第6話 セントラルスタジアムと思わぬアイドル

 三月に入って、一週間とちょっと経った。月の中頃に差し迫ろうとしてきたその日は、やや曇りの天気で、分厚い雲の切れ間から木漏れ日にも満たないほどの霞んだ光が、大都市の様相をていする街並みのカリカチュアに注ぐ。


 昼からは雨の予報で、風も強くなるということで、携行している黒色の皮で作られた洒落た肩掛け鞄の中に折り畳み傘を忍ばせて、図ったようなタイミングで来たモノレールに、瀬奈は乗り込んだ。


 時間帯は午前十時を過ぎた頃。平日の昼間であるからか、乗車している人はまばらで、数えられる程度の人しかいない。

 モノレールの中はとても静かで、揺れも少ない。座席に腰を掛けた瀬奈は、おもむろに溜息をついて、目的地の駅まで待つ。


 瀬奈の格好は仕事モードの時と大幅に異なっている。空から伝えられた要望のためだ。


 堅苦しい、いつものカッターシャツと紺色のスーツ姿も、キャリアウーマンという感じがして悪くないのだけれど、今日の格好はもっとアクティブでカジュアルである。


 清潔感のある白いシャツに、黒く薄い生地の丈の短めのカーディガンを羽織り、ヴィンテージの膝に傷をつけたデニムを合わせている。

 軽装である分、ボディラインがくっきりと浮かび上がり、煽情的に感じてしまうのは致し方ないが、一見した限りはお洒落なモデルのように思える。

 束ねているポニーテールだった髪も、今日はゴムを解いて、左右に流していて、髪の先端を軽くいじって巻いている。


 彼女がこういった格好であるのは、動きやすい格好でこちらに来い、という寺島を通した空からの言伝に起因しており、昨夜考えて出したのがこのスタイルだ。動きやすさを考慮して、ハイヒールもスニーカーに変更している。


「……結局……私が……出ることになっちゃった……」


 同じ車両の乗客が寡少かしょうであることを確認して、瀬奈はか細く呟いた。思ったことをリフレインするように、小さく聞こえないように発する。


「……会社に逆らえないし、恩を売って悪いとは思わないけれど……まさか、こんなことになるなんて……思いもしなかったな……」


 先日、ほぼ脅迫された形で、担当する作家に無理やり無理難題を突き付けられて、今に至っている。瀬奈が自信なさげにそう零すのも無理はない。


 FCRBに出場するためにプロのプレイヤーになること指令され、その特訓として今日、空に呼び出された次第だった。


(……あんなに会ってくれなかったのに……今度会うのが仕事現場じゃなくて、スタジアムなんて――私、編集としての自信失っちゃうなぁ)


 瀬奈の胸中を車内の人も、空もおそらく知らないのだろう。知っているのは自分自身と寺島と同情する編集部の数人くらいに違いない。


 瀬奈がプロとしてデビューするために、会社内で会議が行われた。瀬奈の働きはかなりのものであるけれど、体力、精神面で限界というものはある。正直言って、編集の仕事とFCRBの出場者を両立することは難しい。瀬奈はどちらもやると宣言したのだが、GK文庫側から棄却され、結果を宣告された。


 編集の仕事は週に2回。そして、空いた時間にFCRBの特訓をして、毎週土日に開催されるFCRBへの出場を目指すという大まかなプランに決まった。


 給料はその分若干減るが、スポンサーという形で契約金を手渡される仕組みになったため、今までとほぼ変わらず、もし大会に出場し、賞金を獲得できれば自分の取り分に、次いで売り上げが好転すればさらにボーナスを貰えるという高待遇だ。


 ごく一部の女性編集者から、休みをもらえて、お金も今まで以上に支給される可能性があるとして、疎ましく思っていたが、カリカチュアにおいて、FCRB及びそれに出場する選手達の意味はそれほどに大きいから、愚痴を零していた一部の社員もすぐに口を噤んでいった。


「まぁ、やれるだけやるしかないけど……あまり、気乗りはしないなぁ」


 編集者として志を持って、入社してから一年と少し、自分の理想とは大きく異なった事態になり、困惑し、懊悩おうのうするのも無理はない。順風満帆に進み続けたからこそ気付かなかったが、今更ながら社会の理不尽さを、瀬奈は痛感した。


「エリアセントラル、区画1ステーションです」


 電子アナウンスが響き、降りる駅が知らされる。終点でもあるこの駅はカリカチュアの中心も中心。カリカチュアの核であると言って違わない。


 この付近を中心にして円形を描くこのエリアセントラルは、カリカチュアの中で最も小さな面積であり、そして最も必要性のあるエリアだ。

 俯瞰してみれば、五つの円が十字の姿を映すこの街の、中心の円に当たるこのエリアセントラルは、カリカチュア全てのシステムや政策などを管轄する心臓部である。


 カリカチュアはここから全てが始まり、カリカチュアの各エリアにシステムなどが血液のように供給され、最終的にここに再び戻ってくる。


 必要な各省庁、在日している者への大使館、迎賓館に、国会に準ずる会議を行う施設やカリカチュアのさらなる発展のために日夜活動する電子工学研究所など、カリカチュアに関する最重要機密がこの小さなエリアに一堂に会している。


 もちろんそう簡単に立ち入ることは認められておらず、特に地下にあると噂される極秘エリアには、日本国総理大臣ですら入れるか否かと言われているけれど、ただ一つ誰でも入場を許される場所がある。

 それが、瀬奈が降り立った区画1ステーション。カリカチュアのど真ん中に当たるこの場所だ。


 何があるかといえば、察するに値する。瀬奈の今日の目的地ないし出張先とでもいうべき、巨大なドーム状のスタジアム。白銀の美しい金属色を外面に露出させ、漏れてきた太陽光が、煌めきを放ち跳ね返る。見事に造られた流線形のフォルムは現代都市的な様相のこの街にはピッタリという他ない。


 ――セントラルスタジアム。エリアの地域名を当てて造られた、誰にでも親しみやすく覚えやすいその名のスタジアムに、瀬奈は溜息を落としながら、歩んでいく。


 FCRBの開催される土日にもなると、早朝から数万人から数十万人の人でごった返すのだけれど、今日は平日の午前中のかなり中途半端な時間であるから、いるのは警備員くらいでとても殺風景でもある。


「……あの、よろしいですか?」


 瀬奈は巨大な自動ガラス扉の前で監視をする、制服を着た警備員に話しかける。


「……はい、どうしましたか?」


 警備員が優しい口調で聞き返した。


「実は、今日、このスタジアムの中で待ち合わせをしていて、入りたいのですが、よろしいですか?」

「……あぁ、それなら聞いております。……お客様のタブレットに許可証か何か、届いてないですか?」


 警備員がそう聞くと、思い当たる節があるのか、肩掛け鞄から自分のタブレットを抜き出し、空からのメールに添付されていた許可証のデータを見せる。


「はい、ありがとうございます。……スタジアム内も広いので、案内役を呼びますね」


 確認の後、微笑みを浮かべた警備員は、瀬奈から受け取ったタブレットを返却し、自身の懐に忍ばせていたタブレットを操作すると、数秒後に、後ろの自動扉が開いた。


 扉より現れたのは新雪のように真っ白な艶のある長髪をした少女。瀬奈よりも若干低く、身長は155センチくらいであろうか。目元はぱっちりとしていて、髪と同系色の色をその双眸に宿しているが、その白は髪よりも若干温かみや明るさを覚える瞳をしている。


 瀬奈は唐突に開いた自動扉に一度驚いたが、それ以上に、登場したこの少女に仰け反り、目を見張った。


「お待たせしました! 館内を案内するのは私、シルルで~す。香月瀬奈さん、よろしくお願いしまーす!」


 無垢なる少女のような、アイドルの挨拶のような、そんな印象を抱かせる声音で、アイドル衣装のようにひらひらとした服を着て、少女は言った。


「……シルル、ちゃん? ……この子が、案内を?」

「はい、そうですよ~!」


 瀬奈が瞠目どうもくするのは、この幼さを覚える少女が案内を買って出ていることに起因しているのではなくて、この少女自身のことに由来していた。


 シルルという名前は、カリカチュアの中で知らぬ者はいないと言っていいほど有名で、カリカチュアを支えている立役者の一人と言っていいほどである。


 本来彼女は、謎の白髪2.5次元的アイドルとして、活躍しているれっきとした有名人である。彼女は突如インターネット内で現れ、インターネット内でその独特な風貌、可愛らしさ、美しい歌声で脚光を浴び、瞬く間に世間に周知されていった。


 そして、度々カリカチュアのどこかで出現し、ゲリラライブを敢行してみたり、迷っている人の前に突然現れ、道を案内しているところが目撃されるなど、有名人であるのに行動や個人情報が全くもって不明な点から、ミステリアスな少女としても、話題に事欠かない。


 そんな有名人が目の前にいるのだから、驚くのも無理はないだろう。


「それでは、行きましょう!」


 真っ白な肌の可愛らしい手で、シルルは瀬奈の手首を引っ張って中に案内し始めた。


「瀬奈さん、ここに来るのは初めてですかー?」


 アイドル活動をやっているせいか、語尾が伸びているのが気になるけれど、彼女に出会ったことの驚きに比べれば、それほどのことでもなかった。


「……いえ、何度か観戦では訪れたことがあるんですが、舞台裏は流石に初めてで、……緊張しています」


 瀬奈がそう返答すると、何故かシルルは頬を小さく膨らませて、子供が駄々をこねるように顔を歪ませた。


「瀬奈さ~ん。少し、よそよそしくありません? せっかく、知り合ったんだから、もう少し軽い感じで話をしましょうよぉ?」

「……あぁ、ごめんね。まだあなたに気が動転していて……」


 瀬奈は強請ねだるような、せがむような瞳に、飲まれてしまって、思わず心を許してしまった。硬くなっていた口元の筋肉が綻ぶ。


「じゃあ、シルルちゃん。案内、よろしくお願いね」

「……仰せのままにっ!」


 敬礼ポーズで、でこに、片腕を当てて、癒しの表情ではにかんだ。

 打ち解けた瀬奈とシルルは語らいながら、廊下を進む。周りは鉛色の壁に囲まれていて、心なしか暗く見える。


「……アイドルをやっているんだよね?」

「はい!」

「大変そうだけど、体は大丈夫?」

「はい! 楽しんでやってますよー。ライブをやったら、ファンの皆が喜んでくれるし、応援もしてくれる。確かに、体は大変だけど、それ以上の喜びがありますから、オールオッケーです!」

「そう。それなら、私はシルルちゃんの曲をまだちゃんと聞いたことがないから、今度買って、聞いてみるね」

「お買い上げ、ありがとうございますっ! ……と、話している間に到着しました。この扉の向こうですよ~」


 シルルがそう言って、重く堅牢そうな扉に触れるとおもむろに開いていく。シルルは扉の隙間から漏れ出た眩い光に向かって、小走りで進んで、光に姿を霞ませながら、両手を開いてアピールするように声音を吐いた。


「さぁ、夢と希望に満ちたバトルエンターテインメント、FCRBのステージへようこそっ!」

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