07 絶望と希望

 暗闇の中に外の景色が見える窓がある。

 レイルはその窓の下でずっとうずくまっていた。


「なんだよこれ。なんで俺はこんなに酷いことをするんだ……!」


 窓の外では楽しそうにフレッドが悪逆の限りを尽くしている。

 けして割れない分厚い窓ガラスを叩いて、レイルは崩れ落ちた。


「気に入らないか? これはお前が望んだことなのに」


 どこかから、もう一人の自分の声がする。

 レイルは頭を振って否定した。


「違う! 俺は望んでない! お前は誰だよ!」

「ふふ、良い子のレイル。誰だって光と闇の二面性を持っている。お前にとっては不幸なことに、俺はそれを司る天魔なんだよ。お前が善良であればあるほど、俺は邪悪となる」


 もう一人のレイルは楽しそうに笑う。

 絶望にうちのめされて、レイルは膝を抱え込んだ。




 王宮の露台から地上を見下ろして、金髪碧眼の少年は歓声を上げた。


「あははははっ! 飛んだ、空を飛んでるぞ!」


 彼の名前はフレッド。

 リヒトの幼馴染みのレイル少年の別人格である。

 ここはコンアーラ帝国の金剛の都ダヤーン――に元々あった王宮が地盤である巨大な天岩ごと空中浮遊してできた、空飛ぶ城だ。

 王宮は白い壁と黒い屋根で構成され、ところどころに金色の飾りが付いた豪華で品の良い建物だったが、今は不気味な紫色の蔦に覆われている。

 空飛ぶ城の周囲には翼のある魔物が群れをなしており、王宮の屋根の上には飛行できない魔物がとまっている。

 魔物の軍勢を連れて空飛ぶ城は、東へと向かっていた。


「このまま教会本部のジラフを潰しに行くぞ」


 仮面を付けた巨漢が、象牙色の錫杖を掲げて宣言する。

 錫杖の頂点には青い石が埋め込まれており、それは不思議な光を放っていた。

 これは古代の天魔が残した魔道具アイテムで、自分より弱い天魔を操る「覇者の杖」というものだ。

 魔王信者達はコンアーラ帝国の民を魔物に変えた後は、この魔道具で彼らを服従させていた。

 巨漢は露台ではしゃぐ少年の背中に声を掛ける。


「それで良いな、フレッドよ」

「なんでいちいち俺に聞くんだよ、オーディン」


 フレッドは振り返って肩をすくめた。


「俺は面白ければ何でもいいさ」


 いささか放任感のある返答に、巨漢の魔王信者オーディンが聞き返す。


「お前には目的が無いのか」

「オーディン、あんた、ありの巣で、暇つぶしに蟻を一匹ずつ踏みつぶすのに、何か大層な目的を持つか?」


 快楽以外の目的は無いと少年は告げる。

 無邪気で残酷な回答だ。


「そう言うあんたは、何の目的があって行動しているんだよ」


 逆にフレッドが問いかけるとオーディンは胸を張って答えた。


「俺の目的は決まっている。この世界を天魔のものにするのだ。そして俺は、魔王の補佐として采配を振るう」

「ふーん。あれ、そう言えば、あのケバいおばさんは?」


 いつもオーディンと共に行動していた、踊り子の恰好をした銀の髪の女、サザンカの姿が見えない。不思議に思ってフレッドが聞くと、オーディンは自分も今気付いたという顔をした。


「先日から見かけないな……だが、あれがいなくても問題はあるまい。むしろ、面倒がなくていい。サザンカは夢で見た魔王にこだわっていたからな」


 オーディンはサザンカを煙たがっていたらしい。

 仲間の行く末はどうでも良いと言うオーディンに、フレッドも笑って同意した。

 そんな二人の前に、黒い鎧を全身に着込んだ女が歩いてくる。

 兜を外すと三つ編みになった豊かな黒髪がこぼれた。

 女は低い声音の男性口調で静かに言う。


「……どうでも良いことだ。俺は人間を滅ぼせれば、それで良い」

「アルウェンは戦闘狂なのか」


 黒い鎧の女、アルウェンは、フレッドの冷やかしを無表情で受け流した。


「それよりも、油断をするな」

「油断? 勇者パーティーも追っ払った俺達に、どんな敵がいるっていうんだ」


 コンアーラ帝国に派遣された勇者パーティーは、仕事を為す前に分散した。しかし例え勇者の精鋭が掛かってきても、多勢に無勢、この魔物の群れはどうにもできないだろう。

 そう嘲るフレッドに、アルウェンは腕を伸ばして空の向こうを示してみせた。


「あれを見るがいい」


 彼女の腕の先には、空中を滑るように進む一隻のガレオン船の姿があった。




 空飛ぶ船で薬の開発をしていた老人、ジェンを残して、リヒト達は船を去ることにした。いまだ竜の姿をしているフェイの背中によじ登る。

 最後にリヒトは、見送りに来た老人を振り返った。


「……本当に、良いんですか?」

「これがわしの償いじゃ」


 老人は深く頷く。


「天魔を操る素養の無い人間が、長い時間、魔物の姿になった時……元に戻すことは難しい。わしは取り返しの付かないことに加担したのじゃ」

「ジェンじいちゃん……」

「行け、フェイ。この爺のことは忘れて生きるのじゃ」


 僅かにためらった後に、フェイは四枚の翼を打ち鳴らして空中に飛び上がった。

 竜は魔王の城の後を追う。

 その背中でソラリアが立ち上がり、耳飾りを外して掲げた。


「邪魅の耳飾りよ! その力を我が前に示せ!」


 耳飾りの青い石が眩しい閃光を放つ。

 オーロラのような光の帯が天空を覆い、オカリナを奏でたような、くぐもった柔らかい音色が響き渡った。

 その音色を聞いた魔物達は動きを止める。


「今じゃ!」


 ガレオン船の操舵室で、老人は自身のありったけの天魔の力を込めて、船に命ずる。

 魔王の城へ突撃しろ、と。

 空飛ぶ船は赤い光を帯び、飛行機雲を空に描きながら、真っ直ぐに王宮の楼閣へと突っ込んでいった。


「ジェン爺ちゃん!!」


 竜が悲鳴のような鳴き声を上げる。

 衝突と同時に船は砕け散った。

 王宮の載った天岩に亀裂が走る。

 ボロボロと岩を地上に落とし、連鎖的に爆発しながら、魔王の城は急速に大地へ落下を始めた。


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