08 魔王の誕生

 さて、ここはコンアーラ帝国の中心部に位置する金剛石の都ダヤーン。コンアーラの皇帝は、天岩と呼ばれる隆起した巨岩の上に居を構えている。天岩の上の王宮からは、規則正しく碁盤の目に整備された都を見下ろせた。


 王宮の屋根に張りだした露台、欄干近くの床に金髪碧眼の少年が座り込んで遊戯に興じている。少年の手元には真四角の薄い板があり、白と黒の小さな丸い石が並んでいる。

 筋骨隆々とした男が、少年の手元を覗きこんで遊び方を教えていた。男は不気味なドクロの仮面で顔を隠している。


「……ここに石を置くと白が黒にひっくり返る。オセロという遊びだ」

「へーえ」


 二人が遊戯盤を見下ろして話していると、王宮の中から銀の髪を結い上げた女性が出てくる。女は後ろ手に縄で手足を縛った男性を引きずっていた。


「こんなところにいたのですか、オーディン、フレッド」

「サザンカ」


 金髪の少年がフレッド、仮面の男はオーディン、銀髪の女はサザンカだ。彼女が引きずってきた男性が喚いた。


「おのれ、薄汚い天魔の使い手どもめ! 余を誰だと心得る!」


 男性は高級な絹の衣服を着ていたが、床を引きずられたせいで服は乱れて汚れ、散々な有り様だ。

 サザンカは男性を見下ろしてせせら笑った。


「まだそんなことを言っているのですか、皇帝陛下。この世界の真なる主は愛しい我が君、魔王様だけですわ。皇帝陛下はコンアーラという狭い土地の管理を任されていた、ただの人間。まあ、言ってもあなたには理解できないでしょうけどね!」


 芋虫のように床に転がった皇帝を見下ろして彼女は嘲笑する。

 その様子を見て、遊戯盤の前に座っていたフレッドが立ち上がった。

 少年は薄笑いを浮かべ、片手で白い石を空中に放り投げてキャッチする動作を繰り返しながら皇帝の横にしゃがみこむ。


「おっさん、そんなに天魔おれたちが嫌いか?」

「嫌いという話ではない! そなたらはこの世にあってはならない、悪魔の申し子だ! 世界を滅ぼす忌まわしき災いの化身!」


 皇帝は唾を飛ばしながら熱弁する。

 彼の瞳には天魔に対する強烈な嫌悪が宿っている。


「くっ……あはははははっ!」


 その言葉に、フレッドは何がおかしいのか、腹を抱えて笑いだした。


「何がおかしい?!」

「いやいや、皇帝サマ、あんたは全くおかしくない。それだけ思い込みが激しかったら、さぞかし綺麗に裏返るだろうよ」

「どういう意味だ」


 少年は笑みを深くすると、手にした白い石を空中に爪弾く。

 白い石は回転しながら宙を舞った。


「一枚の紙にも裏表……あらゆる性質は俺の前で反転リバースする」


 白い石が空中で色を変える。

 汚れない純白から、光を吸い込むような漆黒へと。


「……」


 皇帝の目から光が失われた。


「天魔……なんて素晴らしい力だ。そなたらは神の使いなのだな。余は何という暴言を」

「分かってくれれば良いんだよ」


 フレッドはクスクス笑いながら立ち上がった。

 もう縄で拘束する必要はない。

 サザンカは皇帝を縄から解放した。四つん這いになって平伏する皇帝を、フレッド達は愉しそうに見下ろす。


「……計画は上手く進んでいるようだな」


 靴音が響いて、全身黒い鎧を着た女性が姿を現した。それは、リヒトやソラリアが出会ったアルウェンだった。彼女はフレッド達の前で立ち止まる。


「こちらも、天魔の欠片の配布は順調に進んでいる。コンアーラ帝国の住民の約半数は欠片の影響を受け、魔物に変わるだろう」

「魔物……?」


 ぼんやり話を聞いていた皇帝がアルウェンの言葉を反芻する。

 彼は会話の内容が理解できていない。


「天魔になり損なった人間が魔物の先祖なのだそうだ。過去の天魔の王、魔王がそうしていたように、俺達は魔物を増やして兵士を作る」

「兵士……」

「カーム大陸の聖骸教会をつぶすために手数が必要なのですわ。天魔に対抗できるのは、天魔だけ。教会が私達の一番の障害です。教会と教会が擁する勇者さえ倒すことができれば、世界を魔王様のものにするのは容易いのです」


 アルウェンとサザンカの説明を理解できたものが何人いただろう。

 夢物語と切り捨てるのは容易い。しかし、彼らにはそれを実現できる力があった。現に、コンアーラ帝国は闇に蝕まれて姿を変えつつある。

 災いの予兆。

 天魔による反乱。

 これが世界を揺るがす事件の始まりだとは、まだ誰も気付いていない。


「さあ、白を黒に塗り替えようぜ。世界が俺達を異物だと判定するなら、俺はその判定を反転させる」


 不敵な笑みを浮かべて宣言したフレッドの足元に、遊戯用の小さな石が散らばる。元が白かった石はことごとくその色を変え、黒く染め上げられていた。



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