07 メリーさん気球

 昔、リヒトの父親は言った。

 戦ったら負けだと。


「剣を持って戦うのが格好良い? 馬鹿言え、真剣で命のやり取りをしてる時点で負けなんだよ。戦わずに主張を通せれば、それが本当の勝ちってもんだ」


 本当に難解なことを言う両親だった。子供のリヒトに意味が分かる訳がないのに。

 けど父さん、剣を交えて戦うっていうのは、やっぱり勝ち負けが明確になって良いと思うんだ。会話だけで分かりあえるなら人間苦労しないよ。


 リヒトは剣を中段に構えて、向かいのアルウェンの様子を伺った。

 向こうから先に攻撃してくる気配はない。

 先手を取らせてもらえるなら、頂こう。リヒトはもらえるものはもらう主義だ。

 僅か数秒でそう決断すると、気負いなく踏み出す。

 それは全く日常と変わりないような滑らかで自然な動きだ。


 剣を地面と水平にして一気に突く。

 胴に向けて一直線。

 単純だが、勢いがあればあるほど避けにくい、基本に忠実な一撃。


「なっ?!」


 想定外の速さの踏み込みだったらしく、アルウェンの顔に驚愕が走る。彼女は咄嗟に剣を縦にして受け流そうとした。

 十字に交差した二本の剣の間で火花が散る。

 リヒトは剣が噛み合った瞬間、天魔の力もこっそり付与しつつ、持てる力を注ぎ込んで彼女の剣を叩き落とす。アルウェンの手元で黒い柄の長剣は軌道を逸らされ、切っ先が大地を抉った。

 叩き落とされた剣が地面に転がる。

 あっという間に手元から離れた剣にアルウェンは唖然とした。


 第三者から見ると、一瞬で軽やかに踏み込んだリヒトが、簡単に黒騎士の剣を叩き落とした図。一方的かつ完璧な勝利だ。


「そんな馬鹿な……」

「僕の勝ちです」


 リヒトは手首を押さえて驚愕するアルウェンの喉元に、剣を突きつけた。


「そうか、考えてみれば勇者と行動を共にしている君が、只の一般人の少年であるはずがない……」

「いいえ、一般人の羊飼いです」


 アルウェンの憶測をリヒトは一蹴する。

 一般人の羊飼いです、ここ重要。誤解されると困るので力を込める。なんなら、二度繰り返してもいい。


「ソラリア、満足した?」

「ええ、とても!」


 預かった剣を鞘に戻しながら聞くと、ソラリアは楽しそうに頷く。リヒトは剣を呆然としているアルウェンに渡した。


「はい、剣を返します。観光旅行中の勇者は、新生コンアーラ帝国に迷惑を掛けないように僕が責任を持って連れていきますので」


 剣を受け取ったアルウェンは心なしか残念そうだった。


「一緒に天魔の国を作ってはくれないか? 君も天魔の能力者なんだろう」

「羊さんの国なら協力しますけどね。アルウェンさん、あなたがしたいのは復讐ですか? それとも平和な世界を作ることですか?」

「……本当に、君は強くて賢い少年だ」


 リヒトが問い掛けると、アルウェンは苦笑した。


「君が勘づいているように、俺達は虐げられた者の意思を代弁するために動いている。コンアーラは悪魔の国となるだろう。今の内にカーム大陸に帰れ。今なら見逃そう」

「アルウェンさん……」

「短い間だったが、君と旅ができて楽しかったよ、リヒト。次に会った時は俺達は敵同士になるだろう」


 そう言い置いてアルウェンは身をひるがえす。

 彼女は元通りに兜を被って顔を隠し、野原から去っていった。

 その後ろ姿を見送ってリヒトは息を吐き、額の汗をぬぐう。一見、コントのような会話の流れで冗談のように勝負が付いたが、下手するとシリアスな殺し合いに発展していたところだ。危なかった。


「メエエエ(終わった?)」

「メリーさん?!」


 太陽の光が遮られる。

 振り向くと、超巨大化した羊のメリーさんが背後から見下ろしていた。人間の背丈の三倍以上になった羊を目撃して、リヒトは両頬に手をあててムンクの叫びになった。


「途中で止めるの、忘れてたっ」

「大きくなりましたねえ」


 羊がくわえて飲み込もうとしていた黄色いツヅミ草の花を、リヒトは大急ぎで口から奪った。これ以上大きくなられては困る。

 巨大化してもフワフワの羊毛に手を突っ込みながら、ソラリアは言った。


「こうなったのも、たぶん私の責任です」

「たぶんじゃなくてもそうだよ……」

「ですので、責任をとって、私がメリーさんを空に飛ばしましょう」


 ニコニコ笑顔で言ったソラリアの言葉の意味が分からず、リヒトは首を傾げる。


「空に飛ばす……?」


 頭上にクエスチョンマークを浮かべたリヒトの手から、隙を見てメリーさんがツヅミ草の花を奪い返す。

 モゴモゴ花を咀嚼する羊が、モコっと一回り大きくなった。




 野原で別れた後、アルウェンはすぐに遊牧民と話をまとめて、コンアーラ帝国に帰ったらしい。リヒトが巨大化したメリーさんを連れて帰った時には彼女の姿は既に無かった。

 リヒトとソラリアは遊牧民に声を掛けて、人間が入れるくらい大きな籠と、丈夫なロープを何本か譲ってもらった。

 二人でメリーさんのふわふわの胴体にロープを結んで、籠にロープの端を固定する。

 重力が嫌いなメリーさんの身体は地面を離れて少し浮いている。

 これでメリーさんに飛んでもらえば、即席の気球の出来上がりだ。


「どんなもんです? 私達は籠に入って、メリーさんが飛行すれば……」

「海を越えられるね」


 御神体を気球にするという暴挙に、遊牧民が怒るかなとリヒトはちらりと考えたが、それは杞憂というものだった。


「空飛ぶメリー様! まさしく神話の再現ですな!」


 むしろ大興奮だ。

 全面的に協力してくれた遊牧民達に見送られ、リヒトとソラリアは空へ旅立つことになった。


「ところで、進路の変更はどうするの?」


 どういう原理か知らないが、メリーさんは風船のように空を飛ぶ。しかし風船と同じく、意図した方向に飛んでいける訳ではない。


「私の鳥達に手伝ってもらいます」


 籠にくくりつけたロープの端を、ソラリアが呼び寄せた首の長い鳥がくわえた。鳥達に引っ張ってもらって進むらしい。

 準備を整えると、リヒトとソラリアは荷物を持って籠に乗り込む。

 メリーさんが膨らんで、気球は空に舞い上がった。


「ひとまずバブーンの港町に戻りましょう」

「もう少し羊を愛でたかったな……」

「後でまた来たら良いでしょう。クラーケンに襲われた街がどうなったか、スサノオとアニス、カルマがどうしているか、気になります」


 ソラリアの言うことはもっともだったので、リヒトは羊飼いのノウハウを遊牧民に教わるのは諦めた。

 空は快晴だ。

 雲より低い位置をメリーさん気球は順調に飛んでいく。人里を避けて少し遠回りしたが、やがて海が見えてくる。

 空の上から見る景色は何もかも新鮮で、リヒトは籠から身を乗り出して地上の光景を見つめた。

 カーム大陸は、もうすぐだ。



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