第7話 体験と世界樹《ユグドラシル》

 瞳孔が暗闇で広がっていたのが、光に照らされ狭くなっていく。そして、網膜が色と形を捉えて、瀬奈の双眸に映ったのは、先刻と同じく動きやすそうなラフスタイルを貫く青年の姿。


「久方ぶりです。えーっと……香月さん。今日からビシビシ鍛えていきますので、よろしくお願いします」


 青年、空がそう述べて、会釈をした。瀬奈にとっては、どこか心が自分に向いていない雰囲気や名前を言った時に妙な間があって気になったけれど、その部分は空気を読んで、会釈し返して対応した。


「……先生、これから私は何をすればいいんでしょうか?」


 年下であるけれど、そこは仕事相手。敬語を混じらせて、瀬奈は問いかける。


 というのも、FCRBの特訓をするというだけしか知らされていなくて、具体的な内容は全く知らされていないから、内心かなり恐れていた。


「はい、とりあえず、この一週間でプロテストに合格していただきます。そうでないと、僕も新人戦に出られなくなってしまうので、そこはマストで絶対です」


 空は、淡々と言うけれど、対する瀬奈は恐怖におののくわけでもなく、というよりそんな部分を通り越して呆れていた。

 先日も、似たようなことを言っていたが、まさか一週間でプロにさせようとしているなど、愚の骨頂で、支離滅裂で、言語道断であった。


「……あの、到底一週間でなれるとは思えないのですが……。あまり、運動神経もいいとは思っていないですし……」

「そこは、努力と工夫次第です。寺島さんからあなたの履歴書を見せてもらいましたが……」

「……寺島さんに裏切られた……」


 耳に触れない程度の小さな声音でボソッと呟くと、空が反応を見せて。


「何か言いましたか?」


 と、眉根に皺を寄せて言うので、「何でもありません」と断りを入れた。


「……あなたの経歴から見るに、かなり学力の高い大学を優秀な成績で卒業しているとか。察するに、勉強は得意だと僕は思っていますが、相違ありませんか?」

「……まぁ、それなりには……。短期間でものを覚えるのには慣れています」


 瀬奈が控えめに伝えると、どこか大仰に空は反応を示して、口のを緩めた。


「それは、都合がいい。……今、プランを決めました。徹底的にしごくつもりなので、苦難に負けずついて来てくださいね」


 微笑みをその口に宿す空の表情が、瀬奈にとってたまらなく恐ろしかった。


「……うん? あなたは……あぁ、お久しぶりです」


 一頻り、計画の概要を説明し終わると、空が今まさに気づいたように、瀬奈のかたわらに立つ風変わりな衣装を身に纏った、アイドルの小柄な体格の少女に目をやる。


「……空く~ん、今、気づいたの? ちょっと、残念だな~。まぁ、アイドルはそれでも許さないといけないね」


 妙にきゃぴきゃぴと、跳ねるような挙動を見せながら、顔をころころと変えて、最終的に癒される笑顔スマイルで着地した。


「……以前はお世話になりました。今日は、何の御用で?」

「空君の時と同じ。新しいFCRBプレイヤーの誕生を見届けに来たんだよー。私はFCRBが大好きだからねー。断ろう、たって無駄だよ。私は特訓が終わるまで居座るからね~」

「……あ、ははは。そうですか。邪魔だけはしないでくださいね」


 全くもって、じつのある笑いをしていない、苦笑を浮かべて。


「オッケー。任せておいて~」


 シルルは溌溂はつらつとした満面の笑みで、応えた。


「先生、シルルちゃんとお知り合いなんですか?」


 二人の様子を訝しげに覗いていた瀬奈が問う。


「は、はい。……僕がプレイヤーの訓練をしていた時にも彼女がいて……その、ずっと観察されていて、結構怖かったんですよ」


 本音を、本人の前で垂れ流しにして答えた。明らかに不快な表情を浮かべている空を瀬奈は不思議そうに見る。けれど、篭りがちな人見知り作家に、こういった青春謳歌を前面に押し出す少女との会話など不可能に近いのもわからなくもないのだけど。


「まぁ、それはそれとして、早速特訓に移りましょう。時間もそこまでありません」

「わかりました。ご指導ご鞭撻べんたつ、お願いします」


 作家と編集者という関係性を、歪ませるような二人の会話を楽しみながら、シルルはじっと笑みを浮かべて傍観することに決めた。


「……まず、聞いておきたいのですが、FCRBのことはどこまで理解しておいでで?」

「そうですね……。ざっくりとした、ルールくらいは存じていますかね。ですが、それ以上は……」


 瀬奈が首を傾いで伝えると、ふむふむ、と頭を上下させて、空は考えを馳せた。


「では、まずそのあたりのルールや仕組みの確認をしていきましょう。プロ昇格試験の時にも必要になってくるので」


 空は、そう言って、懐に忍ばせていた両手大のタブレット端末を取り出す。色と形から鑑みるに朝田から借り受けたものであろう。

 慣れた手つきで、タブレットの画面をスワイプして、やがてタップすると、巨大な機械音が鳴り響き、音を轟かせながら巨大な白いボックスが、堅牢そうな床に隠された奈落から持ち上がってきた。


 瀬奈は見慣れない直方体の巨大なキューブにポカーンとした様子で、圧倒されて一歩退いた。


「何ですかっ! これ?」


 瀬奈が問うと、空の表情に皺が寄る。


「あれ、ルールをそれなりに知っていたのではないのですか? このボックスは常識の範囲内ですよ……」


 いきなりつまずいてしまって、瀬奈は空の方へ視線を向けられない。


「まぁ、いいでしょう。とりあえず、ボックスに入ってください」


 タブレット端末をスワイプ&タップ。すると、直方体のボックスの下部の真ん中に、切れ込みが入るように隙間が開いて、長方形の出入り口が形成される。


「……ここに、入るんですか?」


 よく理解していない瀬奈にとっては、光の見えないボックスの中は恐怖でしかない。だが、年下にたしなめられるのも、それはそれでしゃくに障る。瀬奈は意を決して、ボックスの中へ歩を進めた。


「中に入りました?」

「は、はい」


 光の漏れる入り口から聞こえる空の声色に、瀬奈が返答すると「わかりました」と、声が響く。同時に、出入り口が徐々に閉じられていき、漏れ出ていた光が消失する。

「せ、先生~。ちょ、ちょっと、く、暗くて何も見えないですがぁ。正直、怖くて、は、早く、出してくださいっ!」

 突然のブラックアウトに、瀬奈は取り乱し、喚くように叫びをあげた。ボックスの内側の壁に触れて、一心不乱にガンガンと壁を叩いた。

 瀬奈が壁を叩き始めてからしばらく、空はタブレットを動かして、再度タップする。


「焦らないでください。今から、電気をつけます。今叩いている壁の反対側に注目してください」


 ボックス内部に取り入れられた、スピーカーからの突然の空の声。恐怖で狂乱していた瀬奈が、馴染んだ声に落ち着きを取り戻し、壁を伝って振り返る。


 ジャジャジャジャーン!


 ポップな曲調のBGMが内部スピーカーから鳴り響き、強烈な光を放つ巨大スクリーンが展開する。瀬奈は暗さに慣れて、瞳孔が開いていたため、少し眩しく思って腕で目を隠して、数秒経ってから、ようやく視認した。

 出入り口があった場所から真反対、ボックス内では前面の方に位置する壁にスクリーンが映し出されているけれど、背面の方の壁も、同様にスクリーンが展開しそうである。


 瀬奈の見るスクリーンには「初心者向けFCRB解説プログラム」と文字が羅列してあった。


「――これより、初心者向けFCRB解説プログラムの放映を開始します」


 丁寧で、聞き取りやすい、朝のニュースアナウンサーのような口調の電子アナウンスの女性の声が、BGMに交じって、響く。


「……なにこれ?」


 本音が漏れる瀬奈に、次なるアナウンスが響く。


「なお、このプログラムは本筆記試験にも関わる重要事項のため、しっかりと耳と目を傾けてください」


 アナウンスがそう言うので、瀬奈は仕方なく、意識を画面に注目させた。


「ではまず、FCRBの簡単な仕組みについて説明します。ちなみにこの情報は、講習後に、あなたのスマートフォン及びPCにメールを介して発信されますので、もし忘れてもご心配しないでください」


 スクリーンに携帯やパソコンの画像が映し出され、矢印でわかりやすく示して、丁寧に解説される。非常によく出来ていて、見やすく、わかりやすい。


「FCRBに登場するキャラクターは、売り出したい企業や会社からの宣伝費によって決められています。多大な宣伝費によって、このバトルエンターテインメントが成り立っていると思ってください」


 スクリーンに映し出された画像に付随する形で、アナウンスが説明する。すると、スクリーンの左上隅にテレビのワイプのようなものが現れ、ボックスの外にいる空が映った。


「僕の場合は、作品の印税から引き抜いて出資しました。数千万円くらい。瀬奈さんの分は僕と会社で割合を決めて出しています」


 血の気が引いた。確かに空はメディアミックス展開もしていて、かなり儲けているかもしれないけれど、わざわざ自費でそこまでするとは、考えられない。

 そして、何よりも、自分のためにかなりの出資をされているとわかると、途轍とてつもないプレッシャーと使命感にさいなまれる。言ってほしくなかったと耳を塞ごうとしなかった自分に後悔した。


「この点は知っているかもしれませんが――」


 アナウンスの声で、意識を引き戻される。


「世界樹〈ユグドラシル〉のサーバーを通じて、FCRBは運営されているので、キャラクター構築も〈ユグドラシル〉が重要になります。作品の著作権が認められた瞬間、世界観やキャラクター、ストーリーが〈ユグドラシル〉にデータとして送られます。それを、FCRBのイベント時にデータを抽出し、キャラクター構築、技などの演出のヒントとして活かすのです」


 瀬奈もその存在は知っていた。というより、カリカチュアに住む者なら聞いたことくらいはあるだろう。


 ――カリカチュア全システム統制サーバー。通称、世界樹〈ユグドラシル〉。カリカチュアの交通インフラ、ライフライン、外交等、そして、FCRBのシステムを管理している超巨大サーバーである。


 カリカチュアのエリアセントラル地下にあるとは言われているが、最大級のトップシークレットとして、その中身を知る者はほぼ存在しない。


 著作として、作品が認められるということは、〈ユグドラシル〉のサーバーに保存されることを意味して、FCRBに参加する、しないは抜きにして、バックアップのように残されていく。作品が時間と共に進んでいくにつれて、保存されたデータも更新されていき、大団円を迎えるまではそれが続く。それは、著作権が消える、著作者の没後50年後まではデータとして、保存され、未来に受け継ぐヒントとなるのだ。


 だが、カリカチュアのシステムの大部分を担っているこのサーバーの負担は尋常じゃない。しかし、無尽蔵の容量とDDOSディードス攻撃にも対応できる防御システム、どんなウイルスも侵入を許さないセキュリティで、今まで一度も異常をきたしたことはないし、これからもないと言って過言ではないだろう。


「香月さんは、僕と同じく、FCRBでは僕の作品のキャラクターを利用してもらいます。その点は、前言った通りです」


 ワイプから空が伝えた。まぁ、空とGK文庫が出資しているのだから、変えようがないのだろうけど。


「それは、存じています。どのキャラクターになれば?」


 瀬奈が聞き返すと、空がにやりと一笑する。


「……では、早速体験してみましょう。百聞は一見に如かず、体験は百見以上です。キャラクターはそこで知ってください」


 空がボックスの外で、タブレットを操作する。少しのタイムラグ。その後、瀬奈のいるボックスの中に、重くきしんだ駆動音が走った。


「……な、なに?」


 瞬間、スクリーンが切り替わった。そして、意識が飛ぶ。決して、倒れたという訳ではないし、苦しくも痛くもないのだけれど、別の場所へ意識が移るような得も言われぬ感覚だ。


 光に包まれ、眩しさに目を瞑っていた瀬奈は、おもむろに目を開く。


 広がっていた光景はボックスの中とは異質の景色。茫洋ぼうようたる草原と晴れ渡る美しい青空。鉄色と機械的な光に包まれていた先ほどのボックスの中やスタジアムの中とは全く異なっていた。


「……なにこれ、私、夢でも見ている……の?」


 瀬奈は掴めない状況に独言を呟く。すると、瀬奈の視界に、唐突に、先ほどのワイプ画面が映り、空の顔が映った。


「……香月さん、お気分はいかがですか?」

 小さく笑いながら空が問うと、瀬奈が困惑した顔で言った――。

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