていますよ。ここは、どこなのですか?」

「どこも何も、『極彩色の偽英雄』の舞台、ブリタニカのカルフィアラ王国の近くの草原ですよ。今、あなたは架空の世界をその身で、実感しているんです」


 空が淡々と言うが、瀬奈にはやはり状況が呑み込めない。


 今、体に触れる空気感、風の流れ、草花の匂い、その全てが今までいた場所と違う。どこか、別の世界に飛ばされた、そんな非現実的な感覚に慣れなくてしょうがない。


「……作中の舞台、ブリタニカ。……言われてみれば、原稿を読んだ時と同じような光景……です。一体、どのようにして……」


 深呼吸を行って、状況把握をする。


「一昔前、VRやARというものが流行りました。現実をより良いものに、あるいは非現実を体験する、そのために開発された技術です。それをさらに応用、進化させたものが、これです。正式な名前は決まっていないのですが、仮想現実の世界に、完全に意識を移すという捉え方でいいです。FCRBの際には、こういった仮想世界を毎回ランダムで選んで、戦闘を行う場所とします。それを今、あなたは体験しているわけなんですよ」

「……は、はぁ。……それで、今、私はブリタニカの世界を体験していると……」

「その通りです。ですが、まだ驚きはありますよ……」


 含んだ笑みを浮かべて、空はさらに操作を続ける。


 瀬奈の視界、草原の広がる大地に、唐突に綺麗な装飾が宛がわれた体全体を反射することのできる鏡が出現する。


 目の前に現れた鏡に恐る恐る目をやると、自分の姿が――映らなかった。


 何かのドレスのような美しい真っ白な装束。垣間見える肌は張りがあって、とても白い。細長く伸びた手足とその装束の相性はよく、気品が溢れている。手首には黄金の腕輪。そして、精緻で繊細な麗しい顔立ちは、平俗な民衆とは思えない、オーラを放っていた。


 元々、薄茶色の髪だったものは、鮮やかな空のような美しい青を示していて、腰ほどまでまっすぐと、流している。

 その顔を、その衣装を、その雰囲気を瀬奈はよく知っている。自らが読み込んで、部分的にできるアドバイスをして、携わってきた空の作品。『極彩色の偽英雄』に登場するヒロイン、ルーシア・アイル・エレイネその人であった。


 自分が小さく動けば、鏡の中のルーシアも動き、手足をぶらぶらと揺らせば、鏡の中の少女も同じ動きをする。現実にいないはずのその人が、自らの意識で、自らの考えで、動かせていることに、瀬奈はルーシアの顔面で驚愕した。


「……ふふふ、香月さん、驚いている様子ですね。自分の手足のように、自分とは違う手や足が、自分の思うように動いていることに。……それが、所謂いわゆる〈モーションキャプチャシステム〉という技術を応用した、キャラクターの操作形態の一つです。操作システムの中では、一番オーソドックスと言えますかね」


 空が、驚いた様子の瀬奈を、心底面白そうに口に笑みを宿しながら言った。


「〈モーションキャプチャシステム〉……。どこかで聞いたことが……あったような……」


 瀬奈が首を小さく傾いで、述べる。補足説明を、電子アナウンスが自動で行った。


「〈モーションキャプチャシステム〉とは、前時代にアニメーション制作に取り入れられた技術の一つです。実際の人間の映像を高性能のカメラで多角的に撮影し、リアリティのある動きをアニメーションの中に反映させるものでした。その技術を応用し、FCRBはリアルタイムで動きを撮影し、キャラクターも同じような動きができるように進化させています」

「香月さん、あなたの意識は今、ブリタニカにありますが、体はボックスの中に取り残されている状態です。頭で考え、ボックス内で実際に動かしたものが、今いる世界で実感できるようになっているんです」


 納得したように、瀬奈は小さく手を握った。


〈モーションキャプチャシステム〉によって、体の動きも、寸分違わず、自分の思い通り操作でき、その動きは会場の誰にも見ることができる。本当にこれは、虚構であるのかと感じさせるほどのリアリティのある動作は、FCRBがここまで発展した理由の一つと言える。


 だが、あくまでこれは操作形態の一つだ。個人、企業になどによって、操作方法は変わり、千差万別を図っているのだ。


「〈モーションキャプチャシステム〉のいいところは、実際に体を動かしているので、現実と近い感覚で、新しい世界を開けるところです。応用も利きやすいので、扱いやすいのが特徴ですが、欠点もあります」

「……はぁ、なんですか、先生?」


 面白そうに説明する空に瀬奈が、成り行きの感じで問う。


「ボックス内で実際に動いているから、内部は見られないようになっているとはいえ、やっていることは結構滑稽に見えます。まぁ、激しく動いたところで、ボックス自体が動きを感知して、制御してくれるので、実際に怪我を負うことは稀有なんですが、その分挙動が小さくなり、傍から見れば不格好に見えてしまう節があるんですよ」


 空の力説に、ルーシアの形をした瀬奈は「はぁ」と声を零した。


 とはいえ、実際の姿が観客に見られないとしても、恥ずかしい姿を世間に晒される恐れがあるのなら、それなりの覚悟をしなければならないと、瀬奈は内心小さく意気込んだ。


「では、余興は終わりです。早速、ルーシアとして、なりきってもらいましょうか?」


 FCRBの本質は、キャラクターに声を当てる声優のように、演じる点にある。あくまで、これはエンターテインメント。キャラクターになりきって、観客を、視聴者を楽しませることにこそ意義がある。無粋な真似をして、後に作品に悪い影響が出たりしては元も子もないのだ。


「……具体的に、何をすれば?」


 瀬奈がおずおずと問いかける。


「そうですね……。では、霊宝具エレメンティアをその手に、召喚しましょうか。やり方は、原作通りです」


 空がそう言った。瀬奈は、俯き、ルーシアの頬を染めて。


「……本当に言わなければなりませんか?」


 と、空に伝えた。空は真顔で、当然の如く、「言ってください」と返答した。少し、サディスティックな面を感じた空に、瀬奈は抗うことが叶わない。


「……はぁ、確か……。【の誓いの名の下に聖水をあらわせ】」


 一応、その雰囲気を出した感じで、ルーシアを演じるように言葉を発した。瞬間、光が瞬いて、左手の甲に六芒星の赤い紋様『祖の証プロ―ヴァ』のある方に、巨大な杖が顕現した。


「うわぁっ!」


 瀬奈は想像をある程度していたものの、実際には起こりえない出来事に、やはり声を出してしまった。楽しそうに空は瀬奈を見つめる。


 瀬奈から空の姿は完璧には捉えられないけれど、空からはルーシアに扮する瀬奈の姿が視認できる。もちろん、景色も然りで、瀬奈の見つめるものが、スタジアム全体に照射されているのである。


「……見事です、香月さん。そんなにきょどらなくても、いいですよ」


 瀬奈の視界のワイプに映る空は言う。


「いや、まさかとは……思っていたんですが……本当に起こるとやっぱり驚いてしまいました」


 瀬奈は未だ状況が理解できていないけれど、必死に取り繕って、返答する。


 ルーシアの瞳でまじまじと見つめるのは、左手に握られた杖。自分の肩の高さほどまである杖に共鳴するが如く、手の甲にある六芒星の紋様は赤く光る。


「……これが、〈クリウス・ケイオン〉ですか……。精巧にできていますね」


 ――霊宝具エレメンティア。それは、『極彩色の偽英雄』の作中で登場する特別な武器の名であり、〈クリウス・ケイオン〉はその一つである。


 霊宝具エレメンティアは作中で、かなり重要な位置づけにあたるものであり、『極彩色の偽英雄』を語る上でなくてはならない存在だ。主要キャラクターに宿った霊宝具エレメンティアは、タイトル通り英雄になるための必要不可欠な武器である。作中の登場キャラクターは、何かしら問題を抱えており、世間から見放されていたが、ある日この霊宝具エレメンティアに選ばれたことにより、困難に晒されながらも、偽りから本物の英雄に大成していく、というのが大まかなストーリーであり、霊宝具エレメンティアの重要性が窺える。


「……これは、一応……空想なんですよね、重量感とかありますけど?」


 瀬奈が問うと、空は小さく頷き、答える。


「はい。ボックスの中で、何か重量のあるもので、手に負荷をかけているのか、もしくは何かの技術で重量感を錯覚させているのか、その実はわかりませんが、架空であることは違いないと思います」

「……そうですか……。でも、凄くリアルだなぁ」


 瀬奈は小さく呟き、再び視線を左手の杖に集中させた。


〈クリウス・ケイオン〉は、ルーシアが手にした水の属性エレメントをその内に宿す霊宝具エレメンティアである。


 そのフォルムは細く長く縦に延びていて、所謂ファンタジー作品の魔法使いが持つ杖といった印象がある。縦に延びている木色の材で象られているのは二頭の蛇。蜷局を巻き、互いに絡み合いながら、杖の頂上にまで延びて、最終的にお互いの首がそっぽを向いている。真反対の方角を向いた蛇の頭に挟まれ、青きサファイアのような宝玉が頂点で、淡く、神秘的に照り輝いていた。


「……さて、霊宝具エレメンティアも顕現できましたし、実戦で、やってみますか」


 あまりにも都合よく進み続ける展開に、瀬奈は恐怖の感が現れていたけれど、有無を言わせず続く。


「……えーと。……これか」


 空が独言を吐きながら、タブレットを操作する。数秒遅れて、瀬奈の視界に異変が起こった。


 瀬奈の視界が揺れ、美しい草原に不穏な空気が流れる。どす黒い霧が、どこからか溢れ出し、それに隠れて、それが姿を現した。

 身震いしそうな冷気を帯びた空気を放ち、醜悪な顔立ちと不気味な体つきは、逃げる気すら失せさせる何かを感じさせる。


 赤い瞳とどす黒い表皮、手や足の爪は鋭く尖り、口元には強固な牙を覗かせる。背中からは蝙蝠こうもりの羽のような禍々まがまがしい翼を生やし、一言で言うならば、化物という言葉がお似合いだ。


「……これって、『悪魔の下僕ディアブロ』……? これも、こんなにクリアに再現されているんだ……」


 瀬奈は恐れよりもまず、その精巧な作りに驚かされた。人気作である『極彩色の偽英雄』はメディアミックス展開の一つとして、テレビアニメ化が決定している。瀬奈は編集として、先に制作会社から提出された設定資料作画集を閲覧していたのだけれど、今の見ているそれは設定資料のそれと酷似していた。


「さて、僕の作品の敵キャラというかモンスターが出てきましたが……とりあえず、これでFCRBでの戦いを体験してみましょう」


 空がそう言うと、図ったかのように電子アナウンスが説明する。

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